数多くのメディアで活躍する彼、ルポライター昼間たかしのノンフィクション記事は、物語性であふれている。
それは、決してフィクションが入っているという意味では無い。
昼間氏のノンフィクション記事には、昼間氏本人の心の動きや思考といった内面が、ともすればインタビューしている相手の動静よりも色濃く描き出されている。
ある意味でこれはノンフィクション、特にインタビュー記事では禁じ手というべきだろう。絵筆を使って姿形を描写する絵画とは異なり、言葉で相手を彫刻していくインタビュー記事においては、インタビュアー自身の内面性は出来る限り廃した上でより正確に、詳細に、言葉をつむぎ相手を描写することが一般的には求められる。
だが、昼間氏の記事はその禁じ手を軽々と飛び越えるのだ。
まるで自分と会話しているこの瞬間もまた、インタビュー相手が歩んできた人生の内の一つのページェントであると宣言するかのように、相手との会話を通じて昼間氏が何を考え、どう行動したのかもしっかりと書き留めている。
いつしか読者は昼間氏の視点に立ち、まるで自らがインタビュアーとなって相手を彫刻しているかのような錯覚にとらわれるのだ。
それは昼間氏の内面が惜しげなく披露されているが故の錯覚であり、自らと主人公を重ね合わせながら物語を読むことと近似であるといえるだろう。
まさにこの点こそが、彼の記事に独特な物語性を感じる要因であり、昼間たかしという当代指折りのルポライターがその地位を得ることになった一番のポイントなのだ。
今後も彼は多くの人々と出会い、それぞれの人生をその筆致で鋭く描き出していくことだろう。そこにどんな物語が待っているのか、我々読者にいかなる人生の姿を見せてくれるのか。
心から興味は尽きない。