第6話「、それから、それでも、それなりに」


 小学生の頃から、金曜日はちゃんと学校に行くと決めていた。

 朝から最後まで授業も受けて、寄り道せずに公園へ行く。

 商店街のアーケードから一本逸れた道にある小さな公園がお気に入りだった。

 教科書を開いてノートを出して、いつもの時間まで勉強する。

 普通の日はたまに学校に行かなかったり、行っても教室に居なかったりするから、この公園があたしの勉強部屋だ。

 それでも金曜日にちゃんと学校へ行くのは、きっと、少しでも胸を張ってあの人に会えるようにと子供ながらに思っていたから。

 「はなちゃん、こんにちは」

 昼間と夕方の間。

 いつもと同じ時間に、まーちゃんがやってくる。

 「こんにちは!」

 あたしが挨拶を返すと、まーちゃんはしわしわの顔をくしゃくしゃにして笑った。

 まーちゃんは、近所に住むおばあちゃん。まさきちゃんだから、まーちゃん。

 まーちゃんはいつも、金曜日になると決まってその公園にやってくるのだ。

 「はなちゃんはお勉強? いつもえらいわねぇ」

 「えらくないよー、花火はがっこきらいだからじぶんでやんないとだしー」

 「あらーそうなのー」

 同じベンチに座って、まーちゃんにくっつく。寄りかかると押して倒してしまいそうだから、くっつくだけ。

 まーちゃんはやわらかくて良い匂いがする。後になってから、それは線香の匂いなのだと知った。

 「学校はあたしも嫌いだったねぇ。なま好かないやっこのびんた食らわして生傷ばっかりさ」

 「んー、まーちゃんなに言ってるかわからーん」

 「分かんなくていいね。コロッケ食べる?」

 「食べる!」

 まーちゃんが買い物袋を開いて、今度は別の良い匂いが広がってくる。

 お肉屋さんのコロッケを二人で半分こするのが、週に一度の楽しみだった。

 まーちゃんはおしゃべりで、コロッケを食べたあとはいろんなお話を聞かせてくれた。

 ご近所のこと、遠い町のこと、まーちゃんの若い頃のこと。

 あたしが特に好きだったのは、おじいさんの話。まーちゃんにとっては旦那さんで、あたしも商店街で何度か会ったこともあるご近所さんの、おじいさん。

 おじいさんはあんまりお肉を食べないから、お肉屋さんに行くのはカレーを作る金曜日だけだってことも教えてくれた。

 「花火がおっきくなったら、何曜日でもまーちゃんにコロッケ買ってあげるねー」

 「あらー、そら楽しみだねぇ」

 本当は。

 商店街のお肉屋さんだし、コロッケだって同じのを夕飯で何度も食べたことがあるけれど。

 おじいさんのことだって、あたしには知らない人の話だけど。

 本当に。

 コロッケを食べている時。

 おじいさんの話をしている時。

 まーちゃんは幸せそうで、とっても可愛いから。

 だから私は、金曜日が好きだった。




 「店長、お疲れ様です」

 「……ん」

 霧散していた意識が点に定まって、目玉が役割を思い出したみたいに目の前がはっきりとした景色になる。

 バイト店員の相良くんが、店の片付けを終えて裏の事務所に戻ってきたところだった。

 「今日はなんかボーッとしてましたけど、具合でも悪いんですか」

 「別に」

 どっちかっていうと相良くんの方が普段からボーッとしてるんだけど、こういう時だけは勘が良い。

 人のことはよく見ているのに自分のことは大して見えていない。このバイトくんへの印象は、雇った当初から一貫して朴念仁の様相を呈している。

 その朴念仁からかすかに感じた覚えのある雰囲気を再確認して、胸にすとんと落ちるものがあった。

 「……あぁ、そうか。相良くんのせいか」

 「はい?」

 「線香の匂いするな、と思って」

 ボーッと昔のことなんて思い出してしまったのは多分、その懐かしい匂いのおかげだ。

 「あー……すみません。まずかったですか」

 「別に。レジやってる分にはお客さんにゃ判んないでしょ」

 飲食店ならどうだか知らないけど、うちはちっさいパン屋だし。何よりあたしが店長やってるくらいだから、細かいことを気にするような客は入ってこない。

 「でも、あんまり店先で棒立ちしないでくださいね。店長ただでさえその見た目だし、お客さん怖がってましたよ」

 「えぇ……まだ居るのかよ、そんなやつ」

 切り揃えた前髪をつまんで息を吐く。

 もともと色が抜けやすいのか、白っぽい金色に染まるあたしの髪の毛。

 この町で、この土地で、十年以上この頭で生きてきているというのに、周囲には浸透していないのだろうか。

 「あたしも草野球で信号機にホームランボールぶちこんだり、猫おっかけてアーケードの屋根の上で走り回ったりした方がいいかな」

 「……サチはあれで顔を売ろうとしてるわけじゃないんですけどね」

 相良くんの彼女は商店街の有名人だ。彼氏の方は地味だけど普通じゃないので、お似合いに違いない。

 「……君のカノジョのバイト先、ひだり書店だっけ」

 「ええ、まぁ」

 「あそこのじいちゃんは元気かね」

 「店長さんですか? 今朝は元気そうでしたよ」

 「そっか」

 パイプ椅子から立ち上がって、固まっていた首筋を伸ばす。

 もう何年も会っていないけど、たまには線香あげにいくのもいいかも知れない。

 お土産にコロッケ……は、やめておく。おじいちゃんには内緒だし。

 あの時間だけは、あたしがまーちゃんの一番だったと思いたいから。

 久々に、二人だけのお話でもしに行こう。

 あなたの居ない世界で、あなたの好きな人と、あなたを好きな人は、それなりに元気にやれているから。

 のんびり待っててね、って、伝えに行こうと思った。

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あなたの居ない世界で、 三好ハルユキ @iamyoshi913

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