「ちょっと待てぇい!」

 断崖に野太い声が響き渡った。足場のない断崖の先、奈落の上に何かが浮んでいる。桃太郎の見覚えのある男が叫んでいた。

「……長老さま? なぜここに!」

「よくやった。桃太郎よ。ご苦労だったな」

 肩をゆらし大きな笑い声が谷間にひびいた。長老の肌はみるみる青く変わり、耳が伸びた。

 息をのんだ一行の沈黙を、ケンジの大きなくしゃみが破った。ゆりこが声をふるわせた。

「あいつは……伝説の魔王よ!」

「バウバウ!」

「まさか……そんな……」

 桃太郎は膝から崩れ落ちた。

「こうなることは二十年前からきまっていたのだ」

「どういうことだ?」

 桃太郎は懸命に声をふりしぼった。

「破滅の杖なぞいつでも奪うことはできる」

 魔王の手には〝うまー棒〟ブラックペッパーフレーバーがにぎられていた。もはや味がかわっていることなどどうでもよかった。

「二十年前。この杖とお前が持つその杖の力で私の魔力は封じ込められた。それを完全に取り戻すには、魔界の魔力が一番強いこの場所で、二つの杖を我が身体に取り込むことが必要なのだ!」

「それで桃太郎をずっとだまし続けていたのね! なんて卑劣な」

 ゆりこが羽を地面に打ちつけた。

「もう一つの杖があの泉に……あの女のもとにあることはわかっていた。そして最後に教えてやろう。もう一つの杖を持ち歩くことができるのは、成人した女神の息子だけであるということを!」

 魔王の高笑いに打ちひしがれる桃太郎。その手から〝ポテロンゲスト〟たこ焼きフレーバーが滑り落ち地面を転がった。

「愚かな。今だ! ピエロ!」

 うなだれる桃太郎の影から一本の腕が伸びた。〝ポテロンゲスト〟をつかんだうでから引っ張られるように、一つ目の顔があらわれた。

「バウバウ!」

 影から飛び出した小悪魔は、飛び掛ってきたケルベロスをかわし断崖を滑空し魔王のもとに戻った。

「でかしたぞピエロ。この二つの杖はひとつになってこそ真の力を発揮するのだ」

「どういう意味よ?」

 ゆりこがばたつかせた羽で砂埃が舞って、ケンジはいっそう咳き込んだ。

「なぜこの破滅の杖には穴が開いているかわかるか? それはこうするためだ!」

 魔王は〝うまー棒〟の真ん中の穴に〝ポテロンゲスト〟を差し込んだ。

「これこそが破滅の杖の真の姿なのだ!」

 呆然とただうなだれる桃太郎の後ろで、ケンジがガタガタと震えだした。

「キ……キキィ……」

「何やってるの? 寒いの? バカじゃないの?」

 ゆりこは寒さも忘れてケンジに怒りをぶつけた。

 ケンジの様子がおかしい。きりりとむすんだ眦は意思の強さが現れたものだった。ケンジは激しく震えながら立ち上がった。

「……許さん……さんざん人の心を持て遊びやがって! 許さんぞ魔王! てめえらの血の色は何色だ!!」

「猿ごときに何ができる!」

 怒りに震えるケンジの身体が突然金色につつまれた。金色の耀きはケンジを離れ、矢となり飛翔し魔王の右腕に突き刺さった。

 ひるんだ魔王が破滅の杖を手から離すと、それは奈落の虚空の上にピタリと浮んだ。

 ピエロが魔王にささった光の矢をつかんだ。

「小悪魔よ! 消えなさい!」

 光に触れたとたん、小悪魔は悲鳴をあげ蒸発するようにかき消えた。

 桃太郎はまばゆい光の矢が、だんだん人の形になるのをまのあたりにした。ケンジは不思議そうに自分お身体をなでまわした。

「あれ? 身体がかわいた!」

「ありがとうお猿さん。ここまでつれてきてくれて。あなたの心のスキにちょっと入らせてもらったわ」

 光の矢は魔王の腕を力強くつかむ美しい女性の姿に変化した。

「女神さま!」

 女神は桃太郎ににっこり微笑んだ。

「待っていたのよ。貴方が姿を現すのを。二十年ぶりね?」

「まさかこういう形で再会することになるとはな」

 魔王は右腕から青い血を流しながら苦痛に顔を歪めた。女神は桃太郎のほうに振り返った。

「息子よ立ち上がりなさい! 今の私のでは長く魔王を抑えることはできません。二十前のあの日、力の欲に目がくらんだこの男を破滅の杖の穴の中に封じ込めようとしました」

 女神は目をつむりゆっくりと首をふった。

「でも、情があったから完全に封じ込めることができなかった。力を使い果たした私は泉から動けなくなり、赤子であったあなたにひとつの杖をたくすしかなかったのです」

「おのれ!」

 残った左腕で放った魔王の手刀が女神に肩口に食い込んだ。美しい顔がゆがむ。

「もう一度言います。泉を離れた私は長く実体化できません。消えてしまいます……。破滅の杖をとりもどすのです!」

 光り輝く女神の身体の右肩辺りが、次第にドス黒く変色していった。女神は食い込んだ魔王の腕もつかみはなさない。

「破滅の杖を食しその味を叫ぶのです! それが魔王を完全に封じ込める言葉になるのです! 早く!」

 桃太郎はしっかりと立ち上がった。完全体になった破滅の杖は、強風をうけながすように奈落の上に浮んでいた。

「あそこまで一体どうやって?」

「わたしに乗って!」

 ゆりこが羽を大きく広げた。

「無茶だ! 危険すぎる!」

「この中であそこまでいけるのは私だけよ。考えている余裕はないわ!」

 桃太郎が意を決し背中に乗ると、ゆりこは奈落の底へと飛び出した。吹き上げる強風に失速しそうになりながら、ゆりこは懸命に羽ばたいた。

 破滅の杖がみるみる近づく。

 桃太郎は奈落におちるのをいとわず手を伸ばした。

 破滅の杖をつかんだ桃太郎はゆりことからむように断崖の向こう側に倒れこんだ。

 ふきすさぶ風が突然とまる。

 立ち上がった桃太郎は破滅の杖を口に入れた。

 外側はぎっしりつまった焼き小麦がサクサクした食感で、それを突破するとザクリと小麦の密度がかわり歯茎に違った圧力をつたえたる。

 外側の刺激が強いブラックペッパーが、内側の濃厚たこ焼きソースと合流し、さらなるうねりとなって舌の上で踊り狂った。

「味を叫ぶのです!」

「やめろ!」

 女神と魔王の叫びが一緒になって奈落に木霊した。

 ブラックペッパーとたこ焼き味のまざったもの。

「わからないよ!」

 桃太郎は思わず本当のことを口走ってしまった。

「……そうよ……わからないのよ! 人生はどうなるかわからない。だから人はその一瞬を一生懸命生きるのよ! 消えなさい!」

 弱まりかけていた女神の身体がいっそ光り輝く。銀紙がはがれるようにそれは魔王の身体に張り付いていった。

「離れろ!」

 魔王の闇の身体が女神の耀きに相殺され消えていった。

「わからいとう言葉と私の身体をもって貴方を永遠に封じます」

「そんな、お別れなんて!」

「くそう」

 女神も魔王も交じり合い、胸の下まで消滅していた。

「愛した女と永遠にすごせるなんて素敵でしょ? 昔の貴方に戻って。もう私たちのあの子にあえるのはこれが最後なのですよ。貴方を愛したことを間違いと思いたくないわ」

「…………」

 魔王は観念したのか、女神に振り下ろしていた手刀をぬいた。もうその腕も消えかけている。女神は断崖のぎりぎりで足を投げ出しすわっていたケンジのほうを語りかけた。

「お猿さん。あたなの心は弱いわ。でも弱いからこそ誰かの弱さも受け入れてあげられる。ご一緒してそれがよくわかりました」

 ゆりこのほうをむいた女神の首のあたりも消えかかっていた。

「キジさん。いざというとき一番頼りになるにはあなたです。息子をよろしく。二人とも……」

 泣いているのかゆりこは、羽で顔をおおっていた。

「ケルベロス二十年間ありがとう。さあ、一緒にいきましょう」

 ケルベロスが奈落にジャンプすると、身体が光の粒子にかわり女神のほうにただよっていった。女神の顔は魔王の顔にくちづけするように近づき、ほとんど消えかけていた。

「息子よ。いつまで続くかわからない人生を精一杯生きるのです。最後に、あなたの名前を教えて。私たちのつけたお前の本当の名前を」

 桃太郎はきえていく二人をつかもうと、とどかぬ虚空に手を伸ばし叫んだ。

「俺は! もも……百崎健太郎だ!」


 目をさますと婚約者の雉牟田百合子がベッドのわきに座っていた。瞳にみるみる涙がたまり、堰をきったようにほおをつたった。施設で知り合い高校卒業と同時に貧乏同棲を始め結婚を意識する仲となっていた。

 右腕が包帯でぐるぐる巻きに固定され、左足は石膏でかためられていた。身体を動かそうとするとそこかしこに激痛が走った。

 百合子の話によると、健太郎はトラックにはねられこの病院に搬送され緊急手術を受けた。一命をとりとめたあとも意識はもどらず、一時は植物人間になることも覚悟したらしい。

事故から一週間たった今朝、突然自分の名前を叫び、意識が戻る兆候があると聞かされ病院にかけつけたのだと百合子は説明した。

「どうして道にとびだしたの?」

「心配させないで」

「何やってるの? バカじゃない」

 涙声でしゃくりあげながら責めたててくる百合子を健太郎はどこか懐かしく見つめていた。

 病室のドアがあき、猿川賢次が入ってきた。〝猿川堂〟の跡継ぎで、健太郎を入社させてくれた小学生時代からの幼馴染だった。先月までは専務だったが、接待費の使い込みが親父さんにばれ健太郎と同じ平社員に降格させられていた。

「やっと目をさませたか」

 重傷者を前にのんきな冗談を吐きながら、差し入れだと袋を差し出した。〝猿川堂〟の在庫からくすねてきただろう売れ残りの和菓子の詰め合わせセットだ。

 どうやら生きているらしい。

 傷がいえれば、またこの二人と毎日顔をあわせる当たり前の人生が続いていくのだろう。

 そういえばあの小学生の男の子がもっていた〝うまー棒〟は一体何味だったのだろう?

 わからない。

 わからないことをわかろうと努力するから、人は一生懸命生きていける。そんな声が聞こえた。

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お菓子な桃太郎 横田シュン @yanagawa_m_

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