第2話 学び直し

 夕食の準備をしながら白ワインとチーズを楽しんでいると、瑞樹から電話があった。


「昔の友達に偶然会った。連れて帰ってもいい?」


「もちろん」


「ありがとう。食べ物ある?」


「大丈夫。今日、スーパー行ってきたから」


 三十分後に瑞樹と一緒に現れたのは、アレックスという金髪長身で感じの良い青年だった。Tシャツにジーンズ、それにリュック。手にした紙袋には日本のウィスキーが入っていて、高かったろうに、頂いてしまった。こちらでは日本産ウィスキーが人気で、ちょっとした酒屋なら、YやHなどの銘柄を置いている。


 自己紹介もそこそこに、まずは三人でテーブルに付き、ビールで乾杯。この国ではビールの小瓶をそのまま出すのが基本で、気軽でいい。

 テーブルにはミートソースのパスタとサラダ、餃子と肉まんが並んでいる。パスタとサラダだけの予定だったが急遽、冷凍食品を追加したため、伊・中が混ざってしまった。



「えーとそれで、アレックスと瑞樹はいつから友達なの?」


 既にワインを飲んでいたので、私は普段より饒舌だ。お酒を飲むと英語が話しやすくなるのは、気が大きくなるからだろうか。


「八年前から。瑞樹とはお互い、英語と日本語の練習相手だったんだ。大学の斡旋で。当時の瑞樹は英語が下手でねー。よく大学で教えるまでになったね。僕の日本語はもっとひどかったけど。それに忘れちゃったし」


 瑞樹はサラダをつつきながら、会話の成り行きを見守っている。妻がネイティブと英語で話す貴重な機会だからだ。


「じゃあ、アレックスも経済学を?」


「いや、僕はその当時MBAを」


「そう。優秀なんだね」


 アレックスは、謙遜するでもなくフフフと笑った。


「で、今は何を?」


「ロー・スクールで弁護士資格取得の準備。シルバーマンサックスで働いてたんだけど、去年辞めて。今もまた、瑞樹と同じ大学だよ。それでさっき、図書館で偶然」


 ……MBAに金融大手に弁護士資格とは、アレックス、どんだけ優秀なんだ。私は思わず瑞樹を見る。


「働きすぎて嫌になったんだってさ。米国だと、社会人になってから大学に戻って学び直すのは、珍しいことじゃないしね」


「そう。よくある。そういえば、日本では学び直しが少ないってデータを見たよ。確か、二十五歳から六十四歳で教育機関で教育を受けている人の割合は、米国が約13%なのに対し、日本は2.4%くらい。先進国では最低レベルだ。それに未だに終身雇用が優勢なんだろう? 窮屈じゃないか?」


 さすがシルバーマンにいた男・アレックス。気軽な会話に細かい数字を織り交ぜるあたり、只者ではない。


「どうかな……私は五年で退職しちゃったけど、就職するときは一生この会社でって思って入社したし。あまり抵抗はなかったけど。むしろ大学に戻ったり転職する方がプレッシャー」


 私の発言に、アレックスは肩をすくめてみせた。


「君たちの国には、飛び級もないんだろう? 優秀な子供は学校で退屈しないのか? 基本的に大学入学は十八歳まで待つなんて、不思議だよ。管理の行き届いた逸脱の許されない社会で、ある意味SFみたいだ」


 むう。そんなふうに見えるのか。


「でももしかしたら、日本のアニメや漫画で傑作が多いのは、そういった社会背景が何か影響しているのかも知れない」


「漫画とアニメ、好きなの?」


「大好きだ」


 神妙な顔つきで答えるアレックスは、オタクなのだった。



 さらに聞いたところによると、アレックスは十四歳で大学に入学、四年で学位を三つ、二年でMBAを取り、一年ぶらぶらして二十二歳で就職した。そのあと六年働いて、去年からまた学生に、というキャリアの持ち主だった。


「今、二十九歳?」


「そうだよ。そういえば瑞樹の年、知らないや。何歳?」


「三十二」


 訊かれなかったが、私は三十歳。


 話すうちに食事はあらかた片付き、私はアレックスに訊いた。


「デザート、食べる?」



 キッチンに移動して、冷凍庫からアイスを四種類出す。冷蔵庫からは、チョコレートムース。スーパーでパックに入って売られているのだが、とても美味しい。あとは、グミベアと、ヒマワリの種のチョコ包み、ウエハース。


「各自、パフェを作りましょう」


 私は知っている。アメリカ人がアイスクリームにあれこれ飾るのが好きなことを。


「おーすごい! 小学校でやったの思い出す」


 アレックスが嬉しそうな声を出した。


「でしょ。よく遊びに来る近所の子が教えてくれて、いつも一緒に作るんだ」


 その子の名前は「さきちゃん」。同じアパートに住んでいる小学校三年生で、日本人。毎週火曜日、うちで預かっている。現地校に通っているので、彼女の話からアメリカ文化を知ることは多い。


「美緒、さきちゃんと毎週これ、作ってるの?」


「うん」


 瑞樹には、この食べ方はまだ教えていなかった。


 出来上がったパフェは。


 アレックス:アイス四種類(バニラ、マンゴ、パイナップル&ココナツ、チョコ)

とチョコレートムース、トッピング全部のせ。


 瑞樹:バニラアイスとチョコレートムース、ウエハース二枚。


 私:アイス二種(マンゴ、パイナップル&ココナツ)、グミベア(十二種類のフ

ーバーを一個ずつ)。


 瑞樹の組み合わせがシンプルでおいしそうだった。私は欲張ってグミベアを沢山乗せたが、アイスの冷気で固くなってしまった。常温でムニムニ食べる方が美味しかったな。


 デザートの後にウィスキーを飲んで、宴が終了したのは午前零時を回った頃だった。アレックスが地下鉄の駅に消えていくのが、アパートの窓から見えた。

 

 NYの地下鉄は二十四時間、動いている。

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