第7話 用安海岸リゾート

用安に行った千恵子から、

「山田さん、うちのお客さんに家族で奄美観光したいと言う人がいるの、用安ではたまたま対応出来る人がいないので山田さん引き受けてくれません」

店に電話が入ったのは昼過ぎだった。山越さんのところも、予約が一杯とのこと。さすが商売上手だ。

答えに困り、

「店が有るし、ママにも迷惑掛けるから行けないな」

行動派の千恵子はママに電話して説得し、私と玲子を客の案内役に指名した。


昼過ぎママから、

「山田君、玲子と一緒に用安の客の案内してください」

事務的に言われた。

これに反発して私は、

「でもママ、私たち二人がいなくてこの店やっていけるんですか」

と聞くと支援してくれると思っていた玲子が、

「私行きたい。山田君一緒に行こう」

反対する理由がなくなった。

「譲二が、店を切り盛りする人間を呼んで来ることにする」

二人にママが告げたが、期待されていないみたいで複雑な思いがした。


予定通り、翌日二人で用安を尋ね、お客さんを案内することになった。

「おはようございます。今日案内させていただく私、山田と運転手の小田前です。宜しくお願い致します」

と挨拶しガイドに入った。

定番のあやまる岬を案内し、高台から小道を過ぎて海岸、蘇鉄ジャングルに導いて最後に笠利町資料館に行った。

笠利町資料館では、昔この集落近辺の海で鯨が取れ『鯨一つで七浦賑わう』と言うと感激していた。次に笠利町の“みなとや”に案内し古式豊かな元祖鶏飯を紹介し、玲子にゆっくり運転するように指示して龍郷湾を見渡す本茶峠に案内した。名瀬市内に入り、全員で名瀬銀座を歩き、拝み山に登って名瀬港を鳥瞰した。

一休みして、赤崎公園に行って東シナ海の荒々しさを見てもらって、市内で大島紬を織っている春日町の民家を訪問し、予定より少し遅れて5時過ぎとなったが、最後は大浜海岸で夕日を見た。


玲子の運転で用安海岸リゾートに帰って来た。ここで挨拶して帰ろうと思ったが、初老のこのグループのリーダーに、

「一緒に食事でもしていかれませんか」

食事に誘われた。私は堅苦しい場は苦手だが、玲子は水を得た魚のように快活に振るまっていた。彼女のこの感性がうらやましくもあり、優等生過ぎて付き合いにくい面もあった。この点が私にとって、一歩踏み出せない障壁になっているのも確かだ。食事後、タクシーでお暇して名瀬に帰った。


翌日店に出ると、直ぐに用安海岸リゾートに行ってくれとのママの言葉だ。リゾートは、土産物屋を営むニューヘブンにとって重要顧客であり一目置く存在だった。

空港行きの特急バスに乗って用安に向かう。玲子は私の横にちょこんと座った。

用安に着くと、客は既に待っていた。後で聞いた話では、前日私の案内を気に入った御祖父さんのたっての要望で、私たちが今日も案内することになったとの事だ。


オナーの御祖父さん曰く、

「今日も君のセンスに全て任せるからわたし達を案内して下さい。山田君と玲子さん」

玲子というところを不自然に強調した。

「本当にいいんですか、そしたら私に2日間下さいますか」

「分かった君の考え通り行動しよう」

ここまで言われたら、私の全てを尽くして案内しようと心に誓った。


直ぐに玲子運転のリムジンで出発した。メンバーは、オナー夫婦と其の子供と思われる30半ばの夫婦と10歳くらいの男の子、奥様は礼子と言った。全部で5人だ。私はまず住吉湾のマングローブに案内し、カヌーを漕がせて、次に佐念山に向かった。此処は悲恋カンツメの物語がある地だ。山の中腹にある記念碑前で私は語った。

「この物語は寛永年間(1789年~1800年)つまり約200年前の物語なんですが、この地方にはヤンチュと呼ばれる半ば奴隷的な人がいました。そのヤンチュとして宇検村長柄に生まれたカンツメと言う気立てが優しく美しい女性がいました。主人から好意を持たれていましたが彼女は、山一つ隔てたこの下の久慈集落に住む役人の岩加那という青年と相思相愛で、夜になると山を越えて此処にあった山小屋で逢瀬を楽しみました。青年が三味線をカンツメが歌を歌って遊んでいましたが、これがカンツメ主人夫妻の知るところとなり、厳しい仕置きを受けてカンツメは悲観し、この山で自殺しました」

「へー可愛そうに本当に有ったお話ですか」

不思議そうに聞くので、

「多少の脚色はあると思いますが史実です」

私が返事すると、これ以上声は出なくなった。

「カンツメの死を知らない岩加那は、毎夜ここを訪れて幽霊となったカンツメと歌遊びにふけったと言われています」

更に後日談を披露しようとした時、

「山田さんと玲子さんの関係みたい。玲子さん可愛そう。山田さんに旨く使われて」

と礼子さんが言えば、

「それでその男はどうなったんですか」

更に礼子さんの御主人が聞くので、待ってましたとばかり、

「やがてカンツメの死を知って驚いたが、暫くすると心の傷も癒えて他の女性と結婚しましたが、若くして亡くなったそうです」

今度は、

「自業自得。男は何時も同じ」

礼子さんが言い。玲子まで、

「ほんと。男ってどうしようもないんだから。だから女が強くならないと」

と締めた。

ご主人が、

「男台無しだな 何で此処に案内したの」

「皆さんに話し合って欲しいと思ったんです。この話を聞くと自然と皆さん意見がでますからね」

私は、いけシャーシャーと言った。

「それじゃ少し脚色あるな」

「適当にそれはあります。あとは御夫妻で、一度話し合って見て下さいよ」

「君も大阪人で商売人やね。この色男」

私の側に着て小さな声で言った。

「あの、すみません。さっきの話ですが、一説ではカンツメの死を知って岩加那もロミオとジュリエットのように、後を追ったという説もあることを男性の名誉のために付け加えておきます」

男性陣から拍手があった。


ここで私が、カンツメ節の

  「夕(ゆ)べがで遊(あそ)だる、カンツメあごっくゎ

   明日(あちゃ)が夜(よう)根なれば、後生が道ば

   み袖振りゆり」

 とその一説を朗読した。意味の詳細は分からなかったが、大よその印象は『その晩までは一緒に歌・三味線で、はしゃいだカンツメさんなのに、その翌日の夜になると、もう、あの世の道を、み袖振って歩くとは』と言うように理解出来た。車中はこの話で、持ちきりで私の作戦成功だった。


此処から、奄美でも最も古い風景が残されていると言われる、西古見に向かうように玲子に告げた。ここは鰹漁発祥の地で明治期奄美の漁業をリードし、港には70余艘の船が舳先を並べたといわれている。港を見下ろす高台には、創業者の朝虎松の顕彰碑が有り、その碑文の中に鰹漁発祥の地だった事がはっきり書かれている。私が、碑文を読んで概要を説明して古仁屋に向かった。


古仁屋では半潜水艦という珊瑚鑑賞用の船に案内した。昔、海軍基地があった瀬戸内海峡の珊瑚は海の透明度が高いことも幸いして、素晴らしい景観を見せていた。10歳前後の息子さんは、珊瑚と魚を見てはしゃいでいた。これを見て家族一同満足し、笑顔でこの光景に見入っていた。この様子を見て、ここに案内したことに満足していた。


私達が珊瑚礁を鑑賞している間、玲子は次のプログラムを実行すべく行動していた。その行動は、的を得たもので顧客を大いに満足させることになった。港に帰った私達は玲子に導かれて、古ぼけた店に出向き、其の案内に従った。

私達のグループは海に導かれ、海上タクシーという小船に乗せられて海に乗り出した。一行は小さな小船に乗せられて、先が見えないので不安になった。やがて30分が過ぎ、忍耐が限界に達した時、目的地が見えてきた。其れは小さな白砂の海岸に立つ白亜の建物だった。

玲子が、

「全員、此処で今日は宿泊することになります」

と告げ、多くの人は驚きの表情を見せたが、二人に従うと言った手前反対することは出来なかった。


覚悟を決めて荷物を下ろし、全員で海岸に出て海を楽しんだ。玲子は的を心得ておりこのグループの息子を楽しませた。それは、海に入っての熱帯魚の観賞と珊瑚礁に追い込んでの捕獲方法の披露であり、少し背の足らない所にある貝拾いだった。

玲子は自分の限界を少し超えたことを経験できることの喜びを良く理解しており、参加者を無意識のうちにそちらに向かわせていた。この辺のことを自然に出来るのは素晴らしい才能だと感じた。この様にされると人は嬉しくなり、元気が湧いてくる。

10歳前後の子供は、完全に玲子に魅入られており傍を離れなくなっていた。


3時間皆で思い思いに海を楽しみ、やがて夕食の時間になった。皆、腹ペコで食は進み、飲み物も進んだ。8時を過ぎオナー夫妻は部屋に引き上げ孫も一緒だった。

此処で少し問題が発生した。私と玲子が泊まる部屋が無いのだ。この宿の主人は玲子と私は同じ部屋に泊まるものと思っていたが、私達は別々の部屋に泊まると言ったので算段が狂ってしまった。

「それじゃ僕は海岸で寝るんで、其れでいいです」

この言葉を若夫婦が聞き、奥さんが、

「玲子さんは私と一緒に、山田さんは主人と一緒に泊まってください」

折角、此処まで来て夫婦別室とは心苦しかったが、この提案に甘えることにした。

「空気読みなさい。真・・・」

「だって玲子は友達だもの」

自分に言い聞かるように言った。


4人は海岸に出て、空を見上げ話し合った。

「あ流れ星、また流れた」

「本当だ。また流れた」

「私に力をください」

「神様お願い」

「広い心と寛容を・・」

「許す気持ちを」

各々勝手なことを酔いに任せて抽象的に叫んだ。解放感を味わっていることが実感出来た。

亭主氏が私に、

「山田さんと玲子さんはどんな関係ですか」

「友達というか同僚。そう有能な同僚がぴったりかな」

「本当ですか。彼女かなと思っていましたよ。だって仲良いし最高のカップルだもの。玲子、玲子と言って」

「そうですか」

「そうでしよ。完全に一体じゃないですか、誰が見ても」

私は、全くそうは思っていなかったので、

「旅さきの奄美カップルですから軽いんですよ。リゾートで心開かない人間ていませんよね。そこで人と旨く付き合え無い人間て最低でしょう。そう思いません」

「一般論としては理解できるんですが、私の見る限りそれ以上と思うんですが。これでも君より人生経験豊かな男ですよ」

ここから信頼してくれたのか、酔ったのか亭主の愚痴が始まった。


亭主曰く、

「僕達、誰にも言っていないんですか 夫婦関係は冷え切っていて、妻には興味を示せないんです。僕は養子で義父にも頭が上がらないし秀でた能力もないし、一日も早くこの環境から逃れたいと思っているんです。この旅を終えたら一大決心して、妻とは別れるつもりなんです」

若い私に言ってのけた。

「ここで、僕にそんなこと言わないで下さいよ。告白の練習ですか」

「君にはすまんが、どうしようもないんだ」

「もう一度挑戦することは出来ないんですか」

「山田君が玲子さんを同僚と言うように、それほど関係を変えるのは難しいことなんだ」

これを言ってから主人は寡黙になった。


この裏返しのことが、礼子さんと玲子の間で行なわれていた。要約すると以下の様な会話だ。

礼子さんが、

「夫にたまには、庭の手入れしてよ。ふすまの張替えも。それに今日は私出かけたいところがあるんだから」

「・・・・・・」

夫は無言。

「聞こえてるの」

「聞こえてるよ」

「家の事も少しはしてくれたら。いつも私ばっかり、子供の受験の事も考えて・・・大変なんだから・・・」

「俺だって、子供の受験の面倒くらいはを見てるだろ。こっちはお前の会社の仕事で    疲れてるんだ。それに俺はあんまり受験に賛成じゃ無いて言ってるだろう」

「あ~そう。あ~そうなの。私も毎日毎日、掃除して、ご飯作って、ストレスたまってるんだから。私だって、あなたのように外で伸び伸び仕事したいわよ。少しは家の事考えてよ。受験くらいいいでしょう」

ここまで来るとやっと会話の様になると言う。


夫は、

「だったら、働けば良いじゃないか。誰も家にいてくれって頼んだ覚えはないぞ。疲れて家に帰ったら、いつもグチグチとうるさいんだよ」

と来るのが常道で、

「私がいつグチグチ言ったのよ。あなたは、自分の好きなことばっかりして良いでしょうけど。だいたい私は、好きで主婦やってるんじゃないのよ。私が家にいなければ、子供の面倒は誰が見るのよ。あなたが見るの」

「あ~見るよ。ついでに掃除でも洗濯でもやってやるよ毎日、主婦やってりゃいいのなら気楽なもんだ」

 という主旨の会話につながる。一度、こんな会話になると、それは永久に続き際限ないので疲れてしまうとの事。


玲子の勘では、きっと、それなりに納得出来ることが過去にあったのではないかと言うが、私も同感だ。

 ここまで来るとどちらの言い分が正しいかではなく、確実にそこには不満があると言うことをお互いに意識することが重要になる。


私の少ない経験でも実家の親父とお袋の会話を聞いていると、こんな感じて夫婦の会話の中には、多分に攻撃性が含まれていた。そして暫くすると、どちらかが夫婦げんかの引き金を引いていた。

それは、かねてより沸々と煮えたぎる不満の噴出だ。人は会話の中に含まれる攻撃には敏感で、

「あっ、嫌みな言い方」

と、すぐに気が付く。

そして、話の主旨はどこかに消えてしまって、攻撃が攻撃を呼ぶようになり攻撃するために会話と沈黙が続く。これを旨く解決できる特効薬はなく、常識的な言い方をすれば日頃からのコミュニケーションが大事で、その底には相互の信頼感の醸成が必要である。


翌日は6時に起きて玲子と一緒に海岸を散歩した。玲子は昨日の奥さんの言い分を、私は夫の嘆きを披露した。

この様な話に導いた事を反省すると共に、人生の複雑さを感じていた。理想的な家族に見えた一家が大きな秘密を持っていた。昨日、夫氏は日頃感じていることを愚痴にして吐露した。玲子から聞いた話しでも、礼子さんは夫と旨く行っていないことを話し、克服したいと泣いて訴えたとの事だ。人生見かけに依らず複雑なことを経験出来た。ここはなんとかしなくてはと心に留めた。  


朝食前に玲子と私は服を着たまま海に入り泳いだ。心地よかった。玲子について行くと結構泳げた。

8時から食事して、10時まで海で遊んだが、件の若夫婦は昨日の告白を忘れたように結構楽しそうに振舞っていた。これは線香花火の最後の光かも知れないと思って不安になる。10時過ぎ、次の目的地を目指して行動した。今日はここから車で30分の須古茂から小さな船に乗って、離島中の離島の更に離島、与路島に向かうのだ。


与路島は、加計呂麻島の南に浮かぶ周囲4Kmの島で、集落は港のある与路一箇所だ。集落内のいたるところに台風から家屋を守るため珊瑚礁の石垣があり、これが情緒豊かな風景を作り出している

島には平家伝説もあり高台からは喜界島を見ることも出来る。


沖合にあるハンミャ島は、海岸の白砂が吹き上げられて堆積拡大した砂丘で出来た浜で有名だ。水と食料を持って、島に渡って海で遊んだ。相変わらす息子は無邪気にハシャギ、其の周りには若夫婦が居てその外に御祖父チャンがいた。ここで昼を食べる予定だ。私が、バーベキューを指揮し、玲子が給仕して食事が始まった。オリオンも少し出し、若夫婦と私が飲んだが玲子は飲まなかった。この一行と私を残し、子供と海に遊びに行ってしまった。

礼子さんが、

「山田さん、玲子さんとはどう言う関係。関白亭主かな玲子さん顎で使って」

夫唱婦随というか主人と同じ様なことを聞いて来たので、

「奄美カップルですよ」

「玲子さんの山田さんへの態度は、違う様に思うな。あんた鈍感。話し合ったことあるの、これからのこととか将来とか」

「良い思い出をここでは残したいんです。奄美のことは、夢のまた夢が二人の理想なんです」

決意を込めて答えると、

「其の関係て面白いな」

礼子が答え、亭主をこついた。

これを受けて亭主は、

「ホントやね。羨ましい、昔を思い出すな。でも安定したい気持ちは無いの。でも若いからそこまで真剣に考えないか。人生色々あるからね。それに新しい出会いが有るかも知れないし」

「そんなに深刻に考えないで、思ったことを素直に表現できれば良いと思うんですが」

「それも分かるな。山田さんも普通の時はそうじゃないですか。大阪に帰れば、面白みの無い人間になる」

と本質を突きかける雰囲気が支配したが、いつ帰って来たのか玲子もこの会話に加わり、

「今日は、ご夫妻一緒の部屋でお休み下さい」

と言った事によって、場を変えることが出来た。さすが玲子、このあたりの気配りは最高だ。この感性が欲しいと私は思っていた。


食事後に若夫婦から、

「片付けは私達が行ないますから、二人でよく話し合って下さい」

二人は一本取られてしまった。しかし不器用な二人は、真剣に話し合うことは無く子供と遊んだ。

 

3時過ぎに無人島を離れ与路島に帰り、皆で自転車に乗って島探検に出かけ個性的な島を楽しんだ。相撲場、僻地診療所、群島会館など僻地ならではの施設を見学し、写真を一杯撮って島を満喫し、一体感を味わいながら精気を貰って、今日宿泊する民宿に向かった。  夜も地元の色鮮やか魚を当てに、玲子の例の乾杯挨拶で、宿泊客全員で食卓を囲む夕食が始まった。玲子のリードによって始まった宴も2時間で解散となり、若手の4人即ち、玲子と私そして礼子さん夫妻は、10時まで酔いに任せて話し飲んだ。


「皆さんすでに御存知だと思いますが私、名前を礼子(れいこ)て言うんです。最初、山田さんが、玲子さんのことを玲子(れいこ)、玲子(れいこ)と言うんで、その言葉を聞く度に反応してたんです」

「そーだな、俺もそう。昔、礼子(れいこ)、礼子(れいこ)といって甘えていたなあと・・・・」

「玲子さんて、素直で本当に可愛いなと思ったんです」

「これのかわいさは、整形なんです。白鹿整形です」

「それでもいいじゃないですか。可愛いいんだから」

これは真実で、整形で性格が明るくなれば人生最高といえる。この言葉に玲子は全く反応しなかった。

「私も礼子、礼子と言われている時に素直に反応していれば、キット幸せな生活が出来たと思うんですが、素直さを何時しかなくして本当に功さんには申し訳なく思っているんです」

妻のこの発言を受けて夫は、

「俺も養子と言う負い目を必要以上に感じて肩肘張っていたんだな。山田君のようなオープンな性格なら礼子を幸せに出来たと思う。礼子すまんな」

暫く、沈黙の時間があり玲子が口を開いた。

「山田君も素直じゃないと思うんです。二人は恋人じゃあないんですか」

私に向って言って泣き出した。こんな玲子を見たのは始めてだった。


私はこの予期せぬ事態に素直に行動することが出来なかったが、亭主氏は素直に対応して、

「玲子さん。それは山田君の愛情なんです。玲子さんを傷つけたくないという。愛情表現が得手でない男なんです。玲子さんも分かっているんでしょう」

「二人の関係って素晴らしいと思うな、昔の自分を見ているように思うし素直で純粋な」

礼子が言って黒糖焼酎を飲み干した。続いて私も飲み干し、玲子、亭主が飲み干してやがて沈黙が支配し、礼子さんの、

「今日は話し合えてホントに楽しかった。本当に」

この一言でこの場は解散になった。

短い時間に感じられたが12時を過ぎていた。


亭主氏は妻の部屋に、私と玲子はそれぞれの部屋に引き上げて眠りについた。気まずい雰囲気を解消するため、話をしようと玲子を海岸に誘ったが、

「さっきの話し気にしないで。本気じゃないから」

玲子に拒否されてしまって真意が分からなくなってしまった。


さすがに疲れたのか、翌日は9時過ぎまで起き上れなかった。他の連中も同じで、朝食時間ぎりぎりの9時30分になって全員が揃った。お互いに挨拶をして朝食が始まった。若夫婦がやけに慣れ慣れしく食事をしていたのが奇異に感じられた。夫婦が仲良くするのは極自然だが、この2日間の意見交換を知るものとしては余計不思議に感じられた。


10時の町営船に乗って、あわただしく島を離れた。途中、請島に寄って少し休憩した後、古仁屋には12時に到着した。少し揺れたが皆元気で大島本島に帰って来た。途中、船の中でも若夫婦は親しくしており、孫はおじいさんとおばあさんが相手していた。明るい笑いがあった。


港に着いて車の運転を交代したいと若夫婦から提案があった。最初は私達の仕事と断ったが、是非ともと言うので根負けして運転を替わる事にした。


玲子は主人と、私が礼子さんと変った。よって運転席に主人が座り、ミラー等の調整をした後、横の奥さんに出発の合図を軽く出すと、車は静かに走り出した。奥さんは主人にガムを渡し、水を差し出し主人はそれを自然に飲み干す。

主人が時々、

「礼子、右を見てくれ」

「右OKです」

主人に答える。礼子さんが、

「ここ右です、後5キロで左」

「分かったありがとう」

今度は主人が答えた。

私と玲子はこのやり取りを見て、あんなに声掛けなくても良いのに、と言う様にお互いの顔を見て静かに笑った。こんなことが1時間少し続いて名瀬市に到着し、皆で食事をした。

ある本で紹介された中華料理屋だ。


私は塩ラーメンを注文し、他のメンバーはお勧めの野菜ラーメンを食べることになった。食事中、奥さんに、

「あんなに礼子さん、礼子さんと言わなくても良いのにね」

礼子さんに言うと、予想に反して、

「山田さんが、玲子、玲子と言う回数と比べたら少ないと思いますけど」

「そんなことはないですよ」

「私もそう思う」

ご主人も口を挟んだ。

更に、

「この勝負、若夫婦の勝ち」

老夫妻も口を挟み勝負がついた。不思議なことにこの会話に玲子は全く絡まなかった。


食事後、車に乗ろうとした時、玲子は

「私ここで失礼します」

皆が予期せぬことを言った。

驚いたが、

「私疲れましたので本当にすみませんが、ここで帰らせてください。お願いします」

そこまで言われると皆仕方なく、

「体を大事にしてまた明るい笑顔を見せて下さい」

ここで玲子を見送った。

玲子のこの態度が気になったが、疲れたのかなということ以外、不覚にも気が及ばなかった。この時、車を降りて追いかければ良かったと思ったが、その行動が出来なかった。

この時玲子は、ある決心をしていた。其のことに私が気づく迄、少し時間が必要だった。


名瀬から用安には、本茶峠という大きな坂を上り下りする。ここを走っている時、前方に老人が石に腰掛けているのを礼子さんが見つけた。

車を止め、老人に近づくと、疲れたので少し水を下さいと言う。

礼子さんの、

「車に乗って行かれませんか」

という勧めに最初は固辞していたが、根負けして車に乗ることになり、私の横に座った。

やがて用安に到着し、ここで車を運転する主人と私と老人を残して降りた。私達3人はこの老人をあやまる岬まで送って行った。老人は岬から少し離れた高台に陣取ると周りを見渡した。

老人の様子が気になったので、私と主人はそこに残り見ていた。

「山田君。玲子君と話し合った」

「昨日、拒否されて特に話してないんです。奄美フレンド。それ以上は親しくならないと思います。奄美以外では波長は合わないと思うんです。それは玲子も分かっていると。だからここでは、良い思い出だけを作りたいんです。悪い思い出は嫌なんです。失敗が嫌なんです」

言い終わるのを待って、

「其れも分かるけど、二人でよく話し合ってほしいな。悔いの無いように分かっていると思っても、言葉で確認しないとすれ違いになることもあるので。私達の例を見れば分かるでしょう。其の轍を踏まないようにしてほしいんです」

そして、

「私達にも良い思い出が欲しいんです。恋のキューピットに成ったという」

「期待に沿えるように頑張ります」

いい加減なことを言ってしまった。


くだんの老人は懐から巻物を取り出して、鉛筆で何かを描き出した。この様子を見ながら、二人で世間話をして30分程経過し、老人が手を休めた時、

「画家さんですか。何処に出されるんですか」

「絵は自分のために書いているんです」

老人は低くて説得力のある声で言った。この雰囲気に圧倒されると共に意思を感じて、私達はここを引き揚げることにした。

老人に挨拶したが、絵に集中しているのかこれに答えることは無かった。


用安に引き上げると皆は風呂に入りリラックスして食事中だった。

主人は風呂に行き、私は食事を摂る事にした。無事に老人を送り届けたことを告げ、老人が絵を描き、その人が『自分のために絵を描いている』と言ったと告げると。

「いい話だね」

真っ先に老主人が短くコメントした。

「これの旦那はうちの会社の有望社員で、其れでこいつと結婚させたんだ。最近、行動が萎縮していて心配していたんだが、此処に来て何か、吹っ切れた様で嬉しく思っていたんだ。あの老人の自分のために絵を描いているという言葉に、癒されたように思う。私も会社のために働くのではなく、自分のために働くんだと思った時、なにか前の霧がすーと晴れる様に感じたんです。そんなもんなんです」

言い終るとワインを飲み干した。この場にいる人々はこの言葉に酔って、つられる様にしてそれぞれのグラスを飲み干した。

「私も主人が伸び伸びと活動出来るように支援する」

「礼子頼むぞ」

真っ先に父が発言すると、

「礼子しっかり」

母の声がして続いて、

「ママ頑張って」

息子の声もして、私が拍手をしたのでつられて全員が拍手した。

周りの人々は突然の拍手に驚いたが、其れも暫くして平穏を取り戻した。


程なくして主人が帰ってきた。会話が弾んでいるので、

「何かあったの」

見渡して聞くので、

「御主人の噂していました」

少し冷やかすと、

「なんなん、なに」

「良い話ですが内容は内緒です」

「気になるな。気になるな」

「山田君頼むから言ってくれ。言わないと玲子君の秘密をばらすぞ」

「なんですか秘密って」

「君が先にさっきの話をしてくれ、そうすれば玲子君の秘密は言わない」

「玲子に秘密なんてありませんよ」

「いや与路島で聞いたんだ」

主人は譲らない。

「山田君。いいから言ってやれ」

老主人が言うので、事の次第を話すと主人は納得した。

そこで、

「ご主人、玲子の秘密て何ですか」

「あれは口からのでまかせ。山田君が知らない事を私が知っているわけが無いだろう」

礼子さんが、

「それは分からないな。何せ前科があるから」

真顔で茶々を入れたが、

「あの子は天使の様な子だから大事にしてやってくれよ」

老主人の言葉でこれ以上話は続かなかった。

パラダイスに降りた羽の傷ついた天使か絵になるな。言えているなと一人、乙に入っていた。

 ここで若主人は言わなかったが、玲子から離島の事について相談されたことを暴露しようと思ったが、当事者間で解決する問題と思い発言を抑えた。懸命な判断だった。

                           

食事後、いつもの様に老夫妻と息子は部屋に引き上げ、残った3人は地元の半玄人で構成する故郷劇団のショーを見た。

良く見ると千恵子も踊りを指導していた。其の格好は観光客には見えず、地元の人間の顔をして踊っている。足の運びも板についていた。


私が千恵子の後ろについて踊り、踊りの合間に、

「うまいね。地元の娘さんみたいだよ」

「あんた誰ですか。わたしゃこの島の娘、許婚もいるんです。ちょっかい出さんでくださいな旅の人」

「こりゃ失礼。人違いでした。よか加那さんについ見とれてしまいました」

私が切り返すと千恵子は私の肩を叩き笑った。ショーはその後、更に1曲踊り、司会者が上手な人を指名した。心の底では私が選ばれると思っていたが、名古屋の大学生に続いて若夫婦が指名されて、踊り名人の勲章を貰って、3人が踊り出したがこれはお笑いで、皆笑い転げた。最後に、もう一度全員が輪になって踊り、舞台に一人づつで出て行く“六調”のパフォーマンスをして1時間30分のショーは終わった。


ショーの後、千恵子も加えて4人で海岸に出た。空には多くの星が瞬き、無数の星が流れていた。   

「これ程、流れ星が有ると願い事がいくらでも出来ますね」

「一人ずつ願い事を言ってください」

礼子さんが全員に言った。

「願い事を口に出すと適わないと言われますが」

今度は主人が聞いた、

千恵子が

「そしたらまた願い事を言えばいいんですよ、こんなに流れ星があるんですから」

となり、酔いに任せて一人づつ言い出した。

「玲子が幸せになりますように」

と私、

「優しさと広い心を下さい」

と千恵子。

「主人を大事します」

と礼子さん。

これに続けて主人の功さんが、

「山田君に負けないように礼子。俺のレイコを愛する」

良いところを独り占めして締めくくった。4人で海岸を散歩し、自然と男二人と女二人のペアーとなった。

女二人は、此処で経験したことを話し、此処で得た他人の心の痛みを知ることを大事にしたいと言う様なことを話したと千恵子から聞いた。


男二人は先の食事で話題になったことを話した。

「ご主人も大変でしょうが、肩の力を抜いて思う存分行動してください」

私が、義父さんはじめ皆さん、言われて言ましたと再び告げると、

「そうですか その様なことを言っていましたか」

「ご主人の気負う気持ち、なんとなく分かります。自然体でされたら如何ですか」

「私もそう思うんです。最近、自分の行動を自分で縛って、守りに入って居るように思って居たんですは。ちゃんと義父さんは見ていたんすね」

「そこまで見られていたんだったら開き直って、思い切り動いてみますか」

快活に言ってのけた。

「でもあまり無理せずにお願いしますね」

「それは難しいな。でも礼子が旨くやってくれそうな気がする。そして1年後また奄美に来て自分を再確認したい」

「それが良いです。其れでお願いします」

「その時は山田君も玲子さんも居ないので心配だなあ」

「礼子さんはじめご家族がおられるじゃないですか」

「そうだな」

二人は大きく頷き握手した。


御主人は、ここで話題を変えて語り出した。

「実はね子供の事なんだが、まだ課題が残っているんですは。と言うのは、息子は中学受験を目指してまして、今後の対応をどうするかが難しいです」

「それはなんですか」

「妻はやる気満々なんです」

「僕も中学受験経験者ですけど、結構楽しかったな。塾仲間を含めて今でも友達付き合いしています。なんせ6年間、塾を含めれば10年一緒にいるんですもの」

「それは合格したからで失敗すると大変ですから」

主人に振られて、それに続いて、

「帰れば中学受験に向けて、またあの生活が始まるんです。夕食は10時で日曜なしですよ」

「そうですね。それは大変だけど、僕も10時食事の口ですけど余り苦にならなかったな。塾は同じような人間がいて波長が合ったな。学校はだるかった。5分で分かる事を1時間掛けるんですから。鶴亀算なんて、その際たるもんですよ。それに親父も会社帰りに、私に合わして一緒に塾で待ち合わせて、母の車で家に帰って食事してましたから」

「山田君、昔からそういう生活もあるんですね」

「そうですよ。お忙しいと思いますが、子供さんに合わせると奥さんも喜ぶし、狭い車ですからコミュニケーションも良くなりますよ」

私が言うと納得して、

「もう一度、妻と話し合ってみますは」

元気な声で答えたので、

「その前に子供さんと話してくださいよ。11歳って相当考えてますよ。ほんとうに彼が嫌がっていれば、中止すべきですよ。それと後一つ、ご夫妻の意見が一致していないといくら優秀な子でも合格しませんよ」

「そうですか・・・・」

「これは本当です。難関校合格の必須条件ですね。レベルを落とせば別ですが、夫婦の意見が一致していなければ合格しません。まさしく家族の力が試されるんです。」

この発言には、何となく納得したような顔になって、

「早速、妻と話しして来ますは」

その場を離れた主人の行動力に驚いた。


主人と入れ替る様に、千恵子が寄って来た。

「山田さん、主人に何の薬飲ませたの」

「特に何も天に太陽、地に砂糖キビ、人には黒糖焼酎が効いたんじゃないですか」

「今も主人が来て、妻を借りると言ってルンルン気分で、手を取って部屋に消えたのは、さすが夫婦だね。ホントにルンルンなんです」

「千恵子さんも元気になったね。もう大丈夫だ」

「すっかり大丈夫、貴方の優しさと奄美の太陽が私を癒してくれました」

「ほんと元気になった」

「ほんとになった」

笑顔で答えるので、更に突っ込んで、

「あの不実なダイビング男のことは」

「あれには、そこの大きなガジュマルの下で引導渡してやったっち」

千恵子は方言をまねる余裕を見せた。


リゾート名物の大きなガジュマルの木の下で千恵子と不実な彼氏との別離が行なわれた。彼女はその男のことで大きく傷ついていた。

彼は彼女が17歳だった時の家庭教師で、その時に彼女と関係した。彼女にとっては初めての男性だった。其れからも関係が続くが、接近したり離れたり更に接近したり、また遠く離れたりという期間が4年間続いた。

彼には悪気はなく、気持ちの赴くままに行動している感があったと言う。また、其処が魅力でも有った。彼の相手は、ある時は大学の同級生であり、家庭教師の母親であり、海外の旅先で知り合った魅力的な女性だった。頭が良くてスポーツマンで魅力があって、その都度許してしまった。


「でもここで、ガジュマルの木の下で私は誓う。山田さんが証人。私がくじけた時は貴方が注意して欲しい。其れぐらいはしてもいいと思うけど」

「分かりました全力で支えますよ。本当に」

約束と言って私の目を見て決心の度合いを確認するので、意識して目に力を入れると、千恵子は安心した。

「私、シュノーケルの道具この海に捨てたから当面、海には入らないヨ」

「それは問題だよ。海が汚れるじゃない」

「心配御無用。直ぐに宿泊客の子供が見つけてくれて遊んでいたから。私が指導してサイズも調整したんだよ」

元気に答えたので、ほっとした。

「其れも一つの選択やね。今度始める時は私を誘って下さいよ」

「貴方とは潜らない。彼のことを思い出してダブルから」

「俺ってそんなもん」

「そんなモン。雰囲気、良く似てるネほんとに」

嬉しいやら悲しいやら不思議な感覚だった。

ガジュマルの木の下でブランコに乗りながら、盛り上がった。結婚するには千恵子は最高だと思った。家庭を明るくして男を盛り上げる器量があり、男に無理をさせない。

「そして揃いのダイビングスーツは封印したんだよ。あれはもう使わないつもりだから、そのうちに捨てる」

陽気に答えた。

私は、何か弱みに付け込んだみたいで罪の意識を持っていたので、この笑顔を見て少しは救われた。

「新しい恋でも」

「其のエンブリオは育っていると思う」

千恵子は私に答え、最後に毅然とした態度で、

「ところで、あのことは絶対二人の秘密だよ」

席を立ったので後を追った。


千恵子から昔の不実な彼と綺麗に別れ、今は新しい恋の予感を感じていると報告を受け、其れまで引っかかっていた心の負担が少し軽くなった。


千恵子とこのリゾートの宿泊者の溜まり場となっているラウンジに行くと、部屋から出て来たのか若夫婦が仲良く酒を飲んでいた。

「仲がいいですね」

千恵子が言うと、

「貴方達こそ、玲子さんにいいの」

夫人が言い返した。

「ところで何を話されていたんですか」

「子供のことでいろいろ」

言葉少なく答えたが、夫人はアルコールが入っていることもあって饒舌で、

「子供の中学受験のことで話していたんです。彼が反対で協力してくれないんです」

「なんのことですか」

ここで千恵子が発言した。

彼女は状況を理解していないように思われたので、私が、

「最近都会では、私立中学受験が盛んなんです。特に東京、大阪、神戸では良い私学が多くて一種のブームになっているんです」

私が一気に喋ると、千恵子と夫人が同時に、

「あなた良く知っているのネ」

「僕、私学受験経験者ですから」

「それで、受験の結果は」

夫人が聞くので、

「1勝1敗。第一希望には失敗して滑り止めに引っかかりました。幸運にもネ」

「あんたってやっぱりお坊ちゃまなんだ」

千恵子が言うので、

「エリートじゃないけど親は自分が勉強出来なくて後に苦労したので、子供の教育には熱心で、優先順位一位で当たっていましたね」

そして、主人に話した受験勉強の内容を語った。


ここまで話して、

「本当すごい生活やね」

千恵子が言うので、

「ご主人にも言いましたが。当時、でも結構楽しかったな。この生活、学校よりある面では楽しかったな。学校は退屈やったな。クドクテ」

礼子さんに言った。

「それの反動が、今出ているの。ドロップアウトしてるの」

「それはそうかも知れないけど、千恵子さんもここで遊んでいるじゃないですか」

それ以上言葉はなかった。


「今でも塾友達とは交流あるんですよ。波長が合うんですは」

ここでもまた私が言うと、

「それは同じような人が集まるんで居心地がいいんだ。選ばれた人の集まりだもんね」

「でも其れもいいんじゃない。勉強出来るのも、スポーツ出来るのも、綺麗も才能だし、その子の才能や個性を見つけて伸ばしてやるのも親の責任じゃない」

暫く沈黙が流れた。

この沈黙を破ったのは千恵子で、

「私学出身者て、ひ弱な感じがするけどどう」

私を挑発するので、

「それは正解。確かにひ弱で公立出身者はコツを掴んだ時の伸びは大きいと思う。僕なんか大学入った時は結構出来たんだけど、伸びなかったと思う。それは真実だと思うけど、僕みたいに出来の悪い人間でも、いい環境で勉強出来る場に入れた事によって、環境に育てられるという良い面もあったと思う。僕は、親父をあんまり評価していないんだけど、これには感謝しているんだ。本当に周りの人間、先輩、先生に助けられたと思う」

と一気に喋った。周りの者は半ば聞き、半ば聞き流すようなそぶりを見せながらグラスを傾けていた。

「山田君、ありがとう考えるきっかけをつかめたような気がする」

「結構子供は今の生活楽しんでいると思うんです。一度、子供さんと話し合って下さいよ」「あなた帰ったら一度三人で話し合いましょう。そこで彼が嫌と言えば考え直すは」

「そうしよう必ず」

旦那が即座に返し話がつながった。

「あなたって不思議な人やね。いい加減な人間やのに何故か人の心を開かせる」

今度は礼子夫人が言って、

「本当、不思議な人間」

更に千恵子までも。

私は、『不思議な人間』という言葉をどのように理解して良いものかと考え込んでしまった。


千恵子が、明日の仕事は朝早くハードなのでと言ってこの場を去り、3人となったが夫人の提案で海岸のテラスに出た。

「貴方と玲子さんと千恵子さんてどんな関係」

ここで夫人がキツイことを聞いてきた。

「ただの友達のトライアングル」

「そうは思えないな。はっきり言いなさい」

実はと喉まで言葉に出かかったが、辛うじて呑み殺して、

「玲子と波長は合うけど一緒に暮らすなら千恵子、でも玲子が一番好き」

訳の分からないことを言うと、

「何となくわかるな、その気持ち。余りにも出来の良い人と暮らすのはしんどいからな。怠けられなくて」

主人が言うので、

「それって結構当たっていなくもないですね」

「そーなんだ。私も注意しようかな」

奥さんが決意を込めた。


ここで私は酔ったのか不用意な発言をした。

「僕、女性にコンプレックス持っているんです。初体験が旨くいかなくて、セックスに失敗して旨くいかなかったことが続いたんです。自信喪失気味だったんです。これまでそこそこ旨くやって来たのにショックだったんだな」

「少し位コンプレッックスがないと、俺なんかやってられないもんな。いい気味だ」

「ホント其れぐらいないと、人生不公平もいいとこ」

夫妻に言われて、ここで反撃に出た。

「ところで、御夫妻のセックスライフは満足ですか」

場がしらけて微妙な雰囲気となった。これは不味いなと思っていると礼子さんが重い口を開いて、

「奄美に来るまで、ここ6ヶ月全く交渉なしというところ」

更に奥さんが言うには、

「此処に来るまで夫には愛情が薄れていたし、女として見られなくなっていた」

としんみりと語り、別居を持ちかけたことも有ったと言う。

「子供が生まれて4、5年経った頃から、気持ちが冷めてきていることに気がついたんです」

ここで夫が、

「楽しい時もあったよね。セックスも結構楽しんでいたんじゃないの。あれは勘違いだったのかな」

「でも貴方は、忙しいことを理由に休日も仕事へ、週に1、2回は飲み会。わたしが甘えても無反応。ある時、我慢できなくなって手紙を書いたが、それも無視・・・・。そうでしょう。」

更に続けて、

「それからは、セックスはおろか、キスも段々としてくれなくなった。でも別居は、何より子供のことを考えてやめました。私はいろんな本を読み、これまでの自分のいけなかった部分を反省し、随分と変わったつもりだけど」

誰も発言しないので、更に続けて、

「この問題について主人と話し合うと、仕事で追い詰められているから、こんなことを考える余裕がない。と言われ、中途半端に終わりました。本当に仕事は大変なようなので、それ以上追い詰めたくないんですが・・・・。家庭を顧みないわけではなく、子供にとっては、最高のお父さんだし、その問題を除いては非のうちどころがない、良い人なんです。わたしのことは、『兄妹のような存在』なんだそうです。ただ女として見てもらいたい・・・・。山田さんどう思われます」

「すみません変な話題にしてしまって。でも、もう大丈夫だと思いますよ。最近の状態見ていると」

とまとめた。玲子がいてサポートして欲しとこれほど思った事は無かった。


私は、この種の話は仕事人間にありがちとは聞いていたが、これは夫婦関係には大きな問題だと何となく理解出来た。

そして苦しまみれに筋違いの話をしてしまった。

「僕がセックスで自信なくしたのは、コンパの勢いで彼女とホテルに入った時、何故か知らないけど勃起しなくて、彼女の努力でどうにか役に立つようになったんだけど。途中で彼女が、『来ない来ない、離れて行く』と言うから萎えてしまって、戦意喪失という状態になってしまったんです。それから出来なくなってしまって」

「俺も突いて突いてと言われた時、旨くいかなくって。お前も覚えあるだろう」

夫は妻をまじまじと見たが、見られた妻は、

「良く覚えてないは」

「いい加減な女だなあ。俺は悩んでいたんだぞ」

「それならもっと早く言えばいいのに」

「今まで、そんなこと言える仲ではなかったろうが」

黙って頷いた。

「でもこれからは、話せる環境が出来たんだから話し合って下さいよ。そうすれば殆どのことが解決できると思うんです」

「その通りだね。このことは、これからも大事にしたいな。妻、子供とのね。小さなことからこつこつとか。これって聞いたことが有るな」


ちょっと夫氏が間を取った。

「この問題は、僕はもう克服したんです。奄美の太陽と海のおかげで」

「私達も奄美の太陽のおかげで心が温まって開いたと思う」

奥さんが言い、これを受けて旦那さんが、

「これからは、お互いを尊敬してコミニケーション、報告・連絡・相談をよくして会話は事柄の内容よりも、相手の気持ちを聴くようにしょうと思う」

優等生的な発言をすると、妻は、

「教育されたのか、まるで玲子さんみたいなこと言うね。それに付け加えて寝室は一緒にしようよ」

「其れは大賛成」

私は大きな声で言った。暫くラウンジで飲んだ後、夫妻は部屋に引き上げた。


当然のことだが、家族は社会を構成する最小の組織です。何でも相談し合える身近な存在にする必要が有る。核家族時代では意思疎通が悪くなることは、避けられないためより、日頃から家族間のコミュニケーションを図り、良い人間関係を築くことの重要性を考えさせられた一日だった。そんなことを考えながら、ホテルの窓から星に照り返される海とリーフに跳ね返される潮騒の音を聞き、自分で自分を慰めて心地よい眠りに就いた。


翌日、7時に起きて食事後、ご夫妻に挨拶して8時3分の名瀬行きのバスに乗って、此処を離れた。私の心は晴れのち曇りの心境だった。玲子のことが心を暗くしていた。


私の心とは反対に礼子さん夫妻は、奄美最後の夜、あれからも黒糖焼酎片手に夫妻で話されて、理解を深めたという。中学受験のこと、夫妻の会話のあり方、仕事のこと、寝室の事などだ。このことを千恵子からの電話で聞き、心底から嬉しかった。

そしてまた一つ良い思い出が出来た。

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