第12話 薫さんの結婚と玲子の離島

薫さんの結婚式が決まってから、のど自慢大会への対応、紬おばさんの息子さんの就職活動と慣れないことを見よう見真似でこなしたが、やっと時間が取れて薫さんと打ち合わせが出来たのは、式の前日だった。

打ち合わせは結婚式の披露宴と同じホテルで行った。

顔を合わせるが早いか、

「忙しそうに色んなところに顔出してるね。マメさに感心するは」

にわか仕込みの大阪弁で言うと、

「本当なんです。でも何となくまとめてしまうんで、感心するねん」

玲子も同意を表現した。

薫さんは、私と玲子が当地の披露宴には不慣れと思って、式次第を作ってくれていた。それには内容と時間がきめ細かく記入されていた。薫さんから大まかな説明を受けて一度流して、アドリブなどの打ち合わせをした後は、食事をしながらの話し合いとなった。


「それで二人はどうなったの」

「そのままです。明日、玲子は東京に帰るんですよ」

「本当に、真さんはそれで良いの」

「ええそれで良いです。それ以外の何ものでもないですから」

「私はもう結婚するねんよ。それ理解してるかな」

「理解出来て無いって言ったらどうする。何とかしてくれるんか」

周りの雰囲気を意識しながら答え笑ったが、玲子からは一言もなかった。


郷土料理の定番コース即ち、島豆腐、生ウニ、豚骨料理、イノシシの肉等が運ばれて来てヤギ汁となった。ヤギ汁は独特の匂いがあり、好き嫌いの差が大きいが私達二人には問題なかった。最後に亜熱帯のフルーツを加工した漬物、ジュースやミキと言う昔の酒か、腐った牛乳を思わせるものが出されたが全て食べた。

これも定跡のサトウキビから作られた黒糖焼酎も頂いた。

ここで玲子が、例の決まり文句を言った。これを受けて、薫さんから、黒糖焼酎は昭和28年に奄美大島がアメリカから独立する時、島の経済的自立と主要農産物だったサトウキビから黒糖を生成し、其れを原料として焼酎を造ってきた実績から奄美群島でのみ製造と販売を許されたこと。よって、黒糖焼酎は奄美でしか製造出来ない超ブランドであること。を教えられた。

         

玲子は最後に、当地で作られたフルーツを使ってトロピカルなカクテルを作ってもらって飲んだ。玲子に対抗する訳ではないが、最近私は、奄美大島大吉酒造製カレントをロックで飲むのが好きだ。この酒はベートーベンの第九を聞かせて貯蔵と蒸留することによって、マイルドな黒糖焼酎に仕上がっているのが売りだ。酒のことは分からずセンスの無い私だが、何となく納得出来た。


私の心を揺すった魅力的な女性二人に囲まれての美味しい酒と料理に満足していた。食後、明日10時の再会を約束して薫さんと別れ、玲子を宿に送って寝床に帰って満天の星空と流れ星を見て眠りについた。


私と玲子の出会いは7月31日だった。それから1ヶ月余り、仲良くやっていたし波長も合っていると思うが、それ以上は踏み込めなかった。この期間に玲子は、心身ともに鍛えられダムのキャパシティーを増やし見事に再生した。

私もぼんやりだが、目標を見つけることができ、お互いが良い方向に動いた。


翌日、薫さんの披露宴当日、予定通り10時にホテルに入った。既に薫さんは準備に入っており、顔には白いドウラン化粧が行なわれていた。

「山田さん、玲子さん宜しくお願い致します」

挨拶して忙しそうに奥に消え、玲子もそれに従った。

披露宴は、1時からなので屋上に上がって町を見た。何時も見慣れているものと違った風景が有った。南国の強い太陽の下に所狭しとビルディングが林立し、それが青い空とよく調和していた。暫くこの風景を見て、下に降りて披露宴のシミュレーションを行なった。途中で玲子も加わり、11時に二人で町に出てバスセンター前の中華料理店で野菜ラーメンを食べた。此処の女主人とはもう顔見知りになっていたので、近日中に島を離れることを告げて店を出た。


ホテルでは客が入りだしていた。やがて定刻になり披露宴が始まった。会場には約200名が入っている。さすが名門の娘だ。

私と玲子が自己紹介して披露宴が始まった。薫と新郎は中央の金屏風の前にちょこんと座っている。その両脇に仲人さんが座り、会場の末席には新郎新婦の両親がいた。

最初に披露宴の実行委員長、即ち薫が嫌っていた叔父さんを紹介した。市長が登場し乾杯した後、やや崩れて活気がある華やかな宴となった。

奄美には芸達者が多くて、叔父さん、叔母さんが踊りと島唄を代わる代わる披露するが、それが素人離れしている。3人が芸を披露した後、ここで仲人さんによる形通りの新郎新婦の紹介があり、新婦の衣装替えとなった。その間に実行委員長が挨拶した。薫さんへの配慮だ。


暫くして和服姿の薫さんが、傘を手にした父親に導かれて入場し拍手喝采だ。会場の中央で父から新郎にその傘を渡し、こんどは新郎に導かれての行進となり、中央の席に座った。此処からやや無礼講になり、テーブル入り乱れての酒盛りとなった。島の音楽と踊りに合わせて思い思いに舞台中央に躍り出てパフォーマンスを繰り返す。それが30分続き、やがて静まって公式、即ち来賓の挨拶があった。恩師、会社の上司の挨拶だ。友人代表の挨拶で終わった。

ここからはもう好き勝手と言う状況で、職場の代表の演技、歌あり踊り有りのやりたい放題で、薫さんが書いてくれた式次第は全く役に立たなかった。

ご両親に相談すると、

「好きなようにさせてください。但し、私達が挨拶する前の土地改良事業団理事長の挨拶を除いては」

この言葉を受けて流れに任せることにした。

それから1時間、皆が酔い盛り上がった。余興あり薫さんの2回に亘る着替えありと盛りだくさんだったが、参加した全ての人に喜んでもらえた。


奄美では披露宴に島唄と六調は必ず入る。島唄は、郷土芸術の誇りばかりでなく、日本の豊富な郷土芸術の中でも最も特色のある民謡だ。誰もが島唄に関して一過言を持っている。紬叔父さんの栄蔵さんしかり、山越社長しかり、本日の陰の主役である薫のお父さんしかりだ。

そして六調、祝儀や宴席を盛り上げるために最後の「締め」として行われる縁起物の音楽だ。


此処で薫が玲子に目配りして、その指図で私は参加者に理事長の挨拶がある事を告げた。理事長は卯や卯やしく会場の中心にあるステージに進み出て、拍手が会場に鳴り響いた。延々5分に及ぶ挨拶は終わった。奄美では挨拶は重要で、この良し悪しによって人物の評価が決まることもあり、当人に取ってはステータスを示し維持するために重要な行事だ。出席者も一生懸命聞く。

最後に出席者へのお礼を兼ねた新郎、両親の挨拶があり披露宴は無事に終わった。


玲子が、

「山田さん、真さん。披露宴終わりました。ご感想は」

何かを期待して言った。

「新郎さんの挨拶良かった。誠実で真面目なことが分かった。これで薫さんも幸せになれると思う」

「それは良かったね。これで思い残すこと無いね」

意味の理解出来ないことを言った。

薫さんが会場から出る時、私にだけ聞こえる小さな声で、

「ありがとう。私も幸せになるから、あなたも幸せになって」

この言葉は心に突き刺ささった。

最後に、予期せぬことに玲子が出席者に胴上げされたことには驚かされた。今日、一番のハプニングだった。


結婚式後、夜の7時に船で沖縄に向けて出発する新郎新婦を見送りに港に行った。新郎新婦が船に乗り込んだ。暫くすると新郎が港に向けて太目のビニールテープを投げた。そのテープを拾い上げて、見送り者全員のテープを結び、新郎に引っ張ってもらう事によって全員のテープが無駄なく新郎新婦につながることになった。誰が考案したのか知らないが、情緒は無いが合理的な手法だ。

この手法に感心していると出発の時間となり、船がドラを合図に後ろ向きに進み、ここで新郎新婦が抱き合いキスをして、暫くして反転して名瀬の町を後にした。

薫さんと明日、離島する玲子の幸多かれと願った。薫さんはこれから沖縄経由でヨーロッパに新婚旅行に出かけ、2週間後に鹿児島に帰って来て、そこで再度披露宴を行なうとのことだ。薫さんは幸福を参加者にお裾分けするかのように輝いていた。玲子も綺麗だが、今日は少し遠慮して化粧を控えているように思えてならなかった。私はそれに満足していた。


薫さんを港で見送って、喫茶ニューヘブンに集まって、薫さんの両親主催で身内の慰労会が開催された。私、玲子、ママ夫妻、山越さん夫妻等が出席した。

それは結局、玲子の歓送会になった。最初にママが挨拶し、薫の父が話し、玲子が行なういつもの乾杯をし、黒糖焼酎を飲んでの宴会だ。

薫さんの父は、

「山田君はニライ・カナイでして、私達に幸福をもたらしてくれました。彼がいなかったら何時、結婚式が出来たか分からなかった。彼が触媒作用を果たして旨くまとめてくれました」

そして握手を求めてきた。


私も薫さんには淡い恋心を抱いていたが、行いの悪さが、幸か不幸か更に微妙な神の采配が、私の意思とは無関係にこの様な結果をもたらした。各々が思い思いの品を頼んで食べた。玲子と私はお腹が減っているだろうと、山越夫妻が好意でフランス料理を頼んでくれた。新郎新婦の様に玲子と私は、みんなの前に並んで座って食べた。山越さんにやられたと思った。玲子はナイフとフォークを器用に使って食べ、その格好は様になっていた。これが、玲子が生きる道とも思えた。時間とともに確信に変っていき、「玲子に乾杯」と心に言った。


宴半ばで信二が、

「玲子さん東京に帰って何するんですか」

「そうね卒論仕上げて、田舎で帰って就職する」

予想に反した回答で、確かめる様に、

「へーそれだけですか」

私の答えを期待して投げかけても返事は無かった。

「真兄さん、それで良いんですか」

譲二が迫ったが、私はやや質問の筋を外して、

「俺も大阪に帰って、もう一度勉強してみたいと思っているんだ。その時には奄美大島は良いフィールドになると思うんで、大事にして行きたいと思っています」

建前を答えた。

主役の玲子は、

「私がこの島に来たのは、過去を捨て、夢を得るためだったんですが、その成果は十分で引き出し一杯の幸せが貰えたと感謝しています」

これも定石の答えだった。ここで、マスターが場違いに、

「玲子さんは、何をこの島に捨てに来たの」

誰もが興味を持っているが、聞きにくく難しい変化球を投げた。私はこの答えを心配していたが、この不安を振り払う様に玲子は、

「私行動は慎重なんですけど、一度だけ自分に似合わない行動をして深く傷ついたんです。其れを救ってくれた人が、この島で苦労していると聞いて何か出来るんではと。でもそれは私の思い違いで、彼には彼の新しい人生があったです」

自分の思いを素直に述べた。


最後に旅行店を経営する山越さんが挨拶に立ち、

「山田君、玲子君、本当にありがとう。感謝しています。聞くところによりますと、玲子君は明日この島を船で離れると言うことですが、船の離島は誠に寂しいので、私が飛行券をプレゼントしますので、是非これで東京に帰って頂きたいと思います」

航空券を玲子に渡した。これを見て全員が拍手した。

更に付け加えて、

「明日、玲子君は真が送って行くので全員、ここで今お別れするように」

この言葉を受けてタイミング良くママが、

「山田君、それが良いよ明日は店、休んで良いから是非そうしなさい」

と応援してくれた。

しばらくして散会になった。玲子はママたちと一緒に出て行き、私は酔い覚ましに一人で港を散歩して宿に向かった。


次の日、9月9日(日)。玲子の出発は空港15時30分だった。朝10時にバスセンターで待ち合わせして、玲子が好きな秋名周りのバスで龍郷に出て、そこから用安海岸リゾートに寄り空港に向かう計画を立てた。二人の思い出のコースだ。

定刻に玲子は大きな荷物を持って現れて、バスに乗った。峠を越えて海岸に出て海沿いを走り秋名に着いた。ここで下車して、喫茶店に入って荷物を預けて港に向かう。

靴を脱いで裸足になって海に入って、小さな熱帯魚を追い掛け回して遊ぶ。此処は何時も風の強いところだが、今日はそれが弱く、蘇鉄の自然林も陽に照らされて輝いて見える。

二人で海岸を散歩するが無言だ。

喫茶店に戻って飲み物を飲み終えた時、バスが着て乗って龍郷に向かう。龍郷でバスを乗り継ぎ用安海岸リゾートに向かった。


千恵子に挨拶して3人で食事した。生ビール2杯分はサービスにしてくれた。途中、私がこの島に来て始めて知り合った池大地も加わって、大島での出来事に花が咲いた。玲子が席を離れて化粧室に立った時、千恵子が、

「これからどうするの。まだ、明日はあるのかな」

何か意味ありげに聞くので、

「自然体で、それに友達ですから自然になるようになると思いますよ。お互い生活があると思うし、それに玲子と一緒だと俺、駄目になってしまうと思う。楽すぎて」

素直に答えると、

「そういう考え方も有るか」

「私と池君みたいな関係がいいのかな」

「二人はそんな関係」

「其れに近い」

池君が軽く微笑んで答えた。

玲子が帰ってきたので、

「この二人は良い関係なんだって」

「ほんと」

驚くことなく答えた。

千恵子が私に、

「山田君、最後の最後に、あんたも男出して頑張ったら」

呼び水を向けられたが、それには答えなかった。

「サー海にでも行くか」

二人で海岸に出た。


このリゾートの名物にもなっている大きなガジュマルの木に登って海を見ながら話した。

「玲子さんの夢って何ですか」

敢てさん付けで聞くと、

「田舎で幸せな結婚をして子供を育てること」

「高知でないとだめですか」

「別に高知でなくてもいいんですが、そこならより良いと思う」

「其れが良いですね。陰ながら支援させてもらいますよ」

「支援てどういうこと」

「それはこれから考えます」

二人は交互に喋った。

これが精一杯の答えだった。この時二人は既に恋愛感情に移行しないという暗黙の了解をより堅固にしていた。

海岸には多くのカップルが居て玲子が、

「この内、何組がゴールするんだろう」

と言い、更に、

「私達より親しいカップルはいるんだろうか」

とも言うので私が、

「それは少ないんじゃないの」

「違うな。私は居ないと思う。そうでしょう真」

確信するかのように玲子が言った。


小さな子供が、ガジュマルの木の上に行きたいと言うので道をあけた。最後にもう一度渚に出て海を楽しみ、ロビーで千恵子に挨拶して思い出の多い、このリゾートを離れ空港に向かった。タクシーには与論島慕情が流れており、二人で小さな声で歌った。

空港には2時30分に到着した。段々と残された時間は少なくなって来た。もう此処まで来ると後戻りは出来ないが、飛行機の欠航があってもと思ったが天気、機材とも問題なさそうで、出発口への案内は淡々と行なわれていた。


受付カウンターで玲子は、

「あやまる岬が見える席お願いします」

と予約し、荷物を預けてロビーに向かった。その後に私が従う。

ここで私が、

「玲子さんお元気で暮らしてください」

「山田さんはもう過去のことにしようとしているんですね。玲子と呼んでください。せめてこの空港を離れる迄は」

自分の心の底を読まれているように思い自分を恥じた。

気を取り直して、

「玲子。本当にありがとう。心を柔らかくしてくれて」

「私も心が暖かくなって、許すことを少しは出来る様になったと思う」

「これからも此処で得たことを大事にして実践しようと。いまは素直にそう思ってる」

玲子は小さくうなずいた。

「今後のことは分からないけど、玲子以上に好きになる人は出てこないように思う」

今、思っていることを素直に告げると玲子も、

「真、ありがとう。私もそう思う」

当然と言う様に返した。

お互い、いま以上関係を進める気持ちは無いと思われたが、この会話が成立した。これ以上、会話は続かなかったが、やがて空港のアナウンスで東京行きの入場が始まったことが告げられた。


ここで私は、玲子に紬センターで貰ったお気に入りの小さな三味線を渡そうとした。まさにその時、玲子は突然、私の胸に飛び込んで来た。不意に抱きついて来て、胸の中で小さく泣きはじめた。その時間は長く感じられたが、本当はほんの一瞬だったと思われる。

想定外の出来事に戸惑ったが、次の瞬間には強く抱きしめていた。玲子の胸の厚みを感じ、その体温の暖かさが私の体に伝わった。思わず強く抱きしめ、其れを緩めた時、今度は抱き返してきた。その時間は長いようにも感じられたが、実際のところは分らない。私が再度強く抱きしめた。

私が3回目の力を腕に入れ緩めた瞬間に、玲子も腕を緩めて、腕の中からするりと抜けると小さなメモを渡し、身を翻して搭乗口に消えた。

振り返り言葉には出さずに何か言った。口元の様子から『どうするの』と言っているように見えたが確認する術は無かった。目には涙が有った。再度、振り向き搭乗口に消えた。私の手には渡しそびれた三味線とメモが残されていた。


玲子を空港で見送ることなく、道路を歩いてあやまる岬に向かっていた。その途中で玲子を乗せたと思われる飛行機が、旋回して私の上空に迫ってきた。見上げると機体前方の窓に玲子が座り、笑顔で手を振っているのが、私にははっきり見て取れた。それを確認して、

「玲子、玲子、玲子・・・」

名前を連呼し飛行機を追った。


暫く其処に佇んだが、やがて飛行機を追う様にあやまる岬の方向に向かって再び歩き始めた。気がつけば不覚にも目には涙が溜まっていた。あやまる岬の彼方、白砂と藍色の海が調和する彼方を飛行機が東京に向かう姿が見えたので再度、

「玲子、元気でいろよ。本当にありがとう。またここで遊ぼうや」

思いを大きく叫び手を振った。

私の目には、玲子が飛行機の窓越に小さく『幸せになりたい』と言いながら笑って手を振っている姿が見えた様な気がした。

飛行機を歩きながら遠くに見送り、程なくして飛行機は雲の中に消えて、私の視界からも消えた。

あやまる岬で遊んで名瀬の宿に戻ったが、店に顔を出す根気は既に無かった。そして、私の夏は終った。


翌日、店に出て昨日のことをママ達に話し、忙しく働いている時に若い娘が、私を訪ねて来た。

紬をやっている大島町子さんからの用事で来たと言って、

「今日、母さんが渡したいものがあるので、来てくださいとのことです」

これが母からの伝言だった。

店が忙しく8時に店を出て、タクシーで大島さん宅に向かうと主人と息子、叔母さんそれに昼間、喫茶店に来た娘が居て食事が始まっていた。

食事後、お暇しようとすると叔母さんが、

「これをもって行くチー」

着物を一反差し出した。町子さんが織った大島だと言う。

「玲子に先にあげて下さいよ」

彼女には既に龍郷柄を渡したとの事。

「これは是非ともあんたに着て欲しいんだ。仕立てはこの子がするんで」

大阪の会社で働いているという娘を紹介した。

娘がぴょこんと頭を下げた。程なく大島紬を頂いて、近日中に島を離れることを告げて大島さん宅をお暇した。


次の日の閉店後、ママに店を辞めることを告げて信二、譲二にも挨拶する事無く1ヶ月以上過ごした店と宿を出て、近くのホテルに引越した。そして、玲子が離島した3日後の1973年9月12日に私も島を離れた。


この時以来、奄美大島とは33年の付き合いだが、玲子とはこの時以来、一度逢ったのみであるが玲子の大島紬は私の妻が仕立てた。


私が、用安海岸リゾートで此処まで話すと画家志望の学生は、

「叔父さんにもそんな青春物語が有ったんだ」

とそっけなく言って席を立って海岸に出て、かって玲子がしたと同じ様に岩の上で両手を拡げて十字架を作った。

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