第20話 空母リーディア号

 カン、カンという合図が聞こえた。僕は金属製の通話管を手に取り、飛行帽の耳穴に当てがった。通話管からジェミヤンの声が聞こえてきた。

「ス、スピード、出過ぎてない?」

 僕は通話管を口に持ってきて答えた。

「何言ってんだ。もっと出そうと思えば出せるよ」

「君はスピードに慣れてるけど、僕は全然慣れてないんだ。それに勢いで僕までレオナ号に乗っちゃったけど、僕はこういうのに乗るの初めてだった!」

「何を今さら。すぐにラビナに着くから景色でも見てな」

 空の上では日の出を一足先に見る事ができる。レオナ号の黄色い機体が朝日を浴びて輝いている。ただ、僕は途轍もない不安に襲われていた。

 北の空を覆っている重たそうな黒い雲がみるみるうちに広がってきて、昇ってきたばかりの朝日に迫ってきている。魔女が身を潜める雲は、王都ラビナだけでなく、この国の空のすべてを覆ってしまいそうだ。

 あっ、と思った瞬間だった。勢いよくカーテンが閉められたかのように、レオナ号が暗闇に覆われた。黒い雲はとんでもない速度で成長し始めている。僕はレオナ号のスピードを上げた。


 やがて、僕たちは王都ラビナの上空に進入した。青紫の雲の渦がはっきりと見えてきた。でもこの時、僕は異変に気づいた。昨夜ラビナを脱け出した頃は、稲妻は雲の渦の中だけで飛び交うように発生していた。それが今はどうだ。堪え切れなくなった氷柱のように、次々に地面に向かって稲妻が落ちている。それは無数のドラゴンが、地上に棲む者たちをついばもうとしているかのようだった。

「リーディア号だ!」

 黒い曇天の下に、空母リーディア号の姿を見つけた。その周りでは四隻の軍用蒸気飛行船が飛んでいた。船体の上に延びる煙突に備え付けられている避雷針に雷が落ちる度、船たちは大きくぐらついた。雷は船体を抜け、船尾の放電器から光を放ちながら飛び出していく。艦隊はリーディア号を後方の要にして、扇形に展開していた。

「地上に降りてる暇はない! リーディア号に着艦するぞ! 発光信号送れ!」

 僕の指示に、ジェミヤンは慌てて信号用の照明を取り出した。リーディア号の艦橋に向けて光を点滅させ、着艦許可を求めるメッセージを送った。

 しばらく待てという返事がリーディア号から来た。許可が下りるまでのしばらくの間、僕たちはリーディア号の周りを飛び続けた。

 ようやく着鑑許可の返事が来た。僕はレオナ号をリーディア号の背後につけた。リーディア号の巨大な船体は十機の小型飛行機を載せる事ができる。船体の後部のハッチがゆっくりと開き出した。リーディア号は三十ノットほどの速度が出ているだろうか。僕はリーディア号の真後ろにつけ、近づいていった。

 ハッチの中で乗組員が僕を誘導している。僕はそれに合わせて、空中を真っすぐに進んだ。後ろからジェミヤンが大声で叫んだ。

「空中での着艦訓練は何度もやったのー?」

「えー!? 初めてだよ!」

 僕の答を聞いたジェミヤンはそのまま黙ってしまった。僕はそれどころではなくて、巨大な船体の後ろに巻き付くように吹いている風に四苦八苦していた。僕にとっては大きなレオナ号も、大空の上では風に飛ばされる枯葉のような物なのか。いや、風に乗り、風を操る鳥のようになろうと思った。

 リーディア号のハッチが目前に迫った時だった。突然、閃光と共に、鼓膜が破れるかと思うほどの爆発音が轟いた。

「雷だ!」

 リーディア号に落ちた雷が目の前を走り抜けた。船体から弾けた側撃雷がレオナ号を吹き飛ばした。レオナ号は無様にスピンして失速し、制御不能に陥った。

「うわわっ! 落ちる!」

 後ろからジェミヤンの叫びが聞こえた。僕は破裂しそうな心臓を無理やり抑えつけ、少しの間、目を閉じ、ヴァジム副長に教わった操縦を思い出す事に努めた。

 僕は目を開け、スピンとは反対側のラダーペダルを踏み込み、レオナ号の方向舵を動かした。同時に、操縦桿をスピンの方向に倒した。そして、スピンが収まったところで操縦桿を前に倒した。すると、レオナ号は真っ逆さまに落ちていった。

 落下する力を利用して、十分に速度が回復したところで操縦桿を引き、エンジンの回転を上げた。レオナ号は弧を描きながら上昇を始めた。僕たちは大空で息を吹き返した。


 * * *


「いい加減起きろよ」

 僕はベッドで寝ているジェミヤンに声を掛けた。

「――ん? ここはどこ?」

 ジェミヤンは呑気そうな顔で辺りを見回した。白いシーツに、白い薬品棚、そして白い服を着た看護師がいる。

「病院?」

 とても静かで、時折り蒸気機関が動く聞き慣れた音がするだけだ。でも、じっとしていると、ゆったりとした揺れを感じる。

「もしかしてここは!」

「そうだ。リーディア号だ」

 僕は手に持っていた本をジェミヤンに押し付けた。ジェミヤンのコルネーエフ文書だ。

「すごくカッコよく着艦したのに、お前、気を失ってんだもんなあ」

「じゃ、じゃあ、無事に着艦できたんだね」

「当たり前だろ。今、給油してもらってる」

 突然、扉がガチャッと開いた。長銃を背に担いだ騎士がズカズカと入ってきて、僕たちに命令した。

「今すぐ格納庫に来い」

 僕たちは医務室を出て、騎士について格納庫に向かった。

 格納庫にはブラックイーグルがずらりと並んでいた。ヴァジム副長が乗る赤い機体と、隊員たちが乗る四機の黒い機体だ。その横に、黄色い機体のレオナ号が並べられている。複葉機のブラックイーグルに対し、レオナ号は単葉機だ。

「よう、よう、小僧。さっきはぶつかるかと思ったぜ」

 声の主はミハイロだった。ブラックイーグルのモスグリーンの飛行服のお腹のあたりがパンパンに膨らんでいる。

「おい、おい、ミハイロ。おめえなんて着艦に失敗してぶつけた時があったなあ」

 顔も体もすべてが細長いキリルがミハイロに向かって笑いながら言った。

「うるせえ。今度はてめえにぶつけてやろうか」

 二人の会話を聞いたジェミヤンがバッと僕を見た。ジェミヤンの視線に気づいた僕は、頭を掻きながらよそを向いた。

 実際のところ、レオナ号はハッチの中に勢いよく突っ込んだ。リーディア号の中には滑走路が敷かれている。進入口の反対側のハッチも開かれていて、通り抜ける事ができるようになっている。

 船の中の滑走路は思いの外に短く、小型飛行機がそのままの勢いで着艦したら、確実にオーバーランして、反対側のハッチから飛び出してしまう。それを防ぐために、船内の滑走路には数本のアレスティングワイヤーが張られていて、着艦した飛行機は下ろしたフックでワイヤーを引っ掛ける。ワイヤーは油圧式の制動装置に繋がれていて、飛行機の勢いを吸収し、停止させる。

 飛行機は着艦する時に出力を抑えるのではなく、逆に、着艦と同時に出力を再び全開にする。それは、アレスティングワイヤーを引っ掛け損なったり、破損した場合に、そのままタッチアンドゴーで飛び立っていけるようにするためだ。そうしないと、スピードを落とした状態で、滑走路の先から真っ逆さまに落ちてしまう。

 レオナ号には可変ピッチ機構が備っているから、プロペラの仰角をマイナスにして、推進力を逆向きにする事もできるが、それで止まる事ができなかった時は、失速した状態で滑走路の先から落ちる事になる。だからそれはアレスティングワイヤーがない時の最終手段だ。

 しかし、僕は着艦した時、レオナ号の勢いに恐怖心が頭をもたげ、思わずラダーペダルを踏み、方向舵を動かしてしまった。そのせいでレオナ号はアレスティングワイヤーを引っ掛けたまま制御を失い、横滑りしていった。

 摩擦でタイヤが焼ける包いが充満する中、レオナ号がどうにか止まったのは、ブラックイーグルの赤い機体の目と鼻の先だった。レオナ号のプロペラは、赤い機体までほんの数十センチの場所で回っていた。衝撃で突っ伏していた僕は、慌ててプロペラを止めた。おずおずと外の様子を見たら、普段は表情を変える事のないヴァジム副長の顔が、赤い機体のコックピットの中で驚くほど引き攣っていた。

「初めての時はあんなものだよ」

 揉み合う二人を押しのけて、小柄なイリヤが前に出てきた。少年のような顔立ちのイリヤは涼し気な表情でさらに続けた。

「僕はそんな事なかったけどね」

 決して嫌みなのではなく、イリヤは純粋に思った事を口にしているのだろう。年相応に見えない可愛いらしい瞳を僕に向け、ニコッと笑った。

 イリヤの肩越しに、黒い機体の横の木箱に腰を下ろしたフォードルの姿が見えた。黒く長いドレッドヘアーと黒いサングラスはいつも通りだ。精悍な顔つきの彼の口元を見る限り、僕を見てニヤニヤと笑っているようだ。

 よく考えたら、フォードルとは口をきいた事がない。確かに彼は孤高な雰囲気を醸し出していて、少し近寄り難い所はあるが、別に避けている訳ではない。ブラックイーグルの他のメンバーがやたら僕に話し掛けてくるせいで、フォードルと話す機会がないのかなと思った。

 突然、僕の目の前にいるイリヤが、ブーツの踵同士をカッと当て、背筋を伸ばして敬礼をした。ミハイロとキリルも揉み合いをピタリと止め、敬礼をした。フォードルは徐に木箱から腰を上げ、ニヤついた表情のまま敬礼をした。

 僕はハッとして後ろを振り向いた。そこには騎士団長イサークの姿があった。イサークはヴァジム副長を引き連れて、格納庫の中に入ってきた。

「ふむ――」

 イサークは僕の顔をまじまじと見つめた。

「砂礫の牢に入れたはずだが?」

 僕はイサークを睨み返した。

「まあ、よい。ところでお前は何をしに来たのだ」

「ユーリとアンナを助けに行くためです」

 僕の真剣な物言いが逆に可笑しかったのか、イサークは大声で笑った。

「ハハハ! お前が? どうやって? 武器は持ってるのか? ガヴリイルの息子とはいえ、魔法は使えないと聞いたぞ」

 返す言葉がない僕に、イサークは続けた。

「ユーリは私が助ける。魔女も私が葬り去る。我々は間もなく攻撃態勢に入る」

 イサークはレオナ号に目を向け、僕に尋ねた。

「この機で来たのか?」

「はい、レオナ号です」

「レオナ――だと?」

 イサークはレオナ号の名前に何か引っ掛かるものを感じたのか、少しの間、黙り込んだ。やがて、踵を返し、僕を見る事なく告げた。

「お前は大人しく黙って見ておれ」

 そう言うと、イサークは格納庫を出て行った。この場に残ったヴァジム副長が僕の肩に手を置いた。

「気にするな、ルカ。お前には、お前にしかできない事がある筈だ。私たちと共に戦おう」

 僕とジェミヤンが振り返ると、誇り高きブラックイーグルの面々が、親指を立てたり、胸に手を当てたりして、僕たちに応えてくれていた。

 その時、ふわりをした風が頭の上に吹いた。音もなく近づいたその気配の正体を僕は知っていた。風の主はエドアルト隊長だ。

 ガシッと頭をつかまれる瞬間に首が千切れそうになる事を僕は十分に経験済みなので、頭の揺れに耐えられるように首に力を込めた。僕の頭に止まった風の主は、低く響く美しい声を発した。

「これより、王宮警備船団がオルガ号を取り囲む。我がリーディア号は後方に控える。同時に、ラビナ飛行場から王宮飛行隊五機が離陸する。本艦に艦載されている小型輸送船ミラナ号に二十名の騎士が乗り、オルガ号への接舷を目指す。王宮警備船団と本艦は、魔女によってガス嚢を破られてもすぐに復旧できるよう対策を取ってあるが、ミラナ号はガス嚢を破られたら墜落する。そのため、ギリギリまで船団の影に隠し、魔女が王宮飛行隊と船団に引きつけられている隙に接舷し、一気に制圧する」

 エドアルト隊長は一呼吸置いて、再び続けた。

「魔女はこれまで飛行船のガス嚢の破壊のみをしてきたが、太古の騎士アドリアンの魂を食らった魔剣を用いて、新たな攻撃をしてくる可能性がある。その時こそ、我々ブラックイーグルの出番だ。魔女の目先を撹乱し、必要に応じて攻撃を加える。捕虜となっているアンナとユーリが無事に救出されるよう、援護するのだ」

 イリヤが僕たちを指差して、エドアルト隊長に尋ねた。

「その二人はどうします?」

「ん?」

 エドアルト隊長は意外そうな声を出した。頭の上にいるからその表情を窺い知る事はできないが、きっとわざとらしく小首を傾げているのだろう。

「お前は大人しく黙って見ておれ」

 隊長は真下にいる僕に向かって、騎士団長イサークと同じ事を言った。でも、その後に一言付け加えた。

「いずれ、時が来る」


 リーディア号の乗組員たちは慌ただしく作業を続けていた。飛行船を次々に墜落させられた事が、彼らの緊張感を高めていた。ブラックイーグルの黒い四機は、二機ごとに分かれて交代でアイドリングをしたり、すぐに出撃できるように準備をしていた。僕とジェミヤンはレオナ号の点検をしていた。

「魔女の元に連れて行けって俺に言ったくせに、羊はどこに行っちゃったんだ?」

「うーん。本の中にいるような気配がないんだよね。あの花びらは、羊の体に付いてたうちの一枚だと思うけど」

「羊がいなかったら、魔女のとこに行ったって、俺たち本当に丸腰だぞ」

「行くの、やめといたほうがいいんじゃない?」

「何言ってんだ。羊がいなくったって、俺は行く。ブラックイーグルが発艦する時に、俺たちもついて行くぞ」

 ジェミヤンは小柄な体をブルブルッと震わせた。そして何か言おうとした時、叩きつけられるような大きな揺れが僕たちを襲った。

「雷!?」

 驚いたジェミヤンに僕は言った。

「今、横に動いたぞ。近くで大きな爆発が起きたんじゃないか?」

 僕たちは急いで格納庫の窓に向かって走った。窓にへばりついた僕たちの目に映ったのは、爆発を繰り返しながら、炎に包まれて墜落していく飛行船の姿だった。

「王宮警備船だ! 爆発してるぞ!」

 それは明らかに、ガス嚢を破られるとか、アルミニウム合金でできた硬式飛行船なら大丈夫とか、そんな事は関係のない事態だった。

 僕はその時、真っすぐな光の線が燃える船に突き刺さるのを見た。船はさらに激しく爆発し、爆風がリーディア号も巻き込んだ。揺れる船の中で、光が放たれた先の雲に目を凝らした僕は、自分の目を疑った。

「オルガ号だ!」

 雷光で輝く雲の渦から黒く煤けた大きな船が姿を現し始めていた。ネストルじいさんが六十年前に造ったオルガ号に違いないが、それにしてはずいぶんと大きい。レオナ号の初フライトの時に上空で遭遇したオルガ号は、朽ちかけた状態だったが、今、僕が見ているオルガ号は本当に同じ船なのだろうか。

 オルガ号の船体の表面がドロリと垂れ、中から肉片のような塊が現れ、新たな船体を形作っていく。それは死体の中から、皮のない生きた肉体が生まれてくるような光景だった。オルガ号は成長しているんだ。

 オルガ号の新たな肉体は熱を持っているらしく、まとわりつくような湯気が立ち昇っている。黒い肉体はすでに王宮警備船に引けを取らないほどの大きさになっていた。

 リーディア号の船内にサイレンが鳴り響いた。僕たちは何事かと思って辺りを見回した。

「スクランブルだ!」

 乗組員たちが口々に叫んだ。予想外の事態を受けて、ブラックイーグルに緊急発進の命令が出たようだ。

「俺たちも行くぞ!」

 僕たちがレオナ号に駆け戻るほんの僅かな時間に、アイドリングをしていたブラックイーグルの二機が続けざまに滑走路を走り出した。滑走路の先のハッチが開かれていて、黒ずんだ空が見えた。二機はハッチから飛び出した直後、一瞬下に沈み、排気口から白い煙を噴き出しながら上昇していった。

 先に飛んで行ったのは、ミハイロとキリルの機だった。イリヤとフォードルもすでにアイドリングを始めている。ヴァジム副長の機も出撃準備が整っているようだ。僕も急いでレオナ号を始動させようとした。

「君たちはまだ行かないほうがいいと思うよ」

 ブラックイーグルのコックピットからイリヤが顔を覗かせて僕たちに声を掛けた。

「あの船は化け物だ。機銃を装備してないレオナ号が行くのは危険過ぎる。今はその時じゃないと思うよ。僕たちに任せておきな」

 イリヤはニコリと笑ってそう言うと、親指を立てた。

「お、俺もそう思うよ。あんな状態のオルガ号には近づけないよ」

 コルネーエフ文書が入った鞄を両手に抱えたジェミヤンが、膝をガクガク震わせながらそう言った。

 カッ、カッと足音を立てて、ヴァジム副長が僕たちの元に来た。ヴァジム副長はイリヤとフォードルに目を向け、掲げた手をスッと倒した。二人の機のエンジンが唸りを上げ、プロペラの回転が勢いを増した。滑走路に入るや否や、滑るように走り出し、ハッチの外に飛んで行った。

 ヴァジム副長は僕に言った。

「ルカよ。焦ってはいけない。状況をよく観察し、機会を見極めるのだ」

 そして赤い機体のコックピットに座り、あっという間に飛んで行った。

 その直後だった。ドンという衝撃と共に、リーディア号は横に大きく揺れた。僕とジェミヤンは格納庫の窓に走った。僕たちの目に映ったのは、王宮警備船団の別の船が火に包まれる姿だった。

「二隻目もやられた!」

 眼鏡の奥の目を丸くさせて、ジェミヤンが叫んだ。艶めかしく肉体を増殖させていくオルガ号から、幾度となく光の線が放たれていく。それは容赦のない悪魔の――いや、神の裁きのようだった。

 燃える船から出てきた数隻の救命艇が散り散りに逃げていく。その様を見ながら、ジェミヤンは独り言のように呟いた。

「魔女は飛行船のガス嚢を破るだけじゃなかったの?」

 僕は目の当たりにしたおぞましい光景に体の震えを抑えられなかった。僕は何も言葉が出てこなかった。

「飛行機が来る! あれは、王宮飛行隊だ!」

 ジェミヤンが指を差した方に目を向けると、紺色の機体の五機の複葉機の姿があった。先に飛び出したブラックイーグルと交差するように、王宮飛行隊はオルガ号の右舷に回り込んでいった。

 その時、激しい衝撃に襲われ、僕たちは壁に叩きつけられた。窓の外を光が包み、あっという間に過ぎ去った。

「な、何だ、今の?」

 立ち上がりながら僕は言った。

「もしかして、この船も撃たれた?」

「でも、爆発音はしなかったよ」

「とりあえず無事だったって事か」

 胸を撫で下ろしたのも束の間で、次の衝撃が僕たちを襲った。僕たちは無様に床を転がった。ワイヤーで固定されたレオナ号が、ギシギシと大きな音を立てた。

「だ、大丈夫だ。爆発はしてない」

 爆発して燃えながら墜落していく王宮警備船の姿を目撃した僕たちにとって、リーディア号が無事な事は安堵と同時に大きな不安でもあった。

「お前がルカか!?」

 真後ろから声が聞こえた。振り向くと一人の騎士が息を切らしながら、僕を見ていた。

「は、はい。そうです」

「今すぐ艦橋に来い!」

 騎士の様子にはただならぬものがあった。僕たちは騎士の後について走り出した。

 艦橋はリーディア号の船体下の最前部にある。そこはリーディア号の指揮を執る場所だ。騎士に続いて僕たちも中に足を踏み入れた。

 その時、三度目の強い衝撃に僕たちは吹き飛ばされた。各方位を見渡す艦橋の大きな窓は、目が呟やむほどの光に包まれた。でもそれは瞬間的なものだった。壁に叩きつけられた僕が見たのは、対ショック姿勢を取る乗取員たちと、正面の窓の前に悠然と立つ騎士団長イサークと、その母アリフィヤ、そして、王の魔法使いガヴリイル――僕の父さんの姿だった。父さんは正面に向かって両手を翳していた。

「父さん!」

 父さんは正面を凝視していて、僕の声に振り向く事はなかった。

「ルカ、オルガ号だ!」

 ジェミヤンの叫びに僕はハッとなった。窓の向こうには、産まれたての溶岩のように蠢く黒いオルガ号がいた。

 オルガ号に小さな光が灯った。光の線がリーディア号に真っすぐに向かってきた。その時、父さんの周りの空気にヒビが入ったように見えた。父さんの両手から空気の大きな揺らめきが起きた。次の瞬間、オルガ号から放たれた光の線はリーディア号の目の前で裂けた。オルガ号から放たれた光は、リーディア号を包み込むように広がって走り抜けていった。痺れるような衝撃がリーディア号を激しく揺らした。

 僕は叫んだ。

「魔法でバリアを張ったのか!」

 オルガ号の光の線は、王宮警備船団の残りの二隻に向けても立て続けに放たれた。しかし、その光も船を包みながら船体を滑るように走り抜けていった。

 その様を見たジェミヤンが叫んだ。

「魔法使いたちが来たんだ!」

 僕は背筋がゾクッとしたのを感じた。魔法と言っても普段僕が見ていたのは空を飛ぶ事くらいで、後はちょっとした暮らしの中での手助け――そう、例えば、おいしそうな料理が盛られた皿を落としそうになった時に、指を差すだけで宙に浮かせ、ふわりふわりと漂わせながらダイニングテーブルに向かわせるとか――くらいのものだった。

 でも、今僕がこの目にしているのは、そんなものではなかった。これが真の魔法の力。これこそが、魔法使いの力なのか。

 オルガ号から目を逸らす事なく、父さんが言った。

「イサークよ。いつまでも耐えられるものではない。トポロフの魔女の力は――いや、違うな」

「どうした、ガヴリイル。何が違うというのだ」

「まともに受けてみてわかった。この光の攻撃は魔法の力ではない」

「魔法ではないと言うなら、何だと言うのだ」

「剣だ。この光は騎士の剣の力だ」

「アドリアンの魔剣か!」

「そうだ。トポロフの魔女は、魔剣にアドリアンの魂を食らわせたのだろう。しかし、魔剣はそもそもアドリアンの物だ。その力は魔女が思うよりも強いものだったに違いない。魔女は魔剣を制御できておらぬ」

「魔剣が――アドリアンが暴走していると言うのだな」

「その力は、我々の力を浚いでいる」

「うむ――」

 仁王立ちのイサークは腕組みをしたまま僕とジェミヤンを一瞥した。

「母上の進言とはいえ、私にはまだ信じ切れぬ。だが、我が祖である英雄アドリアンの暴走は止めなければならぬ。しかし、果たして、隠されたエルモライの文書などを鵜呑みにしてよいものか」

「イサーク。建国記エルモライ伝が我々騎士や司祭たちに都合良く書き換えられていた事を受け入れなくてはならないわ。それが例え、騎士の一族にとって、不名誉な真実であったとしても」

 イサークの隣に立っているアリフィヤが、落ち着いた声で言った。横顔に垣間見えた口元には笑みがあったが、目は真剣だった。

「そうです、イサーク様。真実のエルモライ伝であるコルネーエフ文書にこそ、この国を救うヒントがあるんです!」

 その声にジェミヤンと僕は驚きを隠せなかった。その声の主はジェミヤンの父、シモンおじさんだった。シモンおじさんはリーディア号を襲った衝撃で弾け飛ばされたのか、艦橋の隅にへばりついていた。

「お父さん!」

 ジェミヤンが叫んだ。学者であるシモンおじさんは、少なくともこのような戦場に似つかわしくない。シモンおじさんはずり落ちた眼鏡をかけ直し、イサークをじっと見つめていた。

「その昔、羊飼いエルモライは騎士アドリアンに剣で刺し殺されました。魔法使いたちはアドリアンから剣を奪うためにエルモライと剣を同化させました。その時、エルモライの体から羊が飛び出して森の中に逃げました。アドリアンは自らの分身である剣を失って亡霊となり、エルモライは魔法使いによって剣と羊に分断されてしまったのです。そして今、剣はアドリアンの魂を食らいました。それを羊に食わせるんです。すべての時を戻すために!」

 僕はシモンおじさんの言葉に驚いた。

「時を戻すだって?」

 そうか。僕ははっきりとわかった。花の羊はあの時に戻りたいんだ。

「イサーク様!」

 僕は騎士イサークに向かって言った。

「俺をオルガ号に行かせてください!」

「何だと?」

 イサークが僕を睨んだ。僕はその目を見つめ返し、言葉を続けた。

「エルモライの体から飛び出した羊は、魔女の元に連れて行けと、僕に言いました。羊飼いエルモライは、トポロフの森に逃げ込んだ魔法使いたちと、それを追う騎士たちの間を取り持とうとしたのに、志半ばで殺されました。剣と同化して魔剣になってしまう間際に、エルモライは魂を羊に変えて逃れさせたんです。再び生まれ変わる時のために!」

 皆が僕の言葉を黙って聞いていた。僕はさらに続けた。

「でも、長い年月の中で、トポロフの魔法使いたちは滅び、トポロフの鏡に選ばれた魔法使いの子たちが、魔剣を守り続けてきました。そして、自分の体と魂を引き裂かれた羊は、魔法使いを憎むようになったんです。だけど、羊は、あの時の自分に戻りたいだけなんです。殺し合いを止めようとした、羊飼いエルモライに」

 イサークは低く響く声で僕に問い掛けた。

「言いたい事はよくわかった。我々もこのままではオルガ号に太刀打ちはできぬ。お前とシモン殿に賭けてみよう。その羊とやらは、我がブラックイーグルに連れて行かせよう」

「駄目です。俺とジェミヤンが連れて行かないと意味がないんです。レオナ号で行きます」

「え? 僕も?」

 ジェミヤンが小言でそう言って僕の服を引っ張ったが、僕は取り合わなかった。

「何故だ?」

「俺は剣を空に突き刺すといわれる最後の魔法使い、そしてジェミヤンはエルモライの血をひく羊飼いの末商。決着をつける事ができるのは、俺たちなんです」

 イサークは即答せず、考え込んだ。オルガ号を睨んだままの父さんが、イサークに言った。

「イサーク。今頃、お前の息子もアドリアンに飲み込まれぬよう、必死に戦っている筈だ」

 父さんのその一言がイサークの心を動かした。イサークはマントを翻して、右腕をバッと掲げた。

「全機に伝えろ。これよりレオナ号が目標に突入する。ブラックイーグルと王宮飛行隊はレオナ号を援護せよ!」

 遂にこの時が来た。僕の膝の震えは恐怖への怯えなのか、それともみなぎる力の現れなのか。自分でもよくわからなかった。でも、今僕が進むべき道が目の前にはっきりと見えた。

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