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しばらく沈黙が続いた。次にどんな問いかけをすればいいのだろう。少し迷って、私が言葉を口にしようとした。それよりも一瞬早く、近くに座ってた女性カルーアミルクを注文する声がした。
「ぼくもカルーアミルクを下さい」
私が次に紡ぐ言葉に迷っているのを察したのだろうか。西田は、またつぶやくような声でいった。
「ぼくも大島薫さんみたいな女の子になって犯されたい。それが、原点にはあるんです」
それから、また他愛もない話が続いた。けれども、その合間に私は自分の興味の赴くままに質問を投げかけた。こうしたテーマを取材する時に、必ず聞かなくていけないこと。その人が情熱を傾けるジャンルに、どのようにして出会い、夢を育んでいったかということである。
ブランド・脳内彼女で『女装山脈』から始まる三つの作品を世に問うた後、西田は独立し。自らのブランド「のーすとらいく」の看板を掲げた。現在の「のーすとらいく」商業流通で作品をリリースさせている同人サークル。いわば、個人事業主として男の娘というジャンルに絞って作品を作り続けている。
普段は神戸の湾岸にある自宅で、一人シナリオを書き、ディレクションを行っている西田。たとえ、男の娘が支持を集めるジャンルとはいえ、そこに人生を捧げるには、どれだけの覚悟がいるのだろうか。昨年取材をしてからも、興味は尽きることがなかった。
そんな西田が、持参した手土産が、また興味を引いた。西田には馴染みであるバーで、ほかの客にも振る舞ったそれは、ケーニヒスクローネのはちみつアルテナの抹茶味だった。決して安くはない。
かといって、慇懃無礼なほどに高額でもない。それでいて、一口食べれば、神戸ならではの上品さが感じられる味。上京にあたって、それを選ぶ優れたセンスは、一朝一夕にできるものではないと思った。
「もしかして、実家はお金持ちなのでは?」
「いや、お金持ちの知り合いはいるけど、うちはそうじゃないし」
西田が人生の初動部分を長く過ごしたのは、阪神のある都市。新興住宅地にあるマンションだった。両親は公務員の、ごくごく一般的な中産階級。ただ違うのは、自身の祖父のことだった。熱心なキリスト教の信仰を持っていた祖父は、多額の寄付を欠かさず、ついには献堂までして先祖代々の財産を使い潰したという。そんな祖父と比べれば両親の信仰心は、さほど篤くはなかった。ただ、食事の前にお祈りを欠かさない程度であった。
それでも、西田はキリスト教に対する「親愛の情」はあるという。でも、その情は極めて複雑なものだ。
「『女装千年王国』のヒロインの一人は、女装聖女なのですが、彼女が神様の子供を孕む<受胎告知プレイ>は書かずにはいられなかったんです。でも、同時にとてつもない背徳感がありました。それがどうしようもなくて……声を収録する時にはスタジオの隅で十字を切っていたんです」
幼い頃から育まれてきた道徳観。いかなる信仰に拠ろうとも、それを汚すような行為をする時、人は漠然とした恐怖心を抱くものだ。私も、建物の中に入って人の話を聞くときには帽子を脱ぐ。和室であれば、勧められるまで褥することはない。神社仏閣の前を通るときには一礼するし、茶碗の中にご飯粒を残したりはしない。そんな根源的な道徳観に畏れを抱きながらも、西田の男の娘の情熱は、抑えることができなかった。
西田の記憶の最深部にある、男の娘との出会い。それは、中学生の時に何度も足を運んでいたエロ本が立ち読みできる本屋だった。ある日、いつものようにエロマンガ雑誌を立ち読みしていた西田は、ある作品を見て身体を震わせた。それは、ひんでんブルグの短編であった。タイトルは忘れてしまったのに、自身を興奮させた細部だけは、心に焼き付いて離れることがない。
「あの人、時々ショタ同士のセックスを描くじゃないですか。まさに、それだったのです。『魔神英雄伝ワタル』のワタルと虎王のような少年が、女のコに好き放題にされた挙げ句に、二人でセックスするように命令されるんです」
自分が男同士のセックスで興奮していることには、うしろめたい気持ちも芽生えた。でも「すげえ興奮する」という正直な気持ちが、それを遙かに凌駕していた。人には絶対にいえないかもしれない。
けれども、興奮する。もっとこんな作品を読みたい衝動を、抑えることはできなかった。エロマンガで最大多数である男女間の営みとは違うジャンルで覚えた興奮。現在よりも、そうしたジャンルの市場が小さかった90年代。その昂ぶりに応えてくれる作品に出会うのは容易なことではなかった。高校生になった頃、茜新社から発売された男性向けショタアンソロジー『アンダーカバーボーイズ』は、幾度も読み、使った。
西田が幸運だったのは、青春の真っ只中で、そうした昂ぶりを隠さなくてもよい仲間たちに出会えたことだった。
大学に進学した西田は、ギターマンドリンクラブに入部した。どうしたことなのか、そこは、音楽と共にアダルトゲームにも青春を捧げる男たちが集う場だった。
「なぜか、サークルのメンバーは男ばかりで……」
ロリ好きもいれば、熟女好きもいて当たり前の空間で、西田も自分の好きなものを隠すことはなくなった。
「その時は変態キャラと開き直っていたんです。でも、言い始めたら薄れますよね」
二回生になってから、西田は実家を出て一人暮らしを始めた。誰かが、新しいアダルトゲームを買えば、狭いアパートの一室に集まって攻略を繰り広げる濃密な青春の一時が、過ぎていった。
「でも……」
西田には聞こえないような小さな声で、私は呟いた。自分の心に刺さるような性的な情景を描いた作品との出会い。世間では、なかなか大っぴらにしにくい性的な志向を隠さなくてもよい仲間たちとの出会い。それだけで、西田が描く魅力的な男の娘が生まれるだろうかと、思った。性別を超えて孕む。それだけには止まらない聖母のようであり、ファムファタールのような、あの男の娘たちを描くことが……と。
「女性とも経験しているのでしょう?」
「ええ。でも、それが高校生の時だったら、もっと感動があったかもしれない……」
なぜ、高校生の時なのだろう。それを聞こうとした時、どやどやと新しい客が入ってきた。賑やかな雰囲気の中では、とてもそれを聞くことはできないような気がして、また。とりとめもない話が始まった。
そうした会話の後だったからだろう。酒の上でのとりとめのない話とはいえ、なんら隠したり飾ることなどない会話は楽しかった。なにしろ、アルコールを口にしているのは西田だけ。下戸の私が口にしているのは、ずっとウーロン茶であった。つまり、ずっと素面なのだけど、なにか気持ちは高揚していた。
だから、普段はあまり人にはいわない秘密を、西田に教えた。
「私も、次の輪廻で女のコになれるのなら、こんな女のコになりたいと思って、気に入った画像はDropBOXにフォルダをつくって保存しているのです」
「それは、どんな画像があるのか、ぜひ見せて下さい」
iPhoneの画面に表示される様々な画像を、西田は笑うでもなく、褒めるでもなく、ただ興味深そうに眺めていた。なにかが、溶けて混ざり合っていくような感覚があった。
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