ユーコには足の小指がない

小津ハルキ

第1話 ユーコとケータ

 俺とユーコは幼馴染で、一番の仲良しだった。春夏秋冬、どこを切り取っても二人一緒だった。家が隣同士ということで、家族ぐるみでも付き合いがある。

 いつからユーコと仲良くなったのか、正直今では覚えていない。しかしその分思い出は数えきれないほどある。多すぎて今では思い出せないものも少なからずあるのだろうが、しかしこれだけは絶対に忘れないという思い出が一つある。これだけは絶対に忘れたくないという思い出が一つある。


 あれは、小学六年生の夏休みのことだ。夜中の十二時頃、俺の部屋の窓が誰かにノックされる音が聞こえた。いったい誰だと少し怖くなったが、よくよく聞くと、ベランダから聞きなれた声がした。ユーコの声だ。いつもみたいに、ユーコがベランダをつたってやってきたのだとわかった。しかし、こんな時間に来たのは初めてのことだった。いったいどうしたんだろうと思いながら窓を開けてやると、ユーコは開口一番にこう言った。

「ケータ、流れ星見に行こう!」

 今日はペルセウス座流星群が一番よく見える日だと、夕方のニュースでやっていたらしい。それを聞いたユーコはすぐに親に見に行きたいと伝えた。最初は承諾してくれたが、ケータも一緒がいいと伝えるとそれはだめだと言われた。

「こんな急に、よそのお子さんを夜遅くに連れ出せないよ」

しかしどうしても二人で一緒に見たかったユーコは、こうやってこっそり家を抜け出して来たということだった。

「どうして俺と一緒が良かったんだ?」と聞いてみた。するとユーコは何の迷いもなくこう答えた。

「一緒の方が楽しいもん!」

 家を抜け出す時はとても怖かった。バレたらどれだけ叱られるかわからない。心臓が爆発するのではないかと思うほど動悸していた。十二年間生きてきた中で、一番緊張したことで、一番の悪いことだった。

震える手で玄関の扉を開けると、そこはまるで別世界だった。自分たちがいつも暮らしている街には思えなかった。街灯と月明りが世界を優しく照らし、虫の鳴き声だけが響いていた。俺はなんだか少しだけ、大人になった気がした。

 俺たちは公園へと向かった。俺たちがいつも遊んでいる公園だ。別にそこから星がよく見えるわけではないが、俺たちの足は自然とその公園を目指していた。恐らく今この世界で、自宅以外で唯一「知っている」と言える場所だからだ。

 公園に着くやいなや、俺たちは地面に寝っ転がった。走っていたのでとても息が切れていた。呼吸を整え、空を見上げた。

それはとても不思議な感覚だった。まるで半球体のドームが俺たちの頭上をすっかり覆っているようだった。そしてそのドームには、無数の星々が様々な色で描かれている。月はそれらを優しく見守っているようだった。芸術なんてさっぱりわからない俺だったが、それでもこの光景は美しいと、本能的に理解していた。

俺が星空に見とれていると、ユーコが唐突に声を上げた。

「流れ星!」

俺は思わず、星ではなくユーコの方を向いた。星を眺めるユーコの瞳にも、星空が広がっていた。わずかな光だけが彼女の横顔を照らすその様は、なんだかこの世のものとは思えなかった。ひょっとして、ユーコは宇宙人なのか?そんなことを思った。だからこんなに星空が似合っていて、とても綺麗で、とても…

するとユーコは目をつむった。

「何してるの?」と俺が聞くと、

「お願い事してるの」とユーコは答えた。

「何をお願いしてるの?」

ユーコは何も答えなかった。俺は再び星空を見上げた。いくつもの星が、いくつもの白い線となり夜空から消えていった。

俺は一生、この夜のことを忘れない。未来のことなんて何もわからないが、それだけは確かに言えた。そしてそれはユーコも同じだろうと思った。こんな素晴らしい風景を、こうして二人で見れたことが、俺にはそれだけ嬉しかったのだ。


 家に帰ると、父がリビングに座っていた。

「何をしていた?」父はこちらを向かずに聞いてきた。

怒られると思った俺は返事に詰まったが、父は決して急かさなかった。

「流れ星を見てた。ユーコと」そう俺が答えると、父はゆっくりとこちらを向いた。

「綺麗だったか?」

「うん」

俺がそう答えると、父はそれ以上何も言わなかった。

 母は俺のことを探しに回っていたようで、家に帰ってきて俺に気が付くとすぐさま説教が始まった。こんなに怒られたのは初めてだった。

説教はとても長く続いたが、母も最後に聞いてきた。流れ星は綺麗だったかと。父の時と同じようにうんと答えると、母は優しく微笑んだ。

 

 あれからもう四年ほど経った。俺たちは別々の高校に通っている。彼女は順風満帆に成長していき、見事地元一番の進学校に合格した。俺はそこそこの高校に、とりあえず進学した。

 もうしばらくユーコとは話していない。あれだけ一緒にいたのが、まるで嘘だったのかのように、俺たちは離れ離れになってしまった。

 あの夜のことをユーコが覚えてくれているのか、あの時は迷わずはいと言えたはずなのだが、それももう定かではなかった。

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