第17話 一休み――ニューヨーカーの食事情

 ハイスぺ男・アレックスが遊びに来た。金髪長身で感じの良いこの青年は、瑞樹の古くからの友人で、今はロー・スクールに通っている。MBAを持っておりシルバーマン・サックス勤務の経歴を持つ、ニューヨークのエリートを体現したような人物。


 アレックスが来るのはいつも突然で、大学でたまたま瑞樹と会ってそのままうちで夕飯を、という流れがほとんど。今日も同じ。


「ご馳走じゃなくてごめんね、今日は残り物を片付ける日だったの」


 私は、サーモンのグリルとケールチップス、それにコーンの炊き込みご飯を一枚のお皿に盛って出した。それと野菜スープ。どうしたことか、スープは濁った緑色になってしまった。マッシュルームの茶色とズッキーニの緑が混ざったかな。


「色が地味だけど。味は大丈夫だから」


 どうぞ、と勧めると、アレックスは「イタダキマス」と言ってから食べ始めた。英語には「いただきます」に相当する言い回しがなくて、だからここだけ日本語。


 料理はお気に召したようだ。


「美緒、この一皿は、味、食感、栄養バランスとも最高だ。サーモンにかけた醤油がライスに少し沁みて、控えめながら抜群の効果。それにケールチップスのクリスピーな食感とほろ苦さが、コーンライスの柔らかさと甘みに絶妙に調和している。しかもスープまでついて……」


「それほどでもないけど。ありがと」


 サーモンは塩、ケールは塩とオリーブオイルを絡めて、オーブンで焼いただけだ。和食と比べたら手抜きもいいところ。でも褒められるのは嬉しい。



 その夜、アレックスはうちのソファで眠った。ゾンビの連続ドラマを私と一緒に観ていたら遅くなり、明日は月曜だけど授業はないと言うので、「じゃあ泊って行けば」と瑞樹が誘ったのだ。



 さて翌朝。私はいつもと大して変わらない朝食を出した。ホームベーカリーで焼いた食パンと、半熟の目玉焼きとハム。たっぷりのコーヒー。ヨーグルト。果物はリンゴとUFO桃。


 席に着くなりアレックスは


「オーマイ(なんてことだ)!」


 と言った。


「……何か問題でも?」


「問題はない。レベルが高すぎて驚いた」


「レベル? 朝食の?」


「そうだ。一番の驚きは、果物の皮が剥いてあることだ。これはリンゴと桃?」


「うん」


「……噂には聞いていたが、日本人が果物の皮をなんでも剥くというのは、本当なんだな。農薬を気にしているのか?」


「丸かじりの日もあるよ。今日はアレックスがいるから、美緒は気を遣ったんだよ」


 横から瑞樹。


「なるほど。美緒、ありがとう」


「どういたしまして」


 アレックスはコーヒーを一口、飲んだ。


「美味しい」


「それは瑞樹が淹れたの」


「瑞樹が? なんと……」


 また大げさに驚いた表情を作る。


「コーヒーくらい、誰でも淹れられるだろ」


「俺は淹れない。買って飲む」


「えー? 自宅でコーヒー淹れないの?」


「ああ。別に珍しくないと思うけど。一日二回、お気に入りのカフェで買うって決めてる」


 確かに、買ったコーヒーを持ち歩いているアメリカ人はとても多いけど、まさか家で淹れない人もいるとは。


「食事は? 作らないの?」


「作らない。さすがに俺は極端かも知れないけど、全般的にニューヨーカーは、あまり料理をしないと思う」


「じゃあ、いつも何を食べてるの?」


「デリやスーパーで買ったり、レストランから宅配を頼んだり、外食したり。たまに冷凍食品」


 ニューヨークは外食産業が発達している。引っ越してきた当初、多くのカフェやレストランがデリバリーをしているのを知って、驚いたものだ。そういえばこの間読んだバレリーナの自伝にも、朝食はマフィンとコーヒーを配達してもらう、という記述があったな。



「ところで、それはパンだよな?」


 アレックスが食卓に鎮座する焼きたての食パン――一斤丸ごと――を指す。


「そうなの。日本の食パンが恋しくて、ホームベーカリーを買ったの。三日に一回焼いて、切り分けて冷凍するんだ。今日は出来立てだから一斤丸ごと。好きな厚さに切って食べてね」


 アレックスは神妙な手つきでパンにナイフを入れ、薄めの一切れを皿に取った。


 そして今度は目玉焼きに塩をかけ、自分用のナイフとフォークを手にし、中央に切れ込みを入れる。とろりと流れ出す黄身。


「……瑞樹、これ、サルモネラ菌は大丈夫か?」


「心配ないよ。Pasteurized Eggs(低温殺菌された卵)だから」


 アメリカの卵は普通、生食に適さない。でも私たちはたまにどうしても卵かけご飯が食べたくなって、そんな時には遠くのスーパーまで遠征して、これを買う。ちなみに卵は、割れていることがあるので要注意だ。容器は紙か発泡スチロールのことが多いので、ちゃんと開けてみないとならない。


 瑞樹の説明を聞いたアレックスは、白身に黄身を絡めて口に運んだ。


「……美味しい」



 九時。瑞樹の出勤時間。私はいつものように玄関で見送り、紙袋に入れたサンドイッチを渡した。


「それは何」


 また質問だ。


「これはランチのサンドイッチ。具はバターとハム」


「瑞樹、ランチまで美緒に作らせているのか。スポイル(甘やかし)されすぎだ」


「そんなことないだろ。給料が安いから節約しなくちゃならないし、美緒は仕事してないから、家事が仕事」


「確かに……。ところで、前から思っていたけど、美緒の料理はかなりのレベルだ。細かいところまできちんとしてる。何より美味しい。料理を仕事にすることを考えたらいい」


「いや、そこまでじゃないけど……。日本人としては平均的なレベルだよ」


 むしろ、中の下かも知れない。


「ここはニューヨークだ。仮に日本人として平均レベルでも、ここでならお金を稼げる料理だ。真面目に考えた方がいい」


「美緒はビザの関係で就労できないんだ。遅刻する、早く出よう」


「……」


「じゃあまたね、アレックス。いつでもご飯食べに来てね」


「ありがとう。……美緒、今は働けないなら、まずは学校で調理や栄養学の勉強をするのがいいだろう。将来必ず役に立つ。レストランで働かなくても、デリバリーだけの店を持つとか、ランチボックスだけ売る、パーソナル・シェフになる、ネットで動画を配信して人気者になって本を出してセレブリティ・シェフになるとか、可能性は無限大だ。続きは今度じっくり話そう」 


 えー、その話、まだ続くの?

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