全てが存在しない幻だとしても
「お前は……シングラティオ!?」
「久しぶりだな。ま、細けぇ話は後だ。お前らは此処を脱出したい。それで間違いねえな?」
「…ああ」
「よし、決まりだ」
剣を構えるシングラティオに、メルトが静かに剣を向ける。
「おいおい。誰か知らねえが……させると思うのか」
その姿は一瞬で掻き消え……セイルですら見失いかけるほどの速度。
振るわれた剣はシングラティオの首へと迫り、その銀光を煌めかせる。
それは明らかに人を超えた速度。纏う黒いオーラがメルトの能力を底上げしているのだろうことが分かる神速にも届く一閃。
だが……その一瞬の中、反応できないかに見えたシングラティオの瞳がその軌跡を捉える。
「……ハッ」
嗤う。メルトの剣が空を切り、態勢を低くしたシングラティオの蹴りがメルトを遥か彼方へと吹き飛ばす。
「ガアアアア⁉」
「遅ぇ、軽い。判定は……すげえザコってとこだな」
言いながら、シングラティオは剣を握っていない方の手でアークへと手招きをする。
気付けば、戦闘は中断されていた。
乱入してきたシングラティオの圧倒的な実力に気圧されたのだ。
それはセイルとて同じだ。ここまで強かったのか、と……そんな思いと共に冷や汗をかく。
吹き飛ばされたメルトは地面を削りながら半ば埋まるようにして気絶している。
それがどれ程の力でなされたものか、考えるまでもない。
「くっ……! シングラティオ! こんな場面で!」
「こんな場面だからこそ、だろォ? どうした、お前も来いよ六星将アーク。このくらいじゃ足りねえぞ」
再度手招きをするシングラティオに、アークは一切の油断を見せぬまま後退り……「全員来い!」と叫ぶ。
超音波のように周囲に響く声の直後、隠し里の上空の穴から無数の蟲人達が舞い降りてくる。
それはメルトの言う「非戦闘員」だけではなく、角付きの「戦闘員」の姿も多く混ざっている。
「はっはあ! いいな! 楽しくなってきやがったぜ!」
「おいシングラティオ! そういうのじゃないだろ!」
思わず叫ぶセイルだが、当然だろう。逃げるのか聞いておいて敵の援軍を喜ぶなど、行動が一致していないにも程がある。
ウルザもコトリを抱えてセイルの近くまで走ってくるが、その表情は緊張に満ちている。
だが……シングラティオの顔は楽しげなままだ。
「そういうのなんだよ、セイル。それともお前、アークと手下どもを引き連れて走るのが好みか」
「だが!」
「だが、じゃねえ。覚悟決めやがれセイル。この中でアークをブッ倒して、指揮系統を一時的に壊す。それが一番安全な手段なんだ」
言いながらシングラティオの視線はアークから離れていない。
いないが……先程のような神速の動きを見せることはない。
「ちょうどいいからよ、セイル。お前、アーク倒して来いよ。それが助けられる側の礼儀ってやつだろ?」
「……」
シングラティオの瞳は、本気そのものだ。ここで断ればどういう行動に出るか分からないと、セイルはそう直感する。
そしてシングラティオの言うことが恐らく正しいのだろうとも感じていた。
この場にいる蟲人達がアークの部下であり統制されているのならば、司令塔であるアークの撃退によってリンクのようなものが途切れる可能性はある。
そして、セイルがアークの相手をするということは。
「……2人の事は頼んでいいんだな?」
「任せろ。指一本触れさせねえ」
「頼んだぞ」
ヴァルブレイドを握り進み出るセイルに、アークは明らかな舌打ちをする。
「ナメられたものだね、僕も」
「……アーク。俺は、お前と仲良くできると思っていた」
「そうかい。人間風情が思い上がったものだね」
この数日は、全て罠だった。出会いから、アークの語った想いも、何もかもがセイル達を信用させ確実に殺す為の罠だった。この隠れ里も、恐らくはセイル達を逃がさないためだけに作られたものだった。
黒の月神の影響下にあるせいなのだろうと思ってはいても……やはり、辛い。
そして許せない。セイルの信じる絆の力を嘲笑う黒の月神が。許せない。
だからこそ、セイルは自分の心を鎮めていく。ヴァルブレイドを、決意と共に構える。
「いくぞ、アーク」
「やってみろよ、セイル」
対するアークは、素手。いや、その硬い外殻に覆われた肉体こそが武器であり防具なのだ。
だからこそ、アークの瞳には絶対なる余裕がある。
「全員、突撃。圧殺しろ」
その号令と共に蟲人達が一斉に隠れ里へと流れ込み、セイルとアークが交差する。
ギイン、と響く音は互いが互いを弾いた音。響くと同時に振り返り、更なる一撃を加えていく。
「その程度か、セイル!」
「言ったな! ならば受けろ! ヴァル……!」
「遅い!」
セイルのヴァルスラッシュを誘ったアークの拳がセイルに叩き込まれ、連撃の蹴りと電撃がセイルを吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
だが、セイルは倒れない。この程度ではまだ、倒れるわけにはいかない。
「溜めのある技を僕に撃てると思うなよ、セイル。それしか君にないなら、終わりだ」
それしかない。1人のセイルには、それしかない。
此処には隣に立っていたアミルもいない。イリーナもいない。
セイルは懐の白いカードの事を一瞬考えて。
「……なら、溜めのない技を見せてやればいいじゃない」
闇纏いを使ったのか、蟲人であふれる中をすり抜けセイルの隣にやってきていたウルザが、セイルの肩を叩いた。
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