二章 『穏やかな煉獄』 ②


「随分と御苦労ごくろうされたのでしょう、どうぞお入りください」

 モニターに映っていた男、ボドレ・サーノが先陣を切って私達を出迎えた。

 扉を潜ってすぐにえた臭いが鼻を刺し、エリス様が目を細める。

「招き入れて頂き、感謝します」

 中は工場の様な様相ようそうで、無骨で巨大なパイプがひしめいていた。どうやら、内部の施工途中に例の災害が起こったらしい。技師の不在により、生活する上で特に不自由しない場所は仮設のまま放置されている様子だった。廊下に僅かな溝が出来ている場所も、あり合わせの布などを噛ませた程度の補強しかされていない。

 地下に繋がる螺旋階段の先は居住区と直結しており、長い廊下の両翼に等間隔で扉が並んでいる。個々の扉には様々な文字が彫られ、それが部屋に暮らしている人々の名前を示しているようだ。

 入口こそ球形だったが、地面に埋まったシェルター内部は巨大な箱型をしているらしい。丸みの無い、直線と鋭角で構成された光景には、冷たさと不気味さを覚える。

「……あのシェルターを目指すなんて正気ではない」

 地下最下層にあたる三階。その制御室兼会議室で、私達は事情を問いただされていた。

 私の隣に立つエリス様はマスクを外せてご満悦の様子だ。

 私は常に彼女の姿を視界の端に収めつつ、事情をなるべく細かに説明していた。どうやら目の前の男が代表者のようで、半信半疑の視線で私をねめつける。彼の背後には四人の側近が居て、彼らも隠す事無く同じ表情を晒していた。

 当然だ。私も同じ話を聞かされれば疑って掛るだろう。

 それほど、無茶な事を私達はしようとしている。否、しているのだ。

「分かりました、信じましょう。滞在期間はどのくらいをお考えですかな?」

「ほんの少しの間、休ませて頂ければ。それと、この辺りの天候変化は分かりますか?」

 彼らは顔を見合わせ、首を振る。

「中の事で精いっぱいで、外の事までは分からんのです」

「そうですか。では、次の砂嵐が来て、去った頃に出て行きます。その間だけでも……」

「いいでしょう。もてなしは出来ないが、よろしいですかな?」

「はい、受け入れて頂けただけでも十分です」

 予想外にあっさりと許可が下りた事に私は拍子抜けし、しかしすぐさま深く頭を下げて感謝の意を示した。私達には地下二階最奥の部屋を宛がわれる事になった。

 トイレや給湯室からは遠い位置だが、文句がある筈も無かった。彼らにとって私達は得にならない珍客なのだから。

「体がザラザラする……」

 部屋で一息ついた事で気が緩んだのか、分厚いローブを脱いだエリス様の開口一番の台詞はそれだった。私は苦笑いで彼女にここで待つように言い、トイレの洗面所で布切れに水を浸して戻り、彼女の肌を丁寧に拭いて行く。

「空気もなんだか臭いし」

「循環装置が上手く機能していないのかもしれませんね。それに、毎日お風呂に入れるような環境でもなさそうですし」

 出迎えてくれた男達も、決して清潔とは言えない身なりだった。会話の手ごたえから察するに、シェルターの外に出る事も無いようだ。

 ここの食料備蓄は、後どのくらい持つのだろうか。入口付近が施工途中だったので、備蓄もたらふくある訳ではない筈だ。

「……これでは消耗するだけでしょうに」

「何か言った?」

「いえ、エリス様には関係の無い事ですよ」

 私は誤魔化して、にっこりと笑う。

 洗面所の水も、浄水機能が行き届いているとは言い難い。飲み水と区分する為にを制限しているのかもしれないが、そうせざるを得ないほどにひっ迫しているとも言い換えられる。

「どのくらい、ここで休むの?」

「まだ嵐が来ていませんから何とも言えませんが、少なくとも二日は滞在する事になると思います。エリス様はその間に十分休んでください。疲れたでしょうし」

 水質や環境の問題を抜きにしても、砂嵐を凌げる場所はありがたい。

「遅くなりましたが、夕食にしましょう」

 私は荷物の中から、乾燥肉と固形スープの素を取り出した。給水区画でお湯を調達した後、その二つを其々別の水筒のコップに入れてお湯を満たす。

 水と乾パンと違い、温かい食事を取れるのも魅力の一つだった。

 エリス様はスープの入ったコップを両手で持ち、口で風を送って少し冷ましてから口を付けた。

「あったかい……」

 彼女の安堵の息に、私も釣られて表情が綻ぶ。

 その日は夕食を終えた後、壁から引き出すタイプの平たく固いベッドにローブを敷き、早々に就寝する事にした。

 エリス様も表向きは気丈に振る舞っていたが、相当に疲労が蓄積していたらしい。身を横たえて数分も経たず、微かな寝息が部屋の中を満たした。

 私も当面の不安を脇に追いやり、彼女の傍に身を横たえた。

 久々に安らかな夜を過ごした翌日。

 疲労の為か、エリス様が目覚めたのはお昼の少し前だった。

 朝食を兼ねた昼食を取った後、天候のチェックの為に二人で指令室に向かう。

「君達は本当に運が良かったようだね?」

 部屋に入って早々、ボドレはモニターを指した。

 そこには、見辛いながらも砂風が激しく吹き荒ぶ光景が映し出されている。

「風が吹き始めたのは恐らく、君達が来た四時間ほど後だ」

「そう、ですか」

 やはり、街についた段階で野宿をする事を選択しなくてよかった。

 もしそうしていれば、シェルターを目前に最悪の足止めをされていただろう。

「この規模の嵐なら、三日以内には収まるだろう」

 彼の声音には、僅かに安堵の色が伺えた。得体のしれないよそ者を置いているのだ。出て行って貰うなら早い方が良いに決まっている。

 私はそれに気付かない振りをしつつ、改めて事情の再確認と私達が住んでいた海岸付近の様子を伝えた。尤も、彼らは殆ど興味が無いという様子だったが。

 薬にもならない情報交換を終え、私達は部屋への通路を引き返す。人と会話をするのはこれほどまでに気を使う作業だったかと私は首を捻りたくなるのを必死に堪えなければならなかった。

 エリス様もこのやり取りに辟易した様子で、無言のまま通路を歩く。

「……もしかして、エリスちゃん?」

 突如、背後から声をかけられて、私達は驚きと共に振り返る。

 そこには、みすぼらしいローブに身を包んだ少女が立っていた。

「もしかして、ベンネ?」

「やっぱり、エリスちゃんだ!」

 二人は言葉少なく表情を綻ばせ、どちらからとなく駆け寄って抱擁を交わす。

 ベンネ・ヴェルチェ。エリス様の学友で、何度か屋敷にも遊びに来た事があった。

 あの頃は目がくりくりとして、背も低く可愛かった。エリス様と同じくブロンドの髪に、少し焼けた肌で、頬には雀斑が浮いていたのを覚えている。

 今もあの時の雰囲気は消えていないものの、髪は男性の様に短く切り揃えられ、長い地下シェルター暮らしの為か、肌はエリス様よりも血色が悪い。満足な食事も出来ていない様子で、背もエリス様が親指の爪一つ分ほど高く、並ぶといっそう痩せこけて見えた。

「どうしてエリスちゃんがここに?」

「私、東のシェルターを目指してるの!」

 思えばこれは、エリス様にとっては実に四年ぶりとなる、私以外との会話だった。

「皆もここのシェルターに居るの?」

「ううん、私だけだと思う。他の皆は、指定された別のシェルターに行ったんじゃないかな。私はここにおばあちゃん達が住んでたから」

 ベンネの言うように、緊急の際に避難するよう指示されていたのは、街から南西約六キロの地点にあるシェルターだ。私達が道中で寄らなかったのは、目的地から大きく逸れる位置にあった為だった。

「そうなんだ。家族はみんな元気にしてる?」

 エリス様の問いに、彼女の表情が露骨に曇った。

 しかし、気丈にもすぐさま笑みを取り繕い、目を細める。

 直視したくない現実から目を背けるように。

「うん、一応ね。エリスも元気そうでよかった」

 そうして彼女の視線が一瞬、私に向いた。戸惑いを含んだ、微妙な視線。

 私はあえて声を発さず、深く会釈する事でそれに答えた。

「それで、ここにはどのくらいの間いるの?」

「分からないけど、砂嵐が止むまで。大体、二日ぐらいだと思う」

「そっか……」

「私達は二階奥の部屋を貸して貰っているんだけど、ベンネは何処の部屋を使ってるの?」

「えっと、この階の少し行った辺りかな」

 彼女は半端に腕を上げて、人差し指を廊下の先に向けた後、「左に曲がるの」と指を鍵型に折った。

「そっか。色々お話がしたいから、よかったらまた会えないかな?」

「勿論。ここって、同い年の子が殆どいないから、話相手に困ってたの」

 互いに意気投合して手を取り合った後、「また後で」と別れた。私は目に見えて上機嫌になったエリス様の後ろに従って、部屋へと戻る。

「まさかベンネに会えるなんて!」

 私も隣に居たと言うのに、エリス様は興奮気味に捲くし立てた。

「そうですね。まさかこんな所で」

「うん。あの日以来、皆がどうなっちゃったのか分からなかったし」

 世界の崩壊が始まったあの日。災厄の備えが万全では無かった人々は、始めて遭遇する巨大な天変地異になす術なく飲み込まれた。それを辛うじて耐え生き延びた人々さえ、各地に建設中だったシェルターへの避難を余儀なくされたのだ。

 災厄が訪れたあの日――。

 外が混乱の渦にのまれる中、私達は屋敷の中で茫然と窓の外に広がる混沌を見守る事しか出来なかった。激しい嵐が吹き荒ぶ中で他の人々を屋敷の中に招き入れる余裕は無く、一カ月に及ぶ長い嵐が過ぎ去った後、街は無残に変わり果てた姿で、その裾野を荒れ狂う土色の海に浸していた。

 どれだけの人間が無事に街から逃げ果せる事が出来たのか、私達には分からなかった。街に残った僅かな人々に聞いてもみたが、帰ってくるのは「自分の命を守るのに必死だった」という返事ばかり。

 それ故に、街からの生存者を確認できた事はとても大きな収穫だった。生き延びた知人が居るという事実は、エリス様の両親が無事に生き延びているかもしれない、という希望を肥大化させる。

 しかし、それが良い方向ばかりに働くとは限らない。

 些かの不安を覚えつつも、表向きは笑顔を取り繕う事しか出来なかった。



 エリス様はあまり友達を作るのが得意は方では無かったと記憶している。

 両親が有名な研究者であるという点を差し引いても、その血の流れを汲むエリス様は、どこか浮世離れした、天才肌の気質に近かった。悪く言えば、唯我独尊ゆいがどくそん

 周囲との協調は二の次だった印象がある。

 加えて、彼女の両親があの場所に屋敷を構えたのは、研究所までの交通の便を考えてであり、その土地の風土や人々の気質までは考慮されていなかった。

 そんな数多の些細な理由が重なってか、エリス様が脹れっ面で屋敷に帰ってくる事はよくあった。とはいえ、虐められていた訳ではない。

「だってジュゼ、私のお人形をアマルタが取って、全然返してくれないんだもの!」

 喧嘩の理由も、些細なもの。エリス様は昔から規則を守る事に対しては神経質すぎるほどに誠実で、それを他人に強要する節があった。この行動は周囲の親に歓迎されたが、自由に走り回りたい年頃の子供達と衝突するには十分過ぎる理由だった。

 第一にエリス様がそこまで規則を守る事に神経を尖らせるのは、やはり月に何度かしか両親が帰って来ないという特殊環境と、私の言いつけが元凶だった。

『良い子にしていれば、ご両親もお喜びになります』

『私、良い子になる。良い子にしてれば、パパとママも、もっと帰って来てくれるよね?』

『ええ、間違いありません』

 普段の会話の一部のつもりだったこの会話はしかし、エリス様の心の中にしっかりと根付き、行動の方向性までも決めてしまっていた。私が彼女と過ごして来た中での失敗を上げるとするなら、真っ先にこの出来事が口をつくだろう。

 そんな事情もあり、エリス様は男女問わず諍いを絶やさなかったが、皆に嫌われているという訳では無かった。少なくとも、その真っすぐな姿勢に惹かれる子も居れば、喧嘩が絶えなくとも仲が良い友達も両手の指を超える数は居たと記憶している。

 彼女の喧嘩の原因は往々にして些細なことなので、尾を引く事は殆ど無かった。

 しかし唯一、――あれはエリス様が九歳を迎えた年の八月。

「ロアーティなんて大っきらい!」

 エリス様が癇癪を爆発させる出来事が起こった。

 彼女は普段、何かに苛立って居る時もその実、冷静な部分が何処かにあったのだが、その日だけは違っていた。開口一番に相手を罵倒する言葉を吐きだし、それでも収まらないと床を強く踏みつける。

 私は彼女のそんな姿を見るのが初めてで、どう声をかけていいのか分からずにしばし呆然と立ち竦んでしまった。

 それからエリス様が落ち着くまでに約数分。

 泣きじゃくる彼女に事情を問い質してみると、どうやら大切にしていた髪飾りをロアーティが壊してしまったという事らしかった。

「エリス様、落ち着いて下さい。彼女も、わざとでは無かったんでしょう?」

「そんなのっ、解からないじゃない!」

 エリス様が感情に赴くままに相手を非難するのは珍しく、私は苦い笑みしか浮かべる事が出来なかった。彼女の半ば理不尽な怒りを受けて、どう反応していいか全く分からない事に気付いて途方に暮れる。普段のエリス様が、どれほど論理的な思考をしているのか改めて思い知らされた。

 ここまでエリス様が激昂する理由になった髪飾り。これは、彼女が七歳の誕生日に両親に送られたプレゼントの一つだった。

 彼女は大切なものは仕舞い込まず、身に付けるタイプだった。

 友達から貰った消しゴムや筆記用具も惜しげもなく使い、引き出し奥の肥やしになる事は無かった。

「折角、その為に貰ったんだから使ってあげなきゃ失礼よ」

 それがエリス様の持論だった。故に、壊れた髪飾りも週に二度、三度は身につけて出掛けるのが常だった。私はエリス様から壊れた髪飾りを受け取り、しげしげと眺める。

 銀のコーティングがされた髪留め部分の上に、桃色の蝶があしらわれたデザイン。使い込んでいる故か、コーティングは一部剥げ、蝶の輝きも幾分かくすんでいる。

 そして蝶の四枚の翅の内、左側の二枚が付け根付近から折れてしまっていた。

 ――寿命、だったんでしょうね。

 これだけ使い込まれれば、髪止めも本望だっただろう。

 きっと、今日のきっかけが無くとも、近い将来に壊れてしまった筈だ。エリス様の言うロアーティは、その外れクジを引いてしまっただけ。

 しかし、それを素直にエリス様に伝えていいものだろうか。

「エリス様。形あるものは、いつかは壊れます。壊れてしまった髪止めは直りませんが、これと一緒にお友達まで失くすのは良くありません」

「ロアーティなんて友達じゃない!」

「本当に、そう思っているのですか?」

「……ッ」

 エリス様は口籠り、私が更に言葉を続けようとするとその肩を手で跳ねのけ、「ジュゼなんて嫌い!」と言って自分の部屋に閉じこもってしまった。

 彼女の機嫌が直るのに半日。私はご両親に連絡を取って事情を話し、新しい髪止めを用意できないか掛け合った。お二人は私からの連絡に酷く驚いた様子で、しかし事情を知ると電話越しに了解の返事をくれた。

 しかしながら、この一件の顛末は私が心配していたよりも、実にあっさりとした形で解決する事になった。髪止めを壊してしまったロアーティがエリス様と仲直りする際、新たな髪止めをプレゼントしたのだ。

 その髪止めがエリス様の新しい宝物になったのは言うまでもない。元の髪止めよりも値段や見た目は劣るものの、エリス様にとっては些細な事。

 エリス様のご両親が用意した新しい髪止めは何故か、お返しとしてロアーティの手に渡る事になった。それがエリス様りゅうのけじめだったのだろう。

 あれから数年。その思い出の殆どは屋敷の中に置いて来てしまったが、エリス様がご友人達の事を忘れた日は無かった筈だ。ベンネと再会した際に見た彼女の笑顔に私は確信していた。どれだけ世界が荒廃しようとも、友情という名の絆は決して解れる事が無いと。


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