第1話 老婆かく語りき ②

 魔術式研究に特化した研究都市である第3都市≪ダラススライア≫の外れも外れ。ダラスフォレニアという森の奥に、彼の祖母は住んでいた。

 実験森林とも呼ばれているその森は、その呼び名の如く、森の浅いところでは研究者たちがこぞって好き勝手に魔術式を書き起こしては、術式決壊を起こして爆発が起こる。

 祖母も最初は街寄りの場所で過ごしていたが、爆発音が酷いと言って、奥地に越してしまったのだ。奥に行けば行くほど、危険度の高い魔獣が存在しているのだが、祖母は意に介さず暮らし続けている。


「これ、本当に大丈夫かよ」


 この先危険。立ち入るべからず。

 そう書かれた立て札を眺めつつ、魔獣が街に入らないよう張り巡らされた結界縄を、器用に避けていく。その大胆な避け方には、最悪千切っても自分で直すか、または祖母に直してもらえばいい、という心根が透けて見えた。


 幼少の頃はよく祖母の家に通った彼だが、祖母は彼が魔術研究大学に入ると同時に奥地に引っ越し、結果、足が遠のいてしまった。

 森の浅いところでも、街の中に暮らす彼にとって随分遠くに感じたというのに、奥地に行こうとすれば、その倍以上は掛かってしまう。大学に入学した彼の時間は果てしなく有限であった。一日が300時間あれば良いのにと嘆く彼にとって、祖母の家は過去よりも遠く感じるものとなってしまっていた。


「まあ、気晴らしにはなるよな」


 呟いた言葉は嘘ではないが本心でもない。けれど、それを意図的に自らに対しても隠すように、呟くことで暗示をかけた。

 彼が歩き続けて、どのくらい経っただろうか。傾いた夕暮れが月に代わる頃、彼は祖母の家に辿り着いた。


「遠すぎるよ、婆ちゃん」


 息も絶え絶えに呟き、周囲の木よりも数倍も幹の太い大木を眺める。

 その大木には、ヒュアノイドより少し大きいくらいの扉が付けられている。


「婆ちゃん、俺だよ」


 扉を少し乱暴に叩くと、中から落ち着いた女性の声がした。


「放蕩孫の声がするけど、これは気のせいだね。あたしの知っているあの子は、こんな乱暴な叩き方はしないし、ましてや妙齢の女性のことを ば・あ・ちゃ・ん! なんて呼ばないはずだからね」

「婆ちゃん! 前半の言葉と後半の言葉が矛盾してるよ! ここまで来るのにクタクタなんだよ、中に入れてくれないか?」


 彼の言葉に、中から小さな声でブツブツと言い返している言葉が聞こえたが、彼はきにしないことにして、扉を叩き続けた。


「分かった、分かったから! 今開けるから。その、叩くのをやめとくれ!」


 そう女性の声が聞こえると、すぐに扉は開かれ、彼はするりと中に入り込んだ。


 大木の中は、いくつもの部屋に別れているようで、人一人暮らすのは訳ないように見えた。どうやら彼の祖母は夕食を作っている途中であり、軽口を飛ばしながら切りの良いところまで支度を終えたようだった。


「全く。いつまで経っても、婆ちゃん婆ちゃんと。何度言ったらお姉さんと呼ぶんだい、あんたは」

「婆ちゃん、いくら見た目が若くても、俺は孫なの。婆ちゃんは婆ちゃんでしょ」

「まあ、なんて子だろうね! それなら名前で呼んで頂戴な。あたしには<セルリナス・ナルド・リリアリア・セレス・アルシャード>って名前がちゃあんとあるんだよ!」

「それ、毎回聞いてるけど覚えられないんだよね」

「やっぱりあんたはあたしの孫じゃないね! この放蕩孫! 覚えられないならセレスさん、とだけ呼びな! それかセレナ嬢!」


 セレナ嬢、はないだろうと彼は思ったが、これ以上祖母の機嫌を崩したくなかったので、そっと心にしまった。


「それで、今日は何しに来たんだい? あんたとあたしなら顔を合わせなくても構いやしないだろう?」


 祖母セレスの問いに、ちょっと相談したくて、そう答えようとしたが、それより先に祖母が口を回した。


「昔を思い出して、英雄様の話でも聞きたくなったかい?」


 彼の連続した思考は、祖母の言葉に断切させられた。幼少の頃に散々聞かされた覚えのある英雄様の話、それがなぜだか心に強く引っかかった。


 ――それだ。そうだったんだ。俺はなんて勘違いをしていたんだ!


「ああ、聞かせたほしいな。婆ちゃんの昔話」


 付き物が取れたような表情をして言った。

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僕の嫌いな英雄物語 猫柳 @CBeT1129

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