第7話 長崎の印度人

「横浜で買ったのです。一瞬で確実に死ねると言われ。実学には疎いのでどういうものなのかわからないのですが…」


 いかがわしいことこの上ない。

 一瞬で確実に死ねる薬があるなら、朝鮮の下級官吏が半日以上も罪人の背を支えながら飲ませ続ける必要などないだろうに。


「それで、行けるところまで行ってから死のうと思ったのです」

 そうして三ヶ月に渡り西日本をさまよい歩いたという。

 三ヶ月、か。


 薬物の保管は難しい。

「一瞬で確実に死ねる薬」などがあったとしても、素人が三ヶ月も持ち歩いたら

 長期に渡り確実に苦しむ薬になってしまうだろう。

「その割には、元気だな」

 こんな風体の者に言うのはおかしいのだが、正直なところ不思議だ。


 服毒し、気を失っている間に毒が臓腑を巡り、命はあっても死んだも同然の状態になることも多い。

「長崎で倒れているところに、解毒処置をしてくれた人がいるのです」

 もちろん、完全な解毒は無理で、今も喀血を繰り返してはいるようだが。


「親切な人もいるもんだな、日本人か?」

「いえ、印度の方だと。でも、申叔兄さんのことを教えてくれたのはその人なんです」

 申季が俺の書いた記事を見せる。


「その方が、上海に行って申報館の金申叔に会ってみろと。…よくご存じの方ですよ」

 少年のような悪戯めいた表情を浮かべ、俺の目をちらりと見る。

 ちょっと待ってくれ。全然わからない。

 俺は上海中の印度人の知人を思い浮かべる。

 わからない。誰だ。


「その人、俺のことをどう言っていた?」

「異国の革命家のために命をかける義士だ、と」

「ふうん、印度人が義士なんていう言葉を知っているのか?」


「いえ、漢文が得意な弟から義という漢字を教えられたと。…まだわかりませんか?」

「まさかアイザック兄貴のことか!?」

 申季が満足げにうなずく。

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