第27話 ドライブ
私は今、車の助手席に座っている。運転席にはもちろん瑞樹がいて、シートベルトを締めてレンタカーのキーを回したところ。
「じゃあ、出すよ。ハイウェイのドライブインで交代」
「うん、わかった」
私も運転はできるのだが、ニューヨーク市内は道路が混んでいて怖い。歩行者は信号無視が当たり前だし(車がいなければ赤でも平気で渡る)、とにかく油断ならないのだ。
瑞樹は運転が上手い。黄色いタクシーが溢れる市内を難なく抜け、ブルックリン・ブリッジ(※1)へ。マンハッタンとブルックリンを結ぶ巨大な橋で、映画などで観たことがある人も多いと思う。二層になっていて下層は車道だが、上層は人や自転車用の道路になっている。一度歩いて渡ってみたことがあり、とても楽しかった。
今日の空は真っ青に澄み、眼下のイースト・リバーは日光を反射して輝いている。気持ちのいい一日になりそうだ。
ブルックリンの巨大家具店で急いで買い物をし、一度マンハッタンに戻る。今度はイースト・リバー沿いに北上してハイウェイに乗り、再びマンハッタンを出てコネチカット州(※2)へ。
十五分後。私がハンドルを握る番がやってきた。
「スピード出しすぎないように。キロじゃなくてマイル表示だから」
これまで何度も瑞樹が繰り返してきたお小言だ。
「わかってる」
道路は三車線で広く、周囲の車がスピードを出すとつられやすい。マイル表示なのも私には引っかかりポイントで、瞬間的に、キロ表示と勘違いすることがある。ちなみに時速六十マイルは時速約九十六キロ。
右手に海岸線を見ながらハイウェイをさらに三十分ほど走り、一般道に降りた。ここはもうコネチカット州の静かな田舎町。目的地はワトキンス先生のご自宅。先生は病状が落ち着き、久しぶりにじっくり研究の話をしよう、と瑞樹を誘ってくれたのだった。
信号待ちをしていると、前の車は日本車だった。
「日本車、多いよね」
「そうだね」
米国製の車が好まれるのかと思えばそうでもなく、日本車に乗っている人は意外と多い。頻繁に見かける。
「日本で作って輸出しているの?」
「それもあるし、米国やメキシコなどでも生産しているよ」
「メキシコでも?」
信号が青に変わり、また走り出す。道路の両脇に樹々が生い茂り、気持ちの良い田舎道だ。
「北米自由貿易協定(NAFTA)(※3)の恩恵があるから、メキシコに進出している自動車メーカーは多いんだ。人件費も安いし」
「自由貿易協定?」
「そう。米国、カナダ、メキシコの自由貿易協定。発効は一九九四年。この協定によって、三国間の関税はほぼ撤廃され、貿易がより盛んになった」
「へえ。じゃあ日本の企業でも、メキシコで生産した自動車を米国に輸出すれば、関税を免れるの?」
「原産地規則という基準を満たせばね。だけどトランプ大統領が……」
「え? 何?」
「美緒、スカンク!」
「えっ」
前方二十メートルほどの道路の真ん中に、もっさりとした白黒の動物。ぎゃー。どうしよう撥ねたら大変だ。焦る私の横で、後ろを確認する瑞樹。
「大丈夫、後続車は来てないからスピード落として止まって」
「わかった」
スカンクの手前五メートルほどの位置で車は停まり、スカンクはもそもそと道路わきの茂みに逃げていった。
「……良かった、撥ねなくて。臭い液もかけられなくて」
「うん。良かった。あの匂いが付いた車でドライブ続行は無理だ」
スカンクの匂いは強烈でなかなか取れない。そして悪臭の範囲は二キロメートルにも及ぶ(※4)らしい。
ほっと胸をなでおろし、運転再開。
「……何の話してたっけ?」
「ああ、NAFTAのこと。米国・カナダ・メキシコの自由貿易圏だけど、これもトランプ大統領が問題視しているんだ。今後の展開次第では、米国の脱退もあり得る」
「何が問題なの?」
「トランプ大統領は『不公正だ』と考えているようだけど、一体何が不公正なのか、理解に苦しむ」
そうなのか。トランプ大統領の話になると瑞樹はよく、「理解に苦しむ」と言うのよね。
「先生のご自宅、この先を右折だっけ?」
「うん」
私はゆっくりハンドルを切った。よく整備された道路沿いに、邸宅が点在している。速度を落とし、白い平屋の前で停めた。広い庭に囲まれたこの家が、ワトキンス先生のご自宅だ。
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※1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E6%A9%8B
※2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8D%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%9E
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B1%B3%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%B2%BF%E6%98%93%E5%8D%94%E5%AE%9A
※4 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AF
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