第16話 王都ラビナ

 僕たちを乗せた蒸気自動車は王宮に向かっていた。燃え盛る騎士の町ライサとは裏腹に王都ラビナは平隠に見えたが、それは束の間の事だった。僕たちがラビナに入って間もなく、町中にサイレンが響き渡った。これは災害が起きたり、他国からの攻撃を受けた時に鳴らされるサイレンだ。

 車窓の向こうの様子を見ながらユーリが言った。

「今頃サイレンが鳴ってんのか。知らせはすぐに王宮に届いてるはずなのに、ずいぶん遅いな」

「突然過ぎて、事態の把握ができなかったのでしょうね」

 アリフィヤはそう言うと、僕たちに尋ねた。

「あなた、幽霊船を見たのでしょう?」

 その問い掛けに僕は即座に答えた。

「はい、空の上で。すぐに雲の中に消えてしまったけど」

 ジェミヤンが身を乗り出して言った。

「きっと、それがエルモライ伝に書かれてる『蘇りし宙の船』だと思うんです!」

「私もそう思う」

「幽霊船の事、知ってたんですか?」

 そう尋ねた僕にアリフィヤは答えた。

「咋日、ブラックイーグルのエドアルト隊長が、私とヴィクトールの元を訪ねてきたの。彼から幽霊船の話を聞いた。彼は私たちに言ったわ。トポロフの魔女に気をつけろと」

 突然、車がガタンと揺れて速度を落とした。運転手が鳴らしたホーンの音は、騒然とした人々の声にかき消された。路上に人が溢れ、車は思うように前に進めないでいる。騎士の町ライサと違って、王都ラビナの住人たちは、聞き慣れないサイレンの響きに右往左往していた。

「困ったわね。私たちは急いでヴァルラム宮に行かなくてはならないのに」

 溜め息をついたアリフィヤに僕は尋ねた。

「王宮に行って、何をするんですか?」

「ルスラーン王に会い、太古の騎士アドリアンの抹殺を進言する」

「アドリアンの抹殺?」

「そう。トポロフの魔女に奪われる前に、アドリアンをこの世から葬り去らなければならない」

「――その通りだ」

 アリフィヤの言葉に覆い被さるように、くぐもった声が聞こえた。ジェミヤンの手の中で、コルネーエフ文書が激しく震えた。本が開き、風に吹かれたかのようにパラパラとページがめくられ、エルモライの花の羊がポンと飛び出した。

「騎士の娘アリフィヤの言う通りだ。トポロフの魔女はアドリアンを狙っている」

「アドリアンを? 何のために?」

 驚いた僕を花の羊は見下ろした。そして、背中の小さな翼をパタパタと小刻みに羽ばたかせながら言った。

「トポロフの魔女は、最後の魔法使いになるべきお前を逃してしまった。お前がトポロフの鏡の前に立ったという事は、それは最後の選択を意味したのだ」

「最後の選択?」

「トポロフの鏡は隠された力を持つ魔法使いの子供を魔剣を守る者として選び、力を持たぬ子供は鏡の中に取り込んでしまう。そしていよいよ魔剣を司る事ができる最後の魔法使いが現れた。お前はトポロフの鏡に映ったのであろう? お前こそ、最後の魔法使いなのだ」

「でも、俺は魔法を使えないよ」

「ふん、お前が使える魔法など何もない。唯一つを除いてな」

「唯一つ? それは何?」

「強大な力を持つ最後の魔法使いが魔剣を空に突き刺す。すると空が落ちてきて、この世界は闇に覆われ、トポロフの鏡の中の世界と入れ換わってしまう。トポロフの鏡の中で死んでいった魔法使いの子供たちが、この世界を支配するのだ」

 花の羊の言葉に、外の喧騒さえ静まり返ったように思えた。

「しかし、ようやく現れた最後の魔法使いは、あろう事か紅蓮の炎を操り、鏡の前から姿を消してしまった」

「な、何よ。私のせい?」

 アンナが驚いて声を上げた。ジェミヤンがそれに答えた。

「そうだよ。アンナの変な道具のせいで、みんな燃やされそうになった!」

「何だと、てめえ」

 アンナは隣に座っているジェミヤンを睨みつけ、その首を締めた。

「や、やめて」

 争うアンナとジェミヤンに構わず、花の羊は話を続けた。

「トポロフの魔女はお前を諦めてはおらぬ。魔女はすでに次の手に打って出た。お前を最後の魔法使いにするためにな。お前の思いなど、魔女にとってはどうでもいいのだ」

「そんな」

「魔剣は数多の騎士たちの魂を食らい、力を蓄えてきた。しかし、魔剣に最も力を与えるのは何か。簡単な事だ。剣の元々の持ち主であり、五百年もの長きに渡って幽閉されていた、太古の騎士アドリアンの魂だ」

 僕はその言葉にぞっとした。

「アドリアンの怨念を宿した魔剣に、お前は逆う事などできぬ」

 僕たちは皆、言葉をなくした。少しの間を置いてアリフィヤが花の羊に問い掛けた。

「だからあなたは、アドリアンを殺そうとしたのね」

 花の羊は宙に浮いたまま、くるりと向きを変えた。

「そうだ。いつか最後の魔法使いが現れてしまう前に、危険な芽を摘み取っておこうと思ったのだ。しかし、私の力では全く歯が立たなかった。だから私は最強のピースが揃うのを待つ事にしたのだ」

「父ヴィクトールが私に言った事は、やはり真実だったようね」

 アリフィヤはそう言って僕たち全員を見回した。

「この世界を救えるのは、あなたたちよ」

 僕たちは唖然とした表情でお互いの顔を見た。


 不意に、頭の斜め上から空気の塊が落ちてきたような気がした。首の骨が折れてしまいそうなくらいの強い圧迫感だった。次の瞬間、今度は地面が隆起して、僕たちは車ごと宙に浮き上がった。車はバランスを崩し、大きな音を立てて横転した。

 僕たちは車の中でもんどり打ち、体のあちこちを酷く打ちつけた。幸い、大怪我をした者はいないようだ。しかし、車のガラスは割れ、蒸気エンジンが異様な鈍い音を発している。ユーリが身を起こし、横倒しになった車の扉を開けた。

「外に出るぞ」

 ユーリが先に外に出て、上から手を差し出した。僕はアリフィヤを助け起こして、彼女の手をユーリに握らせた。僕たちはアリフィヤに続いて外に出た。

 外で僕たちが目の当たりにしたのは、墜落した巨大な蒸気飛行船の姿だった。それは貨物運搬用の半硬式飛行船だった。飛行船は僕たちの車のすぐそばに横たわっていた。辺り一面に砂埃が舞い上がっていた。

「こんなのが直撃してたら、私たち、生きてなかった」

 膝を震わせながらヴェロニカが言った。周りでは町の人々が呆然とした表情で飛行船を見ていた。その時、誰かが叫んだ。

「爆発するぞ!」

 その声に、人々は目が覚めたように騒ぎ始めた。一瞬にしてパニックが起きた。人々は我先にと他人を押しのけながら逃げ出した。僕たちは人々の波に飲まれないように、車の陰に身を寄せた。

「あの船は空中で爆発しなかった。浮揚ガスは引火しなかった。落ちる前に蒸気機関を止めて圧力を抜いている。だからガスが爆発する事はない」

 アンナが飛行船を見ながらそう言った。

「こんなに慌てて逃げる必要はないのに。爆発よりも人間のパニックのほうが怖いよ」

 アンナの落ち着いた声に僕たちも頷いた。

 しかし、僕たちの車の蒸気エンジンが酷く軋んだ音を立て始めた。その音はどんどん大きくなってきた。アンナが低い声で言った。

「ちょっと運転手さん。エンジン切った?」

 運転手は頭を掻いて苦笑いをした。

「やばい! 逃げろ!」

 アンナの叫びに、皆一斉に走り出した。僕とユーリは両側からアリフィヤを支えながら走った。そんなに足が早いはずがないのに、ヴェロニカは一瞬で姿を消していた。車は悲鳴のような音を上げ、爆発した。すごい勢いで炎が飛び散り、あっという間に飛行船に燃え移った。船体が炎に包まれた次の瞬間、飛行船が大音響と共に爆発した。僕たちは激しい爆風に吹き飛ばされた。


「大丈夫ですか?」

 僕はアリフィヤに声をかけた。アリフィヤは剣を支えに身を起こし、服についた砂埃をはたいた。

「ええ、大丈夫よ。びっくりしたわね」」

 僕はアリフィヤに笑みを返し、ユーリを見た。ユーリは立ち上がり、空を見上げていた。

「敵の姿が見えねえな」

 ユーリの言葉に僕も空を見た。どんよりとした雲が浮かんでいるが、夏の青空も見えていた。雲は空の青さに滲み始めていて、少しずつ晴れ間が広がっていた。

 空には大きな蒸気飛行船が三隻飛んでいた。どれも墜落した飛行船と同じ貨物船のようだ。それ以外に空には何も見えなかった。この飛行船は一体何に襲われたのか。空に浮かぶ三隻の飛行船は何かから逃げるようにスピードを上げていた。

 ジェミヤンが僕たちの元にやって来て言った。

「トポロフの魔女が王都ラビナに来たようだね」

 イグナートもやってきて、丸いおなかをさすりながら言った。

「こうしちゃいられねえぜ」

 アンナが二人の間に割って入ってきた。

「けどさ、車は使えないし、どうやってヴァルラム宮まで行くんだよ。歩いていったら遅過ぎんだろ」

 僕たちは燃える車に目をやり、お互いに顔を見合わせた。ユーリが腕組みをして呟いた。

「王都ラビナは広い。ヴァルラム宮は遥か先だ」

 すると、少し離れた所にいたヴェロニカが、何やら苛ついた声を上げた。

「もう! しょうがないなあ。私、こういうの嫌なんだけどな!」

 ヴェロニカはスカートのポケットから白い笛を取り出した。

「王都ラビナは司祭が治める町。私の庭よ」

 そう言うと、ヴェロニカは思い切り強く笛を吹いた。しかし、その笛から音は聞こえなかった。

「何、その笛。壊れてんじゃないの?」

 ジェミヤンの言葉を気にも留めず、ヴェロニカは金色の髪を揺らしながら笛を吹き続けた。アンナが耳に手を当てて、目を閉じた。

「いや、微かに甲高い音が聞こえるような気がする。超音波でも出てんのかな」

 僕たちも耳を澄ましたが、逃げていく群衆の雑踏にかき消されて、何も聞こえなかった。一頻り吹いた後、ヴェロニカは唇から笛を離した。そして、遠くの方を指差した。僕たちは一斉にその方向を見た。

 大通りの先にある小高い丘の上に白い影が見えた。それは、逞しく美しい馬の姿だった。

「来た」

 ヴェロニカがそう言った途端、丘の上の馬は姿を消した。しかし、次の瞬間、白い大きな馬が突如として僕たちの目の前に姿を現した。それは見た事もないような大きな馬だった。装飾が施された馬具を引き締った体に纏っていた。

「私を呼んだか、ヴェロニカよ」

 大きな馬はヴェロニカを見下ろしながら、低い声を発した。その声は僕の脳に地鳴りのように響いてきた。

「そうよ、テオドール。私たちに力を貸してほしいの」

 ヴェロニカはそう言うと、テオドールと呼んだ馬の顔に両手を差し伸べた。テオドールはその精悍な顔を、柔らかそうなヴェロニカの手のひらに埋めた。

 イグナートが後ずさりしながら言った。

「こ、この馬は――神馬テオドール!」

 神馬テオドールの名は僕も聞いた事がある。父さんは、空だったら鳥や飛行機よりも速く飛べるけど、地上を駆ける事にかけては敵わぬ者がいると言っていた。それが神馬テオドールだ。

「テオドールは私の大切な家族よ。私が赤ちゃんの頃からずっと一緒にいてくれた。私がレナート校の寄宿舎に入る時、この笛をくれたの。困った事があったらいつでも呼べってね」

 ヴェロニカはテオドールを見つめ、ニコリと笑った。しかし、テオドールは何故か目を逸らし、ブフォッと咳払いをした。

「だから私は、寄宿舎に入った次の日に笛を吹いた。そしたらテオドールはすぐに来てくれた。でも、来てくれたのはその時だけ。その後は一度も来てくれなかった」

 笑顔を豹変させ、恨めしそうに睨んだヴェロニカに、テオドールは少し小さな声で言った。

「ただのホームシックで私を呼ぶからだ。私の笛はお前のわがままのためにあるのではない」

「私が小さかった項は何でも言う事聞いてくれたのに!」

 二人のやり取りを聞いて、イグナートが大きく頷いた。

「ヴェロニカがわがままなのは、神馬テオドールが甘やかしたからか」

 テオドールは辺りを見回した。燃え盛る飛行船が黒々とした煙を上げている。逃げていく人々は皆、不安そうな顔をしている。

「どうやら今回は本当に困っているようだな」

「そうだ、テオドール。こんな事言ってる場合じゃない。私たちを今すぐヴァルラム宮に連れて行ってほしいの」

 その言葉を聞くや否や、神馬テオドールの白く大きな体が光り始めた。その光が後ろに伸び、光の中から馬車が姿を現した。

「乗れ」

 テオドールは、自らに繋がれた馬車を顎で差し示した。僕たちは急いで馬車に乗り込んだ。アリフィヤもユーリに支えられながら後に続いた。首元の蝶ネクタイを直しながら、運転手がアリフィヤに声をかけた。

「私はここに残り、車の後始末をしておきます」

 僕たちが乗ったのを見届けると、テオドールは大きく前脚を跳り上げ、一際高く嘶いた。そして地面の上を滑空するように走り出した。後ろを振り返ると光が続いているのが見えた。テオドールの馬車は光の筋を残しながら、もの凄いスピードで王宮に向かって走っていった。


 今さらながら気がついたが、ヴァルラム宮には父さんもいるはずだ。王の魔法使いとして、姿の見えぬ敵に身構えている事だろう。父さんはトポロフの魔女の事を知っているのだろうか。

 テオドールの馬車がスピードを落とした。テオドールの姿に、ヴァルラム宮の高い鉄の門はゆっくりと開き始めた。馬車は止まる事なく、門を通過した。敬礼をしている門兵の姿が見えた。でもそれは僕たちに向かってではなく、神馬テオドールに向けてのもののようだ。馬車が返り過ぎると、門は再び固く閉ざされた。

 ヴァルラム宮は三重の壁に囲われているが、どの門も同じように、テオドールの姿に次々と開けられていった。

 やがて、美しい庭園の先に、大きな宮殿が見えてきた。この宮殿こそ、現クライン国王であるルスラーン王がいるヴァルラム宮だ。

 宮殿の前には何台もの蒸気自動車が停まっていた。騎士たちや神官たちで騒然としている車寄せに、テオドールの馬車は滑り込むように入っていった。

 馬車から降りたアリフィヤに気づいた騎士たちは直立不動の姿勢を取った。アリフィヤはカツカツと靴音を響かせながら、彼らの前を通り過ぎた。僕たちもアリフィヤに続いた。

 宮殿のロビーは煌びやかな装飾で彩られ、ドーム状の天井には舞い降りる天使たちの姿が描かれていた。アリフィヤはその一番奥にある大きな扉へと向かった。

 扉の両脇にいる騎士にアリフィヤが視線を送ると、騎士たちはすぐに扉を開けた。その先も幾つもの扉が延々と続いていたが、僕たちは扉の前で立ち止まる事なく、宮殿の奥へ奥へと進んだ。

 しかし、広い廊下の先の扉で僕たちの歩みは止められた。大きな扉の両脇にいた二人の騎士が長い槍を交差させて僕たちの行く手を阻んだ。

「アリフィヤ様、申し訳ありません。今はどなたもここに入る事はできません」

「どういう事かしら」

「何人たりとも通してはならぬと、王が仰せです」

「そんな事を言ってる場合じゃないわ。いいからここを通してちょうだい」

 アリフィヤは腰に下げられた剣の柄をつかみ、二人の騎士を睨みつけた。騎士たちは困った表情でお互いに顔を見合わせた。槍を翳す二人の手の力が僅かに緩んだ。アリフィヤは両手で二人の槍を押しのけた。そして目の前の大きな扉を開き、中へと入っていった。為す術もなく呆然と立ち尽くす二人の騎士の顔をチラチラと見ながら、僕たちもアリフィヤの後に続いた。通り過ぎながらユーリが騎士たちに声を掛けた。

「ばあさんには誰も逆らえねえよ」

 扉の先は薄暗い広間になっていた。絢爛豪華なロビーとは打って変わって、重厚だが質素な部屋だった。がらんとした広間に日差しが細く差し込んでいる。その日差しを背に、奥の扉の前に跪く一人の男の姿があった。紫色のガウンを身に纏ったその男こそ、魔法の番人ガヴリイルだった。

「父さん――」

 僕は咄嵯にその言葉を飲み込んだ。父さんは閉ざされた奥の扉に向かって呼びかけていた。

「どうかこの扉をお開けください、ルスラーン王。もはや猶予はございませぬ」

 父さんの言葉に答が返ってくる事はなかった。奥の扉はしんと静まり返ったままだ。

 少しの間を置いて、父さんは振り返った。

「これは、これは、アリフィヤ様。王に何かご用ですかな?」

「ええ、あなたと同じ用がね」

 アリフィヤの答に父さんはフッと笑った。

「力を誇示してばかりの騎士の一族の中で、アリフィヤ様だけは聡明でいらっしゃる」

「例え王の魔法使いと言えど、一族に対する侮辱は許さないわよ。ガヴリイル」

 不敵な笑みを浮かべたアリフィヤに対し、父さんは一礼をして目を逸らした。そして僕に視線を向けた。魔法使いの町アクサナを出た僕は、二度と父さんに会えないのだろうと思っていたから、この再会に僕の心は狼狽えていた。

「ルカよ。元気にしていたようだな。お前がここに来ると思っていた」

 その時、バサッと空気を震わせる音がした。そちらを見ると、窓の縁に大きなワシミミズクの姿があった。それはエドアルト隊長だった。

「エドアルトか。状況を伝えよ」

 エドアルト隊長のオレンジ色の鋭い眼が父さんを見つめた。

「ガヴリイル様。あなたの見立ての通りでした。騎士の町ライサの空に突如として現われたのは、トボロフの魔女です。六十年前にトポロフの森に墜落し、朽ち果ていていた小型蒸気船オルガ号を、魔女が蘇らせたようです。オルガ号は恐ろしい速さで雲から雲へと飛び移り、騎士団の飛行船をことごとく撃墜しました。シャマーラとの開戦準備のためにライサに集結していた船団は壊滅状態です」

「騎士団に奇襲をかけて戦力を奪ってから、悠々とラビナにやって来たというのだな」

「そうです。王都ラビナの空に現われたオルガ号は貨物船を弄ぶように墜落させました。しかし、その後、姿を消しました」

「姿を消しただと? 奴の狙いはここにあるはずだ。何故姿を消したのだ」

 父さんは怪訝な顔をした。思案に耽った父さんにアリフィヤが言った。

「トポロフの魔女が消えたのはきっと理由がある。でも、この機を逃す訳にはいかない。今のうちに太古の騎士アドリアンを討ち果たすのよ」

「うむ。私も覚悟を決めねばなりませぬな。私が塔に参りましょう。ですが問題がひとつ――」

 父さんはそう言うと、奥の扉に振り向いた。重たそうなその扉はまるで壁のように閉ざされていた。開く気配など微塵も無かった。僕はその扉の向こうが気になった。そこにこの国を治めるルスラーン王がいるのか。

「わしが説得を続けよう」

 後ろから聞こえたその声の主は、一本の杖を持った老人だった。それは僕のおじいさん、魔法の賢者ゲラーシーだ。すると突然、ユーリの胸元のペンダントが宙に浮き、目映い光を放ち始めた。

 おじいさんはよたよたと歩きながら、父さんに近づいた。そして杖を渡した。その杖はユーリのぺンダントに同調するように、鈍い光を纏っていた。

 ユーリは宙に浮いたペンダントをギュッと握った。

「ナナカマドの杖か!」

 その杖は我が家の家宝だ。七十年前の大嵐からクライン王国を救ったという伝説の杖だ。ただ、その杖をもってしても、僕の中の魔法の力を呼び覚ます事はできなかったけれど。

 父さんは伝説の杖を受け取り、大きく頷いた。そしてエドアルト隊長に声をかけた。

「イサークとギルシュは何をしている?」

「イサーク様は、ルジェナ飛行場にいた空母リーディア号に出撃を命じました。王宮警備船団と合流して艦隊を編成します。司祭長ギルシュ様は、間もなくヴァルラム宮に入られると思います」

 おじいさんがエドアルト隊長に言った。

「エドアルトよ。お前さんも大変じゃのう。ガヴリイルに協力しているのがイサークに知れたら、咎めを受けるかも知れんじゃろ」

 そう言われたエドアルト隊長は、騎士イサークの息子であるユーリの顔を一瞥した後、おじいさんの目を見つめた。

「我が主イサーク様と言えども、私を繋ぎ止める事はできません。何故なら私は、ただのワシミミズクなのですから」

 そう言うと、エドアルト隊長はカッと音を立てて窓の縁を蹴り上げ、飛び立っていった。その姿を見ながらアンナが腕組みをして呟いた。

「ただのワシミミズクじゃないな」


 広間におじいさんを残し、父さんとアリフィヤを先頭に僕たちは宮殿の外に出た。車寄せでは神馬テオドールの馬車が僕たちを待っていた。

 父さんが手を掲げて指をパチンと鳴らした。すると、どこからともなく大きなまな板が飛んできて、父さんの前に滑り込んだ。ジェミヤンが興奮気味に言った。

「わわっ、音速まな板だ!」

 まな板に乗ろうとした父さんに、ジェミヤンが話しかけた。その声は上ずっていた。

「ね、ねえ、おじさん。これからアドリアンをやっつけに行くったって、俺たち、何も武器持ってないよ」

 それは確かにその通りだ。僕たちは丸腰だった。お互いに顔を見合わせたが、アンナだけは違う。彼女の腰の鞄には、僕たちが知らない武器が入っているようだ。

「誰もお前たちを当てにはしておらん。そもそもアリフィヤ様はおひとりでアドリアンを倒しに行くつもりだったのだろう? しかし、その役目は私が果たそう。魔法使いと騎士の長年の争いに決着をつけるのだ」

「大きなお世話よ、ガヴリイル。騎士の後始末は騎士である私の役目よ」

「じゃ、じゃあ、僕たちは宮殿で待ってたほうが――」

 ジェミヤンは宮殿の扉にそろりと足を向けた。

「少年よ。恐らく最も安全なのは、神馬テオドールの馬車の中だ。危険が迫った時に素早く逃げる事ができる」

「た、確かに!」

 父さんは顎に手を当て、少しの間思案した。そして、アリフィヤに視線を向けて言った。

「アドリアンの魂を葬る事の許しを王から得ておりませぬ。アリフィヤ様が共に行動すると、ギンツブルグ家の立場が悪くなるのでは?」

「私が決めた事なら、騎士たちは皆、理解してくれる筈です」

「あなたは表立った場にお出にならないので、騎士以外にあなたの事を知る者はあまりいない。しかし、イサークですら、あなたには口答えをしないと聞いております。騎士の母アリフィヤ様」

 父さんは軽く笑みを浮かべ、人差し指をスッと横に動かした。すると、父さんの前にいたまな板が滑り出し、あっという間に空に飛んでいった。

 父さんは皆に向かって言った。

「私たちは共にこの馬車で塔へと向かう。そして、私とアリフィヤ様が塔の中に入る。お前たちは馬車の中で私たちの帰りを待て。万が一、私とアリフィヤ様が戻らぬ時は、馬車でこの宮殿に戻り、父ゲラーシーに事の顛末を伝えるのだ」

 僕たちは全員頷いた。これから起きる出来事に、誰もが言い知れぬ怖れを感じていた。握った手のひらに、じっとりとした汗が纏わりついていた。

 神馬テオドールの馬車は光の筋を残しながら、ヴァルラム宮の奥に向かって走り出した。窓から身を乗り出すと、真っ青な夏の空を突き刺すように、白い塔がそびえているのが見えた。

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