ダージュ、9月11日

1 座長ニド

 酒がよくないということは分かっていた。


 飲むと身体の重さが取れるような気がするし、ふさいだ気分を一時忘れることができる。それでつい手が出てしまう。

 酒がなければおれは、受けの落ち始めた芸人一座と老い始めた身体を抱えた、先行きの怪しい中年男にすぎない。


 時間の経つのが恐ろしい。一刻一刻老いていく。

 椅子乗りの芸も、火の輪くぐりも、棍棒投げや簡単なナイフ投げでさえ最近はもう、昔ほどうまくいかない。


 仕方のないことだ。この商売を始めた時から分かっていた。身体を使う芸人は、特別な天才でない限りは決して老いに勝てない。

 日々、血の涙を流すような訓練を続けている者でさえそうなのに、そのうえおれは若い時から練習嫌いだった。


 初めは何でも人より少しばかりうまくできた。いつも色々な芸をつまみ食いしては、筋がいいの覚えが早いのと重宝がられておだてられ、やがて調子に乗って独立したはいいが、相変わらず練習嫌い。これで他の芸人より衰えが早くない方がおかしい。

 つまりおれは今、おれ自身の怠惰に取り殺され始めるところなのだ。


 思えば、餓鬼のころからそうだった。おれはたまたま身体が大きく強く生まれたというだけでたくさん得をした。人にはすぐ覚えてもらえたし、力比べをしても駆け比べをしても近所のどの子供にも負けなかった。立派な体格だと言われ、村にお前ほどの力自慢はいないと言われ、食べ物は多く分けてもらえた。それだけのことでおれは、自分がえらいと思った。


 おれは大きくて強くてえらいのだからもっと注目され誉められたい。そう思った時に出会った旅芸人の舞台は、まさにおれにうってつけだったのだ。子供を何人も身体の上に乗せて歩いたり、椅子を十も積み上げた上に逆立ちしたり、およそ腕力と運動能力で何とかなる演目は当時のおれのためにあるようなものだった。

 だが芸人は芸を見せて金を取る商売。芸を磨き工夫を続けない者は金を取れない商売だ。受ける演目もどんどん変わる。


 おれはたまたま自分の一座を持ったので、子飼いの芸人たちが修行し工夫し舞台をもたせれば何とかなってきた。そう、一座を持ってからのおれの芸は単なる前振りのようなもので、主な演目は最初から他の芸人たちにまかせていたのだ。

 それでもおれは誉められた。舞台の最初と最後に座長として出ていけば、お客はおれに喝采を送る。

 芸を磨く必要など感じなかった。

 そしておれは老い始めた。


 一座がいつからうまくいかなくなり始めたのかは、正直よく分からない。

 ただ、ここのところ団員が抜けていく。逃げた者もいた。死んだ者もいた。そして、補充が間に合っていない。新しく入れた団員を舞台に出せるまでに仕込むには時間がかかる。


 曲芸組の最年長と先日言い合いになった。

 人数が足りなくてみんな幾つかの演目を掛け持ちしているせいで、舞台中も忙しいが、舞台のない時間の準備や練習も格段に忙しくなっている。そんな中で新しい団員を連れてきて仕込めと言われても余裕なんかありゃしない、育てなくても済むくらいの芸を身に付けている者を雇う金もない、とこうだ。

 それじゃあ今後いつまでたっても新しい芸人が育たないじゃないか、と衝撃を受けたし、何よりもその団員がおれを非難したことに衝撃を受けた。何しろ、夜におれと二人きりで、おれの目を見て、無茶苦茶言わないでくれ、とそいつは大声を出したのた。

 昔だったら、口答えされたおれが激怒してそいつを心行くまでぼこぼこにして放り出し、夜のことだから誰にも気付かれず、朝になったら別の団員が瀕死で血まみれのそいつを見付けることになったはずだ。そして皆おれを恐れて震え上がったはず。実際、ずっとそうだった。

 だが、今はもう違う、夜に二人きりで面と向かって文句を言っても危険ではない、とそいつは判断した。

 おれは昔ほど暴れないと思われている。

 弱くなったと思われているのだ。

 それが何よりもしゃくだった。


 おれはまだ無茶苦茶に強い昔のおれだぞ。

 そう思われたくて、雑用係のタシャがちょっとした悪さをしたのを失神するまで人前で殴ったし、若い女の団員たちをぶん殴って犯した。その中には、ナイフ投げの的をしていた娘ミンもいた。

 いつも、どの娘もおれに反抗しない。おれの力には勝てない。おれに屈服し、恐れる。それを確認できると、おれは少し安心する。

 そう思っていたのに、ミンは隙を狙っておれを殴った。目が見えないくせに、きちんとおれのこめかみを狙ってきた。凶器は木槌。

 目の前に星が飛び、しばらく前に逃げた火吹き女のことを思い出した。このおれを燃やそうとした女。

 ミンも逃げた。


 そしておれも逃げることになった。


 元々、団員に給料を出したり、新しく入れる団員に手付金を払うほどには儲かってはいなかった。だから人数を補充するには人さらいをやった。

 昔の旅芸人一座なら当たり前にやっていたことだ。いなくなっても困らないどころかかえって喜ばれるような余分な子供はどこにでもいる。親の方から連れていってくれと手を引いてくることも多かったくらいだ。大体、このおれだってそのくちだった。

 ところが最近、領主たちは領地内の働き手が奪われるとか親が子供を失って訴えてくるとかいう理由で、昔ながらの連れ去りに目を光らせ始めている。トルフィや、トルフィの隣のラーキは特にそうだ。

 だからトルフィやラーキでは拐わないことに決めていた。本当は人手不足がひどく、着いたその日にでも煙たがられている子供や孤児を聞き出して引き込みたかったのだが。

 そのトルフィでミンは、俺を殴って逃げ、水路を見張っていた城の番兵に泣きついた。家から連れてこられたと言って。おれが拐った時、もう家なんてなかったくせに。

 酒を切らして町に行っていた団員たちが、それを見ておれに知らせた。


 それだけでおれたちが捕まるのかどうかは、分からない。領主という奴らは、それぞれにやり方が違うし、そのやり方もどんどん変わるのだ。知っている土地でも、去年良かったものが今年は駄目、今年駄目と言っているものが来年は良い、という話なんかざらにある。

 しかしとにかく今、トルフィとラーキは人拐いに厳しい。

 すぐにエラに話した。エラも、念のためすぐここを離れた方がいいと言った。

 座長が罪人になったら、一座も解散を命じられる可能性がある。そうなったらやっていけないんだから、と。


 おれはいつまでこの一座の座長でいられるんだろうと、その時思った。

 どんどん興行の儲けは減っている。

 新しい芸人は育てられないという。

 出来上がった芸人を引き抜く金もないという。

 ということは、どうなる?

 もしかするとこの一座は、もう何年も持たないのではないだろうか。おれは借金を抱えて路頭に迷うのではないだろうか。芸しかできなかったものが、その芸を失いつつあるのだから。


 しかしとにかく、ラーキで見たような縛り首は嫌だ。

 山を越え、ダージュまで行って、とにかく小屋を掛けよう。日銭を稼がなければ食料が尽きる。

 馬車を急がせよう。

 そう思った。早く逃げ、移動することが一番だと思ったから、急いだ。

 そうだ、いつもよりも急いだかも知れないな。

 それが悪かったのか?



 そういえば。

 あの時どうしてエラは、こっちの道に来るのを嫌そうにしたのだろう。

 トルフィからは、こっちに来るかラーキに行くかの二本の道しかない。トルフィにはラーキを通って入ったのだ。ラーキではこのところ立て続けに人拐いを捕まえて広場にくくったと聞いたから、小屋を掛けるのをやめてトルフィに変えた。

 それに、トルフィの領主とラーキの領主は親族。領地の境を越えてトルフィがおれたちを追うことをラーキが許すかもしれない。

 それが分からないエラでもないだろうに、妙に山越えを嫌がった。元々山道嫌いの女だが、それにしてもこの状況で、嫌がった。


 もしかして、こうなることが分かっていたのか。

 エラは歌姫だが、占い婆の娘だからな。

 いやしかし、あの婆あ、占いはいんちきだったのに。


 どうして分かったんだ。


 おれたちの馬車が谷底に墜ちると。


 どうして。



 ああそうか、

 でもおれは、

 座長のまま、

 死ねるんだな。


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