第8話 台風の夜

大型台風が名瀬に近づいていた。この地は台風に慣れており、備えも出来ているが、一番困るのは台風が停滞することだ。これには参ってしまう。身動きが出来無くなり島に人々が閉じ込められる。いくら大きな台風でも、通り過ぎる台風による被害は相対的に小さい。


設備的に多くの宿泊客を吸収できるだけの容量が無く、台風待ちの旅行者が街に溢れるのだ。民宿ニューヘブンも客で溢れていた。昼を過ぎる頃から風が強くなり、雨も激しくなった。この状態が翌日まで続き、一歩も外に出ることが出来なくなった。玲子は雨の中を帰ると言うので、ママの指示で送って行く事になった。港に出ると海水は、港の陸地と同じ高さの所まで迫っていた。

玲子を送って来たことは正解と思った。川にも水が迫っていた。道をよく選び、深みにはまらないように注意して必死に道を探し、どうにか玲子の宿に着いた。普通5分でいけるところが、10分以上かかりようやく到着する事が出来た。

ここで一休みして、潮が満ちる前に店に帰る予定だ。

帰り際、

「明日もこの調子なら店には来なくていいから」

「分かったそうする」

素直に言った。

そして一言、

「近いうちに帰る。帰ることにしたの」

ことなげに自然に言った。

「そうか、分かった。寂しくなるな。俺たち恋人にならないといけないのかな」

「そんなこと無いと思うけど。私がこの前、言ったこと気にしてる。余り気にしないで。深い意味は無いから、思わず言った言葉だから」

「一度、考えて見る」

告げて店に戻った。


店は人で溢れ返っていた。

ママが、

「無事に帰れたの」

「はい、帰れました」

「泊まってくればいいのに」

「そんなこと出来ません」

「案外マジなんだ。それが良し悪しの時もあるんだよ。まだ無理だな君に、この話は」

この言葉は理解出来た様で出来なかった。宿の騒がしさを尻目に、私の夜は静かに過ぎて行った。玲子との関係をあれこれ考えたが、行きつ戻りつで考えはまとまらなかった。最初から結論あり気なのかも知れない。


民宿ではみんな時間を持て余していた。トランプやマージャンをして遊んだ。マージャンは東京から来た学生の提案で始まった遊びだが、時間潰しには最適で、最後は男女二人がペアーとなり勝負に加わった。こうなると勝負ではなくおちゃらけで、楽しい遊びになった。男が指示して女が牌を捨てる、一人猛者の女性がいて男性をリードしていた。このゲームのあと仲良くなったメンバーで酒盛りして眠りについた。多くは時間に制約が無い学生で結構この台風を楽しんでいる様子が見て取れた。


次の日も台風は停滞していた。玲子も店に来ていない。港に行くと潮は引いていて、岸壁と2m程度の差がある。来てこれない事は無いと思うが来ない。

ママが民宿に泊まっている人が退屈していると言うので、潮が引いている時に郷土資料館に連れて行った。それは港の奥に有り、台風に関らず開いていた。

ここで私が展示資料をアドリブを交えて、口から出まかせ気味に説明した。

見学者の一人が、

「山田さんて、良くご存知ですね。何をされていますの」

「歴史地理学を専攻しています」

「それで納得」

この案内と歴史地理学は特に近いとは思わないが、部外者が見れば同じ分野なのかも知れない。


遅くなると満潮になり帰れなくなるので、その前に帰った。店に入ると玲子が来ており、皆でマージャンをしていた。初めてとのことだが板についた形で牌をもち、東京の大学生と組んで旨くやっていた。

良く見ると昨日より進んでトーナメントを図にして壁に掲示していた。これを見ると玲子は勝ちあがっており、この戦いに勝つと優勝だった。オーラスで対面がリーチを掛け、これをいかにかわすかが勝負の分れ目となったが、玲子ペアーはマンズと読んでソウズを捨てる作戦に出て追いかけリーチとなった。それから3順目、対面が撥を掴み勝負がついた。撥一盃口ドライ1の満願だった。二人はハイタッチでお互いの健闘を称え合った。


暫く休憩となったが、店主夫妻が入って来て、マージャンをしたいと言った。メンバーは私と点数を数えることが出来る東京の大学生、それに夫妻になった。最初の一局目、東京の大学生が挙がり次いで私が挙がった。その後、また私が挙がり、更にママが挙がった。これから主人の講釈が増えることになった。

東京の大学生が挙がったとき、主人は牌を裏返し、

「こんなに良い手だったんだよ」

それは清一色(チンイツ)と言う大きな手で、全ての牌が同じ種類で揃っているというものだ。但し、聴牌しておらず挙がれる状態ではなかった。

ママが挙がった時には即座に牌を倒し、ママの手を見て、

「こんなチイトイ見たいな小さな手で挙がるなよ。俺なんか大三元一歩手前なんだぞ」

牌を見せたが、それはまだ2回必要な牌が入らないと挙がれない手で、場にはすでに可能性の有る牌4枚のうち2枚が捨てられており、確率的には挙がるのが大変難しい状況だった。


ここまで来てマスターの実力は分かってしまった。私が知る限り、強い人は自分の手を見せることはしないし講釈もしない。其れをする人は弱い人か場の雰囲気を作ることに普請する人だ。マスターには場を盛り上げようとする素振りは無いので、弱い人と評価を固めた。

それより気になったのは、作っている手が大きな手、それも綺麗な手ばかりを狙っており融通性というか、場の流れに乗るところが無いことだ。何か焦りでもあるのかと思った。最後にママが挙がって、私と東京の大学生がプラス、マスター(主人)とママがマイナスでマスターは箱に近かった。

半チャンが終わり南入となった。私と学生はマスターの講釈に辟易して講釈が始まるとお互い顔を合わせて密かに笑っていた。私は牌を混ぜる時にママと手先が微かにすれる時、小さなどきどき感を感じていた。ママとは日頃から話す機会は多いが、これまで近くで意識して見たことはなったが、大島の人にしては長身でスラットとしており顔が小さくてすこぶる美人だ。そのママと手が触れると心が時めいた。玲子に悟られないようにしながら意識的にママの手と触れ合うように牌をかき混ぜた。


玲子はマージャンを見ながら盛んにオリオンを飲んでいた。既に目が虚ろとなっていた。早く送って行けば良かったと後悔していた。

ゲームは大学生と私が交互に挙がり、ママが1回挙がって最後に大学生が挙がってあっけなく終わった。私と大学生はマスターの講釈に嫌気が差しており、どちらかが早く挙がれる様にしたし、意識して当たり牌を捨てることも有った。何とか早く終わりたかったのだ。終わったのは11時を過ぎていた。風雨は益々激しく窓には強い雨が打ち寄せていた。


マージャンにも飽きた宿泊客は部屋に戻るか、残ってアルコールを飲んでいた。マスターの奢りでビール1ケースと黒糖焼酎1本が差し入れられた。この差し入れに参加者は大きな拍手で答えた。東京の大学生と私は互いに顔を見合わせて苦笑いした。ここで改めて乾杯して飲みなおした。

「山田君、楽しそうだね」

「ええ、ありがとうございます。奄美大好きです」

「そうか良かった」

少し主人と話した。会話から愚痴へと話題が変わった。主人は、親戚の叔父さんに請われて、遠い親戚のママと結婚したとのことである。ママに不満はないが、島の生活に退屈していた。

主人が落ち込んで悲観的なので、

「いい島ですよね。僕は満足していますが」

「旅人はそれで良いけど、長く住むのは大変だよ。刺激が無くて退屈だね」

「そんなもんですか」

「そんなもんだね。俺と立場変わるか。言ってくれたらいつでもOKだよ」

私に言い残してママの所に行った。マスターの苛立ちが少し分かった。


1時間もすると残る人は数名になって、なぜかマスターも姿が見えなくなっていた。

ママの提案で解散になったが、ここで大きな間違いに気づく。玲子をどうするかだ。台風で夜も遅くタクシーは無理で歩いて帰るには、昨日の事もあり危険だ。それに宿は一杯でこれ以上宿泊出来ない。

ママの提案で、

「貴方の部屋で、寝かせてやれば」

二人で酔った玲子を運び終えて、下に行こうとした時ママから、

「あんたは、もう少しここにいてやんなさい」

仕方なく残ることになった。玲子は、白いブラウスを着てジーパンをはいて、横になって寝息を立てて眠っている。酒には強いはずだのに、今日に限ってと不思議に思った。

「疲れているんかな。悩みでもあるのかな。俺のせいかな、責任かな」

独り言を言った。


玲子は魅力的で、ここで一気に関係を持ちたい衝動に駆られる。そうなれば、きっと玲子は受け入れてくれると思った。その程度の自信は日頃の雰囲気から感じていた。でも酔った女に迫ることは男らしく無いし、不実とも感じられた。それでもセックスに自信を回復した今となっては、玲子を抱きたいと心底思ったし、そうする勇気も必要と思った。

この欲望を抑える事が出来ず、玲子の横に寝そべって玲子の額を手の先で軽く触れた。

手を首筋から胸の上に移動させた。弾力的な湾曲が心地良かった。

その時、玲子は無意識に、

「信吾さんお幸せに。・・・すみません・・・、本当にすみません・・・・ご・め・・」

と聞こえるようなことを呟いたのか、ぶつぶつと小声で言った。これを聞いて私の男は急速に小さくなっていくのが感じられた。そして二度と回復することは無かった。


玲子に毛布をかけ、下の店に入って行った。そこにはママが一人居て、

「どうしたの玲子ちゃんは」

「良く寝ています」

「それでほってきたの。白状もの」

「すみません」

ママの横に座って、

「御主人は」

「いつの間に何処かに行ってしまった」

「そちらこそ、ほおっておいて大丈夫なんですか」

「男だから有る程度は仕方ないし」

寂しそうに言った。

「ママ綺麗ですよ。今日、確信しました。こん綺麗な人を一人にするなんて・・・」

「ありがとう。でもその言葉は玲子に言いなさい。真も旦那と一緒だ。あの人とは結婚して1年。前は東京の保険会社の課長だったのよ。私と結婚してこの店をやっているの」

「中々ハンサムですネー。女性に持てるんじゃないですか」

「見かけ通りのいいかっこし、今日のマージャンでもわかったでしょう」

「何かあせっていらっしゃるんですかね」

「そうかも知れんチー。刺激がないから」

納得顔だったのが気に掛かった。

これを聞いて昨日、1階のみやげ物屋でマスターが言っていたことを思い出した。すなわち、俺はこんな商売で終わる人間じゃないんだ。『何か大きなことをやりたい』と言うような内容だったが、これは言ってはいけないことのように思ったので、ここで言うのは控えた。


「山田君ね。私の妹が優秀でネ、それに努力家なんです。私なんか何をやっても負けてしまうんです」

「それは高いレベルの比較ですね」

「私なんか何の取り得もなく、すこしだけ勉強が出来るだけの人間ですから。喫茶店では譲二や信二にも負けている位だから」

「それはあんたの自信。この分野では負けないという思いが有るから、余裕で負けているんでしょう」

「さすがに鋭い観察ですね。でもママもそこまで深刻に考えずに肩の力を抜かれたらいかがですか。目の前にあって出来ることを確実にするとか」

「そうかもしれないね。不思議だけど山田君て、なんでそんなに聞き上手で人に安心感を与えてくれるのかな。其の優しさが欲しいな」

「僕は優しくはありませんし、自己中心なんです。ただ奄美では旅先ですし、この太陽と海と黒糖焼酎が心を鎮めてくれているとしか言いようが無いんです。それに玲子効果もあるし」

ママを見ると、既に椅子の上で眠りについていた。仕方なく机を2つ並べて、其の上に座布団を敷いて寝かせたが、中々寝付かれない様だった。美人は寝顔も綺麗だ。

4時を過ぎると風は弱まり、5時になると雨も止んだ。7時になり陽が上がってくるのを受けて港に行った。港には多くのゴミと魚が打ち上げられていた。台風が海を掻き回したのでどす黒く濁っていた。


8時少し前に店に戻ると、玲子が開店の準備をしていた。

「やっほ」

「おー」

軽く返した。

「ママとここで何かした。何もしなかった」

「何もなし」

「そして私には」

「それもなし。それは自分が一番良く知っているだろうが」

「宿泊代2000円下さいと言いたいところだよ。酔っ払いの介抱もしたし」

「御免、分かりました。色々迷惑おかけしました。後で、2000円お支払いしますから」

真顔で言うので、

「冗談だよ。それはいいよ。色々お世話になっているから」

慌てて返した。


「でも何で昨日は酔ったの。あんなに」

「分から無いな。疲れていたのかな」

「枝手久の男に、すまないとか何とか言っていたみたいだったよ」

「本当。それはわからないな」

玲子が戸惑いながら言った。

「何かあったのか」

聞くと少し間を置いて搾り出すように、

「彼、私に求婚したの、でも断ったの。彼女に悪いから、タイミングが悪いのよ。1年前なら喜んで結婚したけど。いまは環境が大きく変ってしまった。彼にはもう彼女もいるし、昔に憧れるのもバツ、これは絶対バツと思うでしょう。ねー山田君」

ここで玲子に返されてしまった。

「玲子はやっぱりやさしい娘なんだ。そこまで優しくならなくても良いと思うけれど」

すると開き直った様に、

「出会いとタイミングが悪いの。それに私は、過去を捨てて明日に生きると誓った女なんよ。もう過去には戻れないです。もう病気は嫌なんです」

一気に喋った。


「玲子、祭りの夜二人で仲良く手を繋いで歩いていたね」

「そうだ、見られていたんだねお互い。狭い町だから。それに貴方の元彼女、薫さんにも逢ったよ」

「薫さんは彼女ちゃうけど。それはそれは、お互い複雑な関係なんですね」

少しふざけ、そして気を取り直して、

「でも僕は物事を意識して単純化したいと思っているんです。玲子さんは昔の彼と別れて過去を捨てて、病気治して新しい人生に踏み出す。私は大阪に帰って大学院に入って人生を考える。今はそれ以上考えない」

本心だった。


少し時間を置いて、

「時間が解決してくれることを、経験と奄美の土地が教えてくれた様に思うんだ」

玲子は、一呼吸入れて、

「私もそう思う」

素直に言って、続けて、

「今日の夜、食事一緒にしよう。私のおごりで宿泊代り」

言い終わると開店の準備に入った。


3日間閉じ込められた宿泊客は、各々が親しくなり盛んに電話番号と住所を交換していたが、私のところには誰も来なかった。玲子には3人が群がって聞いていた。玲子は素直に其れに答えていたが、良く考えてみると私は、玲子の住所、電話番号も知らない。知っているのは高知出身の大学生だということ。それ以上の詳しいことは知らないことに気づいた。


台風一過で青空は戻って来たが、片づけが忙しいのか店は暇で人の出入りは殆ど無かった。其れを見越してマスターが仕入れの手伝いをしてくれと言うので車に乗って出かけて行った。

何時もと同じように店を回って、商品を集めて車に乗せる。しかし、もう私に個数を数えてくれとは言わなくなっていた。それとなく調べると、数量に違いもあり品名も違っていたが、私は何も言わなかった。

前回と違うことは、途中で2時間程車を離れ、私には『これで映画でも見て4時には、この車に帰って来て』と言って1000円くれた。

名瀬名画座で、日活ロマンポルノを見ようとしたが、時間が合わないので、やめて時間潰しのため本屋に行って、NHKで放送している司馬遼太郎の国取り物語を立ち読みした。


それでもまだ少し時間が有るので県立病院に行ってNHKを見た。当地ではまだ民間放送は提供されておらず、NHKのみが放映されている。内地の新聞は1~2日遅れで配達される。その新聞には吉永小百合(28歳)が岡田太郎(43歳)と結婚したことを伝えており、商店街のレコード店からは、大信田礼子の同棲時代やアグネスチャンの草原の輝きが流れて来た。

この曲を聞きながら車に戻って、暫くするとマスターがネクタイを直しながら現れ、私に乾いた声で、

「よっと」

元気よく声を掛け車に乗り込んだ。マスターは奄美では珍しく何時もネクタイをして背広を着ていた。それが自分のステータスの様に。

マスターが運転して店には4時半に帰り、倉庫へ仕入れ品を入れ、それも5時には終わって店に戻った。約束通り5時少し過ぎに玲子と一緒に店を出た。


海岸を回って防波堤の先に出てそこで夕日を見て、名瀬中央商店街を散歩して玲子の帽子を買って、パパイヤ食堂で400円の定食とオリオンを注文した。奄美で飲むオリオンは最高だ。それは当地の気候と旨くマッチしていた。これも本土に帰ると飲む事が出来ない。

玲子の、

「奄美オリオンと健康に乾杯」

お馴染みの合図で食事が始まった。


まず玲子が、

「この前にも言ったかもしれないけれど、8月23日には東京に帰ることを決めたので、これが最後になるかも知れない。ほんとうにありがとう。良い人と知り合いになれた。本当にありがとうね」

「私こそ素晴らしい経験をさせてくれてありがとう。これ以上言うことはないな。今日は思い切り飲もう」

雑談しながら食事を進めた。


食事もひと段落して帰り支度を始めた時、玲子がポツリポツリと話し始めた。

「実は、本当は一昨日、帰る予定だったの。皆に説明するのも気恥ずかしいし、でも折角いい思い出を与えてくれた人に黙って帰るのも忍びないと思っていた時に、幸いにも台風が来てくれたので、私の離島は自然と延期になってしまったんです」

「本当、それで用安にはこなかったんだ」

「物事を複雑にしたくなかったんで、場を変えたいと思って」

「でも折角、過去を清算できたのに、ここで逃げちゃ逃げ癖がついてしまうよ」

「彼ともきっちり清算して、心をすっきりして帰れば良いのに」

「それは、奄美まつりで8月踊りを一緒に踊り、歩いてバスセンターに行って、そこで既に清算したんです。前にも言ったかな。彼も最後は此処で頑張ると言ってくれたし、無理しないとも。彼、無理する癖が有って、つい深みにはまってしまうんです。真面目だから、彼も分かってくれて当面、5年間頑張って無理なら次の道を探すて約束してくれた」

「そうだったんだ、彼の性格なら道は開けると思うね。でも持てる人の悩みは大きいのかな。僕とはレベルが違うもんな」


ここで玲子が、あなたも同じように才能があると思うよ、とでも言ってくれると思ったが、その言葉は無かった。

「祭りの日、貴方とすれ違った時、ちょうどバスセンターに行くところだったんです。バスセンターで見送って、私の過去は完全に清算出来たの。そこで、彼は山田さんと仲良くしてと言うので、彼とはただの友達と言うと」

ここで少し躊躇して間を空けて、

「それが玲子の悪い癖、自分の殻を捨てて飛び込めと言われたんだけど。私は慎重派だから誰かが指導してくれないと動けない性格なの、動いた時のリアクションが怖くて」

「奄美では結構主体的に行動して、良い成果が出ていると思うけどな。3つの家族関係を修復したし、ニューヘブンでは皆と仲良くやってイタジャ~ん」

雰囲気を和らげるため最後は少しふざけた。

「それはここが奄美で、太陽と海がありリゾートだから。奄美フレンドだもの」

「それはそうだけど。それって、いいじゃないですか。ここでパワーを補給し、思い切り働く、またパワーが無くなったら、奄美で充電する。そんな生活も悪くないと思うけどね」

正解が無いので、

「生真面目で優等生の玲子さんにはこんなことは出来ないと思うけど」

ここで玲子は重い口を開いた。

「半分分かって、半分分からない。でも聞く耳は持てるようになった。間口が広がった」

暫くして、

「ここで貰ったパワーを思い切り使ってみたいと思う。本当にありがとうね」

「同じ言葉を返すよ、本当にありがとう。もう奄美に残された時間は多くないんで、お互い悔いの無い様に楽しい思い出を沢山残しましょう」

思っていることを言ったからか大きな笑顔で、

「そうね。奄美パワーで頑張るか」

レシートを取って、店を出て行ったので其れに続いた。


店の方からは入船を知らせる様に与論島慕情が聞こえてきた。この歌を口ずさみながら玲子と寄り道して港からの人が行きかう中を二人で歩き、宿に玲子を送った。

店に帰ることを告げると、

「山田さん。明日、私のためだけに観光案内してほしいんですけど。どう」

「ママに聞かないと」

「私も頼んでみる。幸い明日は船の入港はないし、最近は私達不在でも結構旨くやっているし、きっと大丈夫」

「それじゃ明日。店で8時に」

約束して別れた。


遠回りして大通り公園を散歩しセントラル楽器店で島唄を聴いて、慣れないパチンコをして町を歩き回って根城に帰ったのは11時を過ぎていた。明日何処に行こうか思案していた。

久しぶりに窓を開けて空に星一杯の光景を見ながら眠りについた。店の外の雑踏は自然と消えていた。


翌朝7時前に店に下りて行き準備をしながら、テレビで、連合赤軍関係のドキュメントを見ていた。学生運動には全く無縁だったが、同じ年代の学生がこのような事件を起こす事に無関心ではいられなかったし、彼等がこの様な行動に出た動機を知りたかった。


このテレビを見ている時に玲子が入って来て、

「真も全くのノンポリじゃないんだ」

「僕はノンポリと言えばノンポリだけど、政治に興味は持っているんです。全ては理解できないけど、彼等の行動に共感を覚える所も有るし。その辺はあなたにも分かってもらえると思うけどな」

少し気分を害している様な態度で、ぶっきらぼうに言った。

これには玲子も驚いた様で、

「そんなに言わなくても。それにあなたもそれは無いでしょう」

今度は、玲子も少し膨れた。

「でもどうなるんやろ」

「此処まで行ったら可哀相やね。各人は純粋でいい人と思うけどな。時代の先を行っているんだろうか」

玲子が問いかけるように言うので、

「俺も純粋なとこは多少納得」

玲子は小さく笑って、一緒に下に降りてママに挨拶してバスセンターに向かった。玲子は事前にママの了解を取っていた。


定刻にバスが来て乗って出発した。バスの中ほどに玲子を窓際にして並んで座った。乗客は8名程度で、私達以外は老人だ。山手のゴルフ場を過ぎ、ここから名瀬の町を見てやがてバスは山を下り秋名に入った。

 車中から海岸を見て私が、

「あれが平瀬マンカイが行われる岩」

「なんの変哲もない岩なんだ」

「そうですね。普段なら見過ごしてしまう光景ですよ」

「本当、これが奄美なんだ」

海に目を転じた。

終点の佐仁に到着し、海岸を散歩した後、10時45分のバスに乗って笠利崎と灯台に回った。降りずにそのまま、あやまる岬に向った。ここでバスを降りて高台の岬を下って海岸に出て、小学生用に作られた自然のプールで服を着たまま膝まで濡れて熱帯魚を見て遊んだ。

玲子は陽気で、

「わー綺麗い。ここにも珊瑚が、珊瑚のプールって最高」

珊瑚の中の熱帯魚を追った。

「この環境をいつまでも、ここに残して欲しいな」

再び高台に上り、岬の先に出た。

ここで、

「僕が死んだら太平洋と東シナ海が交わる色目が異なる海に散骨して欲しいと思うんです」

「誰に言っているの。私には其れを期待しないで欲しいな」

「玲子さんは旅人ですから、それは期待していませんよ。ここに留まる様な人ではないでしょうから」

「それも言い過ぎ。先のことは分からないと思うけど。でも、貴方にそこまで思わせる此処て何なんでしょうね」

前に迫る海を見ながら優しく言った。


バス停に急ぎ、時間どおりに来たバスに乗って用安海岸に向かう。海に入って珊瑚と熱帯魚を楽しむ予定だ。

正直に言うと、泳ぎが苦手で更に足の届かない所での水泳は恐怖である。水中眼鏡越しに見る海は、神秘的ではあるが像が拡大されて深さを感じるため、海の怖さを余計に感じてしまう。

用安海岸に到着し、水着に着替えて海に入った。玲子はピンク色のビキニ水着の上にTシャツを着ている。ここでは水着の上にTシャツを着て肌やけを防ぐのが一般的で、ほとんどの人がそのようにしている。

リゾートの池大地さんにお願いして手漕ぎのボートを借りて、約1キロ先に有る珊瑚礁を目指して二人で漕ぎ出した。

玲子が前に乗って道をあっちこっちと指示し、私が其れに従って漕ぐ。海の深さは沖合いに出るにしたがって深くなるのでなく、深いところもあるが、珊瑚礁が隆起して浅くなっている所が多くなる。そこを掻き分けて、深いところを探して先に向かうのだ。


やがて珊瑚の密集が多くなって、これ以上ボートで進むことは出来なくなった。仕方なく、突出した珊瑚にボートを繋ぎ、珊瑚の上を手をつないで歩いた。いわゆる『いざり』の気分だ。『いざり』とは珊瑚の上に取り残された生き物を拾って歩くことで、普通は満月の夜に行われる奄美の行事だ。沖合1キロに、湾を囲むように珊瑚が発達しリーフを形成している。珊瑚の内と外では海の様相が大きく異なり、珊瑚の外の海で泳ぐことは準備が無いと危険だ。

話には聞いていたが、この場に来て初めて理解できた。外海の波音が珊瑚に響き不連続なドーンドーンという響きがあり、珊瑚の外の海で潜りたいと言っていた玲子も、

「ガイドさんと一緒じゃないと心許ないので、外海で泳ぐのは諦めることにした」

と宣言して、内海の深いところを探して潜り出した。スキンダイビング用のマスクを装着して器用に潜る。深さ3m程度は有ると思われるが、苦にしないで潜ってウニ、ヤドカリ、タコなどを採って来て私に見せる。ヤドカリとタコは逃がし、ウニは店から持ってきた瓶に入れて持ち帰る予定だ。

ママが、

「これに沢山採ってくるっチー」

玲子に持たせてくれたものだ。


玲子について少し泳いだが、潜りが駄目で技量の違いを自覚して磯遊びに転じた。

玲子は1時間海に入り、ウニを60個取り私は、それをせっせと割って、実を取り出し持参したビンに入れた。ウニは瓶5個に一杯になった。潮が少し満ちて来たので、陸地を目指し引き上げることとなり、ウニの入った瓶をボートに乗せて途中潜ったり、珊瑚を持ち上げたり、熱帯魚を追いかけたり、時に海蛇に脅かされハシャギ、ジャレアイながら、海岸に戻って来た。

途中、細かいことは覚えていないが、玲子と抱き合ったり遊びでキスをしたり、これまでの事を話したり、これからのことを話した。玲子は不意に大きな声と手を大きく広げる仕草で、

「最高に楽しい」

「・・・・・」

「楽しい奄美最高」

「サイコウ・・」

「私を追ってくる。追いつける」

必死に追った。

「もう心、大丈夫」

「完璧。何でも受け入れられる」

交互に言った事は覚えている。


リゾートの食堂で時計を見ると既に5時になっていた。こんなに時間が経っていたのには驚いた。二人は目を合わせて、

「俺達、何してたんだろう」

「ほんと何も話してないし、何もしてないのにね」

玲子も言った。

「こんな事もあるんだ」

ぽつりと言って、窓から見える沖のリーフに目を転じた。夕日の時となり防波堤に腰を下ろして無言で岬に沈む夕日を見た。

もう言葉は必要なかった。

雰囲気としては最高だが、ここでも海の中とは異なり玲子は、これ以上親密になるようなことはしないと心に誓っているようだった。

ここで夕食を取って名瀬に帰ることにした。玲子が化粧室に立ち、一人になった時を見計らって、千恵子が現れ、

「山田君。いいムードやね、この雰囲気壊さないようにね。変な正義感ぶってぺらぺら喋るんじゃないよ。分かった。約束しなさい」

一言言って素早く厨房に消えた。


玲子が、

「サー食べようか」

掛け声を掛け食事が始まった。夜は更けて行き、最終バスに乗って名瀬に戻った。玲子は満足した子供の様に窓に額を当てて居眠りをしていた。玲子と私が離島する日は確実に迫っていた。


ここまで私が居酒屋で喋った時、麗子さんが、

「叔父さんもう12時過ぎましたけど」

思った以上に遅かったので帰る事にした。既にバスは無いので、千恵子に呼んでもらったタクシーに乗って義母宅を目指すが、帰宅後、

「帰って来るのが遅い」

義母から大目玉を喰らう。

「若い子をこんな夜遅くまで連れ歩いて」

自分の行動を反省した。


これは常識で恐縮して早々に寝床に入る。

翌日は8時に起きる。昨夜のことが有るのでバツが悪かったが、今日は鳩友に迎えに来てもらって北大島を回る予定だ。

「叔父さんの青春て素晴らしいな。私なんか息が詰まりそうで」

「奄美の太陽で心を暖かくして下さいよ」

と常識的なことを言い、

「滞在したいのなら千恵子さんに紹介するよ」

「奄美は心の自然病院なんです」

少し時間を取って確認するように言った。


「それに友達を作って下さいよ。それが一番でしょうよ。それをサポートする仕掛けはこの奄美には出来ているんです。だから、奄美病患者が多く発生するんです」

「それは正論だけど。それが難しいから困っているんです」

「こんな意見交換が心を癒すと思うけどな」

「そうだけど」

「麗子さん、私も心を開けなくて悩んだことがあったけど。今は元気ですよ」

画家志望の麗子さんが、今の気持ちを言った。

「そうなんだ。これからは話すことを心がけなくては」

自分に言い聞かせるように言って義母の顔を鉛筆で描き始めた。そして2時間で、書き上げ、迎えの車で観光に出かけることになった。

義母と麗子さんは別れを惜しみ、義母は迎えの鳩友達とも顔見知りと言って盛んに話が弾んでいた。かように大島は広くて狭いのだ。

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