第11話 涙の素人のど自慢大会
三島栄太郎は33歳、その父栄太は66歳だ。栄太はたたみ職人で、息子栄太郎は黒糖焼酎の営業セールスマン。息子の栄太郎は喫茶ニューヘブンの常連でもある。美紀ママとは昔からの知り合いだ。
さてこの親子、性格も行動パターンも傍目には一卵性親子の様に見えるが、すこぶる仲が悪い。二人とも金に余裕は無いが、独身で栄太の家は広いが同居せず、栄太郎は1キロ離れた所に住んでいる。
お互い他人の関係と公言し、顔を合わす冠婚葬祭にもよほどのことが無いと出席しない。親戚中でも有名で、葬儀、結婚式の時などでお互いが出席する時も、席を離す等の処置を取るのが暗黙の了解となっている。目で話せる距離に近づくと言い合いになる。
二人の仲は悪いが、個々には人気者で場を盛り上げる才能を持っていて、集まりには欠かせない存在だ。だから余計に不仲が回りの人間には理解出来なかった。
こうなった原因は、栄太の妻の死が関係している。今から20年前、妻 幸子は若くして脳溢血で亡くなった。
その死は突然で二人には、心の準備をする時間はなかったので嘆きは大きかった。栄太郎は母の死の原因は父、栄太にあると思っている。御多分に漏れず栄太は酒好の島唄通で、島唄と聞けば仕事そっちのけで出歩いていたので、収入が安定せず幸子の苦労は絶えなかった。栄太の島唄は地元ではそこそこの評価を得ていたが、巧いアマチヤの域を出ず各種の島唄大会でたまに入賞する実力で主催者にとっては、場を盛り上げるありがたい存在だった。
二人がこのような関係になるには長い歴史があった。即ち、奥さんが亡くなって3年目に栄太に当然のように再婚話が持ち上がった。その女性は、父より10歳若く綺麗な人だった。栄太郎には母と言うより年長の姉と言う存在であったので、敢えて反対はしなかったし、少しは嬉しい気持ちもあった。
結婚して一緒に生活してみると、それぞれが違和感を実感することになる。即ち、栄太と妻の間で、栄太と栄太郎、栄太郎と義母との間でなんとも表現の出来ないぎこちなさが有った。
お互いにそれを克服するため努力もしたが、思春期で難しい歳だった事と、栄太郎が適切な調整を行なわなかったことも違和感を大きくした。ちょっと話していれば、ちょっと心配りがあったら、ちょっと、ちょっと・・・・。
それが、息子栄太郎が父栄太に一番感じていた心のエアポケットだった。
今思うと、『お母さん』と素直に1回言っていれば、違った展開になっていたと思う。それが出来なかった。父や周りの親戚が調整して欲しかった。母が出て行く時に一言『おかあちゃん』と言って抱きつけば、違った展開になっていただろうと言える歳になった。
栄太は、後妻と息子の関係を楽観的に見ていた『優秀な出来の良い息子なので何時かは分かってくれる』と思っていた。不自然な調整はかえって逆効果と思った。それは今でも間違っていなかったと思うが、過信と自分の行動力の無さを思うと心に刺さるものがあったが、認めたくなかった。敢て見ない振りをした。
不幸なことに憎しみとストレスが最も身近な人間に向いた。そこには血がつながっているから許されると思う甘えも有った。もう20年も前のことである。
過去は取り戻せなかった。
具体的には、栄太郎が家出といっても友人の家に数日間泊まり、連絡をしなかった事によって、父と義母の関係は決定的に悪くなり離婚した。栄太郎が父の家に帰ったのは、義母が家を出た翌日だった。
父の幸せを自分が崩したと世間には思われているが、その根は父が調整しなかった事にあるという強い思いがあった。父に不満は有ったが、一番の原因は自分の行いと、行動が若い女性を家から追い出したと自責の念を持ったが、その根本には親父の態度にあったと、転化する事によって心の安定を図った。
栄太郎自身、その事は自分でも分かっていたが、いつのまにか忘れて父が嫌い、悪いという思いだけが定着してしまった。残念な結果だった。
この様な経緯を通して二人の関係は決定的となり、修復は時と共に難しくなった。高校を卒業、就職を通して別居することになり、決定的な別離となった。栄太郎は継母のこともあり女性は苦手という意識が芽生え、女性には晩生になったが、彼にも恋が芽生える時が来た。その女性は名古屋からこの島にやって来て、ホテルのフロント係りをしている広江の存在だ。
此処でホテルに出入りし、酒の営業をしている栄太郎と親しくなったと言われているが、それには伏線が有った。
彼女は早く両親を亡くし身内が少なく、恋人の栄太郎と父の事を気に掛けていた。栄太郎の話で、父とは疎遠であると聞いており今は、そこに大きな理由がないので、何とか仲直りさせたいと思った。
そこで思いついたのが、近日中にこの島で行われる事になった“素人のど自慢大会”に出場させることだった。のど自慢はあくまでも手段だった。自然に父に認識させるため、彼女が仕掛けて、父がのど自慢に出場したいと思う様に仕向けた。父も若い娘の仲直りのシグナルに素直に答え、のど自慢大会に出場したいという思いを強くしていった。
更に広江は話題を作っては電話した。すなわち、奄美まつりだ、島唄大会だ、女子マラソンだと言って親しさを増幅させていった。
こうした事前準備の後、栄太郎と広江で父栄太を訪問し結婚の挨拶をした。実に10年ぶりの訪問だった。
まず、二人で仏壇の母に結婚の報告をし、栄太郎が栄太に、
「おやじさん、今度この子と結婚することにしたので、宜しくお願いします」
栄太郎が父に言うと同時に広江は頭を下げて、
「宜しくお願いします。お父さん」
これに答えて、
「わんもアンタの話は人づてに聞いていたんで、気になって遠目に見ていたんだが、良い人と分かって喜んでいた」
父は肯定的な答えをして、栄太郎は安心した。
それからは、広江を中継して親子の会話が弾んだ、栄太郎が持参した黒糖焼酎が入ると更に話しは弾み、此処まで来ると親子二人の直接会話も細々とでは有るが、行なわれるようになった。
「本当に悪かったな旨く話が出来なくて。あれも結構、苦労しとった。それに俺の仕事もお前が知っているように余り旨く行かなくて、後から来たあれにも相当苦労を掛けたんだ。それで、お前の側に着く事が出来なかったんだ」
「おやじ、その話はもうせんでもええよ。それ以上は・・・・」
話を遮ったが、
「いやこれは是非とも言っておきたかったんや、本当にあの時はすまんかった」
そして、当時、新婚時代の栄太と、新しく来た奥さんの間にあった緊張した関係を話し出した。その話しは、今では理解出来ると栄太郎は思った。
ここで、栄太郎が、
「おやじそれはもういいよ俺も若かった。今は親父の苦労もわかるから。俺も、若かくて世間もようわからんかったから。これからは未来思考で行こうや」
息子の言葉を受けて栄太が、
「殴ったりして本当にすまんかった。あれでお前、反発して意地張って大学いくの諦めたんやろ」
「もう昔のことや。でもその選択は間違ってなかったと思うチー。島に残ったおかげで沢山の友達出来たし、これからは親父とも一緒に生活できるっチー」
栄太郎の言葉を受けて、広江が、
「本当ですね。栄太郎さんと私が知り合えたのも大島の存在有ってですから」
家族が望むように巧くまとめた。
暫く、古い写真を見ながら昔話が弾んだ後、広江が姿勢を正して切り出した。
「お父さん。先日、電話でお願いした“のど自慢大会”のことですけど良いですよね」
父に広江が念を押すと、
「出たいけど出れるかな」
栄太郎の疑問に答えるため広江が考えている作戦を披露した。
即ち、栄太の“のど自慢出場希望”と書いた黄色いTシャツを作って、名瀬の人に着てもらって、名瀬の町を黄色いTシャツで埋めてしまう作戦だ。
これを聞いて、栄太は、
「それなら空いている前側には、俺の顔入れようや」
積極的に提案し、
「費用はどうする」
栄太郎が聞けば、
「結婚式の費用を回します」
広江が回りを見渡し言うと間髪おかず、それなら、
「結婚式は、俺の知っているところを紹介するし費用も援助する。10年前からちょっとづつ貯めてる」
と栄太が言いだした。
栄太郎は、
「それはいいよ」
それを受けて今度は栄太が、
「出す。俺がだす」
お互いが譲らず言い争いになりかけたが、広江が、
「さあさあ作戦考えましょう」
巧に話題を変えて納めた。
更に、
「昔、テレビで霊長類の仲間である人間と猿の決定的な違いは、家族という集団を持っているかいないかだと言うんです。私は猿ではないので是非とも家族が欲しかったんです。本当に」
この言葉には誰も反論出来なかった。
親子喧嘩を収めて、栄太の“のど自慢出場”の意思も強いことを確認して、やる気も充満させた。夕方、二人は心地よい酔いを楽しみながら、千鳥足で自宅に帰って行った。
栄太郎も昔は、父親の意気地なさをなじったが、自分も社会に出て結婚を意識する時になって、親父の気苦労と調整の難しさを知った。そして今日、この思いを一気に爆発させ問題を解決した。広江は、他人から見ると若い女性には失礼だが特段、これと言った特徴の有る女性ではないが、ほんわかとした暖かさという魅力を持つ人で、ニライ・カナイだった
若い娘、広江の発想即ち“黄色いTシャツ作戦”は素晴らしく、栄太郎はじめ彼女の回りにいる人々に賛同を呼びかけた結果、その輪は次第に広がって行った。
これは、当然の成り行きだった。栄太と栄太郎の関係を知る人間としては、何とかしなくてはと思いながら、悪い親子関係を放置したのだ。誰もが彼女の発想と行動に満足していた。別な言い方をすれば、それほどに彼等親子には魅力があった。
彼女から見れば、親との関係において彼氏は素直でなかったが、彼女には圧倒的に優しく、人間的な魅力があり、父親には不思議な魅力が有った。
よって、周りの多くの人間も彼女の素直で大胆な行動に賛同した。
栄太郎の友人であるママの影響もあり、玲子と私はこのプロジェクトに巻き込まれ推進する事となった。
玲子と私と広江さんが中心となり本格的に、Tシャツ作りに取り掛かった。まず栄太さんの写真を撮り、紬叔母さんの御主人、栄蔵さんに<栄太をのど自慢に>と書いてもらった。そして鳩叔父さんの岩田勇三さんの昔馴染みで、紬の染屋さんで染めてもらって翌日には300枚が完成し原価1枚1200円の所を、1000円で売り出した。
名瀬市内のみやげ物屋やホテル、民宿、飲食店に置いてもらった。まずママが20枚買取り店のスタッフに配り、残りを1階で売り出した。
更に、
「今日から、のど自慢大会が終わるまで、これを着て町を歩くように」
集まったメンバーを見て指示した。
即ち、このTシャツ作戦は、町の人全員に栄太さんが、のど自慢に出演して欲しいと思ってもらえる環境を醸成することにあった。この運動は名瀬市内に急速に広まり話題になり、Tシャツも300枚を売り切り、更に200枚追加し、これで当日は完璧と思われた。
数日して町には、栄太をのど自慢大会に出場させるプロジェクトが既に成立しているように思えた。しかし、それは間違いと思い知らされる事になる。
栄太郎には殆ど記憶は無いと言うが、広江は栄太郎が研修で名古屋に行った時に知り合い、この島まで追いかけて来た。このあたり女性の行動力に怖さを感じるが、出入りのホテルで広江に告白され、交際をスタートさせた。意気に感じるのが栄太郎の良いところだ。
この男気に広江は何かを感じたのかも知れない。よって、彼女もこの企てを企画し積極的に推進した。
いろんな人が街に出て積極的に宣伝した結果、作製したTシャツ500枚は全て売れた。この活動は、地元の新聞でも取り上げられて栄太が、のど自慢に飛び入り出場することに、街中の支援があるという雰囲気になった。これで栄太の、のど自慢大会出場は間違いないと思われた。
素人のど自慢大会の宣伝を兼ね、私と玲子が車に乗って市内と近隣集落を回った。当日会場で、この島出身の女性歌手が静かなブームとなっている与論島慕情を歌うことになったためだ。その歌は、ママの商売仲間のみやげ物屋を営む叔母さんが、三沢あけみの歌う“島のブルース”に対抗して作詞し、夫の協力を得て曲を付けたものだった。
前日の夜、私と玲子それにママとマスターが交互に自動車から流す音を入れた。何回か試行錯誤の後、以下の様な内容を車から流すことになった。
「みなさん今日、午後6時から港の故郷会館にて素人のど自慢大会が開催されます」
最初、私が訴え続いて玲子、マスター、ママの順番で録音する。
「皆さん多数のご来場をお願い致します。飛び入り大歓迎です」
「島のブルースの三沢あけみさんも出場されます」
「また、地元の歌姫、与論島慕情の友ひとみさんも出場されます。6時から故郷会館です。多数ご来場ください」
この様な筋書きだ。
これを何回も何回も録音して車から流すのだ。4人が交互にワンセンテンスづつ訴えるのはアクセントをつけたほうが、訴える力が大きくなるというママのアイデアだった。
翌日、まず市内を30分掛けて4回回り、次に近隣の集落に向かう。まず、大浜方面でついで秋名、龍郷、用安、大熊と回って最後にまた名瀬市内を2回回った。
開場時間一杯の6時まで車でゆっくり回った。店に帰って来たのは6時15分を過ぎていた。急いで故郷会館に向かった。裏口から入ると会場は立ち見が出る満員の入りだった。
会場中ほどには黄色いTシャツを着た一団が控えていた。
「ご苦労さん。おかげで助かった」
ママが慰労してくれた。
ショーは三沢あけみの島のブルースで始まり、全国から予選を勝ち残った5名が順番に歌って、合格を10週連続けるとプロへの道が開ける。途中3回素人が飛び入り出場できるイベントがあるので、地元の歌自慢がこれへの出場を狙っている。
飛び入り出場者にはプロを目指す人、記念に出場する人、本土の一族に勇姿を見せたい人等理由は色々あるが確実に言える事は、多くの人がこの飛び入りに挑戦する事だった。広江には気の毒だが、事前調整は出来無かった。
玲子は、
「広江さんと栄太郎さんには、何か秘策でもあるんですかね」
心配するので私が、
「ワンチャンスに掛けるだけだろう」
「希望者が多いからそれは甘いと思うけど。例えば審査員とか司会者に話をしておくとか」
「それは問題だろう。買収しろと言うのか」
其れも分からなくも無いが、結局『それは問題だと思うよ』ということになり、この話は、これ以上進まなかったが、私には秘策があり、それは栄太郎に授けて有った。
しかし、そのことは玲子にも秘密にしていた。きっと成功すると思っていた。
のど自慢当日。まず飛入り一番目の人は、挙手で栄太さん以外の人が選ばれた。そして二人目は地元の唄者として有名な、ちとせさん。そして最後になった。ここで、栄太郎は真が授けた皆が予期せぬ行動に出た。
司会者が、
「出場希望者はお手をお挙げください」
会場の人に聞くと同時に、一人の男が飛び出して、司会者に訴えたのだ。これには会場に居た人々は、驚いたが着ているTシャツを見て多くの人は納得し拍手した。町で見かける黄色い服を着ていた。このような抜駆け行動は、考えることは出来ても実行は中々出来ない。
栄太郎は自分が、このような行動に出た理由を司会者のマイクを取って話し始めた。
「うちの親父は早くに妻を亡くし、一人で暮らしています。再婚もしましたが私が潰してしまいました。人間関係にいい加減な所も有り、おだてに乗りやすく問題の多い男でもあります。最近、私は親父の偉さをつくづくと感じることになったんです。親父は言葉ではなく、背中を見て欲しいと言っていましたが、未熟な私は理解することが出来なかったんです。この態度の重要さを最近、知ったんです。年金生活の父が、私のために結婚費用を貯めておいてくれたんです。これまで私は、何も言わずに黙々と働く親父は能力が無いと思っていました。それは間違っていました。私は俺のために結婚費用を10年間も貯めてくれていた親父を理解したんです。時間を掛けて教えてくれた親父に感謝しています。そして私は、心底から親父の承認と祝福を得て結婚したいんです」
満員の会場で切々と訴えると、大きな拍手が起こり口笛が響いた。其れを受けて司会者が期待を込めて、
「この息子さんのお父さんに歌って頂いて宜しいでしょうか」
会場に聞くと、また拍手が起こった。これで栄太郎の父が出場することが決まった。
栄太は、司会に促されて何くわぬ顔で登場した。ここで思わぬトラブルが発生した。曲名を聞かれ、
「浪花恋しぐれ」
毅然と司会者に言った。そして歌い始めようとしたが、歌い出しからつまずいて歌えなくなってしまった。これに困惑した司会が出て来て、肩を手で叩き歌い出すタイミングを与えようとしたが、それもかなわなった。この窮地を救ったのは息子栄太郎だ。
彼はステージの脇から登場すると、歌詞を見ながら、マイクを握り締めて歌い出してリズムを作った。それに促されて栄太も自ら歌い出した。歌い出せばリズムが出来ており、本職顔負けの歌いっぷりだ。最初、どうなるかと思っていた観客も安心し、それが感嘆に変った。自然と観客から手拍子が起こる。これにつられた様にまた調子が上がる、という正の連鎖が起こった。物事が良いほうに動く時はこのようなものだ。
「芸のためなら女房も泣かす。
それが男だ文句があるか
・ ・・・」
歌に続き息子、栄太郎が語り部分を始めた、
「あんた飲みなはれ、芸のためや・・・・・」
この連携プレーで会場は拍手喝采だ。もうこうなると停まらない。そこは島唄で鍛えた喉の持ち主でもあり、張りの有る声とリズムと会場の雰囲気を掴めば鬼に金棒だ。
歌い終わると少しの間をおいて鐘が連打され、それに続いて会場から大きな拍手が沸き起こり、栄太の合格は決まった。親子の目には涙が溢れていた。其れがまた会場の拍手を誘った。
のど自慢大会は最後に、友ひとみさんの与論島慕情を会場全員の合唱で歌い終わった。
大会終了後、三島栄太郎さんの家族と関係者は近所の郷土料理店に集まって、打ち上げを行った。この会を広江さんが甲斐甲斐しく取り仕切っていたのが印象的だった。
広江さんが私に向かって、
「ありがとうございました。これからは3人で何時も明るく元気良くの精神で行きたいと思います」
決意を込めて元気よく言った。私は満面の笑顔でその言葉に答えた。
玲子と私それにママは3人が一塊になって心行くまで豚骨料理を肴に黒糖焼酎をやっていた。
ママが、
「良かったね。でも栄太郎さんが、突然飛び出して行った時にはビックリしたね」
「誰が授けたんだろう」
玲子が不思議そうに言い、ママが、
「本当、栄太郎はあんなことが出来る人間じゃ無いんだけど」
ここで私が、
「必死だったんだろうね。本当に」
ついで、即座に玲子が、
「何か怪しい。山田さん何か知っているんだ」
小さく笑った。
「分かったこれが秘策」
この言葉を聞いて、目で合図して、
「やぱっり。そうか」
確信して玲子が言うのを受けて、
「誰にも言わないで下さい。私が方法を授けたんです」
「だって、栄太郎さん必死だったから、僕もつい情熱に負けて」
私は、作戦が成功した余韻に酔っていた。
ママからは、
「山田君意外に戦略家なんだ。見直した」
想定外に誉められた。
ここでママから思わぬ発言があった。
「昨日、父と母、それに妹と両親が結婚した時の話しや奄美に来た時の話しをしたんです。これまで、聞きにくかったんですけど、真にも言われたから思い切って聞いた」
そして、概要を説明した。
話しを聞いて、玲子も満足そうだった。
「山田真君、山田さん、真。本当にありがとう君が居ないと聞けなかった。お父さんの半分は分かった」
満足げに黒糖焼酎を一気に飲み、私と玲子に握手を求めた。
後日談だが、のど自慢出場を契機に栄太郎さんと奥さん、それに父親の栄太さんとの同居が始まり、親子関係は修復されつつあった。親子と夫婦の同居が始まって、ふたりとも必死に働きだした。
これも明るい太陽と青から出て青より青い藍色のグラディエーションを持つ奄美の海が可能にしたのかも知れない。
ママや玲子らと別れ帰りに、港近くの名瀬日活で300円の日活ロマンポルノ、田中真理主演の「恋のハンター」を観た。田中真理の魅力はストレートな発言とエキゾチックな顔立ちと白い肌だ。大学祭に来て性意識改革を叫ぶ姿は私達大学生の共感を得て絶大な人気があった。
映画で美しい裸身を見て興奮し、それを夜の帳が冷やしてくれたが、玲子との別れは確実に迫っていることを更に実感していた。奄美の日は、また一日静かに過ぎさろうとしていた。
ここまで話した時、私と麗子さんは名瀬市内を見下ろす拝み山の頂上に居た。彼女は樹木越しに見える名瀬港の風景を素描している。もう2時間もその作業を行なっていて、私の話しに耳を傾けながら手は小さく忙しく動いている。ひょっとすると話を聞いていないのかも知れないと思ったが、それは違っていた。
「叔父さん、家族関係て難しいですよね。特に親子の関係において、親は常に子供にこうなって欲しいと願いや期待を抱いて、子どもを育てていると思うんです」
続けて、麗子が
「子どもは、心のどこかでそれをキャッチして、応えるように成長するんです。これは、極当たり前の親子のあり方と思います」
「そうですね。私は両方経験しているので理解出来ますね。しかし、親の期待も、子どもの成長の努力も度を越してしまうと決して健康とはいえない状況になる事があるんです。これも経験ですが」
更に麗子さんは、
「私は、それも納得出来ます。素直に」、
「私も昔、この島でいろんな家族を見て、そして実際に家族を持つた時、ごくあたり前のこと。即ち、夫婦仲が良くお互いに信頼し合いながら、親と子が結びついている状態が必要と思ったんです。そしてそれには、互いの人格を専重しあう結びつきが重要だとも思うんです」
「そうですね。まった同感だチー」
麗子が方言を交えて賛同の意思を伝えた。
「しかし、私の場合も自己主張が強すぎて、更に親の期待が過ぎて、こうあらねばならないと、子どもに生き方を強制することがあったんです」
反省と自戒の念を込めて言った。
「そうですね、それはけっして人格を尊重しているとは言えないと思うんです。私は今それで、苦しんでいると思います」
思いがけない麗子の素直な言葉があった。
このあたり、昔から私も家族を持つた時に常に意識したいと思っていたが、これが案外難しく感情に負けて、ついつい心の制御が出来ずに強制してしまう傾向があったと思う。
「山田さん。親子、ひいては家族が心身とも健康な結びつきになるためには、どうすれば良いと考えられます。誰だって、子どもに良かれと思うからこそ注意すると思うの。そんな時も、表現方法を少し変えてみると、効果があると思うんですが」
麗子は冷静に分析し、
「私の父親の様に開口一番。ダメじゃないかは、ダメだと思うんです」
「そうですね、悪いことをしたり失敗した子ども自身が、一番ダメなことを感じているはずです。ダメを重ねては、子どもには反発されますね」
続けて、
「私も自分の子供に言ってしまて失敗した事があるんです」
麗子さんの様子を見て、
「今思うと、本当に残念だったね。子どもの気持ちを思いやってやれば良かったと思うんですが」
「これを実践できるか、私も将来試されると思います」
解った様な事を言った。
反論してガツンと言ってやろうと思ったが、適当な言葉が見出せなかった。
すると麗子さんは、
「子どもを良くしてやろうと言う意気込みが強すぎると、命令調で否定的な表現になってしまいます。私の父には、多少そういう所があって反発しました」
麗子の言葉で、息子が今頃になって私に反抗する理由を少しは理解出来た。
会話を通して、私は今後、子どもの良い所を捜しそれを言葉にして表現してみることを誓い。肯定的な表現や感謝の心が多い家族にして、互いの気持ちを優しくして、お互いを尊重できる結びつきが育つようにしたいと思った。
まさに奄美の太陽が、昔の様に私の心を暖めて柔らかくしてくれた。
ここで麗子さんが発言した。
「人は信頼されると思わぬ力を発揮することがあります。”自分のために”なら、とても出来ない事でも、”信頼してくれる家族、同僚、友達のために”なら、かなり思い切った事が出来る時もあります。当時、奄美における山田さんと玲子さんは、この良いサイクルの中にいたと思います」
指摘は当たっていた。
若い麗子の分析力と説得力に感心しながら、
「だから、コミュニケーションにおいて、相手を信頼していることを示すことは重要と思います。特に、社会、家庭で指導的な立場にいる人は、肝に銘じておいた方が良いと思います。私の周りにいる人で『どいつもこいつもやる気と根性のないヤツばかりだ』と嘆く人が居ますが、その行為はまさに周りの人に『あなたを信頼していない』ことを自ら宣伝しいることに他ならない。この嘆く行為が、周りの人との良好な関係構築を疎外している可能性があると思うんです」
「山田さん、子育てでも夫婦間のコミュニケーションでも同じ事ですよ。そして、信頼しているかどうかを、人が感じ取るのは態度なのです。口先だけで『信じている』と言ってもダメです」
これには一本取られたと思った。
更に私が、人を信頼するためには、意思疎通も大事だが、少々の不整合を吸収する柔軟性も必要であり、この柔軟性の無い上司を持った部下は最大の不幸だ。という趣旨の話をした。これは私の実感である。麗子がどう思ったかは確認出来なかった。
今回の2005年の旅、1973年の夏、大島で得た経験を考えると、論理に矛盾があることもあったが、こんな事を考えながら画家希望さんと取り留めの無い話をしてバスの旅を楽しんだ。
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