第9話 トポロフの森

 日が暮れる頃になってもユーリが帰ってくる気配はなかった。オフェリアログハウスには頭の天辺が高く盛り上がった帽子を被った警官が何人も来ていた。物々しい雰囲気に、自習を命じられた僕たち生徒も気がそぞろだった。

 ユーリといつも一緒にいるイグナートとヴェロニカが、ログハウスの隅の椅子に座っているのを見つけた。僕たち三人は彼らの元に行って話しかけた。

「一体何があったんだ?」

 僕の問いかけにイグナートが振り向いた。彼の巨体が動くと同時に椅子がミシッと軋んだ。

「俺はやめようって言ったんだ」

 イグナートは両手で頭を覆い、首を振った。振った首の動きに合わせて、イグナートの真ん丸い頬がプルンプルンと震えた。顔をしかめたイグナートに代わって、ヴェロニカが涙目で僕たちを見て、話し始めた。


 ヴェロニカの説明によると、事の顛末はこうだ。


 ――生徒たち九人と、リーダーのポリーナ先生、副リーダーのロジオン先生の十一人でトポロフの森の中にあるラダナ洞窟に向かっていた。

 ラダナ洞窟にはクライン王国ができるよりももっと昔の時代の遺跡がある。遺跡の隣にある小屋には遺跡の資料が展示されている。森の中を歩く事と、考古学の学習が、このハイキングの目的だ。

 ラダナ洞窟で生徒たちは昼ごはんを食べ、三人ごとのグループごとに分かれて展示されている資料を見たり、洞窟の中を探検したりする。でも、ユーリたち三人はラダナ洞窟からこっそり抜け出した。

 ユーリは手に一枚の地図を持っていた。騎士団が保管している秘密の地図をユーリが持ち出してきたらしい。その地図にはトポロフの森の奥深くに隠されたタマラ神殿の場所が示されていた。

 太古の騎士アドリアンが竜を退治した時の魔剣が、タマラ神殿の何処かに眠っていると言い伝えられている。魔剣を探しに来た者は何人もいるが、使う人間を選ぶという魔剣の力によってだろうか、誰も魔剣を見つける事はできなかったという。

 森の中の道を逸れ、小川を越え、生い茂る木々を掻き分けて三人は進んだ。やがて彼らは森がじっとりと湿っている事に気づいた。そして彼らは森の奥に佇む神殿を見つけた。

 石造りの神殿には苔がびっしりと生えていて、森の木と同じくらいの大きさの壁に囲まれている。でもその壁はあちこちが壊れていて、今にも崩れ落ちてきそうだった。三人はユーリを先頭に神殿の中に足を踏み入れた。

 神殿の中は薄暗く、隙間からわずかに差し込む光だけが頼りだった。むせ返るような苔の匂いの中で、水が滴るピシャンという音だけが暗闇に響いていた。

「うわっ!」

 突然大きな声を上げたのは、一番後ろを歩いていたイグナートだった。

「どうした?」

 振り返ったユーリの横をネズミが走り抜けた。ユーリはイグナートに向かって言った。

「ネズミくらいで驚くな」

 しかし、ユーリの目に映ったのは愕然とした表情のイグナートだった。イグナートはユーリの横を凝視していた。その視線を追って、ユーリも自分の横を見た。

「うわっ!」

 今度大きな声をあげたのはユーリだった。ユーリだけでなくヴェロニカも大声を上げた。ユーリのすぐ横の暗がりに、じっと立っている小人がいた。ユーリは思わず飛び退くと、小人に向かって叫んだ。

「な、何だお前!」

 その小人は、ユーリの腰くらいまでの背の高さしかなかった。小人は自分の背丈ほどの杖を片手に持っていた。人間と猫が混じり合ったような顔をしているが、人間なのか猫なのかはわからなかった。顔は薄闇に浮かぶような白さで、両目は金色に光っていた。黒いマントを羽織り、黒いブーツを履いていた。

 その猫人間の右足の下では、さっきユーリの横を走り抜けたネズミが踏みつけられてジタバタとあがいていた。

「お前たち、何しに来た」

 猫人間はそう尋ねながら、ユーリの顔を見つめた。

「おや、お前は――」

 何かに気づいたようにそう言うと、自分の横の石壁を杖でコツコツと叩いた。すると石壁がゴウンという音を立てて後ろに下がり、真っ暗な通路が姿を表した。

「入れ」

 猫人間はユーリに告げた。そして腰をかがめて足の下のネズミをつかんだ。ユーリは猫人間に言われるがまま、するするっと暗闇の通路に入っていった。

「ユーリ!」

 ヴェロニカがユーリを呼んだが、何かに取り憑かれたようなユーリの耳には届かなかった。通路に入ったユーリは、まるで池に沈むように真下にトプンと落ちた。

「お前たちは――」

 猫人間はヴェロニカたちにそう言うと、手に持っていたネズミをパクリと口の中に入れた。猫人間はニヤリと笑い、ネズミを噛んだ。その瞬間、口の隙間から血がピシュッと飛び出した。

「うわわっ!」

 ヴェロニカとイグナートは慌ててその場から逃げ出した。神殿を飛び出し、来た道を必死に走り続けた。ようやくラダナ洞窟に帰り着くと、ポリーナ先生が二人に駆け寄ってきた。

「君たち! どこに行っていたの!」

 いつの間にか三人がいなくなっていた事で、先生たちは相当心配していたようだ。しかし、ユーリがいない事に気づき、二人を問い質した。

「ユーリ君は? あの子はどうしたの?」

「し、神殿に――」

「神殿?」

「は、はい。神殿が、森の中で下に落ちて、猫がユーリで――。ん?」

 動揺したイグナートの支離滅裂な説明に、ポリーナ先生は彼の両肩をつかんで言った。

「イグナート君、落ち着いて。ユーリ君はどこ?」

「あ、あっちです!」

 イグナートとヴェロニカはポリーナ先生を連れて神殿に向かい始めた。しかし、三人はすぐに行先を見失う事になる。彼らが越えてきたはずの小川がなくなっていた。イグナートたちは呆然とした。神殿に続く道が跡形もなく消えてしまった――


 これが、ハイキングで起きたユーリ行方不明事件の全容だ。


 ヴェロニカから話を聞いた僕たちは、三人とも腕組みをして思案した。ユーリは白い顔の猫人間に連れ去られたのだろうか。そしてその神殿はどこにあるのか。イグナートが僕たちに言った。

「地元の警察官も神殿のある場所は知らねえってよ。神殿なんてただの噂じゃないかって言ってたぜ。でも、俺たちは本当に神殿に行ったんだよ」

 僕は唇を震わせているイグナートに言った。

「うん、信じるよ。騎士団が持ってる地図に神殿が描かれていたんだろ? 神殿はあるんだよ」

 そうは言ったものの、じゃあ神殿はどこにあるのかって事は、誰にもわからない。捜索隊が森に入ったようだけど、手がかりは何もないようだ。

 いつしか太陽がトポロフの森に沈み、夜の闇がこの世界をとっぷりと包み込んでいた。


 * * *


 眠れぬ夜が訪れようとしていた。サマーキャンプで生徒が行方不明になるなんて、前代未聞だそうだ。日没と共に捜索は打ち切られ、明日の夜明けから再び捜索隊が森に入る事になった。明日のカリキュラムは全部中止になった。明日、生徒たちはログハウスで自習をしながら過ごし、先生たちの多くは捜索隊に同行してユーリを探すようだ。

 ユーリが自力で帰ってくる時のために、オフェリアログハウスは明かりが灯され、敷地では幾つもの松明が一晩中焚かれる事になった。

 僕とジェミヤンとアンナは手提げのランタンを真ん中に置いて、積まれた薪の上に腰を掛けた。そして真っ暗なトポロフの森をじっと見ていた。

 パチパチと音を立てながら、松明から火の粉が夜空に舞い上がっていく。風が静かに吹いている。トポロフの森は何も語ろうとしない。


 奇妙な出会いは前触れもなく訪れた。

 地面に置いた手提げのランタンを囲むように僕たち四人は座っていた。四人はあまり言葉を交わす事もなく、それぞれがユーリの行方に思いを巡らせていた。この時僕はちょっとした違和感を覚えた。僕たちは三人じゃなかったっけ。僕の隣にいるのは誰だ? 僕は横を振り向いた。

「うわっ!」

 僕は思わず叫び、飛び退いた。なぜなら僕の隣にいたのは、小さな猫人間だったから。

「うわわっ!」

 ジェミヤンとアンナも驚いて、椅子がわりにしていた薪から滑り落ちた。

「お、お前、ユーリをさらった奴か?」

 立ち上がった猫人間の顔をランタンの炎が照らした。猫人間は僕たちの腰くらいの身長しかない。のっぺりとした白い顔に大きな金色の目が輝いている。黒いマントで全身を覆い、足元に黒いブーツが見えている。そして、自分の身長と同じくらいの長さの杖を持っている。ヴェロニカが言っていた通りの姿だ。僕の問いかけに、猫人間はニヤリと笑みを浮かべた。

「さあ、何の事だか」

 高く響くその声は、耳にというよりも脳に直接入り込んでくるように思えた。猫人間は僕をじっと見つめた。

「ユーリをどこに連れてった?」

 アンナが猫人間を睨み、問いかけた。しかし、猫人間はアンナに見向きもせず、僕の事を見つめていた。

「お前がルカだな?」

「え?」

 僕は驚いた。何故僕の事を知ってるんだ?

「魔法使いになれなかった魔法使いの子だな?」

 予想外の言葉に、返す言葉が見つからなかった。

「トポロフの魔女がお前を待っている」

「トポロフの魔女?」

「そうだ。トポロフの魔女は、お前と同じように魔法を使えない魔法使いの子だった。そんな子の中から一部の者だけが、この森に眠るアドリアンの剣に呼ばれるのだ。その者はアドリアンの剣の守護者となり、やがて来る終わりの日まで、剣を守り続けるのだ」

「アドリアンの剣! ユーリはその剣を探しに行ったんだ。ユーリはどこだ?」

 僕は猫人間を問い詰めた。猫人間は忘れてしまった何かを思い出すためだろうか、大きな金色の目で宙を見た。

「それは騎士の子の事か? 騎士はアドリアンの剣の生贄になるのだ。それが昔からのしきたりだ」

「生贄!」

 僕たち三人は同時に声を発した。ジェミヤンが声を震わせながら言った。

「生贄って事は、ユーリは殺されちゃうの?」

「騎士の血と肉体を捧げる事で、アドリアンの剣の魔力が高まるのだ。魔力が頂点に高まった時、アドリアンの剣が空を切り裂き、空が大地に落ちてくるのだ」

「羊飼いエルモライの予言だ!」

 目を見開いて叫んだジェミヤンにアンナが聞いた。

「エルモライの予言?」

「そうだ。――剣の力が満ちる時、空が大地に落ちてくる――。今じゃ信じる人も少ないけど、古い文献に書かれているエルモライの言葉だ」

「空が落ちてくる? いったいどういう事?」

 アンナがそう言った時、猫人間の顔から伸びている長い髭がピクリと動いた。

「――あいつめ!」

 そう言うや否や、猫人間は立ったまま、森に向かってスウッと滑り出した。足を動かす事もなく、まるで氷の上にいるかのようにだ。そして、あっという間に森の中に吸い込まれていった。

「追いかけるぞ! ユーリがいる場所に行くに違いない」

 僕のその言葉にジェミヤンが反論した。

「追いかけるったって、あいつがどこ行ったか、もうわかんないよ」

「え? この光の跡、見えない?」

 猫人間が滑っていった跡が、ぼうっと滲むように浮いている。僕はその光の跡を差し示した。

「光の跡? 何それ。何も見えないけど?」

 アンナが不思議そうな表情で僕に聞いた。

「二人には見えないのか」

 光の跡がみるみるうちに消え始めた。このままでは猫人間の行き先がわからなくなる。

「光の跡が消える! 見失う前に追いかけて、ユーリを助け出してくる。後の事は頼んだぞ」

 僕はそう言って、地面に置いていたランタンを手に取り、光の跡を追って走り出した。光の跡は卜ポロフの森の奥へ奥へと続いている。僕はランタンをかざしながら、木々をかき分けて進んだ。

 一心不乱に追いかけていたら、後ろの方から僕を呼ぶ声が聞こえた。

「ルカ、もうちょっとゆっくり行ってよ!」

 それはジェミヤンの声だった。

「君が遅過ぎんのよ。もっと早く走れ」

 ジェミヤンをけしかけるアンナの声も聞こえた。僕は立ち止まり、二人が追いつくのを待った。やってきた二人に僕は問いかけた。

「何で二人とも来てんの?」

「だって、ルカを一人で行かせる訳にはいかないだろ」

 ジェミヤンは勇敢な自分を見せびらかすように、得意気な顔をしてみせた。

「全員で来ちゃったら、誰が先生たちに伝えるんだよ」

 僕の言葉にハッとなった二人は顔を見合わせた。そして後ろを振り向いたが、そこにあるのは真っ黒な暗闇だった。どんなに目を凝らしても、オフェリアログハウスの明かりが見えない。ユーリが帰ってこられるように煌々と光を灯しているはずなのに、僕たちが来た方角には、ずうんと沈んだような重い暗闇しかなかった。

 アンナが腰に下げている鞄をまさぐった。そして、手のひらほどの大きさのカプセルと金属製の棒を取り出した。カプセルの蓋を外し、棒をカチャッと差し込んだ。棒にはレバーが二つ付いていた。そのうちの一つのレバーを下げると、カチンと音がして、棒の先端に炎が灯った。

「こうなったら、先に進むしかないだろ?」

 アンナはそう言い、炎で僕たちの前を差し示した。棒の形をしたランプの炎が照らし出すアンナの笑みに、僕とジェミヤンは頷いた。僕もランタンを掲げた。

「よし、行こう!」

 僕たちは消えかかっている光の跡を追って、深く暗いトポロフの森の中を再び進み始めた。

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