第3話 心の傷舐めあう夜
「私、居場所が無いんです。 幼い子供から出て行けって罵られたこと、ありますか?」
有紗の告白は、そんな言葉から始まった。
……たぶん無いでしょ? と、そう問いかける顔には、自嘲の笑みがべったりと張り付いている。
いろんな意味で返事を返しづらい内容に、一緒にいた黒猫は『嫌なことを聞いた』とばかりに顔をしかめてその場を離れていった。
「こんな事を人に話すのは初めてだから、変な言い回しになったらごめんなさいね」
有紗がずっと心に秘めていた想いを口にしてしまったのは、この場所があまりにも非日常的だったからかもしれない。
ユウイチロウからもらった赤い飲み物を口にすると、彼女はぽつりぽつりと言葉を選びながら話しはじめた。
「私、実家で暮らしているんですけど、兄がすでに結婚して家を継いでいるんですよね」
それは特に珍しい話でもないだろう。
だが、不思議な
「で、その兄に五歳になる男の子がいるんですけど……そろそろ自分の部屋がほしいらしいんですよ」
親と一緒の部屋で寝泊りするのが、おそらく苦痛になり始めたのだろうか。
だが、人は成長するにつれて自分だけの秘密をほしがる生き物。
それもまた珍しい話ではない。
「こういっちゃなんですけど、私の実家ってあまり大きくないんですよね。
だから、私がいる限り子供部屋が確保できないんです。
一人暮らしも考えたんですけど、今の仕事の収入じゃちょっと厳しくて」
ここまで話せば、後の事は誰にでもある程度の予想がつくだろう。
なるほど、実に陰湿で面倒な話だ。
「両親や兄は気にするなっていってくれますけど、特に何をしてくれるわけでもないし、義姉さんにとってはやっぱり私が家にいるだけでいろいろと面白くないんでしょうね」
世界に恨みをぶつけるようにして呟く有紗の目に宿るのは、孤独の嘆きか、嫌悪の熱か。
いずれにせよ、想いをうちあける彼女の目は沼のように淀んで、暗く濁っていた。
「たぶん、私の知らないところで子供に愚痴をこぼしているのか、この前その男の子に言われたんですよ。
この家から出て行け、寄生虫! おまえなんか、この家にいらない……って」
五歳の男の子が、寄生虫なんて言葉をどこで覚えてきたのか?
確証はないが、おおよその想像はつく。
「誰にとっても良くない環境だな、それは」
顔をしかめて聞いていた連中を代表して、熊のユウイチロウがボソリと呟いた。
五歳の子供がそんな言葉を口にすれば、誰だっていい感じはしないだろう。
なにより、その子供の性格がゆがみそうだ。
だが、それは誰が悪いわけでもない。
あえて言うならば、運命のかみ合わせが悪かったとでも表現すべきだろうか?
それが神の思し召しだというのならば、あえて『試練と名をつければ何をやってもいいのか?』と問いただしたくなるだろう。
どうせ、何が起きても責任なんか取らないくせに。
「だから、早く結婚したかったんですけどね。
でも、感じのお相手が……最近別な女性に夢中みたいなんです。
デート中なのに、他の女の事を考えてずっと上の空」
まるで自分の姿が見えていないかのうように視線をさまよわせる大守の姿を思い出し、有紗は深々とため息を一つついた。
「惨めですよね、私」
「んなこと言うなよ」
そんな言葉をかけたところで慰めにもなりはしない。
自らの言葉がただの自己満足であることを知りながらも、ユウイチロウは酒の入ったグラスを差し出す。
その飲み物を受け取り、有紗は目を心地よさそうに細めながら口をつけた。
「おいしいですね、この飲み物」
「だろう? 目の前の畑で取れた特製の苺ジュースだ。 アルコールも混じっているがな」
「やだ、それカクテルじゃないですか」
むろん一口飲めばわかる話である。
それを知っていて話にのるあたり、有紗はなかなかに付き合いのいい性格のようだ。
「ウチはこれでも
「いいですね、それ」
「しってるか? 悲しい時は、甘いものを食べると少し楽になれるって話」
「初めて聞きましたよ」
やや見当はずれなユウイチロウの慰めに、有紗は苦笑にも似た笑みを浮かべる。
たしかに失恋した時に甘いものをやけ食いする人はいるし、それで体重が増えたという話も珍しくは無い。
けど、そんなもので本当に楽になれるなら、火傷するような恋の末路はどれだけ楽であることか。
「悲しみっていうのは金の理で、甘いものってのは土の理。
土は金を育み、金の乱れである悲しみを癒す」
「なんですか、それ?」
不意にユウイチロウの口からこぼれた言葉に、有紗は首をかしげた。
すると、クマは自慢げにピクピクと鼻の穴を広げながら自信たっぷりに答える。
「漢方医学って奴さ。 聞いたこと無いか?」
「あんまりそういうの縁がないんですよね。 仕事で保険の勧誘なんてやってますけど、東洋医学関係の事はサッパリで」
本当はそっちのほうも勉強したほうが仕事に役立つのだろうが、あいにくと生きているだけで精一杯。
人生という狂ったゲームのスタミナ消費が大きすぎて、そんな複雑な勉強するような気力も体力も彼女にはなかった。
「……で、お前はこの後どうするんだ?」
「このあと?」
「見込みの無い恋にすがり付いてもしょうがないだろ」
「そうですよね。 ほんと、どうしようかな」
ユウイチロウの問いかけに、有紗はテーブルに肘をついてぼんやりと宙を見上げた。
心の傷は時間が癒してくれるかもしれないが、人生の機会というものは常に時間制限付きである。
たぶん、ゆっくりとしている時間は無い。
立ち止まれば、せっかくのチャンスを幾つもふいにしてしまうだろう。
世界というものは本当に不平等で、どうしようもなく冷酷に出来ているのだ。
そんな彼女の手に、ユウイチロウはカウンターのテーブルに体を乗り出してその大きな手をそっと重ねた。
「俺が忘れさせてやろうか?
頼りにならない家族の事も、生意気なガキの事も、誠意の無い男の事も。
そんなもの……全部放り投げちまえよ」
「やだ、クマさん。 もしかして口説いてる?」
だが、そう呟く有紗の顔はまんざらでもない。
「口説いてほしそうな顔をしているのが悪い」
甘く囁くユウイチロウだが、有紗は苦笑いを浮かべながら彼の鋭い爪のついた手をそっとつまんで押しのける。
「その気もないのに、慰めでそんな台詞吐かないでほしいな」
「わかるか?」
「そりゃ……ね。 本気で口説く人間って、もっと余裕が無い顔しているもの。
お生憎さまでした!」
そういいながら、有紗はユウイチロウの鼻先を軽く指先で弾いた。
「でも、本当に全て忘れる事ができたらいいな」
「本当にそうおもうか?」
「ええ。 もしかして、できるの?」
その問いにユウイチロウは答えず、後ろの冷蔵庫を開くと中から鞘に入ったままの豆を出してきた。
「恋の思い出は失恋も含めて大事にしたほうがいい。
お前に必要なのは、今の痛みを乗り越える力だ」
そんな台詞を呟きながら、ユウイチロウはその大きなクマの手でプチプチと豆の処理をはじめた。
だが、手が大きすぎるのか、こちらがもどかしくなるほど動きが悪い。
「……手伝いましょうか?」
「わるい、頼む」
有紗がそういって手を伸ばすと、ユウイチロウはバツのわるい顔でそっとボウルを差し出した。
「で、これ何の豆ですか?」
「絹サヤだよ」
その答えに、有紗の顔が曇る。
「未熟なグリーンピースの鞘の部分ですよね? グリーンピースはあまり好きじゃないから食べたこと無いんですけど……」
「絹サヤだと癖が無いから、いけるかもしれんぞ。 ほれ、茹でてあるのがあるから食べてみろ」
そういわれて差し出されたものの、よほどグリーンピースが苦手なのか、有紗はすぐに手をつけなかった。
しばらくじっと絹サヤを見つめたあと、ユウイチロウの視線の圧力に耐えかねたようにおそるおそる口に入れる。
「あら、おいしい。 あの嫌な豆臭さがない」
「な、美味いだろ?
……で、こいつをジャガイモと一緒に煮込んで、スパイスと塩を入れてミキサーにかけて……と」
ユウイチロウが鍋の上でゆっくりと手を回すと、絹サヤとジャガイモが水も火も無いのに一瞬で煮上がる。
そしてそこに見えないミキサーでもあるかのように、茹で上がった野菜がすりつぶされてペーストが出来上がった。
「綺麗な色ね。 アボカドのペーストみたい」
「ほれ、お待たせ。 恋の傷を癒す絹サヤのテリーヌだ。
クラッカーにつけて食べるといい」
差し出されたクラッカーに淡い緑のペーストを塗りつけたものを差し出されると、有紗は躊躇無くそれを口にした。
そして心地よさそうに目を細め、ゆっくりとその味を噛み締める。
「気分はどうだ?」
「不思議……あれほど辛かったのが嘘みたい。
でも、これはこれでなんだか情緒がないわ」
胸の苦しみから解放された有紗だが、その顔に浮かぶ表情は今も苦い。
「やれやれ、恋心ってのは難しいものだな」
ユウイチロウもまた苦笑を浮かべると、その広い肩をすくめる。
そしてその表情を引き締めると、真面目な口調でこう切り出した。
「……なぁ、神隠しにあう気はないか?」
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
【恋の火傷を癒す絹サヤのテリーヌ】
材料:絹サヤ………………60g
ジャガイモ…………100g
オリーブオイル……小さじ1
塩胡椒………………適量
**********
1.ジャガイモの皮をむき、適当な大きさに切り分けます。
2.切り分けたジャガイモと絹サヤを鍋に入れ、かぶるぐらいの水と一つまみの塩(分量外)をいれ、中火で10分ほど煮込んで完全に日を通します。
3.茹で上がったジャガイモと絹サヤにオリーブオイルと塩胡椒を加え、滑らかになるまでミキサーにかけます。
4.クラッカーやトーストしたパンなどを添えてお召し上がりください。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
その日の夜のことである。
「……で、その人をお店のウェイトレスとして雇ったんだ。 しかも、住み込みで!」
「お、おぅ。 そっちの世界の金は無いから、従業員として雇う事はできないしな」
「へぇぇぇ、ふぅぅぅぅぅん?」
「俺の神官としてこっちの世界で勤務してもらうついでにウェイトレスとして働いてもらうことにしたんだが……ミユ、なんで機嫌悪いんだ?」
その瞬間、この会話をニヤニヤと覗き込んでいた客たちが一斉に呼吸を止めた。
こいつ……堂々と地雷を踏み抜きおったぞ!?
だが、本人は困ったような顔をして首を捻るだけである。
げに、鈍感とは恐ろしい生き物だ。
もっとも、見世物としては非常に面白いのだが。
「機嫌悪い? ぜーんぜんそんなことありませんよっ!」
唇をツンと尖らせて、プイッと音がしそうな勢いでミユがそっぽをむく。
それと同時に、周囲からヒューヒューとはやし立てるような声が上がった。
ある種の人間にとって、他人の痴話げんかほど美味しい酒の肴は無い。
「やっぱり機嫌悪いじゃねぇかよっ!」
「べつにぃ? 可愛そうな女の人を見ると節操なしに口説く熊なんて知ったことじゃないしぃ」
その指摘に、ユウイチロウの顔がピシッと固まった。
どうやら、心当たりがあるようである。
「いや、ほら、俺も一応は神だし、困っている人間を見つけたら救うのが義務とい
口の中で滑舌の悪い言葉をごにょごにょと唱えていると、ミユの指がユウイチロウの頬をつまんで思いっきり横に引っ張り始めた。
「おほほほほ、よく伸びる頬だこと」
「うーっ、うーっ」
そしてユウイチロウの目に涙が光始めたところでようやく頬を引っ張る手を緩める。
ヒリヒリと痛む頬を両手で押さえる姿は、森の王というよりは借りてきた猫のようであった。
そんなユウイチロウに、ミユはさらに追い討ちをしかける。
「困っている人間を見つけたら救うのが義務?
だったら、なんで女の人ばかりなの? 前に似たような事があった時も女の人だったよね?」
「いや、男なら自力でどうにかしろというか……」
「言い訳無用!!」
……とまぁ、こんな調子で延々とユウイチロウが叱られ続けているのだ。
そんな二人の様子を見ながら、店の中で楽器を奏でていたエルフが、演奏の終わりと共にボソリと呟く。
「無意識に口説くのは上手いくせに、あいかわらず女心がわかってないのよね」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
エルフの楽師の呟きに、飲み物を持ってきた有紗が思わず言葉を漏らした。
「そうなのよ。 なのに本人はあの子にしか興味なくてねぇ」
「それは……またひどい男ですね」
やれやれ、本当に男って生き物はどうしようもない。
二人がそろってため息をつくその視線の先では、今もユウイチロウがミユにこっぴどく叱られている。
ふたりにとっては残念なことだが、その二人の間に誰かが入り込めるような隙間はまったく見つからなかった。
もはやそれは、見ているほうが妬みを感じてしまうほどに。
「でしょ。 よかったら、あとで一杯付き合ってくれない? かわりに私の失恋話を肴にしてあげるわ」
「え、いいのですか? そういうの辛くないですか?」
「いいのよ。 女はね、そうやって心の傷を舐めあってピカピカの宝石みたいに綺麗になるんだから」
そう告げながら、エルフの楽師は茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「じゃあ、私の話も聞いてもらえます? ひどい男に引っかかっちゃったんですよ」
そんな台詞と共に笑いながら、有紗は失恋がすでに思い出話になり始めたことを感じはじめていた。
だが、彼女にはまだ気付いていない。
彼女の横顔は失恋をする前よりもずっと美しく、その笑顔におもわず見とれいてる客が何人もいることに……。
バル・アレグリアスの日常 卯堂 成隆 @S_Udou
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