<3>

 賑やかな時間が過ぎて、時計が午前一時を回った頃。急に客が引けて、再び店は私たち二人だけになった。また、ザ・フーのCDが回り始めた。


「ぼく、コーラをください」


 西田は酔って熱く昂ぶった身体を少し冷やそうとした。私も続いてコーラを注文した。西田はカバンの中から、眼鏡ケースを取り出し、ふうっと息を吸ってから眼鏡をかけた。


 それから煙草を2本。高い天井に吸い込まれていく音楽に身を委ねて、いくばくかの時が流れた。

 店と同じだけの時間を過ごしてきたと思しき灰皿で、煙草の火を消してから、西田は私に語りかけた。


「高校三年生の時。あれから、ぼくは人間に興味を持ててはいないのです……」

 

 その頃の西田は、まごうことなき中二病だった。

 サイケデリックミュージックの話をして、盛り上がれるヤツなんてクラスには、ほとんどいなかった。まだ、小室サウンドのムーブメントは続いていて。クラスメイトが話している音楽の話題といえばTRFとか安室奈美恵。そうでなければ、JUDY AND MARYの話ばかりだった。オタク趣味の友達とは、マンガやアニメの話で盛り上がることができた。でも、どこか物足りない気がしていた。


 そんなクラスに、その少女はいた。

 決して美人ではないけれども、肌から青春の輝きが滲み出ている少女。その輝きが、どこか昏さを持っていた、あの時の西田には眩しすぎた。遠足や文化祭。様々な行事の中で、なにかと中心になっている少女。裏表のない愛嬌のある姿が、いつも心の片隅に残るようになっていた。でも、彼女の輝きに近づけば、陰のような自分は消滅してしまうような気がしていた。


 高校三年生の一学期。席替えで、偶然にも少女が西田の後ろの席になった。太陽のような輝きに、なにか落ち着かない気持ちで授業を受ける毎日が続いていた。でも、ある日、落ち着かない気持ちは終わりを迎えた。


「ねえ、なんの音楽を聴いているの?」


 どうして、そんな会話になったのかは忘れてしまった。どうせ、お前にはわからないだろう。そんな捨て鉢な気持ちで、西田は自分の聞いている音楽の話をした。しばらく話を聞いてた少女は、嬉しそうにこういった。


「わたしジャニスが大好きなの」


 今となっては平凡な音楽の話かも知れない。でも、その時の西田には、ようやく訪れた幸運以外、なにものでもなかった。少女の持つ、うっとうしい輝きは、心地よい陽の光へと変わっていた。


 気がつけば、毎日のように少女と話をしていた。クラスメイトたちは、大学受験への不安と未来への希望の中で、落ち着かない日々を過ごしていた。でも、自分にとって、これほど登校することが楽しい経験はなかった。


 家に帰ってからも、ふっと少女と話をしたい想いが何度もめぐって抑えられなかった。そんな時は、リビングの電話機のところにいって、記憶している彼女の自宅の電話番号をダイヤルした。呼び出し音が鳴っている時、すぐに少女が電話に出てくれることを、心の中で願っていた。愛嬌のある、あの声が受話器の向こうから聞こえてくると、そのたびに、今までの人生では感じたことのなかった感覚が沸きだして止まらなかった。


「デヴィッド・ボウイ好きだな」

「わたしも好き」

「ボウイの『スターマン』は聞いてるよね?」

「大好き」


 季節は夏。もう夏休みが始まろうとしていた。告白は西田のほうからした。告白も、電話だった。電話の向こうで、少女の嬉しそうな声がしていた。それが、なにか気恥ずかしかった。


「結局、二週間で別れたんです……」

 私が「なぜ」と問いかけるよりも先に、西田は言葉を続けた。

「ぼくには、恋愛……人を愛するためにはどういうことをすればよいのかわかっていなかったんです。デートした時にも、キスどころか、手も繋げなくて、キスもできなくて自分から行動することができなかったんです。既に恋愛経験のあった、彼女は、そんなぼくを歯がゆそうにみていたんです。それが、とても苦しくて……やつの高三の夏を俺でふいにしてしまったんです」


 最後に、西田が自らの抱える「原罪」を吐露したように見えた。

 同世代の中では、尖った音楽の趣味を語り合っていた男女。それが「中二病特有のシンパシー」だったのだと、西田が思ったのは大学に入学してからだった。その青春の失敗の原因はなんだったのか。こうした時に、たいていの人は、こんな答えを導き出すはずだ。自分の恋愛スキルが低かったのだ、と。


 そして、次へ次へと新たな女性との出会いを求めていく。でも、西田はそうではなかったのだ。その苦い経験の先に「なぜ、自分は女性を愛そうとしたのか」を考え続けた。中学生の頃に、当時はまだ「ショタ」でひとくくりにされていた男の娘趣味に目覚めた。それなのに、なぜ当たり前のように女性との恋愛や、その先のセックスを求めようとしてしまったのか。


「……そういう経験が、一緒になって、作品の世界観が構築されていると思っているんです」


 そういって、西田は眼鏡を外して、煙草に火をつけた。塗り直したばかりのブルーの壁に、波打つ白い煙。その煙を眺めながら、改めて『女装山脈』に始まる、西田の作品のことを思い出した。『女装山脈』が発売されたのは2011年。既にジャンルとしては、そこそこメジャーになったとはいえ、まだニッチな雰囲気は拭えなかった。マンガの単行本やアンソロジーは増えていた。


 けれども、アダルトゲームで男の娘ジャンルの作品を購入して、プレイすることには、まだ多くの人が「俺は、変態になってしまうのではないか」という抵抗を持っているように思えた。それが、いまはどうだろう。男の娘との恋愛を描くことは当たり前になり、妊娠すらするようになった。


 そうなのだ。もはや、西田の作品において、ヒロインが男の娘であるとか、妊娠するとかは、きっかけに過ぎない。いうなれば、幼なじみとか妹とかと同じ。誰もが当たり前に持っている属性の好みにまでハードルを下げてきた。どうしても、男の娘ではないと興奮できない。男の娘が妊娠する作品でないと射精も出来ない。そんな人は少数派だろう。


 多くは「男の娘なのだから。おちんちんから射精するのは当然のことだ」と考え、愛の結果としての妊娠を自然に受け入れている。西田の志向に基づいて描かれるのは男の娘ということにはなっている。けれども、実際に描かれているヒロインは、性別を超越した存在。それも、単なるキャラクターでもない、西田の考える理想の愛を、絵を用いて人間のような形に具現化したものではないのか。


「まだ、理想の相手を求めているのですか。自分が人生を賭けて愛したい人を求めて?」

「……」


 西田は、なにも答えなかった。


 午前二時を回った頃、ホテルに戻るという西田を見送って、私も家路についた。夕方〜降り始めた雨は、ますます強くなっていた。「ルポライターは傘など欲しがらないものだ」と心に決めている私も、信念を曲げたくなるような、土砂降りだった。


 帽子から垂れる水滴を拭いながら、路地を抜けて通りへと急いだ。客待ちをしていたタクシーに飛び乗って、自宅近くのいつも目印にしている交差点の名前を告げた。週末の深夜。どしゃぶりの雨。通りは混んでいて。タクシーも思うように進まなかった。


「はやく、はやく、家に帰ろう」


 私は心の中で、何度も呟いた。早く帰って、濡れた服をハンガーにかけてから、ノートパソコンのスイッチを入れよう。そこにはもう『女装千年王国』が入国を今か今かと待っている。早く、一刻も早く入国しよう。きっと今なら、作品の中に見えるはずだ。西田が求める、理想的な愛とはなにかという答えが。だから、一刻も早く帰らなくてはいけない……。


 タクシーは遅々として進まなかった。

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『女装千年王国』……男の娘エロゲーに人生を賭けた西田一が語る、ただひとつの“愛の物語” 昼間たかし @hiruma

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