前篇
第1話
ディストリア大陸はキュレイス山を掘り進んだ廃坑の立入禁止区域より戻ってきたキライヴは、白灰色の布鞄を左手に携え、入り口を塞いでいた縄を右手で持ち上げた。隙間を縫うよう慎重にくぐり終えたところで、遠吠えに似た叫び声に出迎えられ、その方向へ顔を向ける。途端に狼狽したピスタが彼に飛びついて、今にも泣きそうな顔でもう一度キライヴの名を呼んだ。
「キライヴさん、たいへんです!」
「どうしたんだ?」
ピスタは言葉が出るよりも早くキライヴの服の裾をつかむと、先を急ぐよう強く引っ張ってみせた。キライヴは顔をしかめつつピスタの手を退けると、共に先へ進み始める。
「セレ姉さんが食べられてしまって」
「セレネアが?」
裾から手を離したピスタとキライヴの歩度が早くなった。
「今アムリが応戦してるんですけど」
キライヴは坑道の暗がりを駆け始めた。
ピスタもつま先と両手指を丸め、地面と壁を蹴りつけながら跳び追いかける。
「どんなやつだ?」
「虹色に輝く化け物なんです。丸くブヨブヨしていて、伸びてきた腕が地面を割るくらい硬くて、口みたいにからだが大きく開いたかと思うと、姉さんを一飲みにして……その途端にものすごく大きくなったんです」
語尾が情けなく震えているピスタがキライヴに追いつくと、彼は駆ける速度を落とし、しばし考え込む。経験と心当たりに頷くと、先に走るピスタに呼びかけた。
「ピスタ、お前は雷撃陣式の準備をしておけ。アムリと連携を取って様子を窺うんだ。攻撃の要めはお前に任せる」
「う、撃ち込む気です? 姉さんが飲み込まれたままですよ?」
不安がるピスタにキライヴがひと言告げる。
「ピスタの言う化け物が、俺の予想通りなら問題ない」
キライヴは再び加速してピスタと横並びに駆けていく。
しばらくすると、松明を要さないほどに明るい光が奥から差し込み、ピスタが先を指差し声をあげた。この先にそれは居るという。
キライヴは駆ける速度を上げ、剣を抜き払って足を踏み込み、そこへ飛び込もうとした。しかし、入り口一歩手前で正面から吹っ飛んできた人影を視界に捉えると、握りしめていた剣を手から離し、その人影が地面へ落ちる前に両腕で抱き止め、屈んで衝撃を受け止める。
すかさず顔を上げると、その先には巨大な煌めきがうごめいていた。
「やはりネフラリム(好星力軟鉱体)か。あれは
「キライヴの旦那……セレネアさんが」
キライヴの腕の中でアムリが今にも泣き崩れそうになっている。キライヴはアムリを降ろすと、ピスタから剣を受け取り、二人の背中を叩いて激した。そして、中にいるセレネアは無事であること、これから救い出すことを二人に告げ、協力を願い出る。
すると、それまで青ざめていた二人は彼の言葉を受け止め、願っても無いことだと揃って威勢良く返事をした。
元気を取り戻した二人に頷くキライヴは、目の前の化け物に視線を戻す。
広場には、錆びれたレールと捨石の痕跡、壁には比較的新しい燭台が備わっており、天井は大きく穿たれて広範囲に陽が差し込んでいる。
足元に深緑の苔が生え揃う中、その水玉とたゆたう霞を打ち消して彼らの前に立ちはだかるのは、半透明に白濁し、陽の光を取り込んで、広場全体に七色を撒き散らす不定形の化け物だった。その大きさは広場の半分以上を占め、水中を昇る気泡のような形状と挙動をし、表面が滑らかに波立っている。
目玉とおぼしき漆黒の球体が彼等を捉えると、それは体躯を大きく震わせ始めた。
「いいか二人とも。ネフラリムはあの黒い目玉の裏側に紅い三つの斑点がある」
キライヴが指差す目玉の奥には、半透明に加え陽光の眩さで視認しにくいが、微かに色の異なる斑点が見えなくもない。
「アムリ、フィルターで確認出来るな?」
アムリはまぶたをつむり、視界を閉ざしたまま、ネフラリムの目の方角を見つめる。
「はい、三つそろったくぼみがくっきりと」
「よし。アムリはその斑点目掛けて剣を突き立てろ。ピスタはそこへ雷撃を撃ち込むんだ。陣式の準備はできてるな?」
ピスタは自信に満ちた表情で、返事代わりに雷撃の陣式が記述されている皮紙を見せびらかした。
「あいつの気は俺が惹きつける」
キライヴは布鞄を通路へ放り、二人の前に歩み出ると、ネフラリムを見据え、腰を屈めて剣を手前に構える。
「散れ!」
彼の号令に合わせ少年少女がその場から離れると同時に、ネフラリムから枝分かれした無数の腕が、風音を吹きキライヴ目掛けて突き進んだ。
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