「野性時代」に作品が載った

雑誌「野性時代」に作品が載った……なんて書いたら、カクヨムユーザーの小説家さんはいっせいに瞠目するかもしれない……!!

いやいや、小説じゃないですよ。「野性歌壇」っていう読者投稿短歌コーナーです。

銃乱射現場みたいに我が服が倒れ重なり死んでいる部屋

という一首。山田航さんの選で佳作掲載。

先日のアメリカの高校での銃乱射事件の後だったら、果たして掲載されたかどうか?  私には過去の銃乱射事件をネタにするつもり等も無く、自室の乱雑ぶりを見て、見たままの印象をそのまま詠んだ。

今月号にはカクヨムにも短歌を掲載されている工藤吉生さん他いろんな媒体で作品を発表されている常連歌人さんの作品が読めて楽しかった。

自分の作品が載ったので「野性時代」を購入した。おお、桐野夏生や道尾秀介の新連載もあるではないか。なんか得した気分だ。


「野性時代」には、昔、「青春文学大賞」という賞に小説を応募したことがある。(落選だけど)。今はフロンティア文学賞っていってるんだね。「フロンティア文学賞」の他「角川文庫キャラクター小説大賞」の募集記事も掲載されている。

応募してみたいな~と思ったが、残念ながら応募要項に合致する手持ちの作品が無い。「フロンティア」の方は原稿用紙換算枚数200~400枚。「キャラクター小説」の方は180~400枚。それより短いか、現在カクヨムに連載中のもっと長いものしか手持ちが無いのだ。それにしても、この枚数制限、ちょっとシビアじゃないか?

ワタクシ最近、公募小説の「字数制限」に若干疑問を持っている。確かに、プロの小説家を目指すなら規定のフォーマットに合わせて作品をまとめる、という能力が必要なのは分かる。ただ、「フォーマットに合わせて作品を商品化する」という過程には、編集者が入ってもいいわけだし、それが出来ない人はプロの世界参入お断り、というのであれば、いろいろ取りこぼされる才能もあると思う。

映画なら、一つの作品を作り上げるのに、監督、脚本、編集、撮影、美術、演技……いろんな人が関わる。けれども小説の場合、それ全部一人でやらなければならないっていうのは、果たして「当たり前」なのか?

 字数とか関係ねー、と、とりあえずむちゃくちゃべらぼうに書けるが決められた枚数におさめるのは苦手、という作家をプロの門から閉ざすべきではないと思うんだけな。ただひたすら書きたい、という作家と、編集者が切磋琢磨して商品としての作品を世に出す、というのもアリだと思うんだが……いかがなものか?

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