2 メイエ

910年10月4日 イールから嘆きの森、林道




 ――もし心配なら、城からはなるべく早く暇をもらって、私たちの館に一緒に住むといい。



 こちらの気持ちを見透かしたような吸血鬼ヘカートの言葉に乗せられるようにして、本当にここまで来てしまった。

 実際、見透かされていたと思う。私は、あの離れで見聞きしたことを自分一人の胸に仕舞っておける自信がなかった。アルケさまの本当の子が実在し、エラにすり替えられて育っており、魔族となって吸血鬼と共に消えたなどと、言っても気が狂ったと思われそうな話を、あの城で死ぬまで黙っていられる自信がなかった。

 旦那さまにも黙って。ワイムさんにも黙って。

 ワイムさん。きっと、何かおかしいと感付いていた。私の母ともいえる恩人だったのに、城に上がって以来あんなに私を育ててくれたのに、本当のことは伝えられない。城を出たあと私がどこに行くかも、問われて答えられなかった。

 何も恩返しができないまま、恐らくもう二度と会うことは叶わないだろう。せめて、一緒に仕えたアルケさまの本当の娘にこれからも仕えることで、その償いとしたい。


 あの日ダージュで別れる時、クロイ先生は私に書きつけを渡した。


 ――もしもその気があるなら、ここに書いてある町の宿の主人にこれを見せなさい、行くべき場所を教えてくれるから。


 そう言って。


 仕事を辞めて城を出て、その宿に辿り着くまでは、私は半信半疑だったと思う。

 もしかして何もかも嘘かもしれない。

 宿の人も何も知らないのかもしれない。

 その可能性は重々分かっていたが、それでも私は城を後にした。どちらにしても、口をつぐんだまま城で働き続ける自信はなかったから。

 クロイ先生の言ったことが嘘だったとしても、私にはやることがある。


 あのタシャがどこにいるか探し、彼女のために何かする。


 ダージュから姿を消す前、クロイ先生とギィが話していたのだ。ある地名を出して。それから森と言っていた。

 それだけの手掛かりだが、眠ったままの娘を連れて旅したなら人の記憶に残るはず。

 私はそれを探すつもりだった。


 しかし、結果としてクロイ先生は嘘をついていなかった。宿の主人は書きつけを見るなり私を奥の部屋に招き、預かっていたという手紙を渡してくれた。

 読むと、そこに書かれた行き先は私が漏れ聞いた地名と一致していた。


 最寄りの港町から船で川を遡り、北東のアクラへ。そこから馬車で山側の町イールへ。イールに着いたらこの宿で主人に手紙を見せるように――


 私はそれで、改めて覚悟を決めて、旅を続けた。


 イールの町に辿り着き、指定の宿で手紙を見せると、その日のうちに本当にあのギィが私を迎えに来た。荷物を持ってくれて、タシャと吸血鬼の住む館に案内してくれるという。



 町の門を出て薄暗い森に続く道を辿りながら、そんなに遠くはないんだけどさ、とギィは言った。


「馬車が出せたらよかったんだが、あいにく今日は馬が揃わなくてな。歩かせて悪い」


「いえ、私の方こそ荷物を持たせてしまってごめんなさい。これでも減らしたのだけど、重いでしょう? 随分力持ちですね」


「このくらい、何てことない。おれたち一族は吸血鬼ほどじゃないが力は強いんだよ」


 灰色の長髪に暗灰色の瞳。身体の大きなこの男は、吸血鬼の話によれば人狼ユールだ。よく見ると手にも首にも傷痕がある。


「お名前は、ギィ、とおっしゃるんでしたっけ」


「ウェンギィム。ギィでいいよ。それと、おれはヴィルカの使い魔だから、魔族としての関係はヴィルカが主でおれが従者。あんたとは従者仲間ってことになるから、おれにはあんまり丁寧な口利かなくてもいいんだ。まあ、仲良くやろうぜ」


 ええ宜しく、などと答えたものの、まあ非常識な話ではある。人間の私が、吸血鬼と人狼の館で暮らそうというのだ。他に女性がいないからタシャの世話を頼みたい、と吸血鬼は言ったが……。


「ええと、ヴィルカというのが」


「うちの吸血鬼。ダージュではクロイって名乗ってた」


「ほんとはヴィルカというのね。で、あなたがギィ。……タシャは今どうしてるの?」


「眠ってるね。ほとんどずっと。あと、タシャは死んじまったから、ヴィルカが新しい名前をつけた。これは元人間の魔族ではみんなそうするんだ。そいつを魔族にしたが、そいつの魔族としての名を付ける」


 そういうものなのか。

 ギィは道すがら、幾つかのことを説明してくれた。館の下働きをしているゼムトたちのこと。魔族の棲みかになっている嘆きの森のこと。それから、タシャだったあの娘にあの時、何が起こっていたのか。


 やがて、針葉樹の黒い森の中に所々崩れた石塀が見えてきた。門はしゃんとしていて灯りもある。道には薄いわだちがあって、馬車が通ることもあるのだという事実を示している。

 そして、その門のずっと向こうにしんと建っている大きな石造りの屋敷が、目指す館なのだった。


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