その夜

 王城のバルコニーから、セイルは明かりの灯る城下町を見下ろしていた。

 ガチャから出た仲間達が住むには王城で事足りていた為、城下町は劣化しないように掃除する程度で済ませていた。

 しかしヘクス王国からの避難民達が住み始めた今、城下町には確かな生活の輝きが現れ始めていた。

 勿論、良い事ばかりではない。

 ヘクス王国の避難民の中に居た貴族や役人からの売り込みも激しかったとタスリアからあの後に報告もあった。


 元々ヘクス王国は領土が狭く貴族は城勤めであった為、そうした能力が自分にはあると主張する者が多いらしい。

 勿論、それは多少の誇張はあっても事実だろう。これから国を動かしていくにはそういう者達を登用していく事も重要だろうが……そのついでとばかりにセイルへの娘の売り込みは勘弁してほしいところだった。

 お側付きのメイドにどうですか、という話が出た時点でタスリアは「検討いたします」と濁していたらしいが……その目的はあまりに見え透いている。


「権力に陰謀と色事は付き物……か」

「お金もですよ!」


 呟いたセイルの背後から現れたのは、コトリだ。

 何かを分かったような……何を分かったのかは不明だが、そんな理解ある人間の顔をしている。


「陰謀も色事も、その背後にはお金が絡みます。ああ、素晴らしきかな権力に絡むドロドロ! 商機の香りがします!」

「それは御免だな。俺は、俺の部下にも清廉であってほしい」

「理想論ブチあげてきますねー。僭越ながら、めっちゃ無理だと思います」

「そうか?」


 苦笑しながらセイルが言えば、コトリは「そうですよ」と頷く。


「今居る人達はともかく、今後現地採用したら汚職もたくさん出てきますよー」

「……かもな」

「それだけじゃないですよー。セイル様に自分の娘とか嫁がせて、王子が出来たらセイル様の毒殺狙う輩も出るかも……」

「そんな手が効くとは思えんがな」


 何しろセイルにはアンチポイズンがある。

 セイルを殺し得るような即死毒でもなければ、効くと思えなかった。

 そして、何よりも。


「そんなものは、私がいる限り無駄ね。暗殺者の類が潜り込んでれば、すぐに分かるわ」


 暗がりから、ウルザがスッと姿を現す。

 影纏いの効果だろうか、セイルにもいつから居たのか全く分からなかった。


「うわ、いつから居たんですかウルザさん。めっちゃヒクんですけど」

「別に貴方に好かれようとは思わないわよ。ていうか、貴方の立場だと汚い金の流れを潰す役目でしょうに」

「分かってますよー。汚いお金は全部私の懐に収まって綺麗になるって訳です」

「国庫に入れなさいよ」

「ひゃだー。わはひのおふぁねへふー」


 ウルザに頬を抓られて尚主張を曲げないコトリだが、いつも通りではあった。

 そう、コトリはお金に煩い性格なのだ。

 セイルが1ゴールドで10連ガチャを引くと知った時、横に張り付いて悲鳴をあげたり歓声をあげたりと一番煩かったのは実はコトリだったりする。

「セイル様のゴールドイーター!」と叫んだ時には飛び込んできたアミルに耳を引っ張られ部屋の外に放り出されていたが……まあ、それはさておき。


「だって国庫に入れたってセイル様のガチャで虚空に消えるじゃないですか! お金ってのは回してナンボなんですよ!?」

「そういうとこよ、貴方?」

「いひゃいー!」

「ウルザ、程々にな」


 セイルがそう言って仲裁すればウルザは渋々といった様子で手を離すが、コトリはチャンスとばかりにセイルの背後に潜り込む。


「セイル様だってそう思いますよね!? あんなお金が消えて失せるガチャなんかより私の懐に入った方が」

「いや、ガチャは素晴らしいだろう。何も憂いが無いなら、永遠に引いていたいぞ」

「ダメだこの人! あ、いや今のは比喩的意味でふぎゃー!」


 ウルザに捕まって絞められているコトリ……明らかに手加減しているのでセイルはそのまま放置して、セイルは空の月を見上げる。

 今夜の月は、緑色。

 惑いの緑の月。何が起こるか分からず、常識を超えた何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。

 今のところ何かが起こった事は無いが……世界の何処かでは「何か」が起こっているのかもしれない。

 可能であれば、それが人間にとって不利な何かで無ければよいとセイルは願って。

 ふと、小さな何かがバルコニーに向かって飛んできている事に気付く。


「カブトムシ……?」


 そう、それは随分と立派な大きさの、緑色のカブトムシだった。

 光沢の強いエメラルドのような輝きを持つソレは、セイル達の居るバルコニーに向かって一直線に飛んでくる。


「わ、立派ですねえ。上手く繁殖させたら人気商品になりそうですけど」

「光に引かれてきたのかもな」


 虫の類は光に寄ってくる性質があるらしいとはセイルも聞いたことがある。

 カブトムシだって例外ではないだろう。

 カブトムシはやがてバルコニーにとまり、セイル達に挨拶をするように触角を動かす。


「ふふ、挨拶してるんでしょうか」

「かもな」


 なごむセイルとコトリとは異なり、ウルザは無言。

 カブトムシをじっと見ていたウルザは……「変な虫ね」と呟く。


「そうか? 珍しい虫だとは思うが」

「その虫から明確な意思をもった視線を感じるわ。何か変よ」

「考えすぎじゃないですかあ?」

「……いや、そこの彼女の言う通りだ。凄いな、『白』の奴の賭けは成功ということかな?」

「しゃ、しゃべったああ!? セイル様、これください!」

「ウルザ!」


 ウルザが素早くコトリの口を塞いで黙らせると、セイルは最大限の警戒を込めてカブトムシを見つめる。

 今、このカブトムシは「白の奴」と言った。

 

 緑の月の夜に現れた、人語を介する緑色のカブトムシ。

 それの言う「白の奴」とは……恐らくは。そして、そうであればこの緑のカブトムシの正体は。


「お前は……いや、貴方はまさか」

「ああ、話が早くて助かる。そうだ、私は緑の月神と呼ばれている……お初にお目にかかる、人間の英雄よ」

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