短編 ホームレスの僕はゴキブリを無限に生み出す能力を持っています

水面 平

短編 ホームレスの僕はゴキブリを無限に生み出す能力を持っています

――ドゴッ! バキッ!


 暗い路地裏に鈍い音が響く。


「オラ、何黙ってんだ? 謝れよ。泣き叫んで這いつくばって俺らの靴でもなめて謝れよ。盗みを働いてすいませんでした、なめた口きいてすいませんでした、もうしませんから許してくださいってなあ! ヒャハハハハ‼」


 深夜の人気のない路地裏。ガラの悪い、明らかに不良と分かる集団が寄ってたかって蹴りつけるその中心には暴行を受けてボロボロになった一人の少年が力なく横たわっている。それが僕だ。


「っていうかこいつもう死んでんじゃね?」


「さっきから全然動いてないし、マジで死んでんじゃん?」


「マジで? 俺もついに殺人デビュー? まあ、こんなやつ殺したところで特に問題はないだろうけどな!」


「ほんとそれな。こんなホームレス、死んだって気にする奴なんて誰もいねーよ」


「っていうか気づかれないまま腐ってたりしてな」


「何それ、キモ過ぎるんですけど!」


 やっと暴行の嵐が止む。痛かった。まあ、これは僕の自業自得だから諦めるしかない。死ぬほどではないし問題はないはずだ。


「おい、てめぇ、今日はこのくらいにしてやるよ。感謝しな」


 リーダーらしき男がそう言って不良たちはその場から立ち去ろうとする。でも、自業自得とはいえ、やられたままっていうのは不公平だよね?


「ま……て、よ……」


 うまく声が出ない。結構ダメージをもらってしまったようだ。まあいいや。逃げられないように僕は男の足を掴む。彼らを呼ぶにはまだもう少し時間が必要だ。


「あ? んだテメェ!」


 男は苛立った様子でその手を振り払おうと僕の腕を蹴り飛ばす。でも、僕は男の腕を離さない。


「キモいんだよ! ゴキブリ以下のテメェみたいなやつが俺の邪魔すんじゃねぇ!」


 ゴキブリ以下、か。まったくもってその通りだよ。でもそのセリフは彼らに対する侮辱だよね? 侮辱は良くないと思うんだ。僕はゆっくりとその口を開く。


「そうさ、僕は彼らの足元にも及ばないような矮小な存在だよ。だけど、それでも、だからこそ、僕は彼らみたいに強く生きると決めたんだ」


 よし、ちゃんと声も戻ってきた。この調子だ。

僕はゆっくりと顔を上げて、男の顔を見据える。いかつい顔だなぁ。男は僕の目を見たら一歩後退った。そんなに僕ってひどい顔なのかなぁ、傷つくよ。


 僕は男の体を支えにゆっくりと立ち上がる。そしてきっぱりと宣言する。


「だから、僕はたとえ帰る家が無くってもこの世界で生き抜く。彼らと一緒にね」


「て、てめぇ! さっきからごちゃごちゃと何分け分かんねえこと言ってんだ! ぶっ殺すぞ!」


「どうぞご自由に。できるものならね。あと、そこから動かない方がいいよ」


「ざけんなてめぇ! マジでぶっ殺す!」


 お、挑発にかかった。やっぱり見た目通りみんな単純だね。


「テメエら、やっちまうぞ!」


 僕に向かって不良たちが襲い掛かってくる。でもさ、もう遅いんだよ。


――グシャリ


 何かを踏みつぶす音が響く。あーあ、やっちゃった。だから動かない方がいいって言ったのに。僕の心に大きな怒りが湧き上がる。でも、ここは我慢しよう。どうせ僕が怒らなくても彼らが許さないのだから。


「なんだ? これ?」


 不良たちは自分が何を踏んだのか分からずに戸惑っている。そりゃあそうだ。今は真夜中。明かりなんてほとんどない路地裏で、足元なんて真っ暗で何も見えない。でも、親切な僕は種明かしする。


「僕や君たちなんかよりもよっぽど強くて素晴らしい完全な存在だよ」


「はあ? 何言ってんだ? コレが何なのか知ってんならさっさと言え!」


 これだけ言っても分からないの? これだから不良ってやつは。親切すぎる僕はちゃんと答えを教えてあげる。


「さっき君たちが言ってたじゃないか。今君たちが踏んで殺した彼らはゴキブリだよ」


「は? ゴキブリ?」


「うん、そうだよ」


 僕は軽く頷く。


「ハハ、なんだ、ゴキブリかよ。ビビッて損したわ」


 不良たちはあからさまにほっとしている。彼らはこの期に及んで本当に何も理解していないみたいだ。これだから以下略。天使のように親切な僕は以下略。


「ほんとに君たちは何も理解していないんだね。彼らは強くて賢いよ。仲間が誰に殺されたかわかるし、仇討ちのためなら団結してそいつをしとめる。だから、」


――カサカサ

 静かな路地裏に何かがうごめく音が響く。


「な、なんだ⁉ そこに誰かいるのか⁉」


 神経が過敏になった男が後ろを振り返って叫ぶ。だけどそこには当然誰もいない。


――カサ、カサカサ


 四方八方から音が響く。


「お、おい。この音は何なんだ?」「やっぱり誰かいるのか⁉」「いや、これは、もしかして……」


 不良たちが口々に叫んでいる。君たちは臆病だね。一応気づいたやつもいるみたいだ。


「でも、気づいた時にはもう遅い」


 彼らの包囲網はすでに完成している。気付いた時にはその足元に這いよっている。


「君たちさ、聞いたことない? 一匹見たら百匹いると思えって。十匹殺したら、殺されると思えって」


 前者はともかく、後者は聞いたことないって顔だね。でも、そうなんだよ。


「君たちは彼らの怒りを買ったんだ。君たちに明日はない」


 仲間を殺された怒りを爆発させて、彼らが男たちに飛びかかる。足を伝って上へ上へと這い上っていく。もうこうなった彼らは僕の言うことも聞いてくれない。残念だけど不良君達はもうだめだね。


「お、おい、なんだよこれ! なんでこんなに! やめろ、上ってくるな! 誰か助けッ、アッ、顔はま」


 彼らは振り払われても踏みつぶされても、尽きることなく上ってくる。当然だ。だって僕が召喚し続けているんだから。でも、そろそろ終わりにしていいかな。

 男たちは彼らに全身を埋め尽くされて、全身まっくろだ。月明かりに照らされて、彼らの黒光りする羽が美しく光る。


 ここから先の一方的な蹂躙は見るに堪えないから、僕はそろそろお暇させてもらおう。

 そう思って、僕は踵を返す。


「お、お前! どうしてお前は無事なんだよ! 無事なら助けろよ!」


 顔まで埋め尽くされてるのに、まだ僕のことが見えるんだ。無視するのも可哀そうだし、答えてあげようか。


「僕は彼らの仲間だからね。でも、もう僕でも彼らを止めることができない」


「そんなッ、助けてくれ! いや、お願いですから助けてください何でもしますゲホッ!」


 ああ、口の中に入っちゃったのか、これは中々えぐいよね。でも、言ったでしょ。僕でも止められないって。これだか以下略。


「ごめんね。まさか君たちがここまで彼らを怒らせるとは思ってなかったからさ」


本当に、何度言ったらわかるのかね。泣いて謝ってももう無理なんだよ。これ以下略。天使の以下略。


「もう、どうしようもないんだよ。だってほら、僕ってばしがないホームレスだからさ?」


 そう言って、今度こそ僕は路地裏を離れる。


 あとにはカサカサと彼らの這う音とグチャグチャと何かを咀嚼する音だけが響いていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



――僕の日記帳 3月21日


 もう何度も書いたことだけれど、今日は彼らを僕のせいで殺してしまったから、この力と彼らのことについてまた書こう。

僕は生まれつき不思議な力を持っていた。それがこの、虫を無限に生み出し、操るという力だ。実際のところ無限かどうかは分からないけど、一万匹生み出したこともあるから、無限と言っても差し支えないと思う。

 この力のせいでというか、この力のために、僕は今まで苦しい人生を歩んできて、そして今もこんな帰る場所もない生活をしている。


僕は生まれてから一時間くらいずっと、右手を握りしめていたらしい。不思議に思った両親は僕の右手を開かせた。するとそこから奇麗な蝶が一羽、飛んでいったという。

 それだけなら奇跡のような話で済まされるのだが、当然、それだけで終わるはずがなかった。目を離すと数匹のゴキブリと楽し気に遊んでいた。朝起きると、百羽以上の蛾が僕を包むように乗っていた。スズメバチの群れは僕が指を動かせばその方向へと動いた。


そんなことが続いて、僕の両親は僕を気味悪がり、次第に嫌悪の目さえ向けるようになった。

 僕が物心ついた時にはもう、怒鳴り散らされ、手をあげられるのは日常茶飯事だった。僕が虫と一緒にいると、それが僕の生み出した虫でなかったとしても、僕の目の前でその虫を見せつけるように無残に殺し、甲高く笑った。僕の両親は、父は警察官で母は現役の弁護士と、二人とも聡明な人なのだが、それでも、度重なる異常に精神をすり減らして、気が狂ってしまったのだろう。愛着のある虫たちを殺されたくない一心で、僕は自分の力を制御するすべを必死になって身に着けた。そうして、時折親に隠れて虫を生み出し、一緒に遊んでいた。

 僕にとって虫たちは、唯一の親友であり仲間だった。


特に僕はゴキブリを好んで生み出した。

 ゴキブリは僕のようにみんなから嫌われ、虐げられているにもかかわらず、厳しい環境でも強く生き抜く。そんな生き方に僕はあこがれたんだと思う。それに、ゴキブリはすばしっこくて賢いから、両親に見つかっても、上手く逃げおおせることができた。

 今の僕がゴキブリしか使役しないのも、それが根幹にあるからだ。


そして小学校を卒業し、中学校に入学しても、周りの環境は何一つ変わることがなく、中学校の卒業式、義務教育が終わったその日のうちに、僕は家から追い出された。


その日から約二週間、僕は帰る家のない生活をしている。こんな生活だけど、僕はこの力と彼らを恨んだりはしていない。彼らに罪はないのだから。彼らは僕のために食べ物を見つけてきてくれた。眠るときに寒くならないようにとその小さな体をみんなで寄せ合って僕を包んでくれた。今日みたいに、僕を守っていてくれた。感謝こそすれ恨みようがない。今日は僕のせいで37匹の仲間を失った。本当に、ごめんなさい。いつまでも頼りっぱなしではいけないよね。彼らに苦労を掛けないためにも、仕事でも探そうかな。いや、だめか。どうせあいつらが邪魔しにくるに決まってる。蹴られた体が痛いよ。明日までに治るといいな。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 三月も半ば。もう春の気配がそこかしこにあるけれど、外で寝るにはまだ寒い。でも優しい彼らのおかげで冷えることなく気持ちよく目覚めることができる。僕が目を開けるとその気配を察知した彼らはササササと僕の上から降りてくれる。本当に賢いな。僕なんかにはもったいないくらいだ。


そんなことを考えながら僕は目を覚ます。ここは古い廃工場の中。風雨が凌げて人も来ないから、ここを見つけて以来は毎日ここに寝泊りしている。ベンチから起き上がって体を伸ばす。まだちょっと体の節々が痛いけど動く分には問題ない。立ち上がると、僕の足元に彼らが群がってきた。彼らの背中にはいくつものコインが乗せられている。


「ありがとう」


 お礼を言って僕は彼らが集めてきてくれた小銭をいただく。頼んでもいないのに、彼らは夜のうちに落ちている小銭を集めて持ってきてくれるんだ。そのおかげで僕は今でも飢え死にしないでいられる。


「それじゃあ、この場所で待ってて」


僕は彼らが集めてきてくれた小銭を手にコンビニへ向かう。今日はいつもより多くて三千円ほど集まった。余裕があるから、少し贅沢をしようかな。


「いらっしゃいませー」

店員さんの眠そうな声が店内に響く。朝からアップテンポの音楽がかかる店の中に客は僕一人しかいない。こういう時はゆっくり選びたいけれど、みんな待っているから早く買ってしまおう。

 僕は自分用におにぎり一個とお茶を一本。今日は少し贅沢して、ツナマヨではなく辛子明太子にした。自分の分を確保したらあとは彼らの分だ。

彼らは基本何でも食べるけど、好みは存在する。僕は彼らに特別名前を付けたりはしていないけど、後ろ脚が長いあいつは卵サンドが好きだし、ひげがチャームポイントなあいつはクッキーとかの甘いものが好きだ。そういったそれぞれの好みにできるだけ合致するように商品を選んでいく。

朝の分はまだ少しお金が余るな。それじゃああれも買うか。あれはみんなのいろいろな好みの中でも、唯一全員が間違いなく喜ぶからね。


「すいません。カミチキ二つもらえますか」


 レジに買い物カゴを置いてから店員さんにそれを注文する。そう、その答えは揚げ物である。彼らは全員そろって揚げ物に目がないんだ。たまに出すととても喜ばれる。喧嘩こそしないけど、みんなテンションが高くなる。いつもは分量の問題もあって小さな唐揚げがたくさん入ったやつを買っていたけど、今日は二つ買うだけのお金があったので豪勢に大きめのフライドチキンにした。


「ありがとうございます。全部で1364円です」


 彼らが集めてきてくれた小銭をジャラジャラと出して支払う。十円玉が十六枚とかあって、店員さんが少し嫌そうな顔をしていた。

 何はともあれ、今日はいつもでは考えられないようなごちそうだ。早くみんなが喜ぶ顔が見たいな。


 ルンルンと軽い足取りで廃工場へと戻る。僕は破れたフェンスを潜り抜けて中に入った。僕もお腹がすいてきたよ。


「ん?」


 だけど、視界に入る景色に違和感を覚えて僕は眉をひそめた。何かがいつもと違う。

 注意深く周りを見ながら歩くとその正体はすぐにわかった。立ち並ぶいくつものプラントの建物のドアが全て開いていたんだ。朝は閉まっていたはずなのに。


 まるで何かを探すようだ。


「まさか⁉」


 最悪の想像が僕の頭をよぎっていく。不安になった僕はみんなの待つ一番奥の建物へと走り出した。




「みんな!」


 既に開け放たれたドアをくぐって中へ走りこむ。

 そこで僕が見たのは、


「やあ、遅かったね」


 そう言って笑顔を浮かべながら火炎放射器を振り回す包帯まみれの男と、火の海となった床で燃えてゆくみんなの姿だった。


 みんながキイキイと苦しそうなうめき声を上げて、燃え移った炎に身を焼かれていく。


立ち尽くす僕の手からコンビニ袋が落ちる。転がったおにぎりやフライドチキンの包みが彼らの骸とともに赤く染まっていく。


 体中から力が抜ける。床に膝をついて崩れ落ちる。


「何で……どうして……」


 力ない僕の問いに男はとても楽しそうに答えた。


「何故って、そんなのは復讐に決まっているじゃないですか。まだ疼くんですよ? あなたにつけられたこの傷は」


 包帯まみれの男はそう言ってまた笑った。


 怒りがわいてくる。みんなを殺したこいつを今すぐ殺してしまいたい。それでも僕はまだ、復讐と言った、この男の正体を思い出すくらいの冷静さは残っていた。

 こいつは僕がホームレスの生活を始めてから何日かしたある日の夜、突然僕にナイフで襲い掛かってきたんだ。それで、僕は何とかみんなを生み出して倒したんだけど、どうやら生きて、なおかつ僕とみんなに強い恨みを持って戻ってきたらしい。初めに理由もなく襲ってきたのはこいつなのに。


「最初に襲ってきたのはそっちだろ⁉ 自業自得じゃないか!」


「確かにそうです。でも、やられっぱなしじゃ公平じゃないですよね? それに、私はあなたを殺すように命令されていますから」


「誰に?」


 僕のその問いに男は意外にもすんなりと口を開いた。


「私の上司、あなたのお父様ですよ」


 僕の反応をうかがうように男がニタリと笑う。だが、あいにく僕は両親に関してはもう諦めている。もとはと言えば僕の力がいけないのだし。

 僕の反応が薄いのを見た男はしかし、その気持ち悪い笑みを崩さない。


「私が誰に指示されたかなどどうでもいいのです。重要なのは、私は貴方に復讐しに来たということ。私はあなたが泣いて許しを請う姿が見たいのですよ」


 そう言って男は何かを取り出した。弁当箱くらいの大きさの箱、それを僕はよく知っている。


「火を放てば当然外に出ようとしますよね。そこにこれを置いておけば、ほら、簡単に引っかかります。ゴキブリなんて、所詮この程度ですよ」


 そう言って男は箱の上部を引きちぎる。現れたのは箱の底をびっしりと埋め尽くす黒い背中。そう、姑息にもこの男はゴキブリホイホイを使たのだ。もちろん彼らはこんな幼稚な罠に引っかかるほど愚かではない。でも、内部が炎で埋め尽くされている状態で、外にこれを仕掛けられたら、屈辱的な捕らわれ方をするか、炎に身投げするしかない。

 こいつはそんな究極の選択をみんなに無理やり選ばせたんだ。


「貴様ぁ!」


 途方もない怒りに身を任せ、僕は男に殴りかかろうとする。


「いいのかい? そんなことをするようなら、君の大事な大事なお友達を火の中に落とすことになるけれど?」


 ゴキブリホイホイを僕の方へかざし、男が面白そうに僕を脅す。


「くっ、」


 僕は彼らには返しきれない恩があって、それ以上に僕には大好きな彼らを見捨てるなんてことはできない。僕は歯噛みして拳を下ろす。


 悔し気な僕の様子に男は満足そうに頷き、そして、


「まあ、やめたところでこいつらは殺すんだけれどね」


 男のもう片方の手にはいつの間にかゴキブリが描かれた缶スプレーが握られていた。


「やめろォォオオオ‼‼‼」


 僕は力の限り叫んで、男に突進する。だけど、それはいとも簡単に避けられ、さらに足を引っかけられて僕は無様に転んだ。


 そして這いつくばる僕の目の前で――男はわざわざ僕の目線にあわせるようにしゃがみこんで――


 ――プシュー

 どこか間の抜けた音が工場内に響き渡る。しかしそれは彼らにとっては死を宣告する銃声と同じ。ゴキブリホイホイというガス室に閉じ込められた哀れな収容者たちはなすすべもなく致死の毒ガスに悶え苦しむ。


 みんなが生き地獄を味わい、キチキチと苦しそうなうめき声をあげている。それなのに、僕は何もできない。炎に満ちたこの場所にみんなを生み出すことはみんなに自殺させることだ。どうすることもできず、僕はみんなが死ぬのを見ていることしかできない。


 やがて、僕の目の前で、みんなの体から力が抜けていき、そしてこと切れた。


「フフフ、無様ですね。この虫たちも、あなたも」


 そう言って嗤う男に僕は何も言い返せない。

 僕の反応がないのを見た男は少し手の中の箱を見つめ、そして


「そうですね、死んだ者に対する礼儀は大切です。せっかくですし、火葬にしてあげましょうか」


 男はみんなの体が入った箱を手近な火に落とすと、それをぐりぐりと踏みにじった。


「アハハハハ! 実にすがすがしい! いい気分だ‼」


 僕はそれを見ても、もう何も思わなかった。もう、だめなんだ。みんなを見殺しにした僕に、その所業を怒る権利など存在しない。


「おや? 大事なゴキブリどもを殺されて、絶望してしまいましたか? 惜しいですね。もう少し苦しんで欲しかったのですが、そろそろ終わりにしましょうか」


 地面に這いつくばる僕に、男はあの火炎放射器を向けた。

 ああ、僕はこれで死ぬのか。みんなと同じように、炎に包まれて。熱いのかな。苦しいのかな。みんなには、本当に悪いことしちゃったなあ。


 男が火炎放射器の引き金に指をかける。


 ごめんね。みんなの仇、取れなかったよ。

 涙が一筋、目じりから頬に伝って落ちた。


「死ね」


 抑揚のないその一言とともに炎が僕に襲い掛かる。


 だけど、その炎が僕に届くことはなかった。何故なら、僕と炎の間に、僕を守るようにみんなが立ちふさがったから。炎の海の中でもう動くこともできないほどにひどい火傷を負ったはずの者や、何とか最初の攻撃から逃げおおせて工場の中に潜伏していた者たちが、死ぬと分かっていながら僕の前に飛び出してきて積み重なって即席のバリケードをつくったから。


 火がつき己の体が燃え出しても、彼らは僕を守るために炎に立ち向かう。燃え盛る黒いその背で僕に生きろと必死に伝えようとする。


 どうして? 僕はみんなに何もしてやれなかった。いつもみんなに頼ってばっかりで、僕のために何百匹も死なせてしまって、誰一人とて助けてやることができなくて。どうしてみんなはそんな僕のために、死んでしまおうと思った僕のために、自分から死のうとするんだ?


「どうして……」


 声にしても彼らは答えてはくれない。今ほどに彼らと声を交わしたいと思ったときはなかった。


「これはこれは、虫と少年の絆というやつですか。……本当に、本当に胸糞悪い!」


 男が積み重なったみんなを蹴り飛ばす。僕の頬を赤熱した一匹がかすめ、一匹が僕の手の中に落ちる。

 通り過ぎる熱は信じられないほどに熱くて。手の中で消え去った命はとても明るくて。


「今度こそ、死にやがれっ!」


 男は語調を荒くしてもう一度僕に向けて炎を放つ。僕はその炎を反射的に横に転がって避けていた。


 簡単なことだ。僕は死を選べなかった。こんな僕を生かすために、自分の命をなげうった彼らを目の当たりにして、選ぶことなどできなかった。


 ごめん、みんな。そう一言念じて、僕は叫ぶ。


「僕のために、死んでくれ!」


 僕は僕の持つ能力を全開にする。全身全霊をもって全力で、ゴキブリたちを生み出す。僕の能力は一匹目を召喚するのに少し時間がかかるけど、一度成功すれば、あとはいくらでも増やすことができる。

 当然彼らは生み出されたそばから地面に広がる炎と熱にやられていく。それでも僕は召喚をやめない。その数は際限なく増大していく。


「ハハハ! 自分が生きるために仲間を殺すのか! とんだゲス野郎だな、ゴキブリ以下だ!」


 まったくもってその通り。僕なんて賢くて強くて優しくて勇気のある彼らには足元にも及ばない。それでも僕は止めない。止まらない。

 みんなの犠牲を無駄にしないために僕はみんなを犠牲にしよう。それが効率的であるかなんて関係ない。彼らの死を無駄死になどとは絶対に言わせない!


「進め! 火がついても、羽が溶けても、火だるまになってでも進め! なんとしてでも、あいつを喰らい尽せ‼」


 僕の声に呼応するように、生み出されたゴキブリたちは真っ直ぐ男を目指す。炎に体を焼かれながらそれでも男に一歩一歩とにじり寄る。


「クソッ! こいつら、急に!」


 死にかけの体でまとわりついてくるゴキブリたちに男はいら立ちの声を上げる。男は火炎放射器を振り回し、足で周りのゴキブリたちを踏みつぶす。


 それでも彼らの進撃は止まらない。

 ついに召喚した数が万を超えた。今や工場の床は燃え盛るゴキブリたちで埋め尽くされている。

 それでも僕はみんなを生み出すのを止めない。


 数匹のゴキブリはすでに男の腰元まで登っている。やがて燃え盛る彼らにたかられた男の包帯に火が付いた。


「クソッ‼ このっ、離れろよ!」


 めらめらと燃える炎を何とかしようと男は暴れまわり、そのたびに周りのみんなが踏みつぶされていく。


「ねえ、君は知ってる?」


 もうこれ以上彼らが死ぬのは見たくない。これで終わりにしよう。僕は男に話しかける。

 男は返事を返す余裕ももはやない。だから僕は一方的に告げる。


「ゴキブリって、飛べるんだよ」


 その言葉と同時に僕は最後の百体を召喚する。火が付いた地面のゴキブリたちも、力が残っているものは皆、空へと舞い上がる。


 広い工場の中を黒一色で埋め尽くす。


「ヒッ! お前、まさか!」


 やっと立場が逆転したことの気づいた男がおびえた声を上げる。だがもう遅い。


「喰らい尽せ!」


 みんなが男に向かって殺到する。


「あッ、ああ、やめろ! こっちに来るな!」


 そんな叫び声などで止まるはずもなく、男はすぐに燃えさかる黒い球体と化した。


 数分後、あとには燃え尽きたみんなの灰と男の骨だけが残っていた。



 僕は一体何匹の仲間を死なせてしまったんだろう。僕は本当にひどいやつだ。こんな僕を見ても死んでいった彼らはまだ、僕に生きていて欲しいと、僕のために死んでよかったとそう思っているのだろうか。僕には分からない。

 遠くからパトカーと消防車のサイレンの音が聞こえてくる。ここにはもういられない。

 工場から出ようと扉をくぐると、工場の回りに配置されたたくさんのゴキブリホイホイが目についた。それらは皆燃え尽き、原形をとどめていない。

 その悲惨な光景に、また、僕の心がチクリと痛む。だけど、僕はその中にポツリと一匹のゴキブリがいるのを見つけた。

 そいつも僕を見つけたようで嬉しそうに僕の方へすり寄ってきた。その背には白く日の光を反射する硬貨が一つ、乗っている。きっと今日の朝にお金を探しに行ってなかなか見つからずに今の今まで探し続けていたんだろう。


「ありがとう。ごめんな」


 そう言って僕が硬貨をつまみ上げると、そいつは不思議そうに触覚を揺らした。


「行こうか」


 たった一匹だけ生き残ってしまった親友を掌に載せ、僕は歩き出した。

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短編 ホームレスの僕はゴキブリを無限に生み出す能力を持っています 水面 平 @minamo_taira

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