幕間 1
轟々と吹き荒れる氷混じりの砂塵の中を、私はおぼつかない足取りで懸命に進んでいた。
みすぼらしいボロ布を三重に重ねた赤茶色のローブを身に纏い、無数の摺り傷が刻まれたゴーグルで、数メートル先もろくに見えないその先を懸命に見通そうと目を細める。
背中には、ずしりとした確かな感触が乗っている。
左手を後ろ手にして何とか支えつつ、懸命に前へ、前へ。
「……この辺の、筈なのですが」
この周辺には森の木々に囲まれた小さな山村があった筈なのだが、人の暮らしていた痕跡は愚か群生していた筈の木々さえも完全に消え失せ、今や視界に映るのは一面に砂化粧が施された丘ばかりだった。
天は相変わらず浅黒く分厚い雲に覆われ、風を止める事も、日の光を覗かせる事も無い。
私の目指している場所は、確かにこの近くの筈。
しかし、一向にその姿が見当たらない。
まさか、砂の中に埋まってしまったのだろうか?
そんな考えが頭を過ぎり、私は憶測を振り払う様に更に一歩を踏み出す。吹き付ける風は冷たく、茶色い氷粒がローブに纏わりつき、濃い染みの斑模様を作っていた。
場所を確認しようにも、この砂嵐の中で端末を取り出す事は不可能だ。何より、私の背中には守らなければならない大切な人が乗っている。片手を開ける事なんて出来ない。
どこか、休む場所さえあれば。
そんな私の思いが天に聞き届けられたのか、狐の耳の様な形状の窪みを見つける事が出来た。
「少しは、休めるかもしれません」
背に負ぶった少女に声をかける。浅い息が、防塵マスクの下から聞えた気がした。
近寄ってみると、それは何かの残骸で出来た横穴の様で、予想外に人が三人も収まれるほどのスペースがあった。この辺りの砂嵐は一方向に流れているらしく、穴の中に滑り込むと、外の嵐が嘘のように穏やかな空気が凝っていた。
私は彼女を背負ったまま、小刻みに震える右腕で己のローブの奥をまさぐり、液晶部分が罅割れた小さな電子端末を取り出す。目的のシェルターの位置を知らせるそれは、私達がシェルターの近くまで到達している事を示していた。
端末の位置情報を確認して、進むべき方向を定め直す。
この砂嵐が吹き荒ぶ方向に、それはある筈だ。端末を懐に仕舞い直そうとして、しかし取り落としてしまう。細かな砂埃が宙に舞い上がり、小さな渦を描いた。
意志とは別に小刻みに震える右手は、ほぼ死んだのも同然の状態と言える。
「……大丈夫です、もうすぐ付きます」
己に言い聞かせるように、一度大きく息を整えてから端末を拾う。
そして再び砂塵の中へと身を躍らせた。風の吹き荒ぶ方へと足を向け、強い風に背中を押されながら前進する。向かい風よりはマシだったが、所によって足場が悪く、くるぶしの辺りまで足が沈み込む事があった。
私は砂に足を取られて転倒しないように、慎重に歩を進める。
――進めていた、つもりだった。
左足を踏み出した途端、体が斜め後ろに傾ぐのが分かった。
不味い、と感じた瞬間に体を前傾に倒し、右足を踏み出してバランスを取ろうとする。
しかし、その右足も砂に取られていた。この時になってようやく、急な傾斜に足を踏み出してしまっていた事に気付く。
見下ろす傾斜の先は、巨大な崖のように落ち窪み、底が見えない。
――早く足を引かないと。
そう思うにはもう遅い。
周囲の砂が私の脚を誘ってサラサラと崖下へ流れ、強風もまた身を引こうとする私をあざ笑うかのように、一層強く私達の背中を押した。
とうとうバランスが崩れ、前のめりに腹を打ちつける形で倒れる。
砂に運ばれるままにゆっくりと崖の縁まで運ばれ、砂を掴む以外に碌な抵抗も出来ぬまま斜面を滑落する。
ざりざりとローブが砂を擦り、流されるままに崖を転がり落ちて、天地が分からなくなった頃――ようやく、止まった。
「助かった?」
風が止んでいた。左手で地面を押して立ち上がり、眼前の光景に息を飲む。
「……こんな、所に」
私の探し求めていたシェルターが、そこにあった。直径百メートルはあろうかという半円のドームが、崖の底に収まっている。
私は呆気に取られ、続いて落ちて来た空を仰ぎ見た。砂嵐は崖の遥か頭上を通過するばかりで、渓谷の底に風は届いていない。上の惨状が別世界の出来事であるかのように、シェルターは静かに、堂々と鎮座していた。
私はそれから一旦視線を外し、背中が軽くなっている事に気付き、慌てて周囲を見回す。
果たして少し離れた場所に彼女の姿を見つけ、慌てて駆け寄って抱き起こす。
「……よかった。着きました、着きましたよ!」
少女がゆっくりと、目を見開いた。
どうやら、上から流れ落ちて来ていた砂が、谷底に丁度いい具合の緩やかな傾斜を作っていたらしい。そのおかげで私達は地面に叩きつけられる事無く、無事に降り立つ事が出来たのだ。
私は体を捻り、彼女にもシェルターが見えるように向きを変えた。
「やっと……やっと、着いたんだね」
「はい、着いたんです。助かったんです!」
長すぎる、旅だった。
私は彼女を背負い直し、砂の傾斜を下ってシェルターの外壁に左手を添える。何処かに、入口がある筈だった。私は反時計回りに外壁に沿って歩き始める。
シェルターが機能していない可能性もあった。しかし、よく見るとシェルターの周囲に纏わりつく砂が取り除かれた形跡が見受けられる。
どうやら、定期的に砂に埋まらない様に砂掻きを行っているらしい。
つまり、このシェルターは生きている。
私は防塵マスクの下で頬を綻ばせ、一歩一歩着実に外周を半時計回りで進んで行く。
そうして三分の一ほど回った所で、遂に人影を発見する。
その姿に、私は自然と足が速くなるのを押さえられなかった。
「やっと、やっと着いた……」
その声が聞こえたのか、あるいは私の姿が見えたのか。
驚きの表情を浮かべる二人組が、足早に私達の元へと走り寄って来た。
「お、おい、何処から来たんだ」
私は事情を説明しようとして、しかし何から話したものかと喉を詰まらせる。そして身ぶり手ぶりで、背中に背負う少女を示し、身分を示すネームカードを取り出す。
「はやく、この子に治療を……」
タグを手渡すと同時に、ようやく言葉が出た。二人はタグを確認して驚きの表情を浮かべ、そしてローブの中を覗きこんだ後、更に驚きの表情を浮かべた。
「……とっ、とにかく此方へ」
二人に促されるまま、私達はシェルターの中へと足を踏み入れる。
――そう。この時にようやく、私達の過酷な旅は終わりを告げたのだ。
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