ファンクラブ会長
「ごめんなさい、リチャード。来ちゃった」
「いいんだ、いいんだよ。ああ、なんて日だ!」
「ちょうど前を通りかかったから、思いきって中に入ったの。ずっと連絡してなくて、ごめんね」
女優は上目づかいで相手を見る。
眉を軽く寄せ、アヒル口をとがらせる。
それは、同性の前では絶対に披露しないキメ顔。
リチャードはすぐに陥落した。
口もとが筋弛緩毒素を使ったようにゆるんだ。
「わたし大迷惑ね、突然おじゃまをしちゃって」
「大丈夫! ぜんぜん大丈夫! 途中で出てくるとホッとするよ」
「リチャードのお仕事って、たいへんね。SOSの人工知能を使いこなしちゃうんだから、ホントにスゴい!」
まんざらでもない様子のオペレーター。
その手を握りながら、まずケイティがしたことは、自分の現況報告だった。
出演した映画のことや、
「クローディア先輩がね、『あなたには品がないから、イアフォンの宣伝がいいところね』なんていうの。わたしが老舗ファッションブランドのCMを何件も断っているの、知らないのよ」
「後輩にオファーが殺到しているなんて、痛ましくていえないんだよ、社長さん」
「その老舗ブランドのひとつと、先輩が契約することになったの。わたし、とってもイイことしてると思わない?」
「きみのそういうところが、先輩の鼻につくんだよ」
「わたしもそう思う。うふふっ」
弾む声をもらしたあと、ほころんだ頬がもとにもどる。
「今日は伝えたいことがあるの」
男の目をじっと見る。
「いまのわたしを作ってくれたのは、ファンクラブのみんなよ。特にリチャードには頭が上がらない。あなたは最高の会長。いままで、ほんとうにありがとう」
リチャードはケイティの第1番目のファンで、ファンクラブの会長なのだ。
予期せぬ言葉に、リチャードはふたたび呆けた顔になった。
そのあとすぐ、彼の眼から塩水があふれた。
「そ、そんな。きみの頑張りに比べたら、ぼくなんか……」
シティ保安局のラウンジで、ふたりの戦友は懐かしい思い出を語り合った。
事務所に入らず、みすぼらしい衣装で活動しはじめたあの頃。ファンミーティングはコーヒー飲み放題の店だったし、囲んでくれるファンが5人を超えることはなかった。お金がないケイティは、その場でリチャードに食事をおごってもらうこともあった。撮影会で怖いひとから一緒に逃げたり、ファンクラブごと興業詐欺にだまされそうにもなった。
副会長の話も出た。
「あいつ、やけに有能で頼りにしてたんだけど、なぜか1週間で消えちゃったな」
「知りあいをライブにたくさん連れて来てくれたっけ。そうそう、彼がステージに乱入しちゃって、わたしと一緒に踊りはじめた時のこと覚えてる? あれが最初に評判になったのよね。それをリチャードが盛り上げてくれて、わたしの名前が売れはじめた」
「もちろん忘れないよ、ケイティ・カオス・ギグの原点。ぼくも隣で踊り狂ったからね。おかしなヤツだったよ。きみの大活躍、どこかで見てるかな」
「見てくれてるなら、うれしいな」
ひとしきり話をして、記念のホロ動画を撮影し、でっぱったリチャードのお腹を話題にした時、午後3時になった。
すなわち、ネットコミュニケーションツールであるインナーイアフォンをつけている者はみんな、耳の中の時報を聴いた。
「もう時間が来ちゃったわ。今日はひさしぶりに楽しかった!」
「ぼくのほうこそ、忘れられない日になったよ」
「いつかまた来ていい?」
「もちろんだよ!」
ふたりは手をとりあった。
「ケイティの映画、楽しみにしてるよ。時間ができたら、ちょっとだけホロミーティングに顔を出してね。あと、オフ会にも。みんな気絶するほど喜ぶよ」
「そうする! 待っててね。だけど……」
ミサはもったいぶって言葉を切り、目を伏せた。
「ん? だけど、なんだい?」
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