5 タシャ

 おかあさんの言った筋立てについてハクスは、なるほどね、ねえさんとタシャ全然似てないしね、とあまり興味なさそうに話して、特に文句もないようだった。

 私はそもそも、おかあさんの言うことに文句をつけることが許されていないので何も言わなかった。口を挟む元気も度胸もない。いつだっておかあさんの言う通りにするしかない。

 それにしてもこの私が領主の孫というのはかなり危ない橋という気がするけれど、おかあさんは自信満々だった。


「あたしはアルケさまのことは一旦忘れてあんたを実の子として育てたから、あんたも何も知らず、ただの旅芸人一座の子供として庶民の育ちになったんだよ。あんたは大して芝居しなくていいような話にしてあるからね、とにかく余計なことを喋るんじゃないよ」


 そう言っておかあさんは頭から布をかぶる。顔に傷があるということにして隠すらしい。どうしてだろう。確かにおかあさんのこめかみや首には古い傷痕があるけれど、ごく薄いもので髪の毛で隠れるし、そのまま舞台にも上がっていたのに。

 私は、残された積み荷の中からおかあさんが探し出した普段着風の衣装を着せられ、破れて紐で縛ったままだった靴ではなくやはり衣装箱の中から出してきた刺繍入りの布靴を履かされた。


 おかあさんは、エラではなくジルゼ。

 私はおかあさんの子ではなく、ダージュ領主の娘アルケという人の娘。

 ハクスは軽業師兼、おかあさんの付き人。


 私もハクスもそのままなのに、どうしておかあさんだけ名前を変えるのだろう?


 確かにハクスと私は、殆どお芝居の必要がない。主にのはおかあさんだ。

 ただなぜこういう話なのか。

 話に出てくるアルケという人を私は知らないので、似ていると言われても本当かどうか分からないし、アルケという人の娘で通るくらい似ているのかどうかも分からない。


 何より、髪の色とかいう話で本当に筋が通るのか。黒髪同士の夫婦だと栗毛の子供は生まれないものなのか?

 私は。私の場合は父親が黒髪だったということなのだろうか?

 おかあさんの恋人は、当時一座にいた手品師だったとかいう噂を聞いたことはある。素直に考えればその人が私の父親ということになるが、黒髪だったかどうかは知らないし、当時を知る古株の団員たちも昨日の事故でみんな死んでしまった。


 本当に大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないとしても、私にはどうしようもないけれど。


 それに、そんなことより私は。


 ……とても、おなかがすいている。


 胸のなかみは空っぽで、身体はだるく気持ちが悪い。

 まるで全身が呼吸に失敗し続けているみたいに。

 苦しい。ずっと。




 城に使いに行ったハクスが戻ってきた。おかあさんと何か話して御者ぎょしゃ台に座り、馬に鞭を入れる。

 馬車ががたんごとんと動き出して、やっぱり私には何もできることがない。

 ダージュの城に入ったのだということは、やがて馬車が止まりおかあさんに促されて外に出た時にやっと分かった。

 城門の中に森と湖のある、きれいな場所だった。


 私はここを見たことがある。



 ――おつきさま、おほしさま、あたしとうたってくださいな。


 湖のほとり、森に囲まれたこの城で。

 いつも裸足を風に晒し、天の星月と湖面の星月を一人占めにして。


 うたう。

 となえる。

 ひかり。


 ずっと忘れていた。

 あれは、いつのことだっただろう。


 忘れていた?

 ここにいた?

 私がここに?

 あれはいつ?


 世界が震えている。緩やかに。同じ城。同じ森。同じ湖。この風。この光。私が。

 私が見た。

 見ていた。いつ。

 ここで。私が。

 ここに。

 この城に。

 この、


 感じている。


 おりてくる。

 おりてくる。

 吸い込む、私にぽかりと開いたあなが。


 止められない。


 は、



 はここにいる。



 止められない。

 たすけて。



 もう、この孔に喰われてしまう。


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