020 終


 冬の盛りの頃だった。出かけるときは部屋の暖房を切ることにしていたので、もう一人の僕が自分が出かけている間に凍死しているのではないだろうかといつも少しだけ心配していたのだけれど、嫌な予想が的中してしまったというのか、彼はいつの間にか居なくなっていた。布団はもぬけの殻と化し、家のどこを探しても彼は見つからなかった。死んで消えてしまったのかもしれないし、どこかへ抜け出して生きているのかもしれない。ただ彼は恐らく一人で行動することはできないし、そもそも上着もなしにこの真冬の街に繰り出すことは生物学的にできないだろうから、どこかへ出て行ったということはきっとないのだろう。

 いずれにしても、それから数日がたっても僕が生きているところを見ると、彼はどこかで生きているか、彼が死んでも僕には変わりなかったということになる。僕は不謹慎なような気もするけれど、正直ほっとしていた。


 ある朝、起きるのがとても辛かった。体がなかなか言うことを聞かず、余りの寒さに身が凍えて縮み上がり、当分布団から出る気になれなかった。顔を洗って冷水が顔につくとき、何となく嫌なことを思い出しそうな感じがした。順調に歩いても十分ほど遅刻する時間に家を出てなんとか歩き出しても、どうして自分は歩いているのだろうという気持ちになった。授業中椅子に座っていると、何故だかそわそわした。隣に座っている生徒の目線が酷く気になって、自分の座り方さえも、間違っているような気がした。


 全ての授業を終えて、その日は金曜日だったのでサークル活動があったけれど、なんとなく行く気がしなくて帰ろうとしたとき、学部の建物を出ようとしたあたりで見知った顔と出会った。Aだ。僕は声を掛けようか迷って、ひと声だけかけて帰ろうと思ったら、ふと振り向いたAと目が合って向こうから話しかけられた。


「君、なんだか、前みたいに戻ったみたいだね」

 はは、と、何故だか、僕の口から笑いが零れた。僕が何かを考えたりするよりもずっと早く、勝手に笑っていた。口をついて出た。

「ねえ、僕、また話を書くよ。今ならなんだか、上手くかける気がする」

「どんな話を書くの」

「二人になっちゃった男の話とかどうかな」

「すごいメルヘンだね。おかしい。そういうのも書くの。でも、なんでか君らしい」

「何それ。よくわかんないな、僕らしさって。すぐ見失っちゃうからさ、今度は僕の編集になって、僕を見張っていてよ。ねえ、この後の部会サボってさ、ご飯食べに行かない」

「焼肉おごってくれますか」

「いいよ。決まりだね」

 歩き出すときに、Aがふっと笑った。とても柔らかくて、大学の広い敷地のどこか、誰からも忘れられた場所に積もった、まだ踏まれていない新雪のような微笑みだった。

 降りしきる雪の冷たさを顔に受けながら、僕はぼんやりと次の小説の書き出しを考えながら、焼き肉屋へと歩き出した。

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デタッチ 二階堂くらげ @kurage_nikaido

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