第30話 鈴の音の向こうに
チリン。
ガラス戸を開けると、小さな鈴の音が鳴った。可愛らしい音のわりに、良く澄んだ響きはガランとした店内を隅々まで探索する。テーブルも椅子も何もない店内には鈴の音を妨げるものはもう壁しか残っていない。
ガラス戸の近くで立ち尽くして、小鳥は店内を見渡した。
チリン、と鈴が風に揺れて音を出す。
いつもなら、この鈴の音の向こうにマスターがいて、不愛想な顔でいらっしゃいと迎えてくれるのに今は誰もいない。
客商売にはおおよそ向かないあの男はアメリカにいるはずだ。友達の店を手伝っているとかで、結構楽しくやっているらしい。不愛想という言葉がアメリカでどう表現されるのか小鳥にはわからないが、きっと良い意味にはならないんじゃないかと多少の心配をしているとしても、ここに置いてけぼりにされた腹いせで絶対連絡してやるものかと彼女は決意している。しかし、このがらんどうの空間は切ない気持ちを増幅させる。
マスターがいないとこの店は色を失ったようだ。
小鳥は手を伸ばしてガラス戸についていた鈴を取って手に収めた。
毎日ガラス戸が揺れるたびに来客を知らせていた鈴は、もう役目を終えた。主人のいない場所に置いておいては可哀想だ。
いつか、また役目を与えてあげられるだろうか。
小鳥は茶色くすすけた鈴をポケットに入れた。
外に出ると突風が通り過ぎて行った。
チリン。
ポケットにあるはずの鈴の音がガラス戸から聞こえた気がして小鳥は振り返った。
「行ってらっしゃい。お早うお帰り」
小鳥がおつかいに出る度にマスターが言っていた言葉が聞こえてきた。
行ってきます。
心の中で呟いて、小鳥は前を向いた。
ここから、光を反射して京都駅が輝いて見える。
街並みは様変わりしても変わらないものもある。だから変らないものを大事にしていこうと小鳥は思った。
京都というのは昔の営みがまだ続いている不思議な街だ。自然に両親から子へ脈々と受け継がれていくものがある。京言葉であったり、季節にちなんだ風習であったり、それは外から見ないとわからないものかもしれない。外から来た小鳥は京都の独特さに驚いたこともある。でも外にいてはきっとわからない京都人の知恵や優しさを小鳥はもう知っている。だから今、小鳥は大勢の人に京都という街に観光に来て、京都を体験して好きになって欲しいと願っている。漠然とした未来が今はっきりと小鳥の前に道を作っていく。今まで強面の兄が教えてくれた素敵な京都を広げることが彼女の夢になる瞬間だった。
鈴の音の向こうに 七海 露万 @miyuking001
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