ハグルマ狩り(完全版)

たびー

ハグルマ狩り

「きれいな時計ですね」

 ヴィルト卿の糊のきいた袖口からのぞく、左手首の腕時計が、ふと目に止まった。

「さすがはお目が高い、ジーモン坊や」

 その言葉に思わず眉間にしわが寄る。署名され捺印された書類を脇にどけながら、ヴィルト卿は頬をほころばせた。

「おや? 坊やとばれるのが不服かな。そういえば、先日成人のお祝いに呼ばれたばかりでしたね。この爺を大目に見て欲しいな。わたしは君の祖父の代からの旧知の仲だ」

 首を傾けると長い白髪が、背にした窓からの光に銀色に透ける。染みや皴のないみずみずしい肌。自身を爺と言いながら、この人はぼくが幼い頃から少しも変わらない。

「こんどそちらと取引する、薔薇香碩ばらこうせきを台座に使った腕時計です。よい香りでしょう?」

 差し出された、ほのかに紅色の時計の台座は確かに薔薇の香りを漂わせた。薄い水晶の覆いの下で、金や銀の歯車が繊細に動いているのがよく見える。

「特注品ですか。素晴らしいです」

 ヴィルト卿の住まうシェラーの城下町では、上質な精密機械が盛んに造られている。自動車オートモービルや船舶の部品も、飛行船や飛空艇のエンジンも。すべてが一級品。これも、きっと腕の立つ時計職人が卿のために制作したのだろう。職人の粋を集めたような逸品だ。

「特別な歯車で作られているものだからね」

 慈しむように、ヴィルト卿は時計を見つめた。

「ほら、青と白金の歯車が見えますか。これには物語があるのだよ」

 卿は執事にお茶の支度を言い渡した。



★ ☆ ★ ☆


「ハグルマ狩りを見かけたそうだ」

 香碩を、買い付けの高い窓口に差し出したリラの手が止まった。

「二十年ぶりぐらいか? 法王さまが、ハグルマ狩りを出したのは。前の時には鉄馬を作られたが、こんどは空を飛ぶ船でもお作りになるのか」

 野太い男の声にリラは耳をそばだてた。妙にかん高い声が応じる。

「壊れない機械には、生きた歯車がいるからな。わらべ歌のとおりなら、猫のように耳が良く、猫の目を持つ? 捕まって永久に働かされるのはゴメンだ」

 法王が鉄馬を作って以来、貴族や豪商たちもこぞって鉄馬を欲しがり始めた。良質の歯車は、ここのところ長らく品不足状態だ。

 リラの体が震えたのを見たのだろう。不意に男が声をかけてきた。

「ああ、小さなリラ。大丈夫、ハグルマ狩りなんて昔話さ。それに働き者で親孝行したリラは、捕まりっこない」

「そうそう、怖がることなはない。何だったら、俺が家まで送っていこう……」

 煙草の匂いのする男の申し出に、リラはぎこちなく首を横に振った。霞がかった視界に伸び縮みする、大きな影が溜め息をついたことに、冷たい汗が背中を流れた。

「小娘なんぞ相手にしてないで、さっと帰りな」

 店主の女将が怒鳴ると、小さく文句を口にして男たちの足音が去っていった。

「ほら、三百でなら買い取るよ!」

 ふうっと煙草の煙を顔に吹きかけられて、リラはひとしきり咳き込んだ。買い取り店主の意地悪い笑い声と一緒に、紅と白粉の濃い香りもして、リラはわずかに後ずさった。

「おや、いらないのかい?」

 かつん、と煙管を灰皿に打ちつける鋭い音がした。

「さ、三百でいいです」

「お願いします、だろ!」

 金切り声が響いて、リラは膝が震えて杖にすがった。

「まあ、姐さん。そんなに怒鳴らないで。リラがあんまり可愛いからって、僻まないでよ。みっともない」

 柔らかい手が、リラの肩を支えた。ふわりと甘い香りがする。なめらかな肌触りの生地がリラの頬に触れた。

「さあ、持っておいき。遠くからありがとう、リラの持ってくる香碩は、いつも最高級よ。ほんとうに鼻がいいのね」

 リラの小さな手に硬貨を握らせ、ちょんと、鼻先に指があてられた。

「手伝ってくれる人がいるから」

「それはよかったわ」

「目が見えない分、鼻くらいよくなきゃ使い物になりゃしないよ、元貴族さまが」

 リラは杖をぎゅっと掴んでうつむいた。姐さん、と再びたしなめる声がすると盛大に舌打ちするのが聞こえた。温かな手が、ふるえるリラを導いた。

「今日はなんて素敵な服を着ているのかしら。リラの瞳と同じ青ね」

「……このあいだ、町に来た時にいただいて……パンや果物も」

 リラは手ざわりのよい布をさらりと指でなぞって、薄く笑った。

「それは何よりだわ。路面電車に気をつけてお帰り。次に来た時には、わたしも何か贈り物をしたいわ」

「ありがとうございます」

 店と石畳の歩道までの段差につまずかぬよう、手助けしてもらうと、杖をついてリラは頭をさげた。

 埃に重油や石炭の燃える匂いが混じって、鼻の奥がつんとする。大勢の人が行きかい、町工場の喧騒が響く。

 もしリラの目がもう少し見えたなら、林立する煙突から灰や黒の煙が絶えず空に昇るのを目の当たりにしただろう。

 色を見極め、慎重に歩いていたが何かに足を引っかけて、リラは石畳のうえに転んだ。痛さをこらえていると、忍び笑いが行き過ぎる。リラは無言で立ち上がり、停車場を目指した。

 


★ ☆ ★ ☆


「時計の話ではないのですか? 何ゆえめしいの少女の……」

 ぼくの問いかけにヴィルト卿は、お茶のお代わりを白磁のカップに注ぎ、砂糖衣で飾られた焼き菓子をすすめた。

「まあ、お聴き。女の子、リラは路面電車に乗って終点まで行くと、町外れの森へと、杖をたよりに転ばぬよう歩いて行った。きっと気が急いていたのだろうね。一緒に電車を降りた男が付いてきていることに気づかなかった」

 思わず天井を見上げた。なんだか雲行きのあやしい……怪しすぎる展開だ。

「あの……陰惨な物語でしたら、ぼくは聞きたくありませんからね」

「まあ、お聞きなさい」

 卿は話を続けた。



★ ☆ ★ ☆

 

リラは不意に腕を掴まれて悲鳴を上げた。

「なあ、いつまであのボロ屋で暮らす気だ。一人きりで大変だろう」

 若い男の声だった。リラの頭の、はるか上から声がする。

 リラは腰が抜けそうになった。喉が干上がり、奥歯がカチカチと鳴った。

「お、お金ならあげます、はなしてください」

 やっとのことで、しぼりだした言葉を男は聞き流した。

「あんたの目、きれいだ。嬉しいなあ、みんなから好かれているリラさんと一緒に住めるなんて、夢みてえだ」

 まるで熱に浮かされるようにリラの腕を掴み、半ば引きずるようにして歩き出す。

「このあたりも、あんたの家の土地だったんだろう。なに、俺が働いてすぐに買い戻してやるよ。リラは家にいて、ゆっくりしていたらいい」

 いつの間にか砕けた口調になってきている。リラが自分の恋人か妻であるかのように。

 リラは悲鳴をあげた。しかし、それは「声」ではなかった。二人の周りの木々の葉が細かくこすれざわめいた。まるでリラを中心にしてさざ波が起きているかのように、草も木も震えていった。金属の共鳴は、かくやというように。

 男の足が止まった。木々のざわめきに戸惑い気味悪く思ったのか、リラを乱暴に突き飛ばした。いや、男が突き飛ばされたのだ。

「なんだ!」

「レー!」

 自由になったリラは叫びながら走りだした。

 駆けだした方向から、ひゅう、とも、ぎゅうともつかない鳴き声がした。



★ ☆ ★ ☆


「ま、魔物?」

 思わずカップを取り落としそうになった。胸元にこぼしたお茶を、卿から手渡されたナプキンで拭く。

「まさか。でも、まあ、当たらずも遠からず。レーと呼ばれたのは牡鹿だったんだ。牡鹿は立派な角で男を追い払い、リラを助けた」

 なんといきなりの登場。御伽話フェアリーテールか。

「わかりました。その牡鹿は実は森にすむ精霊で、清らかな乙女を助けてくれた、と」

 僕が得意げに語ると、ヴィルト卿は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、くすっと笑った。

「飛行船も飛ぶご時世に、坊やはなかなかのロマンティストだね。先回りしないでおくれ。それに、君の見立ては少しばかり違う」



★ ☆ ★ ☆


 リラは牡鹿の首に抱きついた。

「レー……」

 鼓動はいまだ早鐘を打ち、リラは息をするたび喉が苦しかった。それでも、レーの湿った鼻づらに耳をよせ体の温かさを感じると、少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「レー、逃げなきゃ」

 リラは顔をあげて、レーの顎をなでた。

「ハグルマ狩りが」

「呼んだかい?」

 不意に背後から呼びかけられ、リラは身をかたくした。そして牡鹿の首につかまったまま、振り返った。

 黒い二つの塊がリラの目に映る。

「娘、それを渡してもらおうか」

 冷たい手がリラの手首に触れたとたん、リラは足が萎えて仰向けに崩れ落ちた。

「レー!」

 レーの唸り声が森に響いた。風を切り裂く音、何かにぶつかる鋭い音が何度もする。逆さになった視界を、黒い影と白いレーの体が幾度も横切り、弾かれた砂粒や細かい石が顔にあたる。

 争いの場から避難させるように、倒れたリラの脇に手を入れ、体を引きずる者がいた。

「はなして! レーが、レー!」

「サワグ、な」

 たどたどしく低い声だった。二つ見えたうちの、もうひとつのハグルマ狩りの影だ。

「ハグルマ、いケナイ」

 リラを諭すように、掴んだ腕を何度もゆすった。

「かんせんスる。ちりょうヲうけて……」

「レーだけが、いつもそばにいたのよ。香碩の見つけ方を教えてくれた、レーのおかげで、わたしは生きてこられた。親切にしてくれる人が増えたのよ」

 どう、と地響きがした。リラは腕を振り払って立ち上がると、わずかな乳白色の光をたよりに、地面を転げるように走った。

「レー……!」

「きわめて親しくしてくる者もおるだろうが、悪意にさらされることもあろう?」

 女の声だった。

「それが、どうしたっていうの? 誰も助けてくれなかった。父さんがけがをした時も、母さんが病気になったときも。落ちぶれ貴族って笑うだけだった」

 リラは、ぐったりと地面に倒れたレーの首を抱きしめた。

「それで、封印の箱を開いたか。金目のものを探して。太古の遺産、かつての大貴族・グレーナ家が保管してあることは、こちらのリストに書かれてあった。感染の具合はどうだ?」

「ハチ……九割」

「……治療師のおまえの手にも負えぬか」 

 ぎゅう……とレーの唸り声とともに、リラの服に生暖かい液体がしみ込んできた。レーの体に何が起こっているのかを、リラは知った。

「一介の者が持つには、ハグルマの力は大きすぎる。小さくても渦を巻き起こす。今は小さな幸福とわずかな嫉妬で済んでいるかもしれないが、いずれ大きく抗えない流れになって世を乱す。早晩、お前は加速する信奉者に祭り上げられるか殺されるかのどちらかだよ」

「コチ……にオイデ」

 優しく呼びかける、治療師のぎこちない声。リラは従わず、レーに強く額を押し付けた。目の奥がキリキリときしみだした。視界から徐々に濁りが消えていく。リラの体のそこかしこから、軋む音がした。

「ね、ねえさ……ん」

「手遅れだ。娘、おまえはそれと交わったのか」

 光が矢のように感じられた。あまりの明るさにリラは目に鋭い痛みを感じ一度固く閉じ、ゆっくりと開いていった。

 目の前に、黒服の二人がいた。

 一人は漆黒の腰をすぎる長い髪をかきあげ、丸めた鞭を手にした女。豊かな胸を編み上げの革のビスチェに押し込め、ウエストは蜂のようにくびれている。革の短いパンツに、膝まである踵の高い長靴ブーツ、むき出しの肩にマントを背負っている。人形かと思うほど彫が深く整った顔立ちだ。いま一人は、同じ顔と服装の男。ただ男は武器らしいものを持っていなかった。そして二人とも、たしかに猫のように縦に細い虹彩をしている。

 リラは腕のなかのレーを見つめた。青白い半透明の体、透けて見える歯車が透明な体液のなかで不規則な動きをしていた。切り裂かれた腹から流れ出た体液は空気に触れると深紅に変わり、リラの体を朱に染めた。

「レー……ようやく見られた。なんて、なんてきれいなの……」

 レーの舌がリラの頬の涙をぬぐった。

「ハグルマは対を成したなら」

 毒々しいまでに赤く塗られた唇が動いた。

「終わりだよ」

 リラは体の奥、胸のあたりで何かが折れる音を耳にして、レーに口づけた。

 二つの体は見る間に硝子のように透明になった。そして薄い氷が崩れるように、リラとレーは瞬く間に砕け散った。

「終わりだ」

 微小な歯車だけが残っていた。




★ ☆ ★ ☆  


「……終わり、ですか?」

 卿は深くうなずいた。いやいや、肝心なところが抜けている。

「その歯車たちで腕時計を作ったと?」

「正しくは、レーとリラの歯車は互いに手を取り合うように、自然と組あがっていったそうだ。ハグルマ狩りの姉弟が言うことには。そして弟が薔薇香碩の台座をつけた」

 僕は呆れて茶器を卓におろした。

「ちょっと待ってください。法王がいたのは二百年も前だし、ハグルマ狩りは寝ない子に聞かせる御伽噺、でしょう?」

 僕の言葉に、ヴィルト卿は視線をはずしてぽつりと言った。

「……わりとうまく作れたと思ったのだが……」

 やっぱり、作り話。やれやれ、と僕は呆れて帰り支度を始めた。

「物語をつけて販売したらいいかと思ってね」

「そんなことしなくたって、売れるでしょう。もっと小さめのものでしたら、御婦人方の好みに合うでしょうし、いっそ薔薇の形にしたらどうですか?」

 フロックコートを羽織り、書類鞄を抱えて卿へとご提案をしてみた。

「それは素晴らしい。きっと歯車の美しさが映えるだろう」

「シェラーの城下は歯車だらけじゃないですか。今さら、美しいとかそんな」

「そうかい? 夢中にならない者なんて、ここにはいないさ。ジーモン坊やは不思議に思ったことはないかな。なぜシェラーの機械は、壊れにくく素晴らしい最高級品ばかりを作り出せるのか」

「さあ? まさか、もとが人間や生き物の歯車を使っているから、なんてことはないですよね。ハグルマ狩りが本当にいるわけがない」

 入口の扉を開けて振り返れば、卿は不敵に笑って見せた。僕は帽子を胸に当てて、ていねいにお辞儀をして退去した。

 人を喰ったような笑いが、何となく引っかかるけれど、いつもの冗談だろう。長い廊下を進んで吹き抜けの正面玄関まで来ると、ちょうど車寄せに黒塗りの高級車が停まった。最新型だ。ボンネットの金のエンブレムまで、ぬかりなく磨かれている。

 白手袋のボーイが車のドアを開けて客人を下ろす。長靴ブーツの光るつま先が見えたかと思うと、すっと立ち上がったのは、長身の美女だった。長い黒髪に黒いレースのドレス。手袋もスカーフも黒で統一されている。すぐにもう一人、喪服のような背広姿の、そっくりな男性が続いた。

 僕の口がポカンと開いた。

 ……もしも、だけれど。

シェラーの工房で使われる、特別な歯車を供給する者たちがいたなら。

「いや、まさかまさか」

 口の中でちいさく呟くと、僕は二人に一礼していた。伏し目がちだった女性がわずかに僕を見た。細い虹彩が玻璃のように輝いた。

「ハグルマ……!!」

 僕の声に立ち止まりそうになった男性の袖を彼女が引いた。振り返らず、屋敷の奥に消える二人を僕は見送った。


 ハグルマ狩り……。

 パタン、と扉が閉まる音がした。

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ハグルマ狩り(完全版) たびー @tabinyan0701

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