宿奈麻呂救出
左衛士府の扉を勢いよく開けると二人の衛士に睨まれた。鎧に身を固めた衛士は、山部王よりも背が高く肩幅も広い。毛むくじゃらの腕は太く、大きな太刀を佩いている。燭の光に浮かび上がるいかめしい姿は、法隆寺の地獄絵に描かれた赤鬼、青鬼のようだ。
山部王は自分が持っている竹箒を見て苦笑いした。衛士と戦っても勝ち目はない。
土間の中央の柱に宿奈麻呂が縛り付けられていた。うなだれて頭を下げている宿奈麻呂の体から生気は出ていない。衣は破れ、杖で打たれた跡が痛々しい。宿奈麻呂の足下には、後ろ手に縛られて泥まみれになった種継が転がっている。二人とも動く様子はない。
「お前は何者だ」
「自分は従三位中納言・白壁王の息子の山部王という。藤原仲麻呂卿から、宿奈麻呂様と供の者を連れてくるように言いつけられた。宿奈麻呂様を渡して欲しい」
「竹箒で人を受け取りに来たのか」
「来るときに拾った物だ。仕事とは関係ない」
「怪しい奴だ。竹箒を持っているのがおかしければ、罪人の受け取りに一人で来るのも変な話だ。お前は誰で、本当の目的は何だ」
「自分は白壁王の息子の山部という。中衛府で
山部王の大声に答えるように、土間の隅から声が出てきた。
「仲麻呂卿が宿奈麻呂を直に取り調べたいと言うのは本当だが、山部王は誰の命令で来たのだ」
山部王が「仲麻呂卿の命で」と言い終わる前に、二人の衛士は山部王の背後に回った。
土間の角にいた男は立ち上がり山部王の前に来た。燭の光で顔が浮かび上がってくる。
藤原仲麻呂卿!。赤鬼、青鬼に続いて閻魔大王が出てきた!。
「宿奈麻呂の屋敷に資人として送り込んでいた
自分が誰だかばれてしまったし、出口もふさがれて逃げ場がない。絶体絶命だ。
もう破れかぶれ。せめて一撃入れてやる。竹箒でも喉を突けば倒すことができる。仲麻呂卿までは三間程度。飛びかかって一気に片をつける!
山部王が竹箒を振り上げて飛びかかろうとしたとき、衛士に足を払われた。
山部王は、大きな音を立てて頭から土間に倒れると同時に、脇腹を杖で叩かれ、箒で掃かれるように転がされた。仰向けになったところで、みぞおちを杖で突かれ、息ができなくなり、痛みと同時に強烈に酸っぱい胃液が口に上がってきた。
「殺すなよ。山部王には白壁王との取引材料として生きていてもらわなければならない。死なない程度に痛めつけて、謀反の全貌を吐かせろ。種継には使い道がない。黄文王や道祖王のように殺せ」
山部王は顔を上げて仲麻呂を睨みつける。仲麻呂が山部王を足蹴にすると、山部王は土間を転がり、柱に背中を打ち付けてようやく止まった。
二人を助けるのだと勇んで来たのに、何をやっているのか。せめて太刀でも持ってきていれば、仲麻呂卿に斬りつけることができたのに。頭に血が上ったせいで無謀なことをしてしまった。
聖徳太子を理想と思っても、力のない自分は何もできずに終わるのだ。自分の器はこの程度。しょせん歴史に埋もれていく男なのだ。官位官職、妻も子もなければ、後世に残せることなど何もない。宿奈麻呂様や種継と一緒に死ねることが、せめてもの救いかもしれない。ただ、もう一度、可愛い乙牟漏の笑顔を見たい。
山部王は両脇を抱えられて立たされ、後ろ手に縛られると、拳骨で右頬を殴られた。
痛みが頭蓋骨を走り抜け、目の中を火花が飛ぶ。
「宮中で何を騒いでいるのか」
戸口で声がしたと思ったら、松明を持った四人の兵士が入ってきた。土間の中が一気に明るくなる。四人の兵士は、鎧甲に身を固め、太刀を佩き、矢筒を背負って完全武装している。見るからに強そうだ。仲麻呂と二人の衛士は壁際に追いやられた。
左衛士府の外には、何人もの兵士がいるらしく、幾つもの明かりが動き、鎧が立てる音が聞こえてくる。
両脇の支えを失った山部王は、その場に座り込んでしまった。全身の力が抜けて、背中、腹、顔がズキズキと痛む。
四人の兵士の後から声の主が入ってきた。
「仲麻呂卿が自ら取り調べに当たっているとは思わなかった」
声の主と仲麻呂は口論を始めたが、体の痛みで聞き耳を立てることができない。
山部王は「山部王さん」「兄さん」という声と同時に体を大きく揺さぶられた。
「明信と早良? どうしてここに」
「兄さんが飛びだして行くから、明信の姉さんが心配して、藤原永手様を呼んでくれたんだ」
「山部王さんは無謀よ。いくら頭に血が上っていたからといって、竹箒を持って走り出すなんて」
種継には、永手様を呼んでくるように言われていたのだった。頭に血が上ってすっかり忘れていた。自分は愚か者だ。
仲麻呂と永手の口論に決着が付いたのか、仲麻呂は衛士と一緒に土間から出ていった。
永手が「おーい」と叫ぶと、兵が入ってきて、宿奈麻呂と種継を手際よく戸板に乗せた。
「種継や宿奈麻呂様は」
「二人とも大丈夫よ。宿奈麻呂様も種継さんも目を覚ましたわ。宿奈麻呂様は大怪我をしているみたいだけれども」
山部王は早良王の手を借りて立ち上がった。
「兄さんも戸板に乗って。早く手当てしなくちゃ」
「心配掛けたが大丈夫だ。歩ける」
「私の家が近いから、宿奈麻呂様も種継さんも私の家に運んで」
山部王は痛む足を引きずりながら左衛士府を出た。
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