続・銀河鉄道の夜

ふじの

第1話

「以上のように、天河石は石炭とは比べ物にならないくらいの動力を生み出すことができます。また、その性質上、とくべつな磁力をもつ場においては月長石と惹かれあうことが実験の結果から導き出されております」

 ジョバンニが最後の説明を終えると、講堂の中はどよどよとしたざわめきに満ち、前の方に座っている博士たちは展示された石をもっとよく見ようと身を乗り出し今にも椅子からころげおちそうでした。そこに置かれた月長石はこれまで誰も見たことがないくらい大きく美しく輝いていたのです。

 それから、4、5人の研究者たちが質問のために手をあげました。ジョバンニはそれらの問いに丁寧にこたえていき、最後の一人がこうたずねました。

 「先生、これらの動力を使ってどのようなことが可能になるとお考えですか?」

 ジョバンニはこの質問には、すこし考えこんでしまいました。なんだかたくさんのおもいがくるくるとジョバンニの頭と心の中をまわりだし言葉のはしっこをつかまえるのとても難しい気持ちがするのでした。

 「僕は」

 ジョバンニはドギマギしながらゆっくりと口を開きました。

 「僕は、空を飛ぶことが可能になると考えています」


 ジョバンニがたくさんの人とのあいさつや写真撮影から解放されて講堂を出た時はもうすっかりラピスラズリの夜空が頭上に浮かんでおりました。それはいつか見た星空にとてもよく似ているような気がしてなんだか泣いてしまいたい気分になりました。ジョバンニが空を眺めたまま立ちすくんでいると、

「ジョバンニ君、ご苦労だったね」と先生が講堂からゆっくりと歩いてきました。お嬢さんも一緒です。先生のお嬢さんは学者仲間のうちでもとても評判です。ときおりこうして講演を先生について聞きに来てくれるのです。

「ジョバンニさんのお話はとてもわかりやすくて私も夢中になって聞いてしまいましたわ」

 先生のお嬢さんは柔らかい声で本当に楽しそうにそうジョバンニに話しかけてきました。しかしジョバンニはあまりお嬢さんと話をしたことがないものだから真っ赤になって上手く返事をすることができませんでした。けれど、お嬢さんはそんなジョバンニのことをニコニコと優しく見守りながら、ジョバンニをうながすようにしてゆっくりと歩き出しました。

 その横を7、8人の少年たちが笑いながら駆け抜けていきます。めいめいの手に烏瓜のランタンを手にしています。

「あら、今夜は星祭なのですね」

 お嬢さんが好奇心いっぱいの瞳でそんな少年たちを見送ります。通り過ぎて行った少年たちの中のせいの高い少年がふとこちらを振り向いたように見えました。街の家々はぼんやりと優しく灯る明かりをそれぞれの戸の前にかかげはじめています。様々な灯や木の枝でできた飾りが家々をよそゆきにしたてあげ、誰もがしあわせそうにそれらの灯りをながめております。お嬢さんもひとつひとつの飾りに目をとめては、ほぅ、と感心したように息をもらします。

 先生もそんなお嬢さんの様子を満足げに見守っていらっしゃいましたが、ふと、ジョバンニのほうをふりかえり、たずねました。

「そうだ、ジョバンニ君はこの街の出身だったんじゃなかったかい?」

「はい」

 ジョバンニはふるえそうになる声を抑えながらうなずきました。ジョバンニは今夜、この街で講演ができると聞いたとき、これは天に定められた運命に違いないと思ったのです。あの日、おわかれを言う時間もなくみうしなった友人に今夜こそ会える気がしてなりません。

 頭上には青玉随のように流れ行く星々の川が白く輝いております。そうして、ジョバンニはやはり自分の計算が少しも間違っていなかったのだとはっきりとわかっていたのです。

 遠い昔の星祭の夜のあと、ジョバンニはひと時もあの夜をともに過ごした友人のことを忘れたことはありませんでした。あの夜に出会った博士に言われた通りたくさん勉強をし、たくさんの実験をしてきました。切れ切れの考えの初めから終わりまで全てに渡るようにたくさんの問題を考えたのです。そして、あの鉄道の動力に使われているのが天河石で、線路は鉄電気石でできていること、そしてステーションで美しく輝いていたモニュメントは月長石でできていることを突き止めたのです。銀河というとくべつな場において天河石は月長石とひかれあうのです。鉄電気石で作られた線路もその信号を受けて進路を決めるのです。

 ジョバンニはさらにあの時見た黒曜石でできた美しい地図と鉄道の進路を何度も何度も頭の中に呼び起こしてきました。そして、今夜もう一度、あの銀河鉄道はこの街の天上を通ることを発見したのです。ジョバンニは今日の発表で使った大きな月長石の入った鞄を両腕で包むように抱きしめました。


 街の明るい角にきたところで、ジョバンニは先生とお嬢さんと別れました。二人は烏瓜が浮かぶ川のあかりを見に行くととても楽しそうに話していました。流れていくあかりは天の河のようにそれは美しいのでしょうね、とお嬢さんがうっとりとつぶやきました。ジョバンニはなんだかお嬢さんにほんものの天河をみせに誘いたいような不思議な心地がしました。お嬢さんが天の河をお好きなら、あの丘をぜひに訪れてもらいたいと突然に思ったのです。今まで味わったことのない奇妙な感覚で、ジョバンニはうまくその気持ちを言葉であらわすことができないで、やはり別れ際も顔を赤くして頭を下げることしかできませんでした。

 先生とお嬢さんの声が遠のいてジョバンニが歩き出したとき、街の明るい角とは反対側にある橋の向こうに、せいの高い少年が立っているのがちらりと見えました。ぼんやりと見える橋の向こうは暗くてよく見えませんが、その少年はひとりでいるようです。

(みんなで川に灯りを流しに行かないのかしら)

 とジョバンニは、遠い昔の自分の姿とかさなるような気がして、ほんのすこしゆっくりとその橋の前を通りかかったとき、少年はふいに高く口笛を吹きました。その音色は夜空に浮かぶ白銀の川のように流れひびき、ジョバンニはおもわず少年の方を振り向きました。少年の姿は橋の向こうにとけてしまいもうほとんど見えません。林の奥で少年が持っていた烏瓜のあかりだけがぼんやりと浮かんでいます。

「カムパネルラ!?」

 そんなはずはないとわかっていても声をかけずにいられませんでした。

「カムパネルラ!」

 ジョバンニはさらに大きく呼びかけました。すると、その声に応えるようにひときわ高く口笛の音がきこえたのです。気づくとジョバンニは少年が消えた先に向かって走り出していました。胸に抱えた月長石の結晶を強く強く握りしめながら。林の奥の方で烏瓜のあかりが銀星石のように白くゆらゆらと浮かんでいるのがときおり見えます。ゆらゆらと揺れるそのあかりだけを見てジョバンニは走り続けました。林の影と自分の影ぼうしがとけてまざってしまうのではないかと思うくらい走り続けました。どれだけ進んだでしょう。走り疲れたジョバンニは真っ暗な林の小道を歩きながら、あの日もこうしてたったひとりで歩いていたことを思い出しました。

 あの時はカムパネルラから逃げたくて。今は、もう一度カムパネルラに会いたくて。

 そして、真っ暗な林を超えると、にわかに空がひらけ、濃い鋼青のそらがぐんとジョバンニの頭上に広がりました。天の川が白くぼんやりとかかり、赤玉や黄玉を散りばめたような星々がうつくしくきらめいています。風がそよぎ小さな野菊のような花がさらさらと揺れています。

(あぁ、ここは銀河ステーションの丘だ)

 もう一度ここにくることができたのです。ジョバンニはずっと大事に抱えてきた鞄を草の上に置きました。この中にしまわれている月長石はあの銀河鉄道のステーションとなりうる輝きを十分に持っています。今夜、もう一度あの鉄道に乗ることができるのです。鞄を開けようとして、

(僕がいなくなったらお母さん、お父さん、それにお姉さんはとても悲しむだろうか)

 とジョバンニは少しだけ躊躇しました。みんなの笑顔を思うとすんと胸の奥がひんやりとします。ジョバンニが一生懸命に勉強して大学の先生となったことをみんな大変誇らしく思ってくれました。

(最近はお母さんの体の調子も良く、お父さんももう遠くへ行くことがないはずだ。お姉さんの小さな子供たちもいるし、きっとお母さんも僕がいくことをわかってくれるはずだ)

 ジョバンニはなんだかどこかに、とても大切なものを忘れたような気持ちがして心の奥の方にしまわれた何かをよく見ようとしましたが、しらしらと輝く天の河のひかりをみあげると、少しだけ寂しいような口もとをして大きく息を吐いて心を決めました。そうすると、野原のそらの一部にぼんやりとした白い靄のようなものがあらわれ、徐々に三角標を形作っていきます。

 もう時間がありません。あの銀河を走る鉄道がもうすぐそこまで迫っているのです。月長石のあかりをめざしてすぐにでもここを訪れてくれるでしょう。

 ジョバンニが鞄の鍵を外して蓋に手をかけた時でした、

「ジョバンニさん?」

 やわらかな声がジョバンニにかけられました。見ると、先生のお嬢さんが林の入り口に驚いた顔をして立っていました。

「あぁ、よかった。やっぱりジョバンニさんだったのね。わたし、お父さんとはぐれてしまって困っていたら、せいの高い男の子がわたしをこちらに手招きしてくれたの。どことなくあなたと似た雰囲気を持った男の子だったからついてきてしまったのです」

 ジョバンニはとても驚いてしまい少しも動くことができませんでした。お嬢さんをここに導いたのもジョバンニが追ってきたあの少年なのだろうかと思うと不思議な気持ちになりました。お嬢さんはジョバンニの方へ歩みながら、ふと天を指差して足をとめると

「まぁ、見てください」

と声を弾ませました。お嬢さんの声に導かれるままジョバンニがふりむくと、ピューという高い汽笛のような音が響いたと思ったら天空にサファイアとルビー、そしてとトパーズがはじけたようなそれは美しい花火が咲いたのです。風に乗って町の人々の笑い声や歌声が届いてきました。その中にはきっと、先生やジョバンニのお父さん、お母さん、お姉さんもいるのです。

 お嬢さんは美しい顔を輝かせながら空を仰ぎました。

「銀河はなんて綺麗なのかしら」

 その声を聞いていると、ジョバンニはなんだかあたたかい気持ちになりました。そのとき、さやさやとやわらかな風が吹き、一瞬銀色の光が辺り一面を照らしました。風の中でジョバンニは、「さようなら」という懐かしい声が聞こえた気がしました。そして最後にもう一度大きな風が吹き、お嬢さんの髪を大きくなびかせました。

 ジョバンニは風が走り去るのを見届けてから、鞄の蓋をしっかりと閉じて鍵をかけると、お嬢さんの方にむきなおりました。

「空に流れるあの白い光の正体をご存知ですか?」

「いいえ、教えていただけるのですか」

 満天の星空の下で、お嬢さんの笑顔はどんな宝玉よりも美しく輝いて見えました。ジョバンニはかつて遠い銀河の向こうで見たあの心おどるきらめきが今目の前にあるのだと感じました。

「この白い銀河はたくさんの小さな星が集まっていて・・・」

 彼女に話したいことが山ほどあるのだとジョバンニは気づき、遠い昔に彼とみたあの美しい写真の思い出から始めようと思いました。

 ふたりの頭上の銀河はそらいっぱいに輝き、天の河はジョバンニがかつてあったたくさんの人を優しく包むように柔らかに横たわっていました。

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続・銀河鉄道の夜 ふじの @saikei17253

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