第6話 20世紀

 23:45

「外灘に行こう。最も上海らしい場所だ」

 黄埔江沿いの洋館が建ち並ぶ埠頭だ。

 だが、ただの西洋のレプリカではない。

 おそらく見るものによって、見えるものが全く違う。

 人探しとやらなら、多分ここから始めればいい。


 23:55

 蘇州路を外灘へと抜ける。

 外白橋ガーデン・ブリッジに向かって歩きながら俺はつぶやく。


「金、申、季」


「え?」

 青年は理解できなかったらしい。

 万年筆とメモ用紙を取り出し、漢字を書く。

「流石に本名で記事は書けないだろう?だから、俺の弟分で、申報館のすえっこ、金申季。どうだ?」


「……」

「書いてみないか、申報館で」

 論二十世紀、と書いたメモを渡す。

「……」

 無言で目を見開き、それから、笑って答えた。


「はい、申叔兄さん」

 満開の牡丹のような艶やかな笑みだ。

 そうだ、そうやって笑っていてくれ。


 外灘に爆音が響いた。

 0:00。

 20世紀だ。

 盛大な花火が上がる。

 それにしてもすごい音だ。

 俺たちの会話などかき消されてしまう。

 まあいい。しばらくは20世紀を見ていようではないか。


 しばらく無言で花火を見ていたのだが、

 隣で青年、いや、申報館の新人・金申季が咳き込んだ。


 こちらは風下で、花火の煙が酷い。

「申報館に戻ろう」

 申季の手を引いて蘇州路へと向かう。

 咳はまだ治まらない。


 花火がまた上がる。

 その光に照らされた申季の貌は蒼白で、その唇には。

「…血?」

 どこにそんな力があったのだろうか、申季は俺の手を強く振り払った。

 忌まわしい記憶が甦ったように唇が小刻みに震えている。

「お前、病ではないな?」


 知らぬ人が見たら労咳かと思うだろう。

 だが職業柄、病によって衰えた者と、毒によって衰弱した者の区別くらいはつく。


「自決するはずだったのです」


 申報館に戻り、奥のソファで息を整えながら申季が語り始めた。

 朝鮮では賜薬といって、高貴な者を処刑する際には砒素などの毒物を用いる。

 身体を刃物で傷つけることは親不孝であるという考え方は儒教に由来するが、

 そうした儒教的思想を最も色濃く残しているのは、清よりも朝鮮だ。


 そんな環境で育つと、自らの命を絶つことを考える際、自然に出てくるのが毒なのだろう。

 だが、服毒によって死に至るのは難しい。


 俺は例の件で朝鮮の処刑法について調べたのだが、賜薬の場合、罪人が意識を失ってからも、義禁府の役人が横にしたり起こしたりしながら更に飲ませ続け、半日以上かけて執行する。一日でも終わらないこともある。

 罪人にも執行人にも長く苦しい刑だ。


 だから、同じような薬を自分で飲んでも臓腑を傷めるだけで、死に至らないことが多い。

 そもそも義禁府で用いるのと同じような毒を手に入れるのは困難だ。

 鮮血を吐くところを見ると肺まで傷めたか。一体どこで何を飲んだのだ。

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