第10話 煉瓦の家

 光の跡を追いかけて、僕とジェミヤンとアンナは先に進んだ。夏の夜の森はひっそりとしていて、時折り得体の知れない動物の鳴き声がどこからか聞こえる。いつの間にか、森の中が妙に湿っているのを感じていた。苔の匂いが立ち込めている。ひんやりした空気が地面の上に堆積していた。

 森の奥で、ぽっかりと開けた場所に辿り着いた。そこだけは木が生えていなくて、真ん中に小さな家が建っていた。月明かりに照らされたその家は、蔦が幾重にも絡みついた煉瓦造りの家だった。深い緑に覆われたその家は森の一部にしか見えない。鬱蒼とした森に擬態しているかのようだ。光の跡は家の前で途切れていた。

「あ、あれは、ネストルじいさんが言ってた家だ!」

 ジェミヤンが僕の服をつかんで言った。

「本当にあったのね。魔法を使えない魔法使いが住む家。トポロフの森の奥にポツンとある、美しい女性が住む家」

 アンナの言葉に、僕とジェミヤンは頷いた。

 僕たちはその家に近づいた。家は真っ暗で、人の気配は感じられなかった。僕は小声で二人に囁いた。

「光はここで止まってる。猫人間はこの家に来たはずだ」

「入ってみるしかないね」

 アンナの言葉に僕は頷いた。扉に手をかけ、そっと開けてみた。扉はギギィーッとひどく軋んだ音を立てた。

 家の中は外と同じように真っ暗だった。ユラユラと揺れるランタンの炎に照らされて、暗闇に置かれた家具たちが今にも蠢き出しそうだ。部屋の奥はキッチンになっていた。竃に鍋が乗せられている。竃に焼べるための薪が壁際に積んである。

 そのどれもが揺れる明かりを受けて、思わせぶりな陰りをまとっている。この煉瓦の家そのものが生きているかのような錯覚に陥ってしまう。

 部屋の壁に大きな布が掛けられていて、その周りに額緑が見える。

「これ、もしかして、あの恐しい鏡じゃない?」

 アンナがそう言って、布に手を掛けようとした。ジェミヤンが慌ててその手を抑えた。

「だ、駄目だよ!」

「何だよ、怖がりだな」

 アンナはジェミヤンの手を振り解こうとしたが、ジェミヤンは布を捲ろうとするアンナの手を必死に抑えた。

「ちょっと。こっち来て」

 僕の声に、アンナとジェミヤンが振り向いた。僕はランタンの灯りで暗がりを照らした。そこには隣の部屋があった。その部屋の扉が薄く開いていた。僕はその扉をそっと聞いた。

 その部屋はがらんとしていた。家具も何もない。ランタンの炎が照らし出したのは、床に落ちている一枚の紙だった。僕たちは顔を見合わせて頷き、部屋の中に入った。僕はその紙を拾い上げた。

「これ、ユーリが持ってたっていう地図じゃないか?」

 その紙には、ラダナ洞窟からタマラ神殿までの道筋が描かれていた。ラダナ洞窟から少し行った所には小川が描かれていた。フロルとイグナートがポリーナ先生を連れて行こうとした時に、忽然と消えてしまっていたという小川だ。地図には確かに描かれていたんだ。

 その時、足元に妙な違和感を覚えた。急に床が柔らかくなった気がした。そう思った瞬間、固い床に足がぬるっとめり込み、僕たち三人はトプンと床に沈んでしまった。


「いてて」

 僕たちは見知らぬ通路で尻餅をついていた。床を突き抜けて天井から落ちた訳ではなさそうだ。そこまでの痛みではない。転んだ程度の痛みだ。気がついたらここにいた。ただ一つ言える事は、この通路がいったいどこなのかさっぱりわからない事だ。

 僕が持っていたランタンは壊れてしまっていた。でも、ランタンの火はもう必要なかった。この通路の壁には煌々とした炎を灯した松明が並んでいた。アンナは自分のランプの火を消した。通路は天井も壁も床も石造りで、冷たい空気が漂っていた。通路はずっと向こうまで続いていた。

 通路のずっと先で、横から光が差し込んでいる事に気づいた。僕たちはそこに行ってみる事にした。横から差し込むその光は、時折りユラリと揺れていた。怪しい気配が漂い、言い知れぬ緊張感が僕たちを襲った。僕たちは足音を忍ばせ、その明かりに近づいた。

 そこにはガラスがはめられた木製の扉があった。ガラスはかなり傷んでいて、扉をバタンと締めたら割れてしまいそうに思えた。僕たちはそのガラスから中を覗いた。

 扉の向こうはとても大きな広間になっていた。広間の壁にも松明が焚かれ、辺りを明るく照らしていた。正面には鉄格子がはめられた一画があった。それは見るからに牢屋だった。牢屋の中に人影が見えた。僕たちは目を凝らした。

「ユーリだ」

 僕は小声で二人に囁いた。牢屋に閉じ込められていたのはユーリだった。ユーリは捕まっていたんだ。

 僕たちは辺りを慎重に見回してから、扉をそっと開けた。軋んだ音が石造りの通路と広間でやたら大きく響いてしまった。僕が先頭に立って、ゆっくりと広間の中に入った。

 鉄格子の向こうのユーリが僕たちに気づいた。ユーリはすぐに人差し指を口に当てた。そして僕たちの左の方を指差した。僕たちは恐る恐るその方向を見た。

 大きな広間の一番端に擦り切れた革製の一人掛けのソファーがあり、僕たちの前から姿を消した猫人間がうたた寝をしていた。猫人間は自分の身長ほどもある杖を抱き締めた状態で寝ていた。

 ユーリは鉄格子から手を差し出し、牢屋の扉にかけられている錠前を指差した。そして次に、猫人間がいるソファーの前のテーブルを指差した。テーブルの上に大きな鍵の束が置かれていた。それが牢屋の扉の鍵のようだ。

 僕は頷き、足音を立てないように、慎重にそのテーブルに向かった。猫人間が目を覚まさないかと、気が気ではなかったけど、僕は勇気を振り絞って近づいていった。

 僕は猫人間の目の前に立った。猫人間は大きな目を閉じて眠っている。松明の明かりを浴びて、猫人間の白い顔がつるりとした光沢を放っている。僕はそっと手を伸ばし、テーブルの上にある鍵の束をつかんだ。

 僕はこの時、手の甲にあてがわれた固い物が何かわからなかった。それは猫人間が目を覚まさないかという緊張感のせいだったのかもしれない。でも、その怯えは初めから不要な物だったようだ。僕の手の甲を抑えた物は、固い杖の先だった。僕は恐る恐る猫人間の様子を見た。猫人間は大きな金色の目で僕を見ていた。そうだ、猫人間は寝てなんかいなかったんだ。

「お前が来るのを待っていたよ」

 猫人間はニヤリと笑った。杖をすっと引き、僕の手をつかもうとした。僕はすんでの所で猫人間の手をかわした。僕は大きな鍵の束を握り締め、踵を返してユーリが閉じ込められている牢屋に走った。

「ルカ! 危ない!」

 ジェミヤンが叫んだ。走りながら僕は振り向いた。振り向いた僕の顔のすぐそばに猫人間の顔があった。猫人間は走る事なく、宙に浮いて僕の背後にピタリとついてきていた。そのあまりの近さに、僕は腰を抜かしそうになった。手のひらが汗ばみ、握り締めた鍵の束が滑り落ちてしまいそうだった。猫人間は僕の右肩をつかんだ。

 その時、牢屋の前にいるアンナの姿が目に入った。アンナは腰の鞄に手を突っ込み、拳ほどの大きさの球と棒状の器具を取り出した。その棒を球に突っ込み、何かを注入した。すると球は煙を吹き出し始めた。アンナは棒を抜き、その球を僕の方に転がした。

「目を閉じて!」

 僕はギュッと目を閉じた。その瞬間、耳をつんざくバチッという音がして、閉じた瞼の裏側で強烈な光を感じた。アンナが転がした球が閃光を放ったんだ。

 猫人間につかまれたはずの右肩がふっと軽くなった。振り返ると、大きな目を抑えながら、猫人間がもんどりうって倒れていた。

「あんたのでかい目じゃ防げないだろ!」

 アンナが勝ち誇るように猫人間に向かって言った。牢屋の前に着いた僕が尋ねた。

「今のは何だ?」

「硝酸カリウムと粉末マグネシウムで作った閃光弾だよ」

 アンナは事も無げに答えた。アンナの腰の鞄に一体何が入っているのか興味が湧く。でも今はユーリを助け出すのが先だ。僕は鉄格子の扉に付けられている錠前の鍵穴に鍵を差し込んで捻った。ガチンという重い音を響かせて錠前は外れた。

「ありがとう。礼を言うぜ」

 ユーリは僕の肩を叩き、僕たちに向かってニコリと笑った。

「ヤバい!」

 ずり落ちた眼鏡を掛け直しながらジェミヤンが叫んだ。振り返ると、猫人間が起き上がり、大きな金色の目で僕たちを睨んでいた。猫人間はそのままスウッと宙に浮かんだ。

「あの野郎」

 ユーリはそう言うと、壁に取り付けられている松明を外した。松明は長い棒の先に火が灯されている。ユーリは松明を壁に叩きつけて火のついた先端を外した。火花がぶわっと舞い上がった。

「かかってきやがれ」

 ユーリはそう言うと、長い棒を両手で持って身構えた。猫人間がビュンと空気を切り裂いて僕たちに向かって飛んできた。ユーリが僕たちの前に立ちはだかり、突っ込んでくる猫人間に向かって棒を思い切り振り下ろした。

 それはアンナの閃光弾が再び炸裂したかのようだった。ユーリの棒と、猫人間が振りかざした杖が激突した瞬間、目が眩むほどの光が辺り一面に弾け飛んだ。交錯したユーリと猫人間を中心に、球体のような波紋が空中に巻き起こった。僕とアンナとジェミヤンはその空気の波に吹き飛ばされた。

 床に転がった僕の目に映ったのは、凄まじい速さで打ち合うユーリと猫人間の姿だった。ユーリが繰り出す棒を猫人間は杖で軽々と受け流していた。その間隙を縫って猫人間も杖でユーリに襲いかかった。ユーリは猫人間の杖を棒で受け止め、すかさず反撃を繰り返した。しかし、両者の闘いはユーリの渾身の一太刀で決する事になる。ユーリが横から振り抜いた棒を、猫人間は杖でまともに受け止めた。その衝撃で猫人間は吹き飛んだ。

「騎士イサークの息子をなめんなよ」

 ユーリはそう吐き捨てた。猫人間は遠くの壁の下でぐったりとなった。ユーリの棒からブスブスと煙が上がっていた。

 僕は立ち上がり、皆に呼びかけた。

「ここを出よう! 帰るんだ!」

 皆は頷き、僕たちが入ってきた扉を開けて通路に出た。

「どっちに行けばいいんだ?」

 ジェミヤンが左右をキョロキョロ見比べた。通路は左右に長く続いている。

「俺たちはあっちから来たな」

 僕は左を指差した。そしてユーリに聞いた。

「ユーリはどっちから来たんだ?」

「俺は――わからねえ。いつの間にか知らない小さな部屋に閉じ込められてたんだ。頭来て扉をぶち壊して逃げたんだけど、力が入らなくてフラフラしてたら、あの猫野郎が戻って来たんだ。俺はそのまま気を失って、気がついたらさっきの牢屋の中だったんだ」

「俺たちが来た方に戻ってみるか」

 僕の言葉に皆が頷いた。僕たちは通路を走り出した。やがて、通路の行き止まりに辿り着いた。そこには壊れたランタンが落ちていた。

「俺が持ってきたランタンだ」

「じゃあ、僕たちが落ちてきたの、ここだね」

 ジェミヤンの言葉にアンナが続けた。

「でも、行き止まりだよ。これより先に行けない――」

 アンナがそう言った瞬間だった。僕たちの足元の石の床が急に柔らかくなった気がした。

「うわわっ!」

 僕たちは床の中にトプンと沈んでしまった。


「いてて。またか」

 ジェミヤンはお尻をさすりながら立ち上がった。僕たちは四人とも床で尻餅をついていた。ユーリが持っていた長い棒も床に転がっていた。

「あれ? ここは――」

 僕はそう言って辺りを見回した。ここは森の中で辿り着いた煉瓦の家の中だった。最初に床に沈んだ部屋に僕たちは戻ってきていた。ただ、ここに来た時は真っ暗だったはずなのに、今は明かりが点いている。それにあの時、確かに床に沈んだけど、今この床は固い。僕は足で床をトントンと叩いてみた。

「しっ。誰かいる」

 アンナが囁いた。僕たちは動きを止め、耳を澄ませた。カチャカチャという音が聞こえる。隣の部屋に誰かがいる。僕たちは肩を寄せ合って、隣の部屋をそっと覗き込んだ。

 隣の部屋のキッチンに老婆の後ろ姿があった。竃に乗せられた鍋の中をかき回している。カチャカチャという音はその音だった。

 何かを煮込んでいるようだ。ミルクのような甘くかぐわしい匂いが漂ってくる。こんないい匂いを嗅ぐと、自然にお腹が空いてくる。

 息を潜めていた僕たちの中で、グーッという音が鳴り響いた。でもそれは僕じゃない。先頭で隣を覗いていたアンナが振り返り、ジェミヤンのおでこをはたいた。パシンと、やたらいい音が静寂の中に響いてしまった。

 老婆は腰に手を当て背を伸ばした。結わえられた白髪が揺れた。

「やれ、やれ。騒々しいね」

 老婆はそう言うと、ゆっくりと振り向いた。僕たちは何故か身動きができず、老婆としっかり目が合ってしまった。

「あ、あんた誰だ?」

 僕は少し上ずった声で老婆に問いかけた。僕たちは隠れるのをやめて部屋の中に入り、老婆と対峙した。老婆は目を見開き、僕の事をじっと見つめた。じんわりとした明かりの中で、僕と同じコバルトブルーの瞳が僕を見ていた。

「不思議な夜だね。七十年目の夜がお前を呼んだのかねえ。魔法使いの子、ルカよ」

「七十年? も、もしかして、牧場のマクシムじいさんのお姉さんのジーナさん?」

「マクシムじいさん? ああ、あの小さかったマクシムの事かい。いつも私にくっついて歩いてたあの子は、今も元気にしてるかね」

「ああ、元気にしてるよ。俺、ニーナまでマクシムじいさんの馬車で送ってもらったんだ」

「そうかい、そうかい」

「でも、ジーナさんって、確か十歳の誕生日に森に捨てられたはずじゃ――」

「そうさ、私はこの森に捨てられた魔法使いの子だよ。今じゃ、こんなばあさんになっちまった」

 老婆はニヤリと笑い、両手を広げてみせた。

「お前は私と同じ運命の魔法使いの子だよ。もっとこっちに来て、お前の顔を見せとくれ」

 老婆の誘いに僕が足を一歩踏み出した時だった。ユーリが僕の前に長い棒をかざし、行く手を遮った。

「ルカ、行っちゃダメだ」

 ユーリは老婆を睨んだまま、僕に言った。

「このばあさんは、――トポロフの魔女だ」

 トポロフの魔女。僕はフェオドラの路地で襲いかかってきた羊の事を思い出した。小さな花々を体中にまとった黒い顔の羊は、僕が魔法使いの一族である事に気づいた時、トポロフの魔女の仲間かと聞いてきた。魔法を使えない魔法使いの子として森に捨てられた彼女が、年を経て、トポロフの魔女になったのか。

「俺を生贄にするつもりだ。ばあさんが猫野郎と話してるのを聞いた」

「何だい。お前はアドリアンの剣が欲しいんだろう。いっその事、お前が剣に食われちまえばいいじゃないか」

 魔女はそう言い、クックッと笑った。

「さあさあ、そんな奴は放っといて、こっちへおいで」

 魔女が僕を手招きした。

「魔法を使えない魔法使いの子の中に、実はほんの一握りだけ、強大な魔法の力を持つ事ができる者がいる。その者こそ、真の魔法使いなんだよ」

 戸惑う僕を導くように、魔女は壁に掛けられている大きな鏡を指差した。

「あっ! 布が掛かってない!」

 ジェミヤンが驚きの声を上げた。ジェミヤンはブンブンと両手を振った。アンナも同じように手を振った。

「映ってない! 僕たち映ってないよ!」

 僕たちは鏡に見入った。ジェミヤンもアンナも、そして僕の真横にいるはずのユーリでさえ鏡に映っていなかった。鏡には、僕だけが映っていた。

「トポロフの鏡は選ばれし者だけを映すのさ」

 魔女はそう言いながら、鏡の前に歩み出た。鏡に魔女の姿が映った。

「運命に引き寄せられるように、何人かの魔法使いの子がこの鏡の前に辿り着いた。でも、この七十年の間、トポロフの鏡に選ばれた者は私以外に一人もいなかった」

 魔女は後ろを振り向くと、火にかけられている鍋に向かって手をかざした。すると鍋からぐつぐつと沸いた白い液体が吹きこぼれ始めた。

 その液体から一筋の光が立ち昇った。その光に導びかれるように、鈍く光る剣が鍋から出てきた。剣は宙に浮いたまま、雫をポタリと垂らした。

「太古の騎士アドリアンの魔剣か」

 剣を見つめながら、ユーリが言った。

「そうさ。この剣は幾人もの騎士たちの魂を食らってきた。最後の魔法使いに最強の力を与えるためにね」

 魔女のその言葉を聞いて、ジェミヤンがうんうんと頷きながら呟いた。

「そうか。だから騎士の一族と魔法使いの一族は仲が悪いのか」

 僕とユーリは思わず顔を見合わせた。魔女は僕に語りかけた。

「この剣が私に教えてくれたんだよ。もうすぐ最後の魔法使いがやってくるってね」

「最後の魔法使い?」

 僕は魔女に問いかけた。

「次にこの鏡に映る子に、たった一つの魔法の力を授けるとさ。その子はこの剣を空に突き刺す。そして空が落ちてくるのさ」

「エルモライの言葉だ!」

 ジェミヤンが興奮気味に言った。

「空が落ちたら、この世界はどうなるんだ?」

 そう尋ねた僕に魔女は答えた。

「世界は闇に覆われるんだよ。魔法を使えないってだけで町を追われ、森に捨てられた幼い子たちが、どんなに寂しく、悲しい思いをしながら死んでいったかわかるかい? この家に辿り着いても、鏡に映らなかった魔法使いの子は、この鏡に飲み込まれ、閉じ込められてしまうんだよ。鏡をよく見てごらん。小さな骨がいくつも転がってるだろう? 助けてやりたいって思ったって、私は鏡には入れない。鏡の中の暗闇で、彷徨い、飢えて死んでいく姿を、私は心を引き裂かれながら鏡越しに見てきた。その子たちが、この世界を闇に引きずり込みたいと思うのは当然だろう? 空が落ちるとね、光と闇が入れ換わるのさ。この世界が鏡の中の世界となり、鏡の中の世界が本当の世界になるのさ」

 魔女は少しの間、目を伏せた。そして再び僕に目を向けた。

「選ばれし魔法使いの子よ。その子たちの願いを叶えてやっておくれ」

 導かれるように、僕はフラリと足を前に踏み出した。それは僕の意思なのか、僕自身、わからなかった。当たり前のように思っていた一族の掟が才能を持たない幼い子供に与えた苦痛は、果たして許される事なのか。

 それは許されない事だと僕は思った。ほんの二十年前だったら、僕も十歳の誕生日に、この森に捨てられていたはずだ。何百年と受け継がれてきたその掟は、魔法使いとして普通ではなかった子に対する差別だ。掟の影で、数えきれないほどの子供たちが捨てられてきた。その無念を晴らす事が、もしかしたら僕に与えられた宿命なのかもしれないと思えた。

 なんてくだらない掟だろう。何故、人間は差別をするのだろう。捨てられた子供たちの苦しみと悲しみを思うと、僕は心臓がギュッと握り潰されるほどの痛みを覚えた。

 その時、僕の左手がジンジンと痺れ出した。手首を抑えると、左手の甲にある星形のアザが、まるで宙に浮かび上がるかのように光を放ち始めた。恍惚とした気分が突然僕の心を支配した。

 トポロフの魔女が優しく囁いた。

「さあ、お前の力で、この無慈悲な世界を滅ぼすんだ」

「俺――」

「ルカ!」

 それはアンナの声だった。歩きかけた僕の両肩を、アンナとジェミヤンがつかんでいた。アンナは真剣な目で僕に訴えた。

「世界を滅ぼす事が救いなの? これまでみたいな悲しい事が二度と起きない世界に皆で変えていく。それじゃ駄目?」

 ジェミヤンもアンナに続いた。

「そうだよ、ルカ。君は一族を追われたけど、森に捨てられた訳じゃない。変わり始めてるんだ」

 棒を構えて、ユーリも言った。

「ばあさんは子供たちの怨みに取り憑かれてるんだ。お前まで一緒になるな」

 三人の言葉に僕は戸惑った。何が正しいのか、僕はどうするべきなのか、判断ができなかった。ただ、迷った僕の足はピタリと止まった。

 僕のその様子に、魔女のこめかみが痙攣した。

「愚かな。お前が運命から逃れるなんてできないんだよ」

 魔女がそう言うや否や、宙に浮いていたアドリアンの魔剣が強く光り始めた。それと同時に空気がビリビリと振動し始めた。床まで震え、僕たちの足が小刻みに上下し出した。

「うわわわ! 何だ何だ?」

 ジェミヤンがそう言った時だった。ドンという強烈な衝撃波が僕たちを襲った。吹き飛ばされた僕たちは煉瓦の壁にしたたかに打ちつけられた。その衝撃波は、アドリアンの魔剣から発せられた物だった。魔剣は宙に浮いたまま、ブオンブオンと鈍い音を放っていた。

「ルカよ。運命を受け入れるんだ」

 魔女はそう言うと、両手を高く翳した。両手のすべての指先から光る糸が伸び始めた。魔女は腕をしならせ、勢いをつけてその糸を僕に向かって飛ばした。

 光る糸が僕を捕えようとした時、ユーリが僕を突き飛ばし、伸びてきた糸の束に棒を叩きつけた。光る糸が棒にぐるんと巻きついた。ユーリは棒をグイッと引っ張ったが、光る糸はびくともしなかった。逆にものすごい力で棒は魔女の元に引っ張られ、ユーリは転びかけた。引っ張られていくユーリに僕は飛びつき、足を踏んばった。そしてジェミヤンは僕の腰に両手を回し、引きずられないように必死に足に力を込めた。

「棒を離せ、ユーリ!」

 叫んだ僕にユーリが答えた。

「離したくても離せねえんだ!」

 ユーリの言う通り、棒を握っている彼の両手は、棒ごと光の糸に巻きつかれていた。ユーリと僕とジェミヤンはずるずると引っ張られた。

「私に任せな!」

 魔女と僕たちの間にアンナが飛び出した。アンナは金属製の棒のランプの先を光る糸に向けた。棒に付いている二つのレバーのうちの一つを手元に引いた。さっき使ったのとは違うレバーだ。カチンと音がした直後、ランプの先から猛烈な炎が吹き出した。

「こんな物、焼き切ってやる!」

 アンナが放つ烈火が、光る糸を真っ赤に染めた。でも、光る糸が切れる気配はない。そうこうしているうちにランプの炎は徐々に弱まってきた。

「オイルが切れちゃう!」

 ランプの炎が、バスッ、バスッと不規則に飛び散り始めた。

「うわっ!」

 アンナがレバーをカチャカチャと動かしたが、炎はますます制御不能になってきた。そして、バスンッという大きな音と共に巨大な炎を吹き出した。

「あちっ!」

 アンナはランプを放り投げた。炎が窓のカーテンに燃え移った。燃えるカーテンからさらに炎が飛び散り、煉瓦の家中に炎が広がった。僕達は皆、炎に囲われてしまった。

「なんて乱暴な娘だい」

 魔女は大きなため息をついた。その両手から光る糸が消えた。魔女は燃え広がる炎に向けて手を翳した。炎はみるみるうちに衰えていった。燃えたはずのカーテンも元に戻り始めた。

「今のうちだ! 逃げるよ!」

 アンナが叫んだ。僕はハッと我に返って、光る糸から開放されたユーリの腕をつかみ、引っ張り上げた。ジェミヤンも立ち上がった。

 突然、魔女が笑い出した。

「この森から逃げられると思ってるのかい。ここは深い深い森の中。抜け出す事はできないだろうさ」

 その言葉を背に、僕たちは扉に向かった。扉を開けた僕たちの前にあったのは、漆黒の闇に包まれた森だった。ポッカリとした空き地に佇む煉瓦の家の周りはどこを見ても同じ景色だ。僕たちがどこから来たのか、オフェリアログハウスはどっちの方向にあるのか、皆目見当がつかなかった。光を放っていた僕の左手の星形のアザは、何事もなかったかのように落ち着いていた。僕らの頭上で、満天の星が冷たく輝いているだけだった。


 僕たち四人は森の中を進み始めた。僕たちは明かりを持っていない。死んだような黒い森の底で、時折り空から差し込む星明りだけが頼りだった。

「さっきはルカの案内でここまで来たんだから、ルカが先頭を行くのがいいと思う」

 ジェミヤンのその提案で、僕が先頭を歩き、アンナ、ジェミヤン、ユーリの順で歩く事になった。魔女が追ってきたら、しんがりのユーリがどうにかする。

 僕は重い不安に取り憑かれていた。ジェミヤンはああ言ったけど、僕だって道がわかっていないという事を皆わかっている。ただ煉瓦の家から逃れるために、僕たちは歩き続けるしかなかった。森の中で僕たちは迷子になっていた。

 突然、僕の顔に暗闇が当たった。そう、僕の顔に当たったのは確かに暗闇だった。

「ちょっと待って」

 僕は立ち止まり、顔の前にある暗闇を触った。その暗闇には柔らかな弾力があった。

「何だこれ?」

 すると、闇をまさぐる僕の両手の指の隙間で、青い三日月の瞳を持つ白い二つの目が浮かび上がった。

「うわっ!」

 僕は思わず飛び退いた。僕に押されてアンナたちも一緒になって転んだ。青い三日月の瞳が僕たちを見下ろしていた。やがて、鮮やかな小さな花々が暗闇に浮かび上がってきた。

「あ、あの羊だ!」

 それは山あいの町フェオドラで僕たちを襲ってきた黒い顔の羊だった。猫ほどの大きさの体は、小さな花々でできていて、背中についた小さな翼をパタパタと動かして、宙に浮いていた。

「何だあいつは?」

 この羊を知らないユーリが聞いた。その疑問にジェミヤンが答えた。

「あの羊、魔法使いを憎んでるんだよ。魔女の仲間かって言って、僕たちの事を襲ってきたんだ」

「敵だらけだな」

 今、ここでこの羊に襲われたら僕たちは一溜まりもないだろう。僕は背筋が凍りついた。羊の恐ろしさを知らないユーリ以外、皆同じ思いをしたはずだ。

 羊の口がゆっくりと開き始めた。口の中はぼうっと真っ赤に光っていた。羊はゆっくりと言葉を発した。それは意外な言葉だった。

「魔法使いの子よ。ついてくるがいい」

 そう言うと、羊はくるりと向きを変えた。そして、すうっと暗闇に消えた。次の瞬間、森の中に道が現れた。それは色とりどりの小さな花々が敷き詰められた、美しく光る道だった。それはアンナたちの目にも見えたようだった。

 僕たちは立ち上がり、光る道を歩き始めた。まるで夜空に浮かぶ天の川を森の中に下ろしたかのようだった。その光を浴びて森の木々も息を吹き返した。僕たちの背中を押すように後ろからそっと風が吹いてきた。木々の葉が風を浴びて、サワサワと囁き出した。僕たちはいつの間にか地面から少し浮いた宙を歩いている事に気づいた。夢の中の道を歩いているように思えた。

 やがて道の向こうに明かりが見えてきた。それはオフェリアログハウスに灯された明かりだった。

「ログハウスが見えてきた!」

 次第に光の道は消えていった。嬉しくなった僕たちは、オフェリアログハウスに向かって駆け出した。

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