No.6 手皿

 お水をください、お慈悲をくださいと器を造った十本の白指に押し付けるのは、彼女の為だけに吸い始めた煙草だ

 酒もしない、浮気もしない。煙草もしない。浮気もしないで、愛もしない。しかしそこに彼好みの美しいひとや可愛らしいひとが関わってくるなら容易に曲げてしまえる。そんな安い信条が彼の持ち味であった

 あァ不味いなァと思いながら、口に含めたままの煙を器に吐き零す。煙を包むようにして恐々閉じたその手が酷く愛おしい。元々彼女は臆病なひとだ。わざわざ口を寄せて煙を吐いているのだから、掴みかかるだとか殴りつけるだとかそういう分かり易い暴力をすれば良いのに、棄てられることを恐れて大人しくしている。指を噛んでも、掌を舐めても、びくりと震えるだけなのだ。いじらしい。そそられる。誰しもが持ち得る嗜虐心は勿論彼にも備わっているし、そしてその大部分は手首の彼女に向けられている。うっかりして二本目へ火を点けると、彼女はほんの少し震えたようだった。それもまた可愛げがあるとして、彼は随分と柔く笑った

 手の中に落ちた灰は未だじりじりと死んだ肌を炙り続けている。手首だけの彼女は泣くことも無く、決められた位置から動くこともない。懇願の意味で震えるそれが彼を悦ばせている事実にだってきっと気付いていない。彼女が棄てられるその日まで、黒焦げた丸い痕は増えていくだろう

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