最終話 ヒナゲシのせい


   ~ 二月二十三日(金) 洗い物 ~


   ヒナゲシの花言葉  恋の予感/別れの悲しみ



 既視感とは逆の感覚。


 いつも見ている光景なのに。

 なんなら、昨日だって同じものを見ているはずなのに。


 まるで初めて見ている心地なのです。


「それは、未視感って言うの。ジャメビュなの」

「適当な言葉を作るんじゃありませんよ。……それにしても、連日これだけは上手にできましたね」

「洗い物は好きなの」

「得意なものが一つでもあってよかったです」

「得意じゃないの。楽しいの」


 はあ、さいですか。


「今も楽しいの」


 はあ、さいですか。



 夕食の後、二人並んでシンクに立って。

 俺のすぐ隣で、にっこりほほ笑む女の子。

 頭に作ったお団子に、真っ赤なヒナゲシを三つほど揺らす女の子。


 彼女の名前は、藍川あいかわ穂咲ほさき


 こいつのことなど、べつにどうも思っていませんけど。

 好きなのか、はたまた嫌いなのか。

 俺は考えるのをやめたのですけど。


 ……そのことがきっかけになったのでしょうか。


 気付けば胸の中に、小さな気持ちの卵が生まれていて。

 今日みたいな日に、ふとそいつの存在に気付くのです。



 俺がすすいだお皿を受け取って。

 それをきゅっきゅと良く拭いて。

 水きりのバスケットへしまうと、ふきんを乗せた両手を広げて待ち受ける。


 この光景、俺は見たことがあるのです。

 なんなら、昨日だって同じものを見ているのです。


 だというのに。


 今、俺が見ている光景は。

 昨日までと同じようには感じないのです。



 とりとめのない会話をしつつ。

 ぼけっと記憶を辿ってみると。


「ああ。一番近いの、あれかも」


 昔々のキッチンで。

 君が『大人の階段』と呼んでいたピンクの踏み台に乗って。

 今、俺が立っているところにおじさんがいた、あの光景。


 俺の目には、お皿を待っている君の姿が映っているはずなのに。

 頭の中では、テーブルから眺めたおじさんと穂咲の姿が見えています。


 そして、どちらの映像も俺は見たことがあるはずなのに。

 まるで初めて見るような心地がするのです。


 さっき穂咲が適当に作った、メジャ……、なんだっけ。

 そんな言葉が、なんとなくフィットしているような感じがするのです。



 ふわふわと、不思議な感覚が続く俺に。

 これまた、いつも聞いているのに初めて聞くような。

 そんなおばさんの声がテーブルから届きました。


「ひどい成績だったけど、二人でやれば大丈夫そうね」

「家事の話? それなら母ちゃんがやってくれるから平気でしょ」


 そんな返事をしたところで。

 どえらい未来予想図に気付いてしまいました。


 母ちゃんがこっちに住み着いて。

 俺が自宅の家事をするような気がして来ましたけど。


 ……その場合。

 父ちゃんまでこっちに住みそうだな。


「ほっちゃんも甘えてないで、得意なの増やしなさいよ?」

「ちょっとずつでいい? 全部不合格なの分かったから、頑張ろうと思うの」

「そうしなさいな」


 珍しく素直に、殊勝に。

 穂咲が返事をしています。


 いつもは半信半疑なこいつの返事も。

 今日は、六信四疑くらいには感じるのです。


「俺も、ゆっくりでいいと思うよ。いくつか合格もしてるし」

「そうなの、完璧なの。ボタン付け」


 ニコニコと笑いながらそう言いますけど。

 アレは不合格の一等賞です。


 歯が欠けて、めちゃくちゃ痛かったんだからね?


 えっへんと腕を組んだ穂咲を、仏の慈悲で怒らずに我慢していたら。

 珍しく、穂咲に挑むようなおばさんの言葉が飛んで来たのです。


「あれじゃまだまだよ。ボタン付けは、ママの方が得意よ?」

「うう、そうかもなの。じゃあ、目玉焼きなら世界一なの」

「実は、ママもうまいのよ?」

「むう!」


 ……頬を膨れさせた穂咲がにらみつけていますけど。

 おばさんは、わざと煽っているのでしょうね。


 本当は甘やかしたいのだろうに。

 穂咲のためと思って、厳しくしているのでしょうね。



 親の愛のカタチ。

 それが最近は見えてきた気がするのですが。


 他人の事は分かるのに。

 自分が厳しくされる時は、どうして気付かないのでしょう。


「おばさんは穂咲に、これからも頑張りなさいって言ってるだけだよ。せめて今回の課題が全部クリアーできるようになろうね」

「じゃあ、早速洗い物の採点なの! これ合格?」

「いや、合否とかそう言う事じゃなく……」

「だいじょぶ、分かってるの。例え合格点を取っても、調子に乗らないで頑張るの」


 ……おお、分かってるじゃない。

 急に、君が大人になったような心地がします。


 そんな、柔らかく微笑んだお姉さんが。

 急にドキリとするようなことを口走りました。


「道久君の為に、頑張るの」




 ……………………。




「別に、俺は関係ないと思いますが」


 そんな返事しかできなかった俺に。

 おばさんが、机をばんばんと叩いて猛抗議。


「道久君は鈍いわね! 今のがどういう意味か分からないの?」


 いや、でも、その。


 怒られたので、いつものように席を立って。

 そしてどう返事をしたものか考えてみたら。


 ようやく気が付きました。


「ああ、なるほど。今のがどういう意味かよく分かりました」

「じゃあ、ちゃんと返事してあげなさい!」

「……穂咲、そんなことしても洗い物の採点は甘くなりません」

「そっちじゃないわよ!」


 おばさんのばんばん。

 レベルアップ。


 でも、そんな喧騒の中。

 小さな小さなつぶやきが聞こえたのです。


「ちっ。さすが道久君なの」

「なんで合ってるのよ!」



 そして、荒れ狂うおばさんに立たされた穂咲と共に。

 訳の分からない説教を聞くことになったのです。



 ……いや、訳は良く分かるのですが。

 今はまだ、その訳を分からないふりをさせてください。



 だって、俺はこいつの事を。

 好きなのか嫌いなのか。

 考えることを保留中の身なのですから。




 おしまい♪





 ……

 …………

 ………………



「じゃあこれからは、料理も洗濯も掃除も、そうして二人で並んでやりなさい!」

「そうするの」

「いやですよ。勝手に決めないでください」


 俺はこいつの事を、好きでも嫌いでもないのですから。

 大変迷惑です。


「ほっちゃんは座ってよし」

「はいなの」

「俺は?」

「ちゃんと分かるまで立ってなさい! ……ん? 電話?」


 俺をにらみつけつつ、携帯を耳に当てたおばさんですが。

 いやはや、まいったな。

 でも、こんな無茶な命令に首肯するわけにもいかないのです。


 そんな、力任せのキューピット。

 どうやら東京でのお仕事の話だと思われますが。

 凛々しい表情で、真面目にお話をしていると思っていたら。



 急に、声のトーンが高くなったのです。



「え? 二年契約? お給料は……、破格っ! ぜひお願いしたいのですけど。……試験? はい、もちろん!」



 …………え?


 二年契約って、どういうこと?



 はっきりとは分かりません。

 分かりませんけれど。



 穂咲が、不安そうに見上げてきた瞳を。

 俺は見つめ返すことが出来ませんでした。






 二年契約という言葉が意味するものは!?

 これは、新しい暮らしへの前兆なのか!



 ………ひとつの道の先に。

 必ず待っている分かれ道。


 それが、すぐ目の前に迫っているのか……。





 「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 9冊目!

 2018年2月26日(月)よりスタート!


 サブタイトルは、

 ~ふたりぐらし~

 あるいは

 ~さよなら穂咲~


 どちらになってしまうのか!?

 お楽しみに!


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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 8冊目! 如月 仁成 @hitomi_aki

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