10*表通りを一本入った細い路地に面した公園の前を


 表通りを一本入った細い路地に面した公園の前をとおりかかった時だった。


 小学一年生ぐらいの女の子がひとり、ブランコに座っているのが見えた。


 周囲に誰か、同じくらいの歳の子、あるいは大人がいたら、俺は何も思わず、そのままとおりすぎていただろう。


 けど、その子はひとりだった。


 だから。


「ごめん、村時さん。ちょっと寄り道させて」


「え?」


 驚いている村時さんにもう一度、「本当にごめん」と謝り、俺は公園に入ると、その子に話しかけた。


 膝を地面について、目線を合わせて。


「どうかした?」


「…………べつに、どうもしないし。ひとりであそんでるだけだし」


 そう言って、少女は適当にブランコを漕ぎ始める。


 けど、それが嘘なのはわかっていた。


 俺が声をかけるまでブランコを漕いでいなかったし、止まっても再び漕ぎ始めようとしなかった。


 周囲に誰もいなくても、ひとりで遊ぶことだってあるだろう。


 それなら声をかけていなかった。


 でも、この子は違う。


 遊んでいない。遊んでいないのにひとりでいた。


 なんだかとても寂しそうに。


 だから、放っておけなかった。


「なら、俺と勝負しようよ。どっちがどれだけ高くブランコをこげるか」


 そう言って、俺が隣のブランコに乗ろうとすると、女の子がキレた。


「さっきからよけいなおせわだし! ほうっておいてほしいし!」


 そのとおりだ。


 余計なお世話だし、放っておいて欲しいというのも、彼女が発するこれ以上ないくらい強い拒絶のオーラから伝わってくる。


 でも、それで、それぐらいのことで、「はい、そうですか」と引き下がるぐらいなら、最初から声をかけていない。


 俺が決して引かないことが伝わったのか。


 いや、あるいは諦めなのかもしれない。


 彼女がぽつりと漏らすように呟いた。


「……だいたい、なんでこえをかけてくるし」


「そんなの決まってる」




「放っておけないから」




 そう答えたのは俺じゃなかった。


 後ろを振り返る。


 そこにいた村時さんだったのだ。


「そうですよね」


 疑問系ではなく、断定するような口ぶり。


 実際、そのとおりだった。


 だが、頷くことはできない。言い当てられた驚きで、固まっていたからだ。


 が、何とか立ち直ると、俺は村時さんに向かって勢いよく言葉を重ねる。


「ど、どうして俺がそう答えるってわかったんだ!? ……そうだ、勇者の力を使ったんじゃ!?」


 それならあり得る、いや、それしかないと思った。


 だから、そう言った時の俺は、きっとドヤ顔だったんじゃないだろうか。


「確かに相手の考えていることをぼんやりとですけど、読み取れる力を使うことはできます」


「やっぱり!」


「でも、今は使っていません」


「だったら、どうして」


「そんなの使わなくても、わかっていましたから」


 そう言うと、村時さんはとてもやさしげに微笑んだ。


 その微笑みにドキッとしつつ、使わなくてもわかる? それはいったいどういう意味だ? なんて考えていたが、すぐに気づいた。


 こんなふうに寄り道して、わざわざ声をかけている時点で、それ以外、考えられない……。


 手品と一緒だ。


 タネがわかってしまえば、なんてことはない。


 拍子抜けもいいところだ。


 いや、待て。


 そんなことにすら気づかず俺は「勇者の力を使ったんじゃ!?」とドヤ顔で言ったのか……? 恥ずかしすぎる!


 微笑んでいる村時さんをまともに見ることができなかった。


 俺は顔の熱さを感じながら、咳払いという力業でその場の空気を強引に切り替えると、女の子に向き直った。


「つ、つまり、そういうことだから」


 微妙に声がうわずってしまったことには、目をつむって欲しい。


 俺が本気であることが伝わったかどうかはわからない。


 女の子は俯いて、足元を見つめ続け、何も言わなかった。


 どれぐらい、そうしていただろう。


 やがて女のは、ぽつりぽつりと、どうしてひとりでいたのかを話し始めた。


 要約すれば、それはこういうことだった。


 小学生になって、初めてできた友だちがいた。


 だが、その子が宝物のように大事にしていた髪飾りをなくしてしまったらしい。


 キラキラしていてとても綺麗で、だから、少しの間、貸してもらっていたのだという。


 けど、気がついたら、なくなっていた。


「で、盗んだって言われて、そうじゃないことを証明するために探していた」


 俺の言葉に、女の子が、こく、と小さく頷いた。


 女の子はどこに落としたか心当たりがなかったために、とにかく手当たり次第、探し回った。


 しかし、どこを探しても見つけることができず、こうして途方に暮れていたわけだ。


 俺は女の子に向かって言った。


「わかったよ。それじゃあ一緒に探そう」


「え?」


「ひとりより、ふたり。その方が見つかる可能性は高いだろ?」


 驚いたような顔をしていた女の子に向かってそう言っていると、背後から声をかけられた。


「違いますよ」


 村時さんだ。


「え、違う?」


 まさか、ひとりで探した方が見つけられる可能性は高いのか? なんて思ったが、そうじゃなかった。


「ひとりよりふたり、ふたりより三人です。ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうじゃないですか」


「それはそうだけど……って待ってくれ。この場合、それとは違うような気がする――じゃなくて、これは俺のわがままみたいなものだから」


「大丈夫です」


 なのに、村時さんはそう言った。


 俺は村時さんを俺のわがままに巻き込みたくなかった。


 でも、それは杞憂だった。というより、村時さんがメインで、髪飾りを見つけてくれたのである。


 それは実に意外な方法だった。


 ……いや、そんなことはないな。


 ただ、俺や女の子には絶対にできない、この中でたったひとり、村時さんにしかできない方法だった。


 村時さんは勇者の力を使ったのだ。


「大事なお友だちと、その髪飾りのことを強く思ってください」


 村時さんの言葉に促された女の子が目を強く、ぎゅぅぅぅっ、と閉ざす姿から、友だちへの思いの強さをうかがうことができた。


 そんな女の子の頭に触れ、村時さんも目を閉じ、歌のような、不思議な旋律を紡ぎ始める。


「――――――!」


 蛍みたいな、やわらかい光が漂い始める。


 村時さんと女の子を取り巻くように光が舞っているところは、とても幻想的だった。


 見とれていると、光はやがてひとつの球状になった。


 村時さんが目を開けると同時に、光はその場から飛び立った。


「どこにあるかわかりました」


 あの光が向かったところにあるのだろうか。


 そう尋ねた俺に、村時さんは力強くうなずいて肯定した。


「なら、行こう」


 俺と村時さんは女の子に手を伸ばし、手を握り合って、光が向かった場所へとひた走った。


 果たして、髪飾りは見つかった。カラスの巣の中で。


 キラキラと光るものが好きだという話を聞いたことがある。


 落ちていた髪飾りを見つけ、嘴で拾っていったのだろう。


 女の子がいくら探しても見つけられないわけだ。


 女の子は見つかった髪飾りを抱きしめ、涙に濡れて輝く瞳を村時さんに向ける。


「おねえちゃん、まほうつかいみたい! ありがとう!」


 何度も何度も感謝の言葉を口にした。


 村時さんは魔法使いではなく勇者であると告げようとするのだが、女の子が何度も「ありがとう」を言うので、最終的には苦笑いで、


「も、もういいから。それより早くお友だちと仲直りして?」


「うんっ。……おにいちゃんも、ありがとう!」


 女の子は俺たちに背中を向けて駆け出した。


 そのまま立ち去るかと思ったが、立ち止まり、


「ほんとうにありがとう……!!」


 そうやって、立ち止まっては礼を言うのを、何度も何度も繰り返した。


 その姿が見えなくなるまで見送りながら、俺は隣にいる村時さんに声をかけた。


「あのさ、村時さん」


「何ですか?」


「あの子に声をかけたの、放っておけないからって言ったけど、あれ、実は嘘なんだ」


「う、嘘ってどういうことですか!?」


 村時さんが前のめりで聞いてきた。


 その剣幕に驚き、たじろぎながらも、


「あ、え、えっと、嘘と言っても全部じゃなくて、少しだけ。放っておけなかったからだけじゃないってことなんだ」


「どういうことか、教えてくれますか?」


 隠すほどのことではない。だが、話すには少しだけ気恥ずかしい。


「どうしても知りたい?」


「どうしても知りたいです!」


 俺は頭をガリガリと掻いた。


 そもそも話を振ったのは俺からじゃないか。


 なら、話すべきだろう。


 俺は覚悟を決めて話し始めた。


「入学式の後、クラスに集まってみんなで自己紹介した時、俺が口走ったことを覚えてるかな」


「じゅ、十年前、一度だけ出会った女の子と再会したいと思っている、ですよね?」


 ……やっぱり、覚えていたか。


「できれば、その話は恥ずかしいから忘れて欲しいんだけど……」


「そんなっ、絶対に忘れません!!」


「そ、そっか。絶対に忘れてくれないんだ……」


 もしかして村時さんは恥ずかしがってる人を見て喜ぶ性癖の人――なんて、そんなわけないよな。


 でも、だったら、どうして?


 考えてもわからなかった。


 とりあえず咳払いをして気を取り直し、俺は話を続けた。


「その女の子とさっきの女の子が、重なって見えたんだ」


 ふたりの顔かたちが似ていたわけじゃない。


 そもそも、そんなにはっきりと覚えていないのだ。


 ただ、十年前に俺が出会ったあの女の子も、あんなふうにひとりでいた。


 寂しそうに、悲しそうに。


「そう思ったら、何だか放っておけなくなって」


「そう、なんですか」


 そう言って、村時さんはうれしそうな顔をした。


「やっぱり………………」


「やっぱり? ごめん、村時さん、よく聞こえなかったんだけど」


「べ、別に何でもないですから、気にしたら駄目です!」


「そ、そう?」


「そうです!」


 とは言われても、気になるものは気になるわけで。


 でも、まあ、気にしないことにしよう。


 両手を、その細い指先を、顔の前で合わせて、うれしそうに微笑んでいる村時さんを見ていたら、自然とそう思えた。


「さて、それじゃあ、そろそろ喫茶店に――って、あああああああああああああああ!」


「ど、どうしましたか!?」


 突然の俺の絶叫に村時さんが聞いてくるが、俺は応えず、慌てて時計を確認して、真耶にもらったチラシを見た。


 あちゃー、と頭を抱えた。


 いや、抱えている場合ではない。


 俺は村時さんに向き直ると、地面に叩きつける勢いで頭を下げた。


「ごめん!」


 チラシに書かれた喫茶店の閉店時間、とっくに過ぎていたのだ。


「俺が余計なことをしてたから……」


 そう言った俺に対して、村時さんから返ってきたのは意外な言葉だった。


「余計なことなんて言わないでください!」


「村時さん……?」


「余計なことなんかじゃ、絶対にないです! だって、あの子、すごく喜んでいました! 今日のこと、合川くんに助けてもらったこと、絶対に忘れないです! どれだけ経ってもずっと、ずっと覚えています……!!」


 俺が村時さんの剣幕に驚いていると、それに気づいたのだろう。


 彼女がハッとした顔をして、真っ赤になる。


「だ、だから、その、そんなふうに思わないでください……」


「村時さん、やさしいね」


「ち、違います! そうじゃなくて……!」


「うん。ありがとう。わかったよ。余計なことって言ったの、取り消す」


 そう言うと、村時さんの顔に笑みが戻ってくる。


「けど、喫茶店、いけなくなったことには変わらないし」


「……そう、ですね」


 村時さんの表情が暗くなる。


 そんな顔、して欲しくないのに。


 なら、どうすればいい?


 考える――までもないことだった。


「ね、村時さん。今度の休みの日、暇かな」


「それって……」


 尋ねる村時さんに頷く。


 今日が駄目なら、休みの日に行けばいい。そう思ったのだ。


 村時さんは何か考えるような顔をしていたけど、すぐに、こくん、と頷いた。


 一度だけじゃない。何度も、何度もだ。


 まるでさっきの女の子みたいだった。


「行きます! 絶対に行きます!」


「それじゃあ決まりだ」


 ということで、今度の休み、村時さんと行くことになった。


 暗いし、遅いから、村時さんの家まで送ると言ったが、村時さんは自分が俺を送ると言って譲らなかった。


「大丈夫です。だって、わたし、勇者ですから」


「おお、確かに」


 と思わず納得してしまってから、俺たちは声を合わせて笑った。


 家の前まで送られた俺が、せめて村時さんの姿が見えなくなるまで見送ろうと思っていたら、村時さんが言った。


「あ、あの、わがままを言ってもいいですか?」


「もちろん、何でも言って」


「駄目なら駄目で――って、いいんですか!?」


 おお、ノリツッコミ! ……じゃないよな。


「今日は俺のわがままで、村時さんを振り回したからね。だから、何でも言って欲しい」


「……そ、それじゃあ、その、名前で呼んでもいいですか?」


「え?」


「や、やっぱり駄目ですか!?」


「あ、ああ、いや、駄目じゃなくて……わがままって言うから、どんなすごいことを言われるのかと思っただけで」


「すごいことですか? ……そ、それって!?」


 村時さんの顔がいきなり超真っ赤になった。


 いったい何を想像したのだろう……。


 すごく気になるけど、聞かない方がいいんだろうな。


「別に、それぐらいいいよ。好きなように呼んで」


「あ、ありがとうございます!」


 そう言って、村時さんがすごくうれしそうに笑った。


 名前を呼ぶなんて些細なことで、こんなに喜んでくれるなんて。


 胸の奥がくすぐったくなった。


「じゃ、じゃあ、呼びますね? ……煌介、くん」


「はい」


「煌介くん」


「はい」


「煌介くん」


「はい」


「煌介くん」


「………………」


「煌介くん?」


「………………」


「煌介くん!」


「あー、もう、駄目! ストップ!」


「え?」


 そんな、どうして止めるの、みたいな顔をされても。


 これ以上、名前を呼ばれたら、くすぐったいのをとおりこして、何だか変な気分になる。


「今日はもう駄目! 禁止します!」


「……煌介くん、いいって言ったじゃないですか」


「い、言ったけど! でも、意味もなく、呼ぶのは禁止!」


「意味ならあります! わたしが呼びたいんです! それじゃ駄目ですか!?」


 な、なんてすごい理屈。


「だ、駄目……じゃないけど。今日はもう駄目。だって、何だか恥ずかしいんだ!」


「……わかりました。今日は我慢します」


 そう言うと村時さんは桜色の唇を、ぎゅぅっ、と噛みしめる。


 おお、本当に我慢してるよ……。


 そんな彼女を見て、思わず呟いてしまう。


「なんか、かわいい」


「え……えーっ!?」


 村時さんが叫び、その顔がみるみるうちに真っ赤になっていくのを見て、自分がとんでもないことを呟いてしまったような錯覚に陥る。


 でも、俺は「かわいい」と呟いただけで、それはそんなにすごいことでは……。


「か、かわ、かわわわわわわわっ」


 ……うん、すごいことでした。


 慌てふためく村時さんを見てたら、そうとしか思えない。


 これ以上、驚かせたくないから言わないけど、そんな村時さんも、かわいいと、そう思った。


「村時さん、落ち着いて」


「わ、わかりましゅた! おちちゅきまつ!」


 噛み噛みだし、全然落ち着いてない……!


「こういう時は……そうだ! 深呼吸! 深呼吸をするんだ!」


「は、はひっ。……すー! すー! すー!」


「い、いやいやいや!? 吸ってばかりじゃ苦しくなるし! 吸ったら吐かないと!」


 俺はハラハラしながら、村時さんが深呼吸するのを見守った。


 今日出会った魔王に負けず劣らず、村時さんもドジっ子だったりするんじゃないだろうか……?


 しばらく深呼吸を繰り返した村時さんは、何とか落ち着きを取り戻すことができた。


「……た、大変ご迷惑をおかけしいたしました」


 ものすごい落ち込みっぷり。


 俺はそんな彼女を何とか元気づけたいと思った。


 だから、気がついたら言っていた。


「もう一回だけなら、いいよ。俺の名前、呼んでも」


 それで村時さんが元気になるなら。


 その効果は俺の想像以上に覿面で、ずーんと落ち込んでいた村時さんの顔が、ぱーっと晴れやかになった。


 村時さんはゆっくりと、まるで大事な宝物に触れるかのような雰囲気で、


「煌介くん」


 と、俺の名前を呼んだ。


 両親や姉さんに散々呼ばれ、聞き慣れた名前なのに、なぜだろう、村時さんに呼ばれると、自分の名前が特別なもののように感じられるのは。


 あと、やっぱり、めちゃくちゃくすぐったい。


「はい」


 返事をすると、ふふっ、と村時さんが笑った。


 元気が戻ってよかった。


「それじゃあ気をつけて帰ってね」


「はい。それでは、また明日」


 さっきも言ったとおり、姿が見えなくなるまで見送るつもりだった。


 けど、それはできなかった。


 村時さんは勇者で、魔法で帰ったから、一瞬で姿は消えたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る