第2話 人気者のユーコ
入学して早三か月経ったが、通学路であるこの急な坂道にはまだ慣れない。毎朝汗水たらしながら歩いていると、どうしようもなく惨めな気持ちになってくる。衣替えをしたはいいものの、それは暑いから衣を変えただけのことであって、結局のところ毎朝かく汗の量はあまり変わらなかった。いや、むしろ増えたと言えるだろう。
「よ、ケイ」
後ろから声をかけてきたのはクラスメイトのカイトだ。入学して席がたまたま席が隣になり、そのままなりゆきで仲良くなった。基本的にアホだが良いやつだ。
「おう。朝から元気だな」
「そりゃそうよ。なんたって今日の一限は現国だからな!」
こいつが現国でテンションが上がっているのは、なんとなくわかると思うが現国が好きだからではない。入学してまだ間もないころ、既に授業中の学習スタイルを睡眠学習にシフトしていたような奴だ。そんなやつがなぜ現国でテンションが上がっているのかというと、それは現国を教えているのが若くて美人な女教師だからだ。
「お前がどんなに頑張っても、中原先生は振り向いてくれないと思うぞ」
「馬鹿だな、そんなのわかってるよ。でも、綺麗な人って見ているだけで幸せだろ?」
「それなら、先生も幸せにしてやったらどうだ。いい方法を知ってるぞ」
「勉強はしねえぞ、わかんねえからな」
「お前は先生を幸せにはできそうもないな」
なんてくだらないことを話していたら、いつの間にか学校に着いていた。この鬱陶しい坂道が気にならなくなるなら、くだらない話も悪くない。
教室に入るとほぼ同時に始業の鐘が鳴った。既に中原先生は教壇で教科書を開き始めているところだった。
先生はこちらに気づくと深く溜め息をついた。
「遅いよ、君たち。ホームルームはどうしたの?」
「あれ、今日ホームルームありましたっけ?」と俺が言うと、先生はまた溜め息をついた。
「ホームルームは毎日あるでしょ。もういいから、早く席につきなさい」言われるがまま俺たちは自分の席に向かった。カイトはわざとらしく先生の前を通り、「先生!おはようございます!」と無駄に元気に挨拶した。
「はいおはよう。じゃあそんな元気な鈴本君、教科書の二十一ページ目の頭から読んでくれる?」
「まじかよ…」良かったなカイト。大好きな中原先生ご指名だ。
午前の授業が全て終わり、昼休みになった。俺は教室でカイトと弁当を広げた。
「ケータの弁当って、いつも旨そうだよな」カイトは感心するように言った。
「まあな。母さんが料理上手だから」
「いいよなあ、俺なんていっつも購買のパンだぜ」
「弁当、、作ってもらえないのか?」
「まあ、親父は料理できないしな」そう言うとカイトはパンをこれでもかと口に詰め込んだ。
まだ仲良くなって間もないので、俺たちはお互いのことをあまり知らない。なのでこれはあくまで推測なのだが、おそらく、カイトの家には母親がいないのだ。そうでなければ、母親の話をしたのに父親のことを言わないだろう。カイト自身からは何も言ってこないので、俺も特に触れないことにした。詮索屋は嫌われるものである。
「そういえばさ」カイトが目線をこちらに向けた。
「隣の学校に、すっげえ可愛い子がいるらしいぜ。アイドル並みだってよ」
「へえ、どんな子なんだ?」
「髪は黒のロングヘアーで、女子アナみたいな清楚系らしいぞ」
「女子アナが清楚とは限らないぞ」
「いいんだよそんなこと。なんでも、勉強もスポーツもできるんだとか」
「へえ、すごいな」
「あんまり興味なさそうだな」
「まあな」俺は弁当のおかずを摘み、ひょいと口に入れた。
この可愛い子とは多分、ユーコのことだろう。確信は持てないが、そうだと思う。
中学の頃から、ユーコはよくモテるようになった。小学校の頃も十分綺麗な顔立ちをしていたのだが、中学校に入ってから、その美しさにますます磨きがかかった。その上勉強も運動も、なんでも人並み以上にこなしてみせた。そんなユーコが、高校でも人気にならないはずがない。
「なあ、見に行こうぜ!隣の学校の清楚系美少女!」
「中原先生はどうした」
「それはそれ、これはこれ!」
「節操のないやつめ」
「なあいいじゃん行こうぜ!」
わざわざ見に行かなくても、俺の家の隣に住んでるからな。それに正直、ユーコにはあまり会いたくない。
「遠慮しとく」
「なんで!」カイトは思い切り顔を近づけてきた。とても鼻息が荒い。
俺はカイトを納得させる理由を少し考え、こう言った。
「俺は中原先生の方がいい」
カイトは少しぽかんとした顔をすると、すぐさま大笑いした。やっぱり言うんじゃなかった。
放課後になった。あの後、カイトは終始笑いっぱなしだった。「まさかお前が中原先生のことを好きだったとはな!」と言ってケタケタと笑い続けていた。何がそんなに面白いんだか。お前だって中原先生のことが好きじゃないか。
結局カイトは一人で隣の学校に向かっていった。部活に参加していない俺は、早々に荷物をまとめ帰路に着いた。
帰り道、坂を下りきったところで隣の学校の生徒も混じってきた。ちょうどこの坂道が、俺が通う学校と隣の学校との分かれ道なのだ。坂を上らない悠々自適な彼らの制服は学ランにセーラー服で、この学校のセーラー服は可愛いと、ここらに住む女子高生に評判だった。一方毎朝坂道での運動を強いられる俺たちの制服は、男女ともに地味なブレザーだ。
この生徒の中にユーコがいるかもしれないが、カイトは見に行ったまま特に何も連絡をよこさないし、多分まだ学校にいるのだろう。そしてそれをカイトが気持ち悪く眺めているのだろう。別に普段からこっそり帰っているわけではないが、今日はあの話のせいでついついユーコのことを探してしまう。
そういえば、通学路がこうも被っているというのに、よく今まで一度も顔を合わせなかったな、と思った。俺の方から避けているにしても、何かしらの偶然でばったり、なんてことはありそうなものだ。少し不思議に思ったが、考えるとすぐに結論は出た。簡単な話だ。ユーコの方も、俺のことを避けているのだ。どちらか一方だけが気を配っているだけなら、その一方が気を抜いたせいで出会ってしまう、ということはあるかもしれない。しかしどちらも互いのことを意識していたなら、互いが互いを避けて生活していたなら、偶然出会うという確率は、ごくわずかなものになるだろう
答えに納得して改めて思った。俺たちの距離は、もうこれほどまでにひろがってしまったのだなと。家が隣だというのに、学校がすぐ近くだというのに。
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