第14話 騎士の町ライサ

 アンナ、ジェミヤン、イグナート、そして僕の四人は、騎士の町ライサの通りを歩いていた。夏とはいえ、まだ朝の涼やかな空気が残っている。真っ青に晴れ渡った空に、船団を組んだ騎士団の軍用蒸気飛行船が何隻も飛んでいる。

「騎士の娘アリフィヤねえ。聞いた事あるような名前なんだよなあ」

「とっとと思い出せば、君は家に帰れるのにね」

 アンナは優しい口調で、しかし他人事のようにイグナートに言った。

 歩きながら、イグナートは言った。

「うーん、長老ヴィクトールなら、アリフィヤの事を何か知ってるかもしれないな。会いに行ってみるか」

 僕たちはイグナートの案内で、騎士の一族の長老ヴィクトールに会いに行く事にした。長老ヴィクトールは騎士の生き字引きと言われているが、毎日暇を持て余していると、イグナートは言った。

 騎士の町ライサも、居住区は他の町とあまり変わりないようだ。幼い子供たちが歓声を上げながら駆け回っている。計画的に造られた町だからか、道は綺麗な格子状になっていて、石畳が敷かれた町並みは整然としている。

 家が建ち並ぶ一角を抜けると、小さな広場に出た。広場の真ん中には、たくさんの小さな赤い実をつけたナナカマドの木があった。僕が生まれ育った魔法使いの町アクサナには、この木がたくさん植えられていた。魔法使いにとって、この木は必須アイテムだ。ゼレノヴァ家の伝説の杖も、この木から作られた物だ。魔法使いたちはナナカマドから作られた杖や鞭を使って魔法をかける。もちろんそういった物がなくても、魔法使いたちは指先ひとつで魔法はかけられるのだが、気分的にあったほうがいいらしい。

 魔法使いの町アクサナは、夏から晩秋まで、ナナカマドが実をつけて町全体が真っ赤に色づいたものだ。小さな赤い実は房のようにまとまって枝を覆う。鳥たちはその実をおいしそうに食べるが、人間にはそのままでは酸味もきつく、苦すぎる。山のように収穫されるナナカマドの実は、ゼリーやジャムに加工され、食卓に色を添える。

 今、目の前にそびえるナナカマドの木は、一瞬で僕に故郷を思い起こさせた。飛行機の操縦訓練や学校の勉強に夢中になっていて、あまり気にしていなかったが、魔法使いの町アクサナに二度と帰る事が許されない身の上を不意に思い出し、僕の心は切なさで一杯になった。アクサナに帰りたい。家に帰りたい。母さん、イリヤ、おじいさんはみんな元気にしているだろうか。

 それにしても、こんなに大きなナナカマドは見た事がない。家くらいの大きさがある。

「着いたよ」

 イグナートが僕たちに告げた。

「騎士の長老、ヴィクトールじいさんだ」

「え? どこに?」

 ジェミヤンが辺りを見回した。この小さい広場には大きなナナカマドの木がポツンとあるだけで、他には何もない。僕はすぐに悟った。

「初めまして、ヴィクトールさん。ルカです」

 僕がそう挨拶すると、ナナカマドの幹の皮が少しよじれ、ゆっくりと二つの大きな目が開いた。

「うわっ!」

 ジェミヤンとアンナが驚いて飛び上がった。

「――ほう」

 ナナカマドの幹に、大きな老人の顔がゆっくりと浮かび上がってきた。その声は地に響くようだった。

「お前はわしを見ても驚かぬようだな、魔法使いの子よ」

 長老ヴィクトールじいさんは、一目で僕の正体を見抜いたようだ。

「じいさん、ルカたちは人探しをしてるんだよ。じいさんならこの町の事一番知ってるだろうから連れてきた」

「ほほう、誰を探してるんじゃ」

 僕は一歩近づいて、ヴィクトールじいさんに言った。

「騎士の娘アリフィヤに会いたいんです。その子の事、知ってますか?」

「ほう、アリフィヤか。もちろん知っとるよ」

「よかった! どこに行ったら会えますか?」

「ほほう、では探してみようかのう」

 ヴィクトールじいさんがそう言った直後、広場に突風が吹いた。風はヴィクトールじいさんを囲むように回り始め、僕たちは吹き飛ばされないように足を踏んばった。髪と服がバサバサと乱れ、手を顔に翳した。

 ヴィクトールじいさんの枝葉が激しく揺れ、ついには小さな赤い実たちブチブチと音を立てて枝からちぎれ、四方八方に飛んでいった。数え切れない大量の赤い実は、建ち並ぶ家々の隙間を勢いよく飛んでいった。

 やがて、広場の風は収まった。辺り一面にナナカマドの葉が落ちていた。ヴィクトールじいさんの枝についていた赤い実はすべて無くなっていた。

 突然の事に、僕たちは呆然としていた。ヴィクトールじいさんは「ほう、ほう」と独り言を言っていた。

 やがて、ヒュン、ヒュンと風切り音を立てながら、小さな赤い実たちが帰ってきた。それは次々に現れ、しまいにはヴィクトールじいさんの枝は元のように赤い実で一杯になった。

「見つけたぞ」

 そう言ったヴィクトールじいさんの顔の前に、小さな赤い実が一つ、ふわり、ふわりと浮いていた。その赤い実は、ぼんやりとにじんだような光を放っていた。

「案内しよう」

 ヴィクトールじいさんはその大きな口でフッと息を吹き、目の前の赤い実を飛ばした。赤い実は宙に浮いたまま、僕たちの前を通り過ぎた。それが意外にスピードが早かったものだから、僕たちは赤い実を追いかけて慌てて走り出した。

「ありがとう! ヴィクトールじいさん!」

 僕は後ろを振り返って礼を言った。アンナたちも走りながらじいさんに手を振った。


 鈍い光をまとった小さな赤い実は、空中をするするっと滑るように飛んだ。赤い実を追って石畳を駆ける僕たち四人の中で、イグナートがだんだん遅れてきた。イグナートは真ん丸い顔を真っ赤にして必死に走っていた。

「ちょっと待ってよ! 速過ぎるよ!」

 イグナートがそう叫んだ時、赤い実は大きな鉄柵の門の前でピタリと止まった。それに合わせて立ち止まった僕たちの背中に、勢いよくイグナートがぶつかった。そのせいで僕は赤い実を突き飛ばしてしまい、赤い実はずっと向こうの方まで飛んでいってしまった。

「あー!」

 僕は驚いて叫んだが、心配は無用だった。赤い実はシュンッと翻って僕たちの前に戻ってきた。そして、ストンと地面に落ちた。僕はそれを拾い上げた。

「ここに騎士の娘アリフィヤがいるって事か」

 そう呟いた僕にアンナとジェミヤンが頷いた。イグナートは肩で息をしながらゼエゼエ言っていた。

 鉄柵の中は一面にヒマワリが植えられていて、背の高い黄色い花々が咲き誇っている。その向こうには、クライン国教会の古く美しい白亜の教会が見えた。しかも、相当大きい。アーチ状のオレンジ色の屋根が重なりながら、優雅な弧を描いている。黄色い花、白い壁、オレンジ色の屋根、そして真っ青な夏の空がくっきりとしたコントラストを見せている。

 教会には三つの塔があり、その先端もアーチ状になっている。クラインの教会は曲線をふんだんに使ったデザインが特徴だ。そして、剣を上に向けた形のエンブレムが至る所に飾られている。「王の聖剣」と呼ばれるこのマークがクライン国教会のシンボルだ。

 僕は鉄柵の扉を押してみた。扉はギギギッと軋んだ音を立てて開いた。

「入ってみよう」

 僕たちはヒマワリが植えられた花壇の間を進んだ。花壇というよりも、これはヒマワリ畑だ。ヒマワリは僕たちの背よりも高く、中を歩く僕たちはすっかり埋もれてしまって、辺りを見回してもヒマワリしか見えなくなった。

「何でこんなにヒマワリがたくさんあるんだ」

 アンナがそう呟いた時だった。どこからか声が聞こえた。

「――食べるためよ」

 姿のない声に僕たち四人は驚いた。声の主は不意にヒマワリの間から出てきた。それはヒマワリの花弁の上で輝く朝霧のような、可憐で美しい少女だった。

「何だ、ヴェロニカか」

 胸に手を当てて、大きく息をつきながらイグナートが言った。彼は相当驚いていたようだ。

「ここのヒマワリは、ヒマワリ油と種を収穫するために植えられているの。騎士の町はどんな非常時でも耐えられるように、自給自足の備えをしているのよ」

「驚かせるなよ、ヴェロニカ。お前、何でこんな所にいるんだ?」

「あなたたちが敷地に入ってくるのが見えたから出迎えに来たのよ。ここは騎士の町ライサだけど、この教会は私たちレドフスカヤ家の直轄地なの。それにイグナート、昨日私がグーゼルを通った時に会ったじゃない」

「そうだったな。司祭長ギルシュじいさんと一緒だったな」

 ヴェロニカとイグナートが並んで立つと、小さな棒と大きな球に見える。僕はヴェロニカに尋ねた。

「ここに、騎士の娘アリフィヤがいるはずなんだ。アリフィヤを知ってる?」

 ヴェロニカは顎に手を当て、首を少し傾げた。

「知らないなあ。娘って言ったって何歳くらいよ。子供? それとも大人?」

「そう言えば、年は知らないや」

「だいたい私はここの事はよく知らないんだ。でも、騎士の娘たちならこの教会で何人か働いてるから、その中の誰かかな? アリフィヤって美人?」

「美人かどうかなんて関係あんのかよ」

 アンナに睨まれたヴェロニカは、イグナートの後ろにサッと隠れた。

「ここには綺麗な女性が何人かいるよ。私ほどじゃないけど」

 ヴェロニカは自分がかなりの美人である事を自覚している。それを隠そうともしない事は逆に潔い。僕はヴェロニカに聞いた。

「中に入って探してみてもいい?」

「もちろん。誰でも中に入れるよ。クライン国教会はすべての人を受け入れるからね」

 その言葉にジェミヤンがボソッと呟いた。

「ヴェロニカがそう言うと、何だか軽く聞こえるなあ」


 僕たちはヴェロニカの案内で教会の中に入った。普通の家の屋根ほどの高さがある木の扉を開けると、そこには巨大な空間があった。

「大聖堂だよ」

 高い窓から差し込む光が、石壁のひんやりした空気を輝かせている。空のように高い天井には、煌びやかで優雅な絵が描かれている。しんとした空間の中で、人の囁き声が静かに聞こえてくる。大聖堂の中に数人の人影が見えた。

 扉の近くにいた若い女性にヴェロニカが声をかけた。どうやら顔見知りのようだ。

「ルーダさん、友達が人を探してるんだけど、騎士の娘アリフィヤって知ってますか?」

 女性は髪を覆っている白いレースのベールを軽く揺らして振り向いた。端整な顔立ちの女性だった。

「ええ、知ってますよ」

 僕たちはその言葉に色めき立った。僕とアンナとジェミヤンは顔を見合わせ、大きく頷いた。

「その人って美人?」

 ヴェロニカのその質問は果たして必要なのか疑問だが、ルーダという名のその女性は、優しい笑顔を見せて答えた。

「凛とした、とても美しい方ですよ」

「やっぱり! そんな気がしてたんだ。その人は今どこにいるんですか?」

「ここにいます。――ほら、聖壇の近くのベンチに」

 ルーダは大聖堂の一番奥に視線を向けた。視線の先には、ベンチに腰を掛けている年配の女性と、その前でひざまずいている若い女性の姿があった。その若い女性は優しそうな笑顔を見せながら、何やら話している。ガラス越しの陽の光が彼女の白いベールを輝かせ、若く可憐な姿を引き立てている。彼女たちの時間に割り込む事が憚られたので、僕たちは少し待つ事にした。

「仕事がありますので、私はこれで」

 ルーダはそう言って立ち去った。

 やがて、祭壇の前のベンチから年配の女性が立ち上がった。片手をベンチの背もたれに置き、背筋を伸ばし、軽く会釈をした。そして、しっかりとした足取りで大聖堂の横にある扉に向かい、出て行った。僕たちは、その後ろ姿を見送る白いベールの女性の元に向かった。

「こんにちは」

 挨拶をした僕に彼女は気づき、笑顔で応えた。

「あら、こんにちは」

「ヴィクトールさんに聞いて会いに来ました」

「ヴィクトールさんって、私たちの一族の長老ヴィクトール?」

「はい、ナナカマドの木の」

 彼女はクスッと笑った。

「そうね、ナナカマドの木に違いないね」

 彼女の口調はとても柔らかい。同じ言葉を口にしても乱暴に聞こえるアンナとはずいぶん違うなと思い、アンナをちらりと見た。僕の視線に気づいたアンナは、直感で僕の思いがわかったようだ。アンナのこめかみがピクッと痙攣した。

「何か文句でも?」

 アンナは低い声で僕に凄んだ。僕は慌てて視線を逸らした。

「あ、それで、俺たち、塔の鍵の在り処を教えてもらいたいんです。アドリアンの塔の」

「アドリアンの塔の鍵? 何の事かな」

「えっと、エルモライの羊がそう言ってたんです」

「エルモライの羊? ごめんね。何の事かわからないわ」

 ジェミヤンが襷掛けにしている鞄をごそごそとまさぐり、本を取り出した。そして、本を見せて言った。

「これ、コルネーエフ文書です。この中にいるエルモライの羊がそう言ってたんです」

 ジェミヤンの言葉にも、彼女は首を傾げるばかりだった。

 すると突然、ジェミヤンの手から本が離れ、空中に浮かんだ。風に吹かれたかのように本のページがパラパラと捲られ、中程あたりで止まった。そして、ポンと小さな煙が立ち昇り、エルモライの花の羊の黒い顔が、本の中から飛び出した。僕たちを見たその三日目の瞳は、少し怒っているように思えた。案の定、羊は厳しい口調で言った。

「馬鹿者。アリフィヤは行ってしまったぞ」

 僕たちはその言葉に驚いた。僕は皆に言った。

「じゃ、じゃあ、もしかしたら、さっきのルーダさんって人がアリフィヤだったんじゃないか」

 僕の言葉に、目の前の彼女か再びクスッと笑った。

「アリフィヤさんを探してたの? ルーダさんはルーダさんだし、私はナディア。アリフィヤさんなら、さっきまでここにいたおばあさまよ」

「え!?」

 僕は驚いた。

「だって、騎士の娘って」

「確かにアリフィヤさんは由緒正しい騎士の一族の娘よ。でも、騎士の娘ではなくて、騎士の母アリフィヤって呼ばれてるわ」

「娘っていうから若い人かと思ってたけど、ばあちゃんだったのか!」

 アンナの言葉にジェミヤンが続けた。

「追いかけよう!」

 そして、ジェミヤンは羊の黒い顔をグイッと本に押し込め、本をパタンと閉じ、鞄にしまった。

 ナディアと名乗ったその女性に、僕たちは口々に礼を言い、急いで大聖堂の横の扉に向かい、外に出た。しかし、アリフィヤの姿はすでになかった。僕はポケットからヴィクトールじいさんの小さな赤い実を取り出した。赤い実は僕の手を離れてふわりと宙に浮き、空中をするっと滑り出した。僕は皆に声を掛けた。

「あの実を追いかけるぞ!」

「え? またー?」

 イグナートの辟易とした声に耳を貸さず、僕は走り出した。通りを曲がる時に振り返ったら、ヴェロニカもスカートをはためかせながら一緒に走っていた。自分が巻き込まれた事態を飲み込めないまま、ヴェロニカがキョトンとした表情をしながら走っているものだから、僕は思わず吹き出してしまった。僕たち一行は五人になっていた。


「あ、あんな短い時間にどこまで行ったんだ。あのばあさん、結構な年寄りに見えたけどなあ」

 ハアハア言いながら,イグナートが愚痴をこぼした。

 しばらくして、赤い実が進む先に、大きな建物の前に止まっている立派な蒸気自動車を見つけた。蝶ネクタイをした運転手が車から降り、観音開きの扉を開けた。そこから降りてきたのは、間違いなく、さっきまで教会にいたおばあさんだった。僕たちは、騎士の娘アリフィヤを見つけた。

 赤い実はツーッと線を引くようにアリフィヤの元に向かった。しかし、赤い実がアリフィヤの元に着く前に、彼女は建物の中に入ってしまった。赤い実はパタンと閉じられた扉にあえなくぶつかってしまった。

 赤い実に追いついた僕たちは建物を見上げた。堅牢な造りの城壁にも似たその建物は、見る者を圧倒するほど大きかった。

 僕は地面に落ちた赤い実を拾うと、閉じられた扉を恐る恐る開けてみた。中は広い玄関ホールになっていた。奥には幾つかの扉があり、威勢のいい声が漏れ聞こえてくる。どうやらアリフィヤはその中に入ったようだ。僕たちは目を合わせ、奥の扉を開けてみた。

 そこは、騎士たちの修練場だった。広い場内で何人もの騎士たちが剣を交じえている。剣がぶつかり合う甲高い金属音が広い空間に響いている。僕たちはアリフィヤの姿を探した。

「そこ! 踏み込みが弱い! 前の足にもっと重心を乗せて!」

 パン、パンと手を叩きながら騎士たちに声をかける女性の姿があった。少し嗄れているが、とてもよく通る声だ。僕たちは、その声の主の姿に釘付けになった。緩く波を打つ髪は白く美しい光沢を放ち、顔や首筋に見える皺は気高さを湛えている。相当な年齢だと思うが、しなやかに伸びた背筋と上品な佇まいが、重ねた年齢でさえ美しさに変えているようだ。

「あのばあちゃん、私にはない物を持ってるな」

 アンナが妙に低い声で呟いた。

「そうね。あのおばあさま、私によく似てるわ」

 そう言ったヴェロニカをアンナが睨んだ。ヴェロニカは見下すような視線をアンナに返した。火花が飛び散りだした二人の間にジェミヤンが割り込んだ。

「まあ、まあ。二人とも年を取ったら、ああいうおばあさんになれるよ」

 アンナは少しふて腐れた顔で「私は別に――」と言ってそっぽを向いた。

 その時、僕たちの背後から声がした。

「うちのばあさんに何か用か?」

 それは聞き慣れた声だった。振り返ると、壁にもたれかかったユーリの姿があった。

「ユーリ!」

 驚いた僕を見ながら、ユーリは僕たちの方にゆっくりと歩き出した。

「ここは俺が通っている修練場だ。アリフィヤばあさんはここの師範だ」

「女騎士か。素敵。あなたのおばあさまなのね」

 ヴェロニカの問い掛けにユーリは頷いた。

「ああ、そうだ」

 突然、ジェミヤンの鞄が激しく動き出した。

「うわっ! 何だ何だ」

 鞄が宙に浮き、襷掛けにしているジェミヤンが引っ張られて足が浮き出した。僕は慌ててジェミヤンの鞄の紐をつかんだ。鞄はブルブルッと大きく震えた後、蓋が開き、鞄の中から本がスポンと飛び出した。そして空中に浮いたままパラパラッとページがめくられ、今度は本の中から羊がスポンと飛び出した。

「また会ったな、騎士の子よ」

「あ! お前、トポロフの森で俺たちを助けた――」

「助けた訳ではない。導いただけだ。私の目的を果たすためには、お前たちが必要なのだ」

「目的だと?」

「そうだ。私は騎士の娘アリフィヤに聞かねばならぬ事がある」

「アリフィヤばあさんに?」

「うむ。――はて。お前、何を持っている。何やら匂うぞ」

「匂うだって? 失礼な奴だな。よく見ろ。俺は何も持ってねえよ」

 ユーリはそう言って両手を広げてみせた。

「違う、お前の胸元だ」

「俺の胸元? これの事か?」

 ユーリはそう言って、首から下げていた涙の形のペンダントを手に取った。

「これは昨日、ばあさんからもらった物だ。お前が持っていろって」

 ユーリがそう答えた時だった。視界がズルッとずれたような感覚がした。飛行機が離陸する時の重力に、体全体が押し潰されたかのようだった。

 しかし、それは僕の錯覚などではなかった。揺れと同時に、耳をつんざくような巨大な音が衝撃波となって僕たちを襲った。修練場のガラス窓が一斉に割れ、ガラス片がキラキラと輝きながら頭の上から降ってきた。

 一瞬にして、修練場の中はパニックになった。出口に殺到する騎士たちに混じって、僕たちも外に向かった。ユーリは素早くアリフィヤの元に駆け寄り、手を取って出口に向かった。

 修練場の外に出た僕たちの目に映ったのは、想像を絶する光景だった。僕たちを驚かせたのは、目の前で燃え盛る軍用蒸気飛行船の姿だった。墜落して修練場の前の建物に突っ込んだ飛行船が、何度も爆発を繰り返しながら燃えている。

 それだけではない。何隻もの飛行船が空から墜ちてくる。そして地上で爆発し、炎と煙に巻かれている。

 さっきまで晴れ渡っていたはずの真夏の青空は跡形もなく消え失せ、重くのしかかるような黒く分厚い雲が騎士の町ライサの空を覆っていた。

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