第2話 隣町

 峠を越えると、山の景色は様変わりした。ごつごつとした岩は姿を消し、代わりに地面を覆う柔らかな腐葉土が足に心地よい。草花の数と種類も、格段に増えた。レインの知らないものばかりだ。

 この急激な変化にも魔力風が関係している、と昔教育係から聞いた記憶がある。細かいところは忘れてしまった。


 ベルトラン曰く、この辺りはまだ魔物が出ないらしい。最初に魔物と遭遇する可能性が高いのは、ふもとの草原を超えた先にある、闇夜の森だ。だから、それまでに護衛を探さなくてはならない。

 レインたちの国は呆れるほど平和だから、戦闘の訓練を受けているものはほとんど居ない。ベルトランは、数少ない例外のうちの一人だ。

 だが、彼にずっとついて来てもらうわけにはいかない。何故なら、旅には国の者を伴ってはいけない、とで決まっているからだ。

 そもそもこの旅は、一人立ちのための試練のようなものだ。だから本来は、レイン一人で国を出なければならない。だがそれはあまりにも危険だということで、隣町までは供を連れても良いことになっている。


「護衛は信頼できる人物に斡旋あっせんしてもらいますからな。護衛の者以外に心を許してはなりませんぞ」

「分かってるって」

 街へと通じる街道――正確には、通過する多くの人々によって踏み固められた地面――を進みながら、レインは本日何度目かのおざなりな返事を返した。旅の間どのように振る舞うべきか、もう何日も前から嫌になるほど聞かされている。

(護衛って、どんな人なのかな)

 胸の中で、再び不安の雲が膨らんでいく。一か月以上は一緒に過ごすことになる相手だ。気が合うだろうか。


 開きっぱなしの街の門は、細い金属の棒を格子状に組んで作られていた。本格的に魔物が攻めてきたりしたら、すぐ突破されてしまいそうだ。そもそも、城壁も低く簡素なもので、よじ登るのは簡単だろう。

 行きかう人の数はさほど多くない。門番らしき人も見当たらず、出入りは自由のようだった。

「うちとあんまり変わらないね」

「ここはまだ隣国の端の街。王都はこんなものではありません」

「そうなんだ」

 レインは感心したように声をあげた。国の端でうちの城下町と同じなら、なるほど規模が違う。

「さあ、参りましょう!」

 街に入ると、ベルトランは迷いなく大通りを進んでいった。





 外から見た印象と同じく、レインにとって特に目新しいものは無いようだった。通りの両側には、食べ物、雑貨、花など、様々な店が並んでいる。むき出しの地面に座り込み、大きな布の上に売り物を並べた行商人もいる。

 強いて言えば、武装した者が多い。商人ですら腰に剣やナイフを吊っている。やはり国の外はそんなに危険なんだろうかと、不安が増す。


 やがてベルトランは、とある大きな建物へと入っていった。簡素な外観だが、ドラゴンと剣の意匠がほどこされた看板が、でかでかと掲げられている。

(わっ)

 レインは危うく声をあげそうになった。中は大きな広間になっていて、完全武装の男たち――稀に女性も居たが――がたむろしていた。体格の良い者ばかりで、服の上からでも鍛え上げられた肉体が見て取れる。レインは何故かどきどきしてしまった。

(ここが冒険者ギルドかあ)

 歩きながら、きょろきょろと辺りを見回す。冒険者とは、魔物退治や護衛、物探しに人探し、その他報酬さえ払えばどんな仕事でもやるならず者たちだ。と物語の本には書いてあった。冒険者ならよく知っているが、現役を見るのは始めてだ。


 奥にある受付には、いかにもがらの悪い中年の男が座っていた。禿げた頭から右目を通り頬に向かって、大きな傷跡がある。白く濁った眼を向けられ、レインはびくりとした。

(あれ?)

 ここに来てようやく、ベルトランの姿が近くに無いことに気づいた。後ろをついて歩いているつもりだったのに、よく見ると前にいるのは別人だ。ベルトランはこんなに背が高くないし、こんな大きな剣を背負ってもいない。髪も白ではなく褐色ブラウンだ。


「なんだあ? 嬢ちゃん。ここは子供の遊び場じゃねえぞ」

「ええと……」

 受付の男ににらまれ、レインはしどろもどろになった。目の前の若い男が振り返り、不思議そうに眉を寄せる。

「迷子か? それとも連れとはぐれたか?」

 その言葉にすがるように、レインはこくこくと頷く。男はぽりぽりと頬をき、受付の男に言った。

「はぐれたそうだが」

「知るか。衛兵にでも突き出しとけ」

「そうだな、そうするか」

 不穏な空気にレインは慌てた。一緒に探してくれるとか、そういう展開を期待していたのに。


「レインディア様ー! ご無事ですか!」

 と、聞きなれた濁声だみごえが割り込んできて、レインはほっとした。どたどたと走ってくるベルトランの姿が目に入る。

「レインディア様を見失ってしまうとは、ベルトラン一生の不覚! 誠に申し訳ない!」

「うん、大丈夫」

 ひざまずく老人に、レインはこくりと頷いた。周りの人々は、唖然あぜんとしてその光景を眺めていた。

 受付の男だけは二人に胡乱うろんな視線を向けていたが、不意にはっとした表情になって言った。

「ベルトランさん!」

「ん? おお、お主か」

 立ち上がったベルトランは、膝のほこりを丁寧に払った。

「久しいな。今日はお主に頼みがあって来たのだ」

「ええ、はい、お聞きします。奥に行きます?」

「そうしよう」

 うむ、と鷹揚おうように頷く。一人蚊帳かやの外となった若い男が、訝しげに尋ねた。

「……知り合いか?」

「ああ。なんだ、昔、ちょっと世話になってな」

 歯切れの悪い返答に、男は肩をすくめた。


 受付の男は、ベルトランとレインを交互に見ながら、おずおずと尋ねた。

「あの、レイン……ディア様? も一緒に話をされます?」

「いや、説明は私がするからいい。どこか休める場所は無いかな?」

「分かりました。じゃあ、こちらへどうぞ。ほら、ご案内しろ」

 突然話を振られた若い男は、面食らった様子で言った。

「どこにだよ?」

「どこにって、応接室に決まってんだろうが」

「そんなものあったのか?」

 二人の男に先導され、レインたちはギルドの奥へと向かった。





 ベルトランたちと別れ、レインは若い男に従って廊下を歩いていた。彼の背中には、留め具で固定されただけのむき出しの剣がある。レインの身長よりも長い剣だ。後ろから見ているだけでも威圧感を覚え、レインは少し距離を取った。

 着いた部屋はかなり広く、家具は余裕を持って配置されていた。革張りのソファーとテーブルが、ぽつんと中央に置かれている。城の客間ほどではないにしろ、贅沢な作りだ。


 レインが静かに腰を下ろすと、その隣で立ち尽くしていた男が、困惑したように尋ねた。

「何者なんだ? あの爺さん」

「?」

 レインは緩く首を傾げる。ダグラスは言葉を続けた。

「あのギルドマスターがしおらしい態度を取るところなんて、初めて見たぞ」

「ギルドマスター?」

「……さっき受付に居た男だ。このギルドのまとめ役。一番偉いやつだよ」

 なるほど、とレインは得心した。彼が冒険者たちのまとめ役だというのは、妙に納得感がある。主に人相的な意味で。

「よく知らないけど、昔冒険者だったって聞いたよ」

「ほう」


 しばらく待っていると、憮然ぶぜんとした表情のベルトランが帰ってきた。遅れて入ってきたギルドマスターが、若い男に向けて上機嫌で言った。

「喜べダグラス、仕事だ。レインディア様の護衛という光栄な仕事だぞ」

 それを聞いたレインは、若い男、ダグラスに思わず視線を向けた。彼は目を丸くし、慌てたように言った。

「待て待て、勝手に決めるなよ」

「これはギルド依頼クエスト扱いだ。拒否権はねえぞ」

「おいおい……」

「期間は最大二か月、報酬は金貨二百枚だ。文句あるまい?」

 不満げに顔を歪めていたダグラスだったが、金額を聞いた途端に目の色を変えた。高いのかな? とレインは首を傾げる。

「二百枚だと? マジで言ってんのか? 一年は食えるぞ」

「大マジだ。ほら、前金の金貨百枚」

 ギルドマスターが、中身の詰まった布袋を投げる。ダグラスはそれを抱き留めるように受け取ると、中を覗き込んで息を飲んだ。

「……マジだな」

「詳しく説明するからついて来い。……えー、しばらくここでお待ちください、レインディア様。あ、すぐにお茶でもお持ちします」

「うん」

 レインは小さく頷く。ギルドマスターがダグラスを引っ張り、その後ろでベルトランがぶつぶつと文句を言っていた。

「まったく、レインディア様をどこの馬の骨とも知れん男に任せなきゃならんとは。女の冒険者はらんのか」

「こいつほど旅慣れてるやつは、ちょっと。それに、こいつなら信用できます」

「なら仕方ないが。もしレインディア様の身に何かあったら、ただでは済まさんぞ」

「あ、ああ」

 引きつった顔で連れられて行くダグラス。ちらりと振り返って、街中でドラゴンに出会ったかのような顔でレインを見る。少女は緩く首を傾げた。

 彼らの後姿を眺めながら、レインはこれからの旅に思いをせた。

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