第1話 老婆かく語りき ①
この研究を始めた切欠は何だったか。
彼は思考を少し逸らしながらも、自らの手がける稀代の研究を緻密に続ける。
―英雄思想問題に対する時空魔法によるアプローチ
現代社会に渦巻く解決策の見えない問題点への直接解決を目指した彼は、過去改変による根本的解決への可能性に着目し、研究課題の一つとした。英雄思想は現代社会において問題視されながらも、必要不可欠な存在として認識されている。そのため、研究室での課題発表の際、大きな波乱を生んだのは言わずもがな。
けれども、それも一時のこと。過去改変という荒唐無稽な内容に、周囲はこの研究を実現不可能なものと断じた。結果、研究資料としての価値は見出されたものの、命題に対する反証としての研究と相成った。
そもそも、過去を改変する魔術式など見つかっておらず、この分野に関しては、多くの研究者が人生を費やし、そして敗れた魔術である。そのことが、過去改変は実現不可能である、として証明されたようなものであった。
だが、彼はこの研究に一筋の光を見出していた。その理由は過去の先駆者たちが死残した末期の言葉である。
『今、わかった。私にあと半年の余命があれば証明できた』
過去改変の研究者たちは、ほぼ全員これと似た言葉を残したとされている。当然、こんな言葉は誰にも信用されない。間際に残された後悔の言葉と思われている。多くの研究者がその言葉を残したのも、世間からは一種の流行りとさえ思われていた。
しかし、彼はそう思っていなかった。彼の師匠と言える人物も先の研究者と同じく、その言葉を残したからであり、さらにその姿を最期まで見届けたからである。
師匠が旅立つ寸前、彼の名前を呼び、書き物を持って来いと叫んだ。一も二もなく、彼は急いで羊皮紙と筆を渡したが、書き始めてすぐに師匠は項垂れてしまった。
『駄目だ。時間が足りぬ』
その一言を残して、筆を置き、永い眠りへと誘われてしまったのだ。そのとき書き残したものを彼も読んだが、ただ一文だけ記されていたのみであり、一切の手掛かりにはなっていない。
けれども、彼が見た師匠の眼差し、そして絶望の表情は、真に迫っており、洒落や一興を行うような姿ではなかった。師匠という人物をよく知る彼としては、その言葉を信じざるを得なかったのである。
果たして彼は、師匠の意思を継ぎ、重要視されている英雄思想問題にこじ付けて、多額の研究費を得ようとした訳である。残念ながら目論見は外れ、期待されない研究となり、そこそこの額しか貰えなかったのだが、無いよりはマシと思い込んで、彼は納得することにしていた。
「どうしても、行き詰まるねえ」
ぽつりと独り言が漏れる。それもそのはず、現在の彼の研究は、師匠が一度通った道であり、同じ問題にぶつかるのは当然のことであった。そしてそれは、過去の偉大な研究者たちがぶつかってきた問題である。
「不可逆式の構築。師匠は本当にこんなものを証明できたんかねえ」
ついと弱音が漏れる。と同時に、最期の姿を思い出す。
「私は勘違いをしていた、か」
師匠の末期の言葉を口にする。それは彼に渡された師匠からの手掛かりと言えるが、最期の意地悪な謎かけとも言えた。
「師匠が引っかかっていたのは、時間概念の普遍的法則だ。これを如何にして突破するか。それには不可逆式の構築によって、概念の逆転を限定的に行い、ある地点のみ時間の逆行を行えれば良いわけだが…」
その構築がどうあがいてもできない、つらつらと口から洩れた独り言は、そう言って締めくくられた。
「せめて、机上理論でもいいから、実現可能にならねえかなあ」
彼は椅子に凭れ掛かり、背中をグッと伸ばすとスクリと立ち上がり、帰る支度をし始める。
「たまには婆ちゃん家に帰るか」
ポツリと言い残すように、彼は自らに与えられた個人研究室を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます