第4話 それはあまりにも突然な件について





       ――桜舞う木の下で、私は春を歌います。

     貴方がここへ戻ってくるまで、私は待ち続けます――。









 歌声が、聞こえた。

 なんの歌だっただろうか。

 いいや、そんなこと今は関係なかった。重要なのは、そこで誰が歌っているのか、というその一点である。僕の耳に届くその声はとても優しく、懐かしくて、温かい響きであった。


『あぁ、なんだ。ここにいたのか――春歌』


 夢の中の僕はなんでもないように、一人の女の子に声をかける。

 その女の子――中学生の桜木春歌は、濃紺のセーラー服をなびかせながらこちらへと振り返った。視界に僕の姿を捉えると、彼女は驚きから慈愛へ、その色を変える。


『リュウくん! おかえりっ!』

『いや。、ってのはおかしいだろ?』


 そして与えられた言葉に、僕は気恥ずかしくなりそう言った。

 しかし彼女は、それでも構わないといった風に笑いながら続ける。


『えへへっ。でもね、この場所のこと憶えてるかな? わたしとリュウくんの、大切な思い出の場所。わたし達の大切な――だよ』


 後ろ手を組みながら、紡がれた言葉。

 それはやっぱり少し詩的で、どこかこそばゆいモノであった。

 けれども何か――そう。魔法のような、魅力の満ちたそれであった。だから僕は彼女に歩み寄りながら、ゆっくりと、それを肯定する。

 だって、この場所は――。


『帰ってくる場所、か。たしかに、そうかもな……』


 ――あの日。

 春歌を守った木の下だ。


『でしょ? ここは、わたし達にとって特別な場所。特にわたしにとっては……』

『どうしたんだ、春歌。急にそんな小声になって――』

『な、なんでもないっ!』


 おや? どういうことだろうか。

 途端に春歌の声が小さくなっていった。そして、そのことについて指摘すると、何故か慌てた様子で僕の言葉を遮るのである。首を捻る僕であったが、そんなこちらに構うことなく、というか構う余裕もなくといった感じに彼女は大きく深呼吸をした。

 次いで、改めて満面の笑みを浮かべるのである。


『とにかくね? ここでのわたし達は、おかえり、なの! きっと、いつになってもそれは変わらない。離ればなれになっても、再会した時には、必ず!』


 歌うように。彼女は桜の木を見上げて、そう言った。

 僕はそれに釣られるようにして、逞しくそこに在る桃色の木に目をやる。すると自然に、不思議と、こちらにも笑みがこぼれてくる。

 それはまるで、理屈ではなく、春歌の言葉が真であることを示すようだった。


 なるほど。ここは、僕たちの帰る場所なのだ。

 ならば、こう言葉を返すのが、今は正しいのだろう――。


『――ただいま。春歌』――と。


 そう。そうだ――そうだった。

 微笑み歌う彼女を見つめながら、僕は胸の空くような思いに駆られて。

 対して春歌は、今この時の幸せを噛みしめるかのように、優しく歌うのだ。



 それはもう、遠い記憶。

 そこにあったはずの、今は手の届かない――。


◆◇◆



「――さん。舞桜さん。あ、目が覚めましたか?」

「え? あれ。春歌……さん?」


 僕が目覚めると、そこにあったのは少しだけ大人びた彼女の顔だった。

 彼女は麗らかな風にさらわれる髪を押さえつつ、目を細める。僅かながらに施された化粧に色気を漂わせて、しかし幼さの残る顔立ちには、愛らしさがあった。

 改めて時間の流れと、そして変わらないモノがそこにあるのだ、と実感する。 


 だが、それよりも。

 目覚めた僕の思考は不鮮明で、自分の居場所を探していた。


「ここは、どこですか? 僕、いつの間に眠って……」


 言いながらむくりと、身を起こす。

 僕が眠っていたのは、青い木製ベンチの上だった。どことなく後頭部に、柔らかい感触が残っているのは気のせいだろうか。いや、それよりも今はまず、ここがどこかという問題の解決が先だった。


「ふふっ。舞桜さん、リミナちゃんの遊び相手をしてて、疲れちゃったんですね!」

「あぁ、そっか。そう言えば……」


 あぁ、思い出してきた。

 あのカフェでの騒動の後、僕とリミナは何だかんだと口論になりつつ、へとやってきたのである。そして第二戦とし、なるべく周囲に迷惑をかけないよう注意しながら相手をしていたのであった。――春歌はその様子を見て、鬼ごっこか何かだと思ったらしいが。


「そっか。それで、面倒になったからアイリーンに任せて寝たんだっけ」

「はい。そうですよ――ほら。お二人は、あっちのブランコで遊んでます」


 春歌はそう返事をしてから、指をさす。

 その先には、まるで本当の親子のように仲睦まじく遊んでいる、駄女神とロリ勇者の姿があった。彼女たちは、もうすでに自分の世界に入ってしまっており、こちらのことなどまったく気にしてい。


 だとすれば、まだゆっくりと休む時間はあるということだ。

 僕はベンチに座り直してから、隣に座る春歌の横顔を見つめる。穏やかな表情を浮かべる彼女にはやはり、僕の記憶にある少女にはない色があった。

 それを知れば知るほどに、今ある以上に、遠くなってしまったのだなと。

 そう、心の底から思わされた。


「春歌さんは、アイツらと遊んでこないんですか?」


 そう思ったから、だろうか。

 僕は考えてもないことを口走っていた。

 きっとそれは今の彼女といることが、心のどこかで引っ掛かったから。一緒に並んでいるべきではないと、そう感じさせられたからだった。だけど――。


「いえ。わたし、舞桜さんとお話してみたかったですから」

「……そうですか」


 春歌は、優しくそう返答する。

 まるでこっちの心の中を見透かしたかのように。


「それじゃあ、何の話をしましょうか。春歌さ――」

「――は、憶えてるかな? この場所のこと」

「…………え?」


 そして、その時だった。

 彼女が僕の声を遮って、唐突にそう言ったのは。

 それこそ、本当にこちらの心を読んでいるかのように。いいや、彼女――春歌は、


「ここは、わたし達にとって大切な場所、だからね」


 まさしく、僕の心を読んでいた。


「春歌、さん……?」


 おもむろに春歌は立ち上がり、歩き出す。

 ある歌を口遊みながら――。


「――その、歌は」


 僕はそれを聞いて、ハッとする。

 何故ならその歌は記憶の中にあるそれに、相違なかったから。

 彼女の背中を追いかける。一定の距離を保ちながら、先ほど見た夢と現在を繋ぎ合わせるように、その景色を重ね合せて。目頭が、自然と熱くなっていた。


 そうやって辿り着いたのは――ある一本の桜の木の下。


 そうだった。

 もう、気付いていた。

 ここがどこなのかって、最初から分かっていたのだ。


「どんなに離れても、わたしはここで貴方を待ちます――春を、歌いながら」


 立ち止まった春歌は、囁くように、しかしハッキリと口にした。

 そして、トドメの一言を続けるのだ。


 そう――。







、リュウくん」――と。







 振り返った彼女の顔は、涙でくしゃくしゃになっていて。

 そこにあったのは、僕のよく知る少女のそれで。





 だからだろう。

 僕は、何も答えることが出来なかった――。





 

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引きこもり魔王な僕と聖剣失くした駄女神、ところにより幼馴染。ロリ勇者をなだめる ~ 魔王城は六畳一間!? ~ あざね @sennami0406

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