第3話 ジャーナリストであること
6年前、
朝鮮の革命家で、政変により立憲君主制の政府を樹立した。
だが、朝鮮保守派の反撃と、それを支援した清国政府によりわずか3日で新政府は崩壊、関係者とその家族は幼い子どもに至るまで処刑され、その遺体は野晒しにされた。
当の金玉均は同志である福沢諭吉らを頼り日本に逃れたというが、その後のことは杳として知られていなかった。
10年が過ぎ、俺を含め殆どの者は金玉均のことなど忘れていた。
暗殺事件が起こったときも、まだ生きていたのかと驚いたくらいだ。
「書いてみるか?」
メイジャーの後任の英国人主筆が俺に言った。
俺はまだその頃は、活字拾いや印刷機の整備が主な仕事だったが、漢語で毎日一記事、習作として書くことを日課としていた。
書くということが楽しくてたまらなかった。
英国人でありながら、漢人にも書けないような漢文を書く。
英国人に対しても、漢人に対しても、奇妙な優越感を抱ける時間だ。
その俺に、こんな大事件の記事を?
国際記事は、難しい。治外法権があるとはいえ、逆に言えば英国外務省の機嫌を損ねたら、俺たちは清から強制退去を命じられる。英国に「帰る」ことのできる人間はいい。
だが、俺のように上海で生まれ育った者にとって、強制退去となるとどこで生きていけばいいのだ。
奇妙なことだが、その緊張感が、金玉均の記事に注ぐ情熱となった。
権力に媚びないこと。信念を貫くこと。
そんな「ジャーナリストとしての自分」に酔っていたのだと、今になれば思う。
金玉均を擁護し、清国と朝鮮政府を弾劾する記事を書く俺は、
異国の革命家のために命をかける義士だと、思っていた。
だが、考えてみればあの頃は日清戦争のさなかで、俺の記事に注目する者などいなかった。
主筆が新米記者の俺にあの記事を書かせてくれたのも、そういう事情だろう。
だが、今になってあの記事を持ち出してくる者がいるとは。
「ということはあんた、金玉均の縁者か何かか?」
俺はそのことを記事の中で最も強く批判した。
だが、男の答えは意外なものだった。
「違います。私の罪のために家族や友人が連座して死んだのです…金玉均先生のときのように」
抑揚のない声で語る。
俺は、自分が書いた記事を思い出す。
金玉均の家族や友人が、どんなに残酷な方法で殺されたかを、無責任な正義感で、一字一字綴ったものだ。
だが、あの時のような政変が朝鮮で起こったとは聞いていない。ということは。
「私の未熟さが招いたことなのです」
自らの境遇を語る様は、あまりにも
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