遷都の失敗

 翌朝は、大雨が嘘のように晴れて、空には雲一つなく、夏の日差しが燦々と降り注いできた。気温もぐんぐんと上がり、朝なのに額から汗が落ちはじめる。

 長岡宮の塀は東側を除いてすべて倒れていた。山崩れで流れてきた土砂が庭を埋め、深いところでは人の腰まで積もっている。無事な建物は一つもなく、式部省は全壊、大蔵省、宮内省、左右衛士府など多くの建屋が半壊、内裏も床上まで泥に浸かり、厩や薪小屋は流れて跡形すらない。朝堂院も使えなくなるほどの大きな被害を受けていた。朱雀門はかろうじて残っていたが、壬生門や県犬養門は丘の下に落ちていた。

 桓武天皇は清麻呂や明信を連れて町に降りた。

 昨日まであった家屋敷はすべて流されていた。視界を遮る建物がなく、すがすがしいほどに見晴らしが良くなっている。水は引いていたが、右を向いても左を向いても茶色の泥沼となっていて、条坊に従った道は見えない。かろうじて朱雀大路だけは形跡があるが、大路の先にあった山崎津は、増水した淀川に飲まれて見えない。苦労して改修した小畑川は、あらぬ所を流れている。左京の南半分は膨張した巨椋池に沈んでいた。桂川や木津川の水位は依然として高く、すべてを飲み込むような恐ろしい勢いで流れている。

 まばらに人が立っているが、人々は呆然としていて動こうとしない。家屋敷と一緒に肉親も流されてしまったのだろう。

「一体何人が死んだのか。諸国から来ている数万の工人たち、平城京から移ってきた万の民、公卿百官と家族たちはすべて流されてしまったのか」

「清麻呂殿の指示で、山に避難しているはずです」

 明信に言われて見ると、山裾に多くの人がいた。山中にはもっと多くの人間が隠れているのだろう。

「怪我をして動けない者、泥に埋まって助けを待っている者がいるかも知れない。兵士、舎人、采女らをすべて動員し被災者の救助に当たれ。平城宮の倉を開き民に救恤米を支給せよ。炊き出しを行って民を慰めよ」

 天皇の言葉に明信が走り出した。

「遷都は失敗した。国富を浪費した上に、公卿百官の努力や民の労力を無駄にしてしまった。家屋敷を始めとして民の財産はすべて流れ、長岡の町は元の水田に戻ってしまった。天神地祇は朕の政に裁きを下したのだ。早良の諫言を聞いておけば良かった」

 天皇が空を見上げると、憎いくらいに強い日差しに目を射られた。

「町屋は流されましたが、都の再建は可能です」

 後ろに控えていた清麻呂が答えた。

「崩れた宮を再建できるというのか。無事な建物は一つもなく、開削して造った台地は再び泥に埋まった。元に戻すのに、一体どのくらいの人手が必要になるのか。宮はまだ良い。長岡の町を見よ。十年近くかけて造った町は泥に埋まっている。条坊に沿った道も、公卿や民の家屋敷もすべて流された。東西の市もなければ、山崎津も淀津も水の下にある。多くの人が死に、全ての人が家財を失った。泥に流された町を見て清麻呂は再建可能だというのか。天神あまつかみがお許しにならぬことを行えば今以上の罰が下る。卑母ひぼの出である朕が皇位についたのが間違いならば、都を遷し国家を変えるという大事業を企てたことが国神くにつかみの逆鱗に触れたのだ。崩壊した宮は朕の失政の象徴だ。遷都は失敗し朕の政も終わった」

 照りつける太陽の熱で、泥沼となった長岡京から何本もの陽炎が立ち上がり始め、一気に蒸し暑くなった。

「早良と井上皇后、他戸親王が昨日の夜に来た」

「三人はすでに亡くなっておりますが」

「怨霊となって朕の枕元に現れ、豪雨の空を楽しそうに飛び回っていた。他にも不破内親王や、無念に倒れた人々の怨霊が長岡の空に舞っていた。怨霊が雨を運んできたのであろう。怨霊たちは民を苦しめることをせずに、朕一人だけを責めればよいのだ」

 幾筋かの煙が上がり、人々が動き出した。明信が炊き出しを始めたらしい。

「遷都は国の命運をかけた大事業であり、失敗したからには責任を取って退位しなければならない。清麻呂は平城還都の詔と譲位の準備をせよ」

「退位なさるのですか」

「国を変えると勇んで平城京を出てきたが、長岡京が泥に沈み、国富や民の労力を無駄にしてしまった。国を傾けるような失政を行った今、どの面を下げて平城に戻れようか」

 真面目が衣を着ているような清麻呂の顔は、いつにも増して四角く見える。

 清麻呂が泥の上に立て膝を付いて頭を下げた。

「国を再建される不退転の決意として、平城宮の建屋と門を長岡宮に移築しました。もう平城京に戻ることはできません」

「清麻呂は一面の泥沼となった町で政を行えと言うのか。政に失敗した朕が隠居する町にはふさわしいが、朕よりも公卿百官、民、そして国家のことを考えれば、平城に戻るほかあるまい」

「天皇様が退位されたら誰が政を聴くのでしょうか。幼い安殿あて親王様が皇位につけば、伝統氏族や寺社の利権が復活してし、国家の崩壊が早まることは火を見るより明らかです。東北の蝦夷たちの反乱は如何に対処すべきでしょうか。反乱の原因が称徳朝の不手際にあるとはいえ、棄てておくことはできず、鎮圧に失敗すれば、騒動は東国全体に及びます。律令の不備を補うための格式きやくしきの整備はいかがなりましょうか。安殿親王様はまだ律令を学んでいる途中であり、問題を把握されていません。いずれも強い指導力がなければ成し遂げられないことであり、桓武天皇様をおいて他にできるお人はありません」

「泥に沈む長岡京を見てみろ。朕の改革の象徴である長岡京は一夜にして泥の町になってしまった。天神あまつかみ国神くにつかみが下した朕の評価だ。朕には政を行う能力も資格もないのだ」

「一度の挫折でくじけていたら、国家を立て直すことなどできません。桓武天皇様は生まれながらの天皇ではなく、若い頃から下積みの苦労と挫折を重ねてこられました。今回も若い頃の謀反事件や失恋と同じ、長い人生における、一つの失敗に過ぎません」

 確かに、自分は若い頃から挫折や失敗を繰り返してきた。三十近くまで無冠のままだったし、皇太子になるまで嫁ももらえなかった。橘卿や宿奈麻呂の陰謀に加わり死ぬような思いをした。小波や讃良のことは胸に刺さった棘となっている。井上皇后を誣告したことは苦い思い出だし、種継と早良を失ったことは悔やみきれない。だが……。

「長岡京が流されて失った物は、挫折や失敗と片付けるには大きすぎる」

「無冠の頃の失敗と同列に考えてはなりません。天皇は我が国の最高権力者です。失敗の規模が大きくなって当然です」

 清麻呂は再び頭を下げた。

「この度の失態は、洪水の対策を怠った私に責があり、決して天神が桓武天皇様を罰したのではありません。私を罰して下さい。私を人柱として埋め、長岡の地を鎮めて下さい」

 気がつけば、清麻呂の横には、明信、右大臣・藤原継縄ふじわらつぐただ、大納言・紀船守、参議・紀古佐美、神王みわおう壱志濃王いちしのおうら台閣の面々が跪いて頭を下げていた。

「清麻呂に責があれば、天皇様を補佐しきれなかった我々にも責があります。清麻呂と同じように、我々も罰して下さい」

 継縄や船守たちは次々に改革をあきらめてはいけないとか遷都は途中だとか言って励ましてくれた。

「清麻呂は小畑川や中小の河川を改修して充分に洪水対策を採ってきた。町のすべてが泥に沈むような大洪水に対策を打つことはできない。清麻呂に責はない。責められるとすれば、長岡に都を遷すことを決めた朕にある。人柱が必要であれば朕が人柱となろう」

 明信が頭を下げた。

「もし天皇様が退位して国を立て直すことをあきらめたら、種継さんや早良親王様は何て思われるでしょうか。二人は遷都で対立しましたが、国を良くしてゆかねばならないという思いは同じでした。私たちも、天皇様と同じように国を良くしてゆきたいと思っているからこそ、今までお仕えしてきました。天皇様が改革をあきらめれば、種継さんや早良親王様、私たちの思いは、長岡の町と一緒に消えてしまいます」

 長岡の町は消えたのだ。愛宕山から巨椋池まで泥の他に何も見えない。朱雀門から山崎津まで何もないではないか。向日丘陵を開削して造った宮は廃墟となった。町と一緒に自分の思いも消えたのだ。

「清麻呂や明信は改革を続けよと言うが、目の前の惨状を見てもなお……」

「法隆寺の誓いを忘れたのですか」

 法隆寺……。

 二十一の時に法隆寺にあった十七条の憲法を見て感動し政を志した。今でも十七条の憲法は、諳んじることができるし、国家の理想の形だと思っている。

 若いときに法隆寺で誓った志は、年をとった今でも失っていないが……。

「桓武天皇様がもし改革をあきらめて退位するのならば、後世の歴史家は、志は見事であったが、聖武天皇様や称徳天皇様と同じ、国富を浪費して民を困らせるだけに終わったと評するでしょう」

 清麻呂と目が合った。

「桓武天皇様が国家の改革をあきらめるようであれば、私の役目は終わりました。私は淀川に身を沈め、泉下より国家の安泰を祈りたいと思います」

 明信は続ける。

「私も冥府にいる種継さんや早良親王様に、改革の失敗を詫びに行きます」

 自分はすでに種継と早良を失っている。清麻呂や明信を失うわけにはいかない。

 右大臣・藤原継縄が言う。

「我々、台閣に席を下賜されている者は、桓武天皇様が天皇であるから仕えているのではありません。天皇様の理想に心を引かれて、国を変えてゆきたいので一緒に仕事をさせていただいているのです。天皇様が国家の改革をあきらめ退位なさるのであれば、我々の役目も終わります。職を辞して本貫の地に戻り余生を過ごすことをお許しください」

 桓武天皇は再び泥にまみれた長岡京を見た。

 夏の太陽は天皇や被災した人々を容赦なく照りつけ、熱い風が吹いているが、川の水は澄んできていた。澄み切った空はどこまでも見通せるくらいに青く、所々に浮かぶ白い雲が眩しい。雨に洗われた新緑の山々は生きる力をみなぎらせている。

 自分の若い頃は成功したことなど一つもなかったではないか。天皇となって皆が一も二もなく従うようになっていたから、挫折の味を忘れていた。

 自分は仲麻呂卿や道鏡のように、権力を得ることを目指したのではない。

 聖武天皇や称徳天皇のように、趣味趣向で国家の富を使ったのではない。

 すべては、傾き掛けた国家を立て直すために行ってきたことなのだ。「志は良かったが」などと評されては、自分の人生も、種継、早良、自分が関係した人々の人生も意味がなくなってしまう。

 長岡が壊滅的な打撃を受けても、清麻呂や台閣の諸卿の心は、まだ自分の元にある。町や富は流されたが、諸卿が寄せてくれる思いこそが自分の宝だ。

 深呼吸をすると、暑い空気が胸の中に入ってきた。

 もう一度頑張れるかも知れない。もし次も失敗するならば、自分の命をもって公卿や民に謝ろう。

 太陽の前にあった小さな雲が流れると、長岡京に光の柱が降りてきた。

「清麻呂、明信、そして台閣の諸卿」

 清麻呂たちは一斉に頭を下げた。

「長岡京は水に没したが、朕の改革の志は流されていない。今後も諸卿の一層の働きを期待する。先ずは、被災した者たちの救援に朝廷を上げて当たれ。洪水の後片付けが済んだら条坊を引き直す」

 清麻呂が頭を下げて言上してきた。

「長岡の地は水が豊富なことが利点でしたが、洪水に弱いことが明らかになりました。北東に数里離れたところ、山背国やましろのくに宇太村うたむらならば、都を建設するための十分な広さがありますし、長岡より高地にあるために今回の大雨にも耐えています。もちろん、水運、陸運は長岡京と変わりません。都を作り直すのであれば、場所を変えたらいかがでしょうか」

「同じところに町を作れば再び同じ災難に遭うだろう。清麻呂の献策を許す。被災民の救済が一段落したら、清麻呂は詳細な案を作成し台閣に諮れ」

 太陽が真上に昇ると、蝉が一斉に鳴き出した。

 桓武天皇は洪水で甚大な被害を受けた長岡京の再建を断念し、山背国やましろのくに葛野郡かどのぐん宇太村うたむらに新しい都を造るという詔を出した。

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