第3話 巨人の庭
寝ぼけ
日の出の鐘の前に起きるのなんて久しぶりだ。ダグラス曰く、旅をするならそれが普通らしい。毎日ちゃんと起きれるのか、少し不安だ。
食堂は、満員に近かった。ぱっと見る限り、裕福そうな商人風の男が多い。ここを紹介してくれたギルドマスターによると、街の中でも一番の高級宿らしい。
レインがきょろきょろしていると、テーブルに着いたダグラスの姿が見えた。腕を組んで、難しい顔をしている。
「おはよう」
「……ああ、おはよう」
向かいの席に座ると、ダグラスは急にそわそわとし始めた。レインは首を傾げる。
ふと思いついたかのように、レインが言う。
「待ってたらいいの?」
「え?」
「食事」
「ああ、そう……そうです」
たどたどしく答えるダグラスを見て、レインはくすりと笑った。
「普通に
「いや、しかしな……」
ダグラスは言い
「うちは言葉遣いなんて気にしないよ。友達とも普通に話してるし」
「子供同士ならいいかもしれないが……」
「私もう十六なんだけど」
唇を尖らせながらレインは言った。恐らくは主に体型のせいで、見た目よりも幼く見られることが多い。実に不満だが、
「……そうなのか」
「そうだよ。ダグラスに比べたらまだ子供かもしれないけど」
すると今度は相手の方が、傷ついたように顔を歪めた。
「……俺、いくつに見られてるんだ?」
「? 二十五ぐらい?」
「……。……まだ十八だ……」
「そうなんだ。ほとんど変わらないじゃない!」
「みたいだな」
ダグラスは苦笑いした。どうやら、彼は老けて見える方らしい。
やがて、パンとスープ、それからチーズと果物の乗った皿が運ばれてきた。どろりとしたスープには、野菜と肉がたっぷりと入っている。レインはぱあっと顔を明るくして、まずはパンを手に取った。
不意に、ダグラスが口を開いた。
「お前……いや、レインの国はおおらかなんだな」
「うん。お父様は、よく街の酒場にお酒を飲みに行ってるよ。お母様は元冒険者だし」
パンを小さくちぎって口に入れる。焼きたてなのか、まだ少し暖かい。香ばしくて柔らかい。城で食べるパンより美味しいかもしれない。
「? 食べないの?」
料理を見て固まっているダグラスを見て、不思議そうに首を傾げた。彼は肩をすくめたあと、食器を手にした。
「ダグラスはずっと冒険者をしてるの?」
「ああ、そうだ」
「この街で?」
「拠点はここだが、世界中回ってる」
「冒険者って、そういうもの?」
「いや、そんなことはない。俺が特殊なんだ。ギルドマスターが俺に仕事を回したのも、それが理由だろう」
「そうなんだ。どんな仕事してるの?」
「荷運びや、今回のような護衛だ」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、ダグラスは嫌な顔一つせず答える。機嫌よくお喋りしながら、レインは食事を続けた。
◇
朝食を済まし、二人は宿を出た。向かうのは街の正門、昨日レインたちが入ってきた裏門とは逆側だ。
多くの者たちが、自分たちと同じく正門に向かっていた。この街は国の端にあるのだが、正門がちょうど国の中心を向いている。そのため、主要な都市はほとんどこちら側にある。逆側にあるのは山間の村と、それこそレインの国ぐらいだ。
横を歩くダグラスが、唐突に身を寄せてきて、レインはびくりとした。彼の体の向こう側で、大きな馬車が土埃をあげて追い越していく。ずいぶん急いでいるようだ。
レインは思わず、すすっと体を離した。
「まだ、魔物は出ないんだよね?」
「少なくとも昼間は出ない。魔物は明るい場所が苦手なんだ。昼でも出るのは、この辺りだと闇夜の森ぐらいだ」
「うん」
「しばらくは宿に泊まれるから安心していい。森では野宿になるが」
「野宿……」
外で寝るのは初めての経験だ。大丈夫なのかな、とまた心配になってくる。
魔物を警戒する必要があるのはもちろんだが、他にも不安要素はあった。例えば、虫とか。
これまでは、街の外に出る時は必ず城付きの魔法士が一緒だった。彼の魔法は虫除けにもなり、天気を予測でき、また飲み水を出すこともできた。彼がついてきてくれれば、旅の不安はだいぶ解消できたのだが……。
どこかで雇えないのかな、と考えて、すぐに首を振る。どの国でも、魔法士は貴重な存在だ。一か月も連れ出そうとすれば、お金を払うだけでは無理だろう。
「巨人の庭では、毎日宿を伝いながら進むから……」
「巨人?」
ダグラスの口から不穏な単語が飛び出して、レインは
「ああ。街の外にある草原地帯の名前だが。知らないのか?」
「巨人が出るの?」
「まさか」
ダグラスは笑った。
「単にそう呼ばれてるだけだ。とにかくだだっ広いからな」
「そうなんだ」
そうこう喋っているうちに、正門に着いた。裏門よりは多少は大きなそれを抜けると、一気に視界が開ける。
「広い……」
レインはぽつりと呟いた。
街の外には、見渡す限りの草原が広がっていた。線を引いたかのように真っ直ぐに続く道と、その上を歩く人々を除けば、残るのは空の青と地面の緑だけだ。静かな青空の下で、緑の
山の上からも目にした場所だが、間近に来るとまた印象が違う。どちらを向いても山が見える、狭苦しい国に住んでいたレインからすると、これほど
確かにこの場所なら、巨人の庭にぴったりかもしれない。家も建て放題だろう。
「行くか?」
「うん」
どうやら待っていてくれたらしい。ダグラスは足を踏み出そうとして、ぴたりと動きを止める。
「そうだ。これを渡すのを忘れてた」
小さな布袋が差し出された。首から下げられるように、紐が付いている。
「これ、なに?」
「虫除けの薬草だ」
レインは嫌そうに顔をしかめた。
「虫、いるの?」
「ああ。まあ、刺されても
「これがあれば来ない?」
「……あまり期待はするな」
「うう」
布袋を受け取りながら、レインは小さく
◇
点在する宿を伝いながら、二人は何日も草原地帯を歩いた。遅い人に合わせているのか、宿の間隔はかなり狭く、十分に休みながら進むことができた。虫除けが効いたようで、虫に刺されて
こんな場所に高級宿があるわけもなく、夜は安い部屋で我慢するしかなかった。ベッドは硬く、レインは最初なかなか寝付けなかったが、次第に慣れてきた。すると今度は寝不足が
初めの頃は景色を楽しんでいたレインだったが、あまりにも代わり映えしないため、だんだんと飽きてきた。ただひたすらに、緑、緑、緑。ここから毎日違った情緒を感じることができるのは、芸術家ぐらいじゃないかと思う。
他にすることもないので、必然的にダグラスと喋る時間が長くなった。主な話題は、彼の旅についてだった。
ダグラスは、世界の様々な秘境に立ち寄ったことがあるようだった。マグマの噴き出す火山や、触れたもの全てを凍てつかせる
ある時、レインは尋ねた。
「海は行ったことある?」
「もちろん」
「どんなところ?」
「そうだな……」
ダグラスは何かを言いかけ、だが首を振った。
「いや、やめておこう」
「? なんで?」
「どうせ近くを通るんだ。どんなものか自分の目で確かめた方が感動できるだろ?」
「そっか」
「レインの国には何か無いのか? 珍しい景色とか」
「珍しい……」
なんだろう、とちょっと考えてみる。あそこでしか採れない木の実があったりするのだが、特に見た目が派手なわけではない。唯一あるとすれば……
「魔力風が吹くかな」
「なんだ、それは」
「空がね。紫色になるの」
「ふむ」
ダグラスは、難しい顔をして黙り込んでしまった。レインはそれを覗き込むように見る。
しばらくして、彼は言った。
「……まさかレイン、魔の山脈に住んでるのか?」
「魔の山脈?」
レインは首を傾げる。初めて耳にする単語だ。
だがよくよく聞いてみると、国から出る際に通ってきた山の辺りが、『魔の山脈』と呼ばれているということが分かった。レインの国では、それぞれの山に別の名前が付いている。
「驚いたな。魔の山脈の向こうには、生き物の住めない死の世界が広がっていると聞いてたんだが」
「誰がそんなこと言ってたの?」
「あの街の冒険者」
「そうなの?」
レインは不満げに声をあげた。どうやら、ベルトランと旧知の仲のはずのギルドマスターまで、同じ思い込みをしていたらしい。いったいどうしてそんな話になったのだろうか。
そんなとりとめのないお喋りの日々が、しばらく続いた。
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