第6話 奄美まつり

喫茶ニューヘブンでの打ち上げは予定より遅れて、8時30分から始まった。参加者は主人夫妻、従業員5名、それに1階奥の宿泊客5名だった。最初にマスターが挨拶して食事が出された。といっても譲二と信二が作って出すのだ。


ママの乾杯があり、アルコールも出されたが、高校生はアルコール禁止になっていた。が時間の経過と供に一杯だけと言うこととなり、最後は無礼講となった。玲子の進みが遅いのが気になって、

「どうした」

「何で」

短く答えたのみで、それ以上は話さなかった。何時もの明るさがなく会話にも弾むものがなかった。

玲子は椅子に座って考え事でもするように一人で飲んでいる。ひとを寄せ付けない雰囲気があった。こんな玲子を初めて見た。暗かった。仕方なく宿泊客と話す事にした。客は大阪から来た5人のグループで、今日が奄美2泊目で後一泊して大阪に帰ると言った。

私が大阪出身でここの3階で生活していると言うと、中の一人が興味を示し是非見たいと言うから案内した。


私の城、即ち物置を見て、

「へー可愛い。山田さんと此処で生活してみたい」

「いつでも歓迎ですよ。奥さんになってくれる、ここが新婚家庭」

「本気」

躊躇していると、それ以上突っ込まなかった。彼女は中本千恵子と名乗った。大阪の会社員で23歳と言ったが、何処まで本当かは分からない。旅先の出会いとしてこう言うことはよく有ることだ。

また其れが旅の楽しみでもある。


暫くすると玲子が上がって来て、

「山田さん、此処で生活しているんだ。可愛い部屋だね。私もここで暮らそうかな」

私と千恵子が笑った。事情を知らない玲子は、

「冗談冗談」

其れが面白くてまた二人で笑った。玲子に笑いは無く表情が曇った。


スコールが来たので、急いで下に降りてパーティーに加わった。高校生は出来上がっており、先輩の信二が世話を焼いていた。酔った高校生を1階奥の民宿に連れて行って寝かせて、2階に戻ってくると玲子の姿はなかった。そして譲二も其処にいなかったので二人で街に出かけたと勘ぐり、私の心は乱れていた。

仕方なく5人の女性をつれて、8月踊りの見学に出かけた。

本来、8月踊りは旧盆に集落において行われるのだが、地方から名瀬に出て来た人達は出身集落毎に集まって、奄美祭りの3日間の夜を踊り明かすのだ。昔は本当に3日間踊り明かした様だか最近は、青少年の非行防止と踊り手の高齢化、騒ぎ防止の観点から最終時間は12時と決められている。ママの話では1~2時間伸びるのは常で、警察もそれは大目に見ていた。警備の警官が踊りに合わせて、腕と脚を動かす光景を良く見るほどに島民に馴染んでいる。


一曲踊り終わると黒糖焼酎や郷土料理が出されて、飲み食いしながら更に踊りを続ける。結構高齢の方もいるが、これをやっているうちは健康でいられると思われた。結構激しい動きもあるので健康でないと出来ない。


女性陣は踊りのひとつから料理やビールの接待を受けている人もいて、中には踊り出す人もいた。それが結構様になっているから不思議だ。数箇所の輪に参加して相当酔っていたが、適当に踊りの輪に加わることで、酔いは醒まされるようで酒の弱い私も結構飲めた。


踊りの輪の反対側を見ると、私を奄美に導いた岩崎薫の姿が初老夫妻の間に見えた様に思ったので、軽く手を上げて合図したが、これが拙かった。

暫くして薫さんが私の横に来て、

「まだいたの早く帰って。目障りで迷惑」

周りを無視して短く告げて足早に去っていった。

女性陣はあっけに取られて、この光景を見ていた。千恵子が、

「山田さんも大変なんだ。ご愁傷様」

暫くすると雰囲気が戻り、他の集落の踊りに加わった。時間は12時を過ぎていたが、私達はまだ余韻を楽しんでいた。しかし警察の解散しなさいと言うコールでやがて解散となり、宿舎に引きあげた。


次の日も店には譲二も玲子も居なかった。何故なのか少し不安になる。不安の原因が分かるので、より不機嫌になっていた。よりによってこんな日ほど店は混んでいた。信二と二人でてんてこ舞いだ。

私が不満を言うと信二が、

「先輩と玲子さんが居ない時もこんなもんでしたよ」

これ以上不満を言うことは出来なくなってしまった。


今日は奄美祭り二日目だった。ついに譲二と玲子は店にこなかった。昼を過ぎると客足は急速に遠のいた。1階から5人組みの一人、千恵子が上がって来た。

「あ・・、今日もう帰ったんじゃないの」

「私一人残ったの」

そして首をすくめた。

「会社、大丈夫」

「大丈夫。山田さんを見習って私も後1、2週間くらい此処に滞在する予定」

本当ですか。失業したらどうするのと言おうとすると、機先を制されて、

「大丈夫、私は用安海岸リゾートで働くから。それにあんた美枝子さん知ってるでしょう。彼女、私の友達。彼女から色々聞いてるのよ」

「幸い、ダイビングのライセンスもあるのでばっちりです」

「最高。グラッチエ」

「メルシー」

会話にならない会話が続いた。世間が狭いのか、類は類を呼ぶと言うのか全く不思議な縁だ。美枝子とは男として恥かしい出来事があった。千恵子が何処まで知っているのか気になった。


「山田さん、今日は玲子さん居ないみたいだから一緒に祭りに行きません。それとも私ではご不満」

此処まで言わせてしまえばお付き合いするしかないと覚悟を決めて、

「行きましょう」

答えてハイタッチした。

早速、服を着替えて一階に行くと千恵子も其処で待っていた。二人並んで少し距離を置いて歩いた。

「振られたもの同士もっと仲良くしましょうよ」

千恵子がそっと腕を組んできた。玲子とも腕を組んだことがないのに。比べるのも変だが自然と比較していた。


少し歩くとヤクザ氏が数人の仲間と歩いて来て、

「よ、良い男。今日はお相手違うね。明日、店に相談に行くんで必ず居ってくれ」

意味も分からず、

「分かりました。お待ちしています」

模範的な答えをして人ごみの中に消えた。

「あれ誰」

千恵子が聞くので、

「ヤクザの親分で俺の親代わり」

「へー。嘘、バッカ言って」

千恵子は納得出来ないのかふざけた言葉で続けた。それからも何回も同じ事を聞くので、同じ答えをした。

二人で大阪名物のたこ焼きを2舟食べ、8月踊りを2箇所で踊り、もう帰ろうかなと思った時、向こうから玲子が歩いて来るのが見えた。相手は譲二ではなく、良く見ると枝手久島の男だった。仲良く腕を組んでいる。千恵子に気づかれない様にこちらは腕を解き、顔を背けて普通以上のスピードですれ違った。この光景に気づいたのは私と玲子の二人だけだった。


そうか玲子は、あの男と一緒だったんだと一人納得した。負けん気ではなく、あるべき姿に返ったと思えて、却って気持ちはさばさばしていた。玲子の口癖、奄美のことは夢のまた夢と言う言葉が脳裏を掠めた。私に夢と素晴らしい自然と太陽を与えてくれた奄美に感謝して、心は昂揚していた。

其の後、8月踊りをハシゴして12時過ぎに3階の部屋に帰り、千恵子も希望通り其処に泊まり、私に男としての自信を取り戻させてくれた。美惠子のことは聞けなかった。

実を言うと私は、初体験のとき以降この行為で満足感が得られず、半ば自信を喪失しており、女性に対して拒否反応と言うか劣等感を持っていた。それが、性行動を消極的にしていた。千恵子の適切なサポートで私は完全に自信を取り戻したのだ。これで大学院進学の決意も出来た様に思った。

「千恵子さんありがとう」

「なにを。なんのこと。お礼言われると惨め」

「ゴメン。すまん・・・」

「そう言えば玲子さん他の男と腕組んで歩いていたね」

一言言って、腕の中で眠りに就いた。


翌朝、7時に目を覚ますと千恵子はおらず、民宿も探すが既に出かけたとのことで慌ててバスセンターを目指す。

途中まで来た時、千恵子が乗ったバスが来たので、

「千恵子ありがとう」

大きな声で2回言って、大きく手を振ってバスを見送った。

この光景を見ている一人の女性がいたことを知る由も無かった。


8時過ぎに店に出ると久しぶりに玲子が来ていた。

「玲子、何してたん」

「あんたこそ何してたん。バスに向かって、○○○さんありがとーう。なんて言ったりして」

暫く時間を置いて、また玲子に、

「真、最高に格好わるー」

「そうですか。それは、それはどうも。助言ありがとうございます」

1階に逃げた。昼過ぎまでこの様な雰囲気が続き、この環境が崩れたのは昼休み、玲子に促されて港に出た時だった。

「実はあんたも知ってると思うけど、あの男と2日間一緒だったんだ」

「ふーん。それで、それだけ」

「それだけ」

短く答えて、

「あいつ結婚してくれて言って来たの」

「それで」

「断った」

「なんで」

「逃避したい心が見え見えだったから」

「ふーん」

「あいつ困ると逃げる癖があるから。がツーんと言ってやった。恋人居るって」

「そしたら」

「また島に戻って行った」

「軟弱で優柔不断な男だな。土佐のド根性は無いのか」

「ほんとに。ついでに言うけど、私も近いうちに島を出る予定」

前の海を見た。

「そう。それがいいかもしれない」

ここまで言った時、店から与論島慕情の曲が聞こえて来た。船が入港したのだ。慌てて店に引き返す。話は途中だったが店ではそれ以上言及しなかった。


昼過ぎに約束どおり、ヤクザの親分山越さんがやって来た。元妻と一緒だった。親分が話すには、今度ヤクザを廃業し元妻とも復縁して、本当に旅行店を開業するとの事だ。既に店も手に入れ、親分筋にも話はつけたとのことで全く問題はないとのことだ。数名の子分も新しい組長に引き継がれたとの事。

私が、

「器用で人の心の機微を知る親分には最適な選択ですね」

「お前みたいな甘ちゃんに言われとうないわい。例のねーちゃんは」

玲子を呼んで事情を説明すると、

「最高」

とか何とか言って、喜んで親分と奥さんに飛びついた。


「嬉しいなこんなベッピンな女の子に抱きつかれて」

「兄ちゃんしっかりやりや」

「それは親分にそっくり返す言葉ですわ」

「その親分は辞めてくれ、俺には山越真一と言う立派な名前があるんや」

「わかりました」

「山越さん。山越社長さん」

玲子が言うと満面の笑みでこれに答えた。

「今日は、ワシの会社の設立記念日イブやから8時過ぎに二人で一緒に来い。美味しいもんでも食べさしたる」

返事も聞かずに出て行った。事情をママに告げると花を買って持っていけと言われ2000円くれたので、白い胡蝶蘭を買ってそれに喫茶ニューヘブンと書いてもらった短冊を付けて持って行った。


店は既に開店準備が出来ていて支援する堅気の人ばかり数名が集まっていた。社長の指名により、玲子の決まり文句、

「天に太陽、地に砂糖キビ、人には黒糖焼酎で乾杯」

で社長夫妻の再婚と旅行社設立を祝う内輪の会が始まった。酒と食事が進んで会が盛り上がった時、突然、奥さんが立ち上がって話し始めた。

「実は家の人はヤクザで、それが原因で息子が死んだんです。それ以来、夫婦関係もしっくり行かなくなって、大阪から逃げる様にして奄美に行ってしまったんです。私が追い出したようなもんなんです。でもこの地で死んだ息子を生き返らせてくれたんです。山田さん此処に来て」

前に呼んで、私を紹介してくれた。

玲子と二人、皆からお祝いを言われて二人の婚約祝賀会のような雰囲気になった。これは山越さんに一本やられたかと思ったが、其の時は後の祭りだった。


宴が終わると山越夫妻の案内で8月踊り見学に向かった。

佐仁集落の踊りを踊っている人に歌詞を聞いてみると、

「しらがけの花は 水かけて生けろ 情けかけみそし 生けてたぼれ」

リーダらしい人が教えてくれた。その意味は、

「干からびた花は、水をかけて生けろ。情けをかけてください、生けてください」

であり恋歌で沖縄独特の「八八八六(さんぱちろく)」調だ。

踊りの最後は、軽快な「六調」となった。これに太鼓が加わり、にぎやかさを増幅させる。歌詞は「めでためでたの若松様よ―」と本土の「七七七五調」であり。奄美の地理、歴史を反映している様に思えた。



翌日、(2015年5月19日)、8時に起床し、予定通り黒マグロを見に行く事になった。車は私が隣の家から借りた。昔の様に玲子が運転し私が助手席に、画家さんが後ろに座った。

「さあ出発します。麗子さん良いですか」

玲子が言い、私が、

「宜しくお願いします」

車は、瀬戸内町の花天を目指してスタートした。車中で最近の研究成果を簡単に説明し、NHKのドキュメンタリー番組でも取り上げられてノーベル賞も夢ではない。と言うと、

「本当に、そうなんだ・・」

「真、凄いね」

「私には先見の明があるネ」

車内で騒いでいると2時間で到着した。

「早いね。超早い」

玲子は驚いた様に言った。


 船で大きな生簀に向かい、生簀の周りにある通路に飛び移って餌を投げると、何処からとも無くイルカ大の黒マグロがやってきて餌を食べる。玲子もその迫力に驚く、玲子は始めてだった。

「迫力すごいね」

「昔と変わってない。力湧いて来た」

「これ絵になるんじゃないの」

否定されると思い冗談半分に言うと、想定外に、

「山田さん。これ絵になる私、挑戦する」

「この前、10年前には麗子さんは絵にならないって、言ってたのに」

「それが間違いだった。固定観念に捕らわれていた。こんなに感動したものを描かない手は無いと思う。強くそう思う」

闘志を露にした。

「それが良いは、挑戦して下さい。楽しみ」

玲子も応援した。

 感動を得て次に思い出の地、枝手久島に向かった。


玲子が、

「枝手久の風景は変わってないね。でも人が居なくなった。超静か・・・」

前の海を見ながら言った。

「風光明媚なリゾート。でも人居ないの寂しい。もう20年もするとここはジャングルになるんじゃ無いの」

画家さんが10年前と比べた。

「そうかもしれない。お金が無いとこの道路を維持できないし、スマートシティーの名の下に辺境は切り捨てられるのかもしれない」

「ここまで酷いとは。ショック、見なければ良かった。昔、泊まった家も寂れてて、人は住んでいないかもしれない」

「ええ住んでません」

玲子を見ながら私が答えた。


 ここで私が、思っているところを語った。要約すると、次のような内容になる。

今、枝手久島は40数年前に比べて静かです。島と綺麗な海は残ったが、残念ながらこれが経済的価値を持たない。

奄美の僻地としては、落ち着いた立派な建物がチラホラみかけられる集落に人影は見かけず、風のみが吹き渡る。立派な相撲場で猫が鳴く声だけが集落を支配している。

大学生の頃、枝手久島は燃えていた。地元民の賛成、反対、更に多くの地元民以外の概ね反対派の人々で溢れていた。

当時は、開発は駄目、自然保護は絶対、企業は悪と言う風潮があり私もその1人だったと思う。

ここでチラッと二人をみて反応を探った。耳を傾けくれていた。


人生の中でこの考えに疑問を持ち、事実を直視すべきであると思うようになった。

今、もし東燃の石油精製基地があれば、最大百人程度の仕事が有り、付随的な仕事、主にサービス業も有り、人の往来も見込めた。

補助金の額よりも、雇用により生み出されるやりがいと税収増が期待出来る。

心配される農業、漁業もニーズがあれば継続が可能である。勿論、ニーズがなければ存続出来ない。

最近、盛んな養殖漁業との両立は可能である。操業中のトラブルで環境悪化をもたらすことがあるかもしれないが、東燃レベルの会社ならリーズナブルな着地点を見いだすだろう。もはや企業は環境破壊を行っては存続出来ない。

玲子の反応が気になったが、静かに聞いている。


但し、営利を追求する企業なので、撤退、規模縮小、事業内容の変更等により従業員の身分に変化はあるかもしれないが、終身雇用制の国柄であるから、極端な対応はしないだろうし、国、組合、地域が許さないだろう。

以上の事より、私は当時の反対運動には課題が多いと思うんです。

この教訓から、観念論ではなく、各人が頭を柔らかくして事実を正しく見る眼と考える力を持っ必要があるように思います。


もし枝手久島に東燃の基地が林立している姿を見た時に、どういう気持ちを持つのか大いに興味を持つ。枝手久島は歴史地理学的、経済価値を享受しているか…!

と締めくくった。


 まず、最初に玲子姉さんが反応した。

「熱弁だったね。いまでも熱いんだ。昔はノンポリかと思ってた」

「冷やかすなよ。彼は今どう思っているんだろう」

「分からない。逢ってないから」

当然のように玲子が言って、画家さんが重ねた。

「叔父さん。若いね市会議員でもしたら、今度の10月の選挙」

「画家さんも言うね。元気が出て来たかな。それはいいことだもっと煽ってくれ。ちょっと本気になった」 

 私は軽口を叩いた。

 この様子を見ていた、玲子が寄ってきて、小さな声で、

「画家さん元気になったね。次は私を元気にして」

笑顔で囁いたので、それを見て

「俺も癒してくれよ」

「お互いに慰めあおうか。同窓会ラブ」

照れくさいのか離れて行って、画家さんと話し出した。玲子とは枝手久の件について、もっと話したいと思ったが、二人の思いは異なっていた。


帰りは最近、奄美市内に出来た屋上露天風呂に入って、弁当を買って龍郷町の自宅に帰った。本当は、玲子とお互いの悩みを分かち合いたいと思ったが、画家さんの手前それは出来なかった。

 夕食の弁当を一緒に食べながら、43年前の出来事と別れを語った。語り終わると二人は疲れたのか眠ってしまった。

新聞に目を通すと、奄美では、自衛隊の誘致が本格化し、世界自然遺産登録活動も道筋が見えて来た。格安航空が東京から就航を始めた。農産物の地産地消活動も行っている。これらの活動を通して過疎化防止に備えていることが分かった。

私も“観光客2倍”、“県立奄美大学設立”を目標に当事者として責任を持って対応することも考えたが、妻や子供の反対も有って、今回の市議選への立候補を断念することを2週間前に決めていた。

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