第3話 二人の間に生まれたもの

翌日、学校に向かう途中でカイトを見かけた。俺がカイトの肩を叩いてやると、少し驚いてこちらを見た。

「なんだケイか」

「よっ。黒髪美少女はどうだった?」

「あー、それが結構な時間待ってたんだけど、どうもいなかったみたいだ」

「そうか。そりゃ残念だったな」

「ああ、まったくだ。一目でいいから見てみたかったぜ」どうやら本当にがっかりしているようだ。美少女一人に何をそこまで落ち込むのだ。

「まあいいさ!俺には中原先生がいるからな!」

「今日、現国ないぞ」

「マジかよ…」少しだけ、本当に少しだけかわいそうに思えてきた。というか、授業内容確認して来いよ。教科書とかどうしてるんだ?

「いや、俺はあきらめないぞ!今日の放課後も見に行ってやる!今日は見つかるまで張り込みだ!」

「おお、その意気だ!警察には厄介にならないでくれよ!」

「まさか!警察だって、話せばわかってくれるさ!」

「お前がストーカーだってことがか」

「ちげえよ!俺が純粋な少年だってことだよ!」

純粋な少年は美少女を探すために張り込みなんてしないと思うのだが、ツッコまないことにした。疲れるのは坂道を上ることだけで十分だ。


 授業終了のチャイムがなると、カイトはすごい勢いで飛び出していった。

「じゃあなケイ!ボンジュール!」

なぜフランス語で挨拶をされたのかはわからないが(別れの挨拶と勘違いしているのだろう)、カイトはこの後放課後のホームルームがあるのも忘れて飛び出していった。、まるで朝の様子が嘘のようだった。今日は金曜日だったな。月曜日の報告を楽しみにしておこう。

少しして担任が入ってきた。朝はいたカイトがもう既にいなくなっていたことに気づくと、とても呆れた顔をしていた。

ホームルームが終わり、特に用事もないのでまっすぐ家へ帰った。部活には何も所属していない。中学の頃は一応テニス部に所属していたが、一年間続けた結果俺には運動の才能がないということがわかり、二年になってからは幽霊部員になった。特に誰にも引き止められなかったところを見ると、俺の選択は正しかったと言えるだろう。

 家には誰もいなかった。父と母は共働きをしており、帰ってくるのはいつも夜遅くだ。二つ下の妹が一人いるが、俺と違って活動的なので、この時間はまだ部活をしている頃だ。ちなみに部活はバスケ部で、どうやら期待のエース、ということらしい。

部屋に戻り、椅子に座って一息ついた。今日はなんだか疲れた。特に何もしていないのにな。

俺はベッドに寝転がった。そのまましばらく携帯をいじってるうちに、いつの間にか眠ってしまった。


いきなり頬に痛みが走った。何事かと思って飛び起きると、いつの間にか妹が横に立っていた。

「いつまで寝てんの。とっくに夕飯できてるよ」

時計を見ると七時を回っていた。俺が家に帰ってきたのが四時半頃だったから…二時間近くも寝ていたのか。

「だからっていきなり叩く奴がいるか。もっと優しく起こしてくれよ」

「わかったわかった。今度はもう少し優しく叩くから」

「だから叩くなって」

「早く下降りてきてよね。今日は兄貴の好物のカレーだよ」

そう言って妹は部屋を出ていった。別にそんなにカレー好きじゃねえよ。

 平日は帰りが遅い父と母に代わって、夕食を作るのはいつも妹だ。特に妹の方も不満はないのだが、年に一、二回妹が「いつも私ばっかりでずるい」と言い出すことがある。そういう時は俺が代わりに作ってやるのだが、夕食を終えた後に決まって妹が「やっぱり私が作る」と言う。その後、またしばらく妹が作り続けてくれるのだが、ある程度経つとまた俺に作れと言ってくる。妹はいい加減俺の料理スキルに見切りをつけるべきだと思うのだが、なぜか未だに俺は期待されているらしい。

 リビングに行くと、食卓にはカレーとサラダが二人分綺麗に並べられていた。

「いただきます」きちんと手を合わせて、食材と妹に感謝の念を送る。

「はいどうぞ」

 カレーを一口ほおばる。うん、美味い。どこに嫁がせても恥ずかしくない味だ。

「なあ妹よ。俺はカレーは別にそこまで好物じゃない」

「知ってる」

「知ってるのかよ! まあいい。とにかくな、お前のカレーは美味い。いつもありがとうな」

「急にどうしたの、気持ち悪い」

「何となくだ。やっぱり、毎日部活のあとに夕食を作るのは疲れるだろ」

「別に。もう慣れたし」妹は何気ない顔でカレーを口に運ぶ。

「そうか」

「そういえばさ」

「なんだ?」

「最近、ユーコちゃん家に来ないよね。どうしたの?」

一瞬戸惑ってしまった。今日はやたらとユーコの名前を聞く。

「どうしてそんなこと聞くんだ?別に、今に始まったことじゃないだろ」

「私、そろそろ受験だからさ。志望校決めなきゃいけないんだけど、兄貴って別に頭良くないじゃん?」

「急に俺の悪口言うなよ」

「それでさ、そういえばユーコちゃんって頭良かったなってこと思い出して。いろいろ聞こうとしたんだけど、そういえば最近会ってないなって」

「ああ、そういうことか」

 ユーコは小さいころ、何度も家に来たことがある。妹も年が近いので、よく一緒になって遊んだのだ。ユーコは妹の事をえらく気に入っており、妹もまた、ユーコのことを慕っていた。

「なんか会ったの?昔はあんなに仲良かったのに」

「別に。何もないよ」

 そう。何もないのだ。あれから俺たちの間には何も生まれていないし、何も得ていない。本当に何もないまま、今まで過ごしてきたのだ。

「中学の時は周りの目を気にしてるのかな、とか思ってたけど」

「周りの目?」

「ほら、中学の時って男子が女子と仲良くしてると、そのことを他の男子にからかわれたりするじゃん?」

「なるほどね」

 周りの目、か。


 中学二年生頃の事だった。その頃俺は、ユーコに対して少し劣等感のようなものを感じていた。一緒の街で育ち、一緒に遊び、一緒の学校に通った。それなのにユーコはみるみる成長していき、片や俺は何も変わらないままでいる。そんな自分が、俺は嫌いだった。自分だけが足踏みをしているような感覚に、イライラしてしまうこともあった。それでもユーコは変わらず接してくれた。今まで通り、仲も良い幼馴染でいてくれた。そんなユーコの優しさは、素直に嬉しかった。

 しかしある時、クラスの男子に何気なくこう言われた。

「なあ、なんでお前とユーコちゃんっていつも一緒にいるの?」

 俺はそいつに

「仲がいいからだ」

と答えた。

すると

「なんで仲良くなったんだ?だって、どうみても不釣り合いじゃん」

と言われた。

 そいつは別に悪気があったわけではない。そいつからしたら、俺たちは明らかにに釣り合わない二人なのだから。そんな二人の関係だの馴れ初めだのを聞きたくなるのは、至って普通のことだろう。

 しかし、その不釣り合いという言葉が俺の胸に深く突き刺さった。今まで自分が少しづつ感じていて、それでも見ないふりをしてきたことを、他人の口から言われてしまったからだ。


なぜ俺たちは一緒にいる?

仲がいいから。

なぜ俺たちは仲良くなった?

家が隣だったから。

じゃあ、もしも俺たちの家が隣じゃなかったら?もしも俺たちの出会いが、周りと同じように中学校からだったら?


それでも俺は同じように、ユーコと仲良くなれただろうか?


 それから俺は、ユーコがなんだか違う世界にいるように見えた。自分がいる世界とはまるで違う、華やかで、明るい世界。何かを持っている人間しか、そこには入ることができない。俺たちは隣に立っているように見えても、実は間には見えないガラスのようなものがあって、いくら距離が近かったとしても、互いが本当に触れ合うことはできない。

 そしてだんだんと、俺はユーコから離れていった。見えないガラスを壊してでも向こうに行こうと思えるほど、俺は強くなかった。


「ねえ、聞いてるの?」

 我に返ると、妹が目の前にいた。顔を近づけて、しかめっ面でじっと俺の目を見つめていた。

「ごめん、何の話だっけ」

「もういいよ」妹は頬を膨らませた。

「そうか」

しばらく沈黙が続いた。妹はムスッとした顔をしているが、これでも気を使ってくれているのだ。本当に怒っていたら、今頃思うがままに俺に罵声を浴びせていることだろう。こういうとこりはやっぱり、家族だなと思う。

「御馳走様。すげえ美味かったよ。」

「お粗末様でした。食器洗うのは兄貴がやってよね」

「はいはい」

言われるがままに食器を台所に運んだ。

「ねえ兄貴」

「なんだ?」

「兄貴はさ、ユーコちゃんのこと嫌いなの?」

妹はリビングのドアの前で、向こうを向いたまま聞いてきた。

「いや、嫌いじゃないよ」

「そっか」

妹はそのまま部屋を出ていった。

食器を洗っていると、うっかり手を滑らせてしまい、皿を床に落としてしまった。皿は派手な音を鳴らして、粉々に砕け散ってしまった。結構気に入っていた皿だった。つるりとした表面をしており、薄桃色の桜の花びらがとても品よく描かれていた。誰かが踏んでけがをしないよう、俺は急いで片づけをした。つい先ほどまでサラダを載せていたその皿は、今はただの陶器の破片となっていた。

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ユーコには足の小指がない 小津ハルキ @yuni0316

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